今更ですが。

今更ですが、2007年1月から始めた本ブログは、2019年2月の日本への本帰国をもって一時休止としておりましたが、2021年10月に再度在外赴任することとなりましたため、これを機会に再開することとしました。

かつて存在した 地球公務員 落花生。のサイトは、http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/1917/index.html だったのですが、どうやらGeocitiesに消されてしまったようです(一部アーカイブを残してくれているサイトもあるようです)。Geocitiesのサービス自体が終了となってしまったみたいですし、ナイジェリア(2000~)・東ティモール(2003~)在勤時代のアーカイブは、そのようなサイトを探してみるしかないところ、申し訳ありません。

なお本ブログは、筆者が備忘録的に書いているもので、インドネシア鉄道やミャンマー鉄道、ラオス等に関する情報発信を主目的としておりません(何らかの形でお役に立てれば、それはそれで幸いです。)。掲載情報の間違い等に起因する損害等について責任を負うことはできませんので、ご理解ください。
また、記載内容は筆者の個人的見解であり、筆者の所属する組織機関等の公式見解とは一切関係ありません点についてもご了承ください。

また、いただいたコメントには原則としてお返事させていただいていますが、その後会話のやりとりが続かない方(当方からの質問コメントを無視される方)、上から目線で揚げ足取りや間違い探しだけに執心される方などはご遠慮いただきたく、同じような事が続くようであればかかるコメントにつきましては当方も無視させていただき、折を見て当該コメントは削除いたします。また、記事とは関係のない話をされる方は御自身のブログやSNSでやっていただければと思います。

 

※この記事がいつも先頭に来るような設定にしてあります。もっとスマートな方法はあるんでしょうけど、そのうち勉強しますんで、暫くご容赦下さい。

 

 

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2021年10月29日 (金)

ビエンチャンに到着。

仁川空港内で一泊仮眠の後、ビエンチャンに到着しました。

朝08:05発のラオス航空QV924便は、チャーター便の扱いとなっているそうで、昨日成田から飛んでくるアシアナ航空OZ101便から荷物はスルーで運べるのですが、この仁川=ビエンチャン区間のQV分の搭乗券の受取と、この区間の荷物のエクセスチャージは、今朝この37番搭乗口前のカウンターで(米ドル現金で)支払うという、変則的な運用になっていました。
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この左の37番搭乗カウンターで搭乗券受取とエクセス料金の支払い。これを済ませないと、免税店で売って貰えません。

昨日も書いたように、この路線とKUL~VTE間のAKフライトしかなく、1週間に1便しかないこのフライトも満員。他に競合相手もいないのですから、ディスタンス確保できるようにもう少し増便してくれるとありがたいのですがね。
ともあれ、早めに5時半頃から並んだお陰で搭乗券を入手後、スタバで朝食を買って一服する(そして魅力的な商品がなかったため買いませんでしたが、免税品も購入可能な)時間があったのは幸いでした。
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防護服のような白服に身を包んだ客室乗務員の方による機内サービスの様子(1枚目)。
日本の中古機ですか?と思って調べてみましたが、違うようです(RDPL-34199)(2枚目)。

というのも、フライト自体は20分ほどの遅れで搭乗開始・離陸と相成ったのですが、(ある程度の)長距離フライトのお楽しみである機内食が、結構大きな箱で出てきたと思ったら、開けてビックリ、なんですかこの中身は、という貧相さで、更にコーヒーの一杯も供されず、
朝食を食べておいてよかったです。食べてなかったら、午後到着後の隔離ホテルに入るまで相当飢えるところでした。

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この大きな箱に、クロワッサン1つ、クッキー2枚、リンゴ一個、水1本のみ。
えーー 4時間半のフライトで、レガシィキャリアで、これだけー!? 

ビエンチャンのワッタイ空港到着は、離陸の遅れを引きずったのか少し遅れて11:30頃。
ここから入国の様子は参考になるかもしれないので少し詳し目に書いておきます。写真は制限がなかった所だけですが。
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ビエンチャンの街並みを眺めながら、ワッタイ空港に到着。経費節減でしょうか。タラップで地表に下りて、またすぐ階段で建物に上がります。普段だったら楽しいんだけど、今日は大荷物なので...

