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2008年8月28日 (木)

ペシャワール誘拐事件。

 アフガニスタンで活動中のNGOの方が誘拐され、結果殺害され遺体で発見されるという、痛ましい事件が発生した。
とても他人事とは思えない、と言っては烏滸がましいのだけれど、人道/開発援助・協力といった世界の片隅に身を置いている(今は直接関係のない部署にいますが・・・)落花生。にとって、胸を締め付けられるような思いに襲われた。
 この事件を最初耳にしたのは昨日だったが、まず最初に思い出したのは、4年ほど前、イラクで同様に誘拐され、この時は幸いにも救出されたものの、所謂“自己責任”にかかる議論を巻き起こした事件。

 この時と大きく違うなと感じたのは、今回犠牲となった方は、まだ30歳を過ぎたばかりだというのに既に数年間この土地に入り、地元の言葉も覚え、決して自分の活動の成果をひけらかすことなく、自分のためではなく、ひたすら地元アフガンの人々の農業活動を通じた生活環境の改善に打ち込んできたということ。決して自己の信条・行動を正当化するためにメディアを使って汲々としたりはしてこなかった。大勢の地元の人達が捜索活動に参加し、犯人に対し解放を呼びかけ、葬儀で悲しみと怒りを顕わにする姿からもそれはダイレクトに伝わってきた。
 この世界にいると、政府関係者とNGOというものは水と油のようなもので、決して真の協力・協調には至ることができない、なんて声を耳にすることが時々ある。実際それぞれの立場があって、難しい部分が多々あるのは事実なんだろう。
 このBlogでは政治的なことは書かないというポリシーでやってきたんだけどが、今回犠牲となった伊藤さんのこれまでの活動には本当に頭が下がるし、心から敬意を表したい。自分も立場は違えど、恥ずかしくない仕事をしていきたいと、改めて思う。仮に職務中に自分の身に何かがあったとしても、自分の両親には、堂々と胸を張っていて貰えるような生き方をしたいと思う。

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2008年8月22日 (金)

楽しかったのですが。。。

今日はもう実質最終日。昨晩の話では朝の汽車は8時にフィールドに出るというので、今日は早起き。7時ぴったりにPG.Oleanのアドミに着くと、既に先客有り。落花生。が来意を告げて手続きをお願いしている横で、6人ほどの手続きをしているガイドさん、英独蘭など欧州5ヶ国からのグループだそうで、昨晩ホテルで「ハロー!」って声をかけて無視された(苦笑)白人一行を案内してるらしい。

で、手続を済ませて車庫に向かうと、いたいた。が、笑顔で挨拶してもあまり反応がない。鉄っちゃんって、洋の東西を問わずこういう感じなのかしら。仕方ないので、そのインドネシア人のガイドさんや、「圧力があがらない」なんて言いながら、今日は4号機の出発準備をしている職員さん達と片言のインドネシア語で戯れながら過ごす。

で、どうやら出発のめどが立って空のローリーの入れ替えを始めた頃を見計らい、流石は「撮り所」を心得ている先方のガイドさんと、まるっきり素人の当方の運転手、「ついてくるといいよ」と言われて、彼らのマイクロバスを追っかけて裏道を右へ左へ。

Oleanp10803582

ちょっとばかり眺めの開けた田圃の中で白人一行と一緒にカメラを構え、続いて先回りしてこんどはちょっとしたカーブ、そしてサトウキビ畑の中で、と追っかけ撮影。で、刈り取り真っ最中のサトウキビ畑の中で止まり、あとは午後刈り取り・積み込みが終わってから工場へ戻るんだというので、午前中の撮影はこれでおしまい。

で運転手と一服していると、欧米鉄グループの一人が近づいてきた。挨拶して話をしてみると、名刺を差し出されてびっくり。いつも情報収集源の一つとしている、欧州の鉄道撮影旅行アレンジ専門の旅行会社「Far Rail Tours」のマネージャーだというではないの。いやぁ、お会いできて光栄です。そのままミャンマーや中国ツアーへのお誘いを受け、最後記念写真を撮って「あとで送るね」とお別れしました。また何処かで会えるかな。