他にフライトがあるわけでもないのにPBB(ボーディング・ブリッジ:所謂「蛇腹」)を使わず一旦タラップで地上に降ろされ、20mほど歩いた先から階段でPBBに上ってターミナルビルの2階に入り、更に上った3階の出発ロビーにて出発前のPCR検査陰性証明と隔離ホテル予約所のチェックを受け、その場で記入する書類を一枚渡され。
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一応、今でも、歓迎してもらえているみたいです(1枚目)。列に何回も並ぶのは仕方ないですかね(2枚目:最初のチェック)。

エスカレーターで2階に降りて少々並んで当地のPCR検査を、喉と鼻の両方に綿棒を突っ込まれて(鼻の方は少し痛かった)検体採取され、
続いて入国審査。こちらでは通常取得する「査証」とE/Dカードに加えて、ラオス政府発行の入国許可にかかる書類も要提示。こちらは出発前日の27日にメールで届いたものを印刷しておいてセーフ、でした。
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このパーティションの裏で検体採取を(酷いハングル表記ですね)。

その後1階に下りて荷物をピックアップして税関検査(甚だ簡単)を通り、これまでであればこれで外の公共空間に出て終了、
なのですが、
今はここで両替のあと、隔離ホテル行きのバスチケット(6ドル/人)を購入し、そして隔離期間中の新規入国者が勝手に出歩かないように、腕時計型のGPS機器を取り付けられます。ネット情報によると、勝手に外したり外を出歩いたりすると、直ちに保健当局からお叱りの連絡が入ってくるそうです(国連職員や外交官は免除)。
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通常だったら出迎え、携帯屋やレンタカー屋などが並ぶこの空間で、GPS機器の取り付け。

到着してドアオープンからバスの出発まではおよそ1時間15分ほど、オリパラの時の成羽の状況と比べたら、思ったよりスムーズでしたかね(便数・人数が違うとはいえ)。

バスは日本のODAで入れた、恐らくはタイ・いすゞ製の市内路線バスの転用。かなり段差高めのツーステップ車両で、荷物スペースもないので椅子の上にスーツケースを積み上げており、空港対応向きではないのは明らかですが、冷房のついた大型バスで、政府として徴発が容易だったのでしょうね。
車内は荷物半分・乗客は20台ほどですので、1本のフライトに数台のバスで対応しているようですが、空港からは市内15か所ほどの指定隔離ホテル(乗客側で、お財布事情を踏まえて選択できる)を順番に一つずつ回っていきます。車寄せにバスが入れないホテルでは、やはり白ずくめの保健省職員(?)が乗客をホテルの建物まで誘導して、勝手に逃げ出したりしないように担保していました。
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この日本のODAマーク付きのバスで市内へ。

当方のホテルは市内の北東側にあり、到着まで1時間半近くを要し、市内をグルグルと巡る観光バスツアーみたいなもんで楽しくはありましたが、少々疲れましたね。

さ、このホテルで2週間の隔離生活に入ります。退屈しのぎのためにいろいろ用意はしてきましたし、リモートで仕事もありますけれど、
さてどうなることやら。

ぱにゃにゃんだー。

 





 

 

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2021年10月28日 (木)

さあ、赴任の日です。

再開最初の投稿は、10月28日の成田発からにしますね。

今回のビエンチャンへの赴任ですが、コロナ渦中ラオスは国全体として国外との人の往来を厳しく制限しており、陸路国境は貨物以外は閉鎖、空路で飛んでいるのがKLとのAir Asia運行の国連WFPチャーター便(KL-ヤンゴン-ビエンチャンの三角運航)が2週に1便、今回利用することとしたラオス航空(QV)の仁川へのチャーター機が週に1便、その他昆明便があるだけとのことで、発令から着任まで30日以内という当方職場のルールを踏まえると、10/29仁川発のこのフライトが事実上唯一の選択肢となってしまっていました。

それも、事前に聞いていたラオス航空日本総代理店の方の説明によると、これは定期便ではなくチャーター便扱いのため、一般の旅行会社のシステム(アマデウスなど)では発券できず、各社からラオス航空代理店経由でとるしかない、仁川発が朝8時と早いため、東京→仁川間は前日のOZかKEで入って前泊しないといけない(同区間を飛んでいるZip AirはLCCのため、仁川で入国しないといけない、荷物スルーが出来ない)、その他にもいろいろ通常とは異なる扱いになっているようです。
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コロナの世の中、本来ドル箱路線の東京~ソウル路線でもナローボディのA321なんですね。

そして査証取得も本国経伺となっているため申請から時間を要し、更にラオスの休日などの事情も重なり、なんと査証の発給は出発前日27日の朝にずれ込んでしまいました。査証の他にもラオス政府発行の「入国許可」なる別途の書類が必要で、こちらが本国で発給されてメール添付で送られてきたのも26日の夜で、もう自宅のプリンターも処分してしまっていたりと、なかなか厳しい綱渡りでの赴任準備となってしまいました。
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左手に見える筈の富士山は見過ごし、右手下方には北アルプスの山並みを望みながら。

そんなドタバタを経てこの28日、日暮里から京成スカイライナーで成田へ。
事前に宅急便で送付していたスーツケースと合わせ、台車1台では積み込めない位の大荷物を抱えてアシアナ航空OZ101便にチェックイン。この成田では、仁川までのエクセス料金のみを支払い、仁川→ビエンチャン区間のエクセス料金は仁川空港の、(乗換カウンターではなく)搭乗ゲート前のカウンターで米ドルキャッシュで支払うべし、との指示を受けます。色々普通のフライトとは違うのをあちこちで感じます。
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CAさんはこんな格好での乗務。お疲れ様ですね。

今日のOZ101便の機材はA321型機。本来なら大型機が毎日何便も飛び交う東京~ソウル線でナローボディ機というのも驚きですが、それでも搭乗率は2割くらいでしょうか、ガラガラです。そういえばもう30年以上前、アシアナ航空設立時の東京~ソウル路線、同社の最初の国際線で、故にトップナンバーの便名が与えられているわけですが、当時のこの路線もB737-400だったのを思い出しました。
機内に入ると、客室乗務員の方は防護服を想起させるような、白い服を重ね着しており、機内サービス中もずっとこの姿のまま、緊張感が漂います。
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機内食はこれだけ。ホットミールなだけまだまとも、なんでしょうか。

13:20発のほぼ定刻に出発したフライト、ソウルまでの飛行時間は2時間15分ほどですが、機内食も簡素で(これはコロナ関係ないんですかね。韓国線乗るのも久しぶりなもので)、機内エンタメも手元のスマホやタブレットにWifi接続してご利用くださいとの由、あっさりしたものですね。

そんなこんなで食事を食べてうつらうつらするうちにあっという間に仁川着陸。ここで翌朝まで一泊です。
要注意なのは食事をとれる店が19時ラストオーダーとなっており、以降はロッテリアとスタバしか開いてません。
さ、明日は早いし、早寝しますかね。
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仁川空港に着陸。こちらも各路線大幅減便ですが、成田よりは本数多そう。ハブ空港としてまだ機能しているようです。

 

 

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2021年10月 1日 (金)

転勤することとなりました>ラオスへ。

このブログ、久々の書き込みになりますね。

私こと、この度10月1日付で再度の在外赴任、ラオスへの転勤の辞令を受け取りました。

2019年2月に東京に戻ってきてから、2年7か月ほどと、通常の我が職場の標準から見ると随分と短い東京勤務でしたが、在外勤務をする者がおよそ半数という我が職場でも、御家庭の事情(親の介護、子女教育など)で在外に出たがらない職員が多いと噂に聞いていましたので、そのような状況にないと見做された者については容赦なく外に出して、“2018年問題”以降多数発生してきていた空きポストを埋めにかかっているのかもしれません。
このような短い期間で外に出されると、帰国時に買い揃えた家具や電化製品、クルマなど多くのものを殆ど捨てるような形で処分していかなけれればならないのが懐的には痛いところではあります。

とはいえ、前任地ミャンマーの隣の国ラオス。インドネシア・ミャンマー在勤中には2度ほど“応援出張”に出掛けたこともありますし、私用で訪れたことも複数回あり、「勝手知ったる」とは言わないまでも、多少の土地勘はありますし、何しろローカルの食事が美味しいというのは大変ありがたいこと。
このコロナ渦中での在外ということで、到着時の隔離はもとより、首都ビエンチャンもロックダウンが続き、これまでの在外生活のように国内各地や近隣国を旅行して回ることも自由には出来ない生活にならざるを得ない状況です。

今後少しでも早く状況が落ち着いて、以前のような在外生活が送れることを心待ちにしていますし、
そして友人の皆さんが遊びに来てくれる日が一日でも早く訪れます事を心待ちにしています。