で、次の目的地は、ここから東へ40kmほど、ジャワ島最東端のサトウキビ工場、PG.Asembagus。ここもOleanと同様に、(最早残り少なくなった)蒸機がフィールドまで出ていく所だ。が、この日は不運だった。なんでも先ほどのFar Rail Toursのガイドから聞いたところによると、昨日の夜、蒸機が壊れてしまい、修理には丸1日ほどかかるのだとかで、今日は運行がないらしい。思いっきり落ち込みつつ、それでも一途の望みを抱きつつ、アッセンバグースの街の東外れにあるPG.Asembagusのアドミに直行。手続きを済ませて工場内に入らせて貰うが・・・ 情報は正しかった。機関庫の前では今まさに修理中の11号機。聞くと、「うーん、部品はあるんで、今日中には何とか・・・」とのこと(涙)。やっぱり余裕を持ったスケジュールじゃないと、ダメだなぁ。。。。

Asembagus11p1080393

で、最後の目的地は、少し南西に下り、Jember近郊のPG.Semboro。途中Bondowosoという街で廃線になった駅を見かけたので立ち寄ってみると、なんとPT.KeretaApiの社員が常駐し、最寄りの駅からの指定券を販売していた。曰く、数年内に路線そのものも復活させるとの計画があるんだとか。ホント??

で、今日は金曜ということで午後はムスリムの礼拝時間なんかもある筈。なので時間調整もかねてJemberの町中のショッピングセンター脇のフードコートで昼食後、再度西へ走り、今回の訪問先の中では最大規模のPG.Semboroへ。と、今度はアドミの担当者が会議で不在だとかで待たされる。で、ようやく「あとで戻ってきてちゃんと料金払うから」と工場内に入れていただき、機関庫内の蒸機と客車・・・は実質チャーター用のみで、工場内の輸送はDLが担っている・・・を見せて貰ったあと、最後にここのお目当て。

彼らがその姿からか「牛乳缶」と呼ぶ、この変わった形の機関車は、無火機関車(FireLess)と言うんだそうです。無火ですから、火は使わず、圧縮蒸気を注入して、それで駆動するというもので、日本でも旧軍の鉄道連隊あたりで使われていたことがあったんだとか。アジアではここと、中国遼寧省本渓の炭鉱に残っていた筈、。無事に2号機、3号機の2台が現役なのは確認したものの、この時間帯はこちらも当分動く予定はないとのこと。スラバヤまでの帰路(5~6時間)を考えると、残念ながら夕方までは待っておられず、泣く泣く工場をあとにする事に。うーん、このあたりはまとめて次回、出直しだなぁ。。。

Firelessp10804372

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2008年8月21日 (木)

曇りのち、快晴!!

昨日はマランからスラバヤまで、1日1本の「Marang Ekspres」で戻ってきたのだけれど、マランの「Tugu Hotel」はなかなか雰囲気が良かったです。スラバヤにも「マジャパヒット・ホテル」という歴史由緒あるホテルがあるのだけれど、いずれも戦前、オランダ統治時代からの古いホテルを綺麗に改装し、準一流位のホテルとして今も営業中。いずれも安い部屋なら1泊100ドル位から、と落花生。でも手が出ない値段じゃない。女の子と2人連れで是非とも泊まってみたい?もんです。

さておき、昨夕の旅行会社からのメールにはガッカリさせられた。今日木曜と明日の金曜の2日間、東ジャワ州東部の3つのサトウキビ工場を回るつもりで、クルマの手配と入構許可の取付けをお願いしていたのだけれど、朝8時発の予定が許可の取付が遅れており、10時出発だという。なに、まだとれていないのか? わざわざ安くはない手数料払って、どれだけ前もって依頼してたと思ってるんだ。

で、10時になってやっと現れた旅行会社の人(兼運転手)によれば、まだ取得できていないという。とりあえず依頼先の旅行会社の日本人顧客担当に電話かけて苦情を伝え、仕方がないのでそのまま2人でスラバヤ市内北部港近くのサトウキビ会社・・・PTPN-XIの本社に直接に向かう。こちらもオランダ時代からのものとおぼしき仰々しい権威主義的な建物。で、局長のサインを待つばかりだというその部下の人を掴まえ、直訴した結果、およそ30分ほどでようやく署名の入った許可証をいただけた、のはもう11時過ぎだった。が、訪問日付が違っている。今日は21日だけど、訪問許可日は18,19の両日だと書かれている。確かに当初申し込んだときは18,19日で申請した。が、17日独立記念日の関係で18,19日のアレンジは困難だと旅行会社の方から説明があったため、やむを得ず木・金に変更したってのに。・・・また不信感募る。