というわけで、このブログも久々に再開させていただきます。
当分は現地のお勉強。情報発信はこちらが落ち着いてから、になってしまうでしょうが、今後ともなにとぞ良しなによろしくお願いします。

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2019年3月25日 (月)

センチメンタル・ジャーニー in ヤンゴン。

一か月ぶりのヤンゴン、職場に顔を出したりしつつも、ちょっと時間を見つけて、環状線に少しだけ乗ってみたり、S藤さんのお供でヤンゴン駅近くのRBEワークショップや、パズンダウンのLRBE・RBE工場にお邪魔したりと、センチメンタル・ジャーニーはあっという間。
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月曜夜のANA814便でお土産など大荷物抱えて帰国します。

さあ、あと一回くらい、ヤンゴン来る機会、あるかな。

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2019年3月22日 (金)

ヤンゴン再訪。

レバックブルスからはタクシーでスカルノ=ハッタ空港へ直行、入国から出国迄6時間ほど、「こんな短時間で何してたの?」と入管職員に怪しまれながらの12:35発のTG434便でバンコク、そして1時間半ほどの乗継のTG305便でヤンゴンへ。
機内ではヤンゴン在勤中ずっとお世話になって来た日本留学生OB会のS先生や、東南アジアにおける中古鉄道車両の第一人者の一人であるS藤さんとも遭遇するなど、気分はすっかり既にヤンゴンに戻った感。
そして、離任後僅か1カ月少々でまたヤンゴンに舞い戻ってきてしまいました。当然、「すっかり様変わり」しているわけもなく、以前と変わらぬヤンゴンの街並みを眺めながら、空港から市内へ向かいました。
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2019年3月21日 (木)

ジャカルタMRTJ試乗。

明けて21日、スカルノ=ハッタの新しい第3ターミナルで国内線側に移動してスーツケースを預け、タクシーで市内へ移動。 
本日の目的は、この5月に運行を開始しているインドネシア初の地下鉄と言ってよいでしょうか、都市高速鉄道MRT…インドネシアあるあるの一つなのですが、正式運行開始前にSoft Openと称して、スタッフの習熟を兼ねつつ市民向けの試乗を始めており、それに申し込んだらあっさりと当選してしまった(抽選になっていたのかすら怪しい)ので、これに試し乗りに来てみた次第。
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ブンダランHI駅入口。以前の職場のすぐ近くに出来ました。もう通勤はこれでよい?

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KCJの回転バー・タイプではなく、日本式の自動改札機が設置されています。スタッフさん達も研修中、かな。

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ホームの様子。朝8時から試乗は始まっている筈ですが、全然列車が来ません。

この試乗会、報道によると週末は長蛇の列で大混乱!とのことでしたが、ジャカルタ在住パクアン先生と落ち合って北側の終点、以前の職場最寄りのBundaran HI駅に来てみると、平日のこの日は運行開始時間になってもホームで待つ試乗客は50人程度でしょうか、至って平穏。なのですが、運転開始の時刻になっても列車は現れません。1時間近くも待たされ、パクアン先生は呆れて帰ってしまい、こちらはこちらで次への移動が不安になって来た頃、漸く始発列車が到着。
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漸く、南行きの初列車となる、北行き列車が到着。

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南行き列車の車内。座席がプラスティック製であること以外は、日本の電車と殆ど変わらない雰囲気です。

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流石は日本車輌製なだけはありますね。

この日は(後で分かったことですが)緊急時に片線のみを使用して運行する訓練を実施していたようで、列車は普段(というか、今後の営業運転に入って以降)の右側通行ではなく、東側の線路だけを使用して上下列車を運行する、即ちレバックブルスに向かう列車は左側通行をするというイレギュラーな形で、極めてゆっくりとしたスピードで、一駅毎に随分と長く停車しながら、ゆっくりゆっくりと走っていきました。
そして列車はBlok-M駅で運転終了となり、中線側に停車していた別の編成に乗り換えとなり、ここからは通常どおりの右側通行で快走し、終点レバックブルスへ。
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地上区間に出ると、ホームドアも腰までの高さとなるのも日本と似ています。

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高架鉄道から眺めるジャカルタの車窓も新鮮… ってKCI中央線も高架鉄道でしたね。

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高架区間の各駅はこんな感じ。

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駅名標には、両側の駅名を書いて欲しいところですが、車内のモニターがあるから、いいのかな。