ともかく出発だ。が、例のシドアルジョの泥噴出事故の影響で大渋滞したりした影響もあり、200kmほど南東のSitubondoに着いたのはもう撮影有効時間帯も殆ど終わろうとしている(ジャワ東部は日暮れが早い)16時半頃。市内北方の外れにあるPG.Oleanに向かい、ここは夕方にフィールドからサトウキビを積んだ機関車が戻ってくる筈なので、セキュリティに話を聞き、とりあえず工場の北西にクルマを走らせ、沿線の地元の人に話を聞いたり、途中で現れたDLの運転士に話を聞き、途中からはオジェック(バイクタクシー)に乗換え、線路端の犬走りを走り、夕暮れ寸前に、夕日を浴びて、サトウキビを満載して工場に戻ってくる蒸気機関車を見つけたときには思わずヤッター!って叫びたくなった。

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夕陽を浴びて工場へ向かうPG.Oleanの1号機。右は追っかけをする欧米鉄のマイクロバス。

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2008年8月19日 (火)

飛び込みでGo!

昨日はお目当ての船との出会いが予想外に順調に早く、しかしアッサリと終わってしまったので、余裕の時間が出来てしまった。というわけで、予定していなかったんだけど、少し近隣のサトウキビ工場を回ってみることにした。

目指したのは、スラバヤ市内南部のバスターミナルからおよそ西北西に3時間、スラバヤとソロ・ジョグジャを結ぶ幹線鉄道・国道から少し南にあるKediriという街。市内に入ったところでバスを降り、ローカル線の鉄道駅近くのホテル・ムルデカにチェックインし、タクシーで街に入る少し手前(北側)を西側に約1kmほどのところにあるPG.Merican(地元の標記ではPG.Meritjan)に向かった。

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PG.Merican(Meritjan)の8号機。2,6号と併せ3両が有火。

今回はアポなしだったんで、入口の警備員に来意を告げると、さすがに普段から多数の煙鉄な方々が訪れるだけはある。「今日は休日(独立記念日)でアドミは休みだけれど、手続料を支払えば、入構を許可する」とのことで、PGとして高めの部類に入るRp100,000(約1,200円)を支払い、無事に構内に入れて貰えた。おそらくはあいつらの小遣いに化けたんだろうな。

で、今日。スラバヤ行きのトラフェル(前にも書いたと思うけど、市外間直行乗合ワゴンタクシーとでも説明すればいいだろうか)にホテルの前まで迎えに来て貰い、次の目的地Mojokertoへ。バスターミナルで荷物を預け、昨日の成功に勢いづき、オジェック(バイクタクシー)で向かったのは、街の西外れにあるPG.Genpolkerep。

が、こちらは予想外に手強かった。セキュリティからアドミのスタッフに引き継がれて拙いインドネシア語でさんざん来意を説明しお願いするが、それでも受け付けてくれた中年男性は「上司に掛け合って」みてくれたりしたんだけど、小一時間ほどの交渉の結果、結局は「スラバヤのPTPN-X本社からの許可文書がない」といって入構は不許可。「せっかく来てくれたのに、ごめんね。また来てね」と。頭を下げられてしまい、イヤイヤ、こちらこそ本来の手続きも踏まずにアポなし突撃して申し訳なかったです。ご迷惑をおかけしました。目的は果たせなかったけれど、気持ちよく工場を後にしました。とはいえ、BBマレー、見たかったなあ。

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2008年8月18日 (月)

檜山丸と・・・?

早起きしてバンドン発朝06:05、1日1本のスラバヤ行き、東ティモール時代にさんざんお世話になったメルパティ・ヌサンタラ航空MZ616便でスラバヤに向かう。1日1本・・・そう、今回依頼した旅行会社はそう回答してきた。が、空港に着いてみたら、09:45発のスリウィジャヤ航空便もあるではないか。これならこんなに無理して早起きすることなかったのに・・・。しかもこの旅行会社、最初はこの区間の移動に対してバンドン(借上車)→ジャカルタ(飛行機)→スラバヤなんてルートを提示してきて、こっちから「メルパティがあるんじゃないの?」って聞いて初めてMZ便の料金を提示してきた。ちゃんと調べてよ。