以前円借款関係の部署にいた際にほんの少しだけ関わったことのあるこのジャカルタ都市高速鉄道「MRTJ」、現在建設工事が進められている北側区間はコタ・カンプンバンダンまで延伸され、ジャカルタの市街地を南北に貫く大動脈となります。運賃は高い高いと言われているようですが、同じように既存の交通機関に比べてべらぼうに高いと思われたバンコクのスカイトレインや地下鉄も、数年後には常に満員の盛況となっています。経済発展に伴い、ホワイトカラー中間層が激増しているこういった国々では、この位の運賃を支払っても定時に快適に移動することが出来ることを選択できる人たちが大勢いるということでしょう。現在の列車は6両編成ですが、設備は既に8両編成対応で作られていますが、それでもあっという間にキャパシティは足りなくなってしまうかもしれません。
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終点レバックブルスで折り返していきます。

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上り線のホーム北側からは、電留線が見えます。

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身をくねらせながらS字カーブを曲がって出発していく北行き電車。これからの活躍に期待しています。

試運転では乗ったことにならない、などと茶化す友人もいるので、まあ、近いうちにもう一度乗りに行かなければならないですかね、ジャカルタまで。
 

 

 

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2019年3月20日 (水)

弾丸ジャカルタへ。

帰国してからの初海外。作り直した新しいパスポートでの出発は3月20日夜、仕事を終えてから直行した羽田22:55発のNH871便ジャカルタ行き。たまたま同じ便で渡尼する30年来の友人K原君とエコノミー最前席ですが、このフライトは朝便と違ってB767でPYついてないのね。
全く期待していない未明の朝ごはんを食べ、一瞬で早朝4時半にジャカルタ、スカルノ=ハッタのT3“Ultimate”に到着。国際線は各社とも最近ではこちらのターミナル発着に変わりつつあるのだそうで。
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2019年2月16日 (土)

ミャンマー最終日。

少々忙しくて全然リアルタイムで更新できないうちに,ミャンマー最終日の2月15日が来てしまいました。
数日前12日には,多少の断捨離の効果もあってか,スラバヤから着た時とほぼ同じ個数の荷物を東京に送り出し,幾人かの皆様には歓送の夕食などやっていただくうちにあっという間に時がたち,そして今日金曜日も慌ただしい中あっという間に終わり、いよいよ今晩の全日空NH814便で帰国です。
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夕方、YCDCの職員の皆さんの帰宅を眺めた後、最後の夕食は何故かふと思いたって19番通りの屋台でのビールと串焼きにしてみました。

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YCDC職員の皆さんの帰宅用フェリーが続々と。左のいすゞは郵便局のフェリーかな。

今回はもういい歳だし,6年以上を過ごしたインドネシアと比べても2年4ヶ月と短かったミャンマー滞在が終わるに当たり,感傷に浸って泣く事もないだろうと思ってましたが、事務所のスタッフから私用車の運転手さんから、よく行ってたお店の店員さんまで、一人一人お別れをする度に、涙目になってしまいました。

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最後の晩餐?は19番通りの屋台?で。

あらためて振り返るまでもなく、ミャンマーの皆さんの優しさに随分と助けられ、楽しい経験をさせていただいた2年4カ月間でした。

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自宅アパートの屋上で、最後の夕陽とパゴダを眺めながら。

この国とこの国の人たちを好きになって、嫌な思いを殆どする事なく過ごし、任期を終えて発つことができるのは、本当に幸せでした。

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12日は引越し屋さんが。そんな、トラック2台で来るほどの量じゃないですが。

他方で、自分がこの国の皆さんの為に少しでも何か出来たのかと思うと、忸怩たる思いをするところは多く、残念なところはあります。

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機内では、「My Country, My Home」が。

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最後?の機内食。朝食の和食でお粥じゃない時もあるのね。

今後、この素敵な国がどう進んでいくか、直接の仕事上の関わりはなくても、遠くからずっと見守っていければと思います。

というわけで,「ミャンマー編」,これをもちまして終了となりますが,続くかな。続けられる時間の余裕のある部署に配置してもらえるかな。

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2月16日朝、成田着。時速160km/h。ヤンゴン環状線とは別世界のスカイライナーで。

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2019年1月29日 (火)

ラカイン再訪、そして完乗。

離任まで残すところ半月余り、乾季ということで週末の行事が多く、自由になる時間がなかなかないのですが、この日曜の仕事が昼頃には終わるということが判り、早速月曜有給取ることにして、昨日日曜夕刻16時発のUB201便、Embraer190型ジェット機でシットウェに飛んできました。

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夕暮れ時のシットウェ空港に到着。ジェット機は速いです。

当方がこの地域を訪問するのは、前回、昨年4月に続いて2回目ですが、ご存知のとおりのラカイン情勢、引き続きあまり芳しい状況にはありません。

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シットウェ市内の始発駅ピードーター。この付近は何ら問題ない地域ですが、運転関係者氏曰く、RBE5015以外は壊れて動かないんだよ、との心配なご説明。

暫く前にAA(アラカン軍)による警察施設襲撃事件が発生したこともあり、外国人の立ち入りが制限されていないか念のため確認したのですが、取り敢えずシットウェ~ミャウーの観光ルート上は、TA要取得といった状況にはない模様。

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市内外れの岬のレストランで、当地在勤の国連機関勤務の友人と晩御飯。

とはいえ、これも極めて流動的な状況下にある地域であり、いつ何が起こっても不思議ではない地域ではあります。

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明けて月曜朝、クァンタウンからポナンジュンへと向かう、併用橋を進む松浦鉄道車。

本稿でも、この地域への不急不要の渡航を薦めるものではなく、それでも強く希望して現地に赴かれる方におかれては、現地の状況に通じた案内人と運転手を確保し、警察や鉄道当局者には常に状況を確認しつつ、少しでも状況の悪化が見られる場合には、直ちに身の安全を確保できるような準備をした上での往訪としていただければと思います。
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ポナンジュンから北上して暫くの区間では、キスパナディ川に沿って走ります。

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カナンタウン~チャウトー間の運転が再開され、運転本数も2往復に元どおり。途中駅ヨタヨークでの列車交換も復活です。

特に、キハ52などの列車を撮影しようとされる方におかれては、望遠レンズや三脚が武器と誤認される可能性すらありますし、撮影されたくないと考える住民や当局者も沿線には多いエリアです。撮影に際しては、当局者の許可を都度得つつ、念には念を入れた対応をお願いします。

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不思議な丸い物体は、藁を纏めたもののようです。

前置きが長くなりましたが、今回の渡航の目的は、前回訪問時には運行休止中だった“ラカイン北線”の北半分、カナンタウン~チャウトー間の運行が再開されたため、新たにこの区間が“乗り残し”となってしまったためで、ここを乗らずに離任するのは寝つきが悪くて困るわけです。

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カナンタウン~アパウクワ間は、運転再開区間でも幹線道路から離れているため、結構な乗客が待ち受けていました。

その再開区間にシットウェ市内のホテルをまだ薄暗い時間帯に出発、車を飛ばして訪問してみれば、再開したとはいえ、路盤状態は酷く、そこかしこで徐行を余儀なくされ、崩れ掛かった小さなコンクリート橋の横には枕木を組み上げただけの「ここは軍用鉄道かっ」と言いたくなるような応急処置の区間がいくつもあったりという、いつまた運行が止まってもおかしくない状態でした。

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ノンビリと牛が渡っていくのを、徐行しながら待ちます。

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こんな感じの応急修理?しただけの箇所が何か所も。築堤の浸食も激しく、キチンとした手を打っておかないと、早晩事故が起こるか走行不可能になると素人目にも思われます。

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もう一か所の併用橋は終点チャウトーの少し手前に。

それでもなんとか無事に終点チャウトーに到着、晴れて(多分)日本人2人目となる(笑)ミャンマー鉄道完乗となり、ようやくホッとしました。前にエセ完乗宣言してしまったこともあり。

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無事に終点チャウトーに到着。これで晴れてミャンマー国鉄MR、完乗です。

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折り返し運転の前に、ドラム缶から給油中。

そして最後シットウェに戻ってのフライトまでの空き時間に、ちょうどゾーブージャに向けて出発していく“南線”のキハ52を見送ることが出来ました。この際も、この道は立入制限がある、ここから先はベンガリーの村だから行けない、などと色々一緒に考えてくれる運転手さんに素直に従いました。

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最後にキハ52の元気な姿を見ることが出来てよかったです。撮影はまだまだ自由には出来ませんが、これからも頑張って走り続けて欲しいものです。

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