さておき、スラバヤに飛んできた目的、それは一隻の船を探す事でした。が、出発前から随分いろんな人に聞いてみたのですが、正確な情報を把握できず、おかげで全体日程が固められず、困っていたんです。友人、元の職場の同僚、そしてこの旅行会社・・・、船の運航スケジュールなんて、船会社に電話一本確認すればいいだけのように思えるんだけど、帰ってくる回答がみんな異なってるんだもの。

で、その船ですが、勿体つけてもしょうがないですね。元の青函連絡船、檜山丸です。我々の世代は青函連絡船の最後にギリギリ間に合った世代で、中学の時の初渡道(羊諦丸)から青函トンネル開通&連絡船最終便まで、若い頃に何度か北海道ワイド周遊券を手に北の大地を目指した、思い出の船は今、函館港(摩周丸)と青森港(八甲田丸)でのメモリアルシップ、お台場の船の科学館(羊諦丸)、そして最近まで長崎でホテルシップとして余生を送っていた大雪丸。国内クルーズ船に改造された後、フィリピンに売却されてカジノ船となっていた十和田丸。そして松前丸と津軽丸は北朝鮮に売却されてその後中東に渡ったりしてスクラップになったという(いずれもネット上で拾った情報)。貨客船石狩丸、貨物船から売却後に客船に改造された空知丸も、地中海航路で活躍した後に廃船・解体処理されたんだそう。

というわけで、思いでの青函連絡船のうち、唯一の生き残りが、ここインドネシアで活躍している!ということで、これは会いに行かない訳にはいきませんよね。後日改めて書きますが、実際、随分苦労しました。ネットを弄ってるうちに、PT. Prima Vistaという船会社が運行している、KM. Mandiri Nusantaraという船だということは判ったんだけれど、この会社がホームページを持ってない。検索しているうちに行き当たったのが、2003年にスラバヤ港で台湾船と衝突した際の、インドネシア政府運輸通信省の船舶事故調査報告書だったり。

なので、一番確度の高いと思われる情報を頼りに、スラバヤ港近くの船会社のオフィスに直撃。来意を述べるとすぐにスケジュールは判明。もう1隻の船とペアを組んで、毎週月・水・金の週3便、スラバヤ港とカリマンタン島のバリクパパン港を夜の20時(前後)発、36時間後に目的地に着き、その夜20時発で折り返す、という運行形態とのこと。で、今日。さっき入港して、旅客をおろした後、今は港内に停泊しており、今晩17時に再度接岸し乗船、20時に出発するという。なーんとGood Timing!。というわけで、今晩の便に乗ってみるか。一番安い桟敷席で35万ルピア、一等2人個室で405,000Rp(但し2人分必要)とのことだ。が、頼んでみるうちに、なんとこれから荷物のローディングのために一時接岸するので、乗せてあげるよ、とのこと。勿論御礼目当てなのだろうけれど、まさに渡りに船? 早速、元は日本の船に乗ってペルーやらラスパルマスだかを回っていたために片言の日本語の出来る支店の責任者らしき人とタンジュン・ペラク港の桟橋の方へ向かうことにした。

で、この船↓です。「KM. Mandiri Nusantara」号。                        

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どうでしょう。艦橋後部に客室の増築改造がなされており、面影を残す部分といえば、緩くカーブを描いた操舵室デッキと、JNRマークが見えてきそうな煙突くらいでしょうか。

Sajikip10801272

遠くからタグボートに引かれて現れた船がゆっくりと接岸するのを待ちかね、乗船してみたんだけど、中もやっぱり大改造されており、「国鉄」とか「檜山丸」といった当時の名残を示すものは全く見あたらず。元の貨車航送に使われていた下部デッキから階段を上って船内に入り、増築部分から船の後部・元の桟敷客室部分を活かして現在も客室となっている部分に入ってみても、今ひとつピンと来ない・・・ 一部漢字の書かれた機器や、なんとなく国鉄=JRの寝台車ドアにそっくりな字体の「ひく」と書かれたドアといったものが発見できた程度。今回は最初の阿波丸の時と異なり操舵室デッキには入れて貰えなかったんで、そちらは確認できず。

Hiku

というわけで、あまりに名残のなさに少々ガッカリしてしまい、36時間の乗船はあっさり諦め、この乗船時間は別の目的につかうことにしました。。。

ところで、このPT. Prima Vista社の事務所におかれていた、所有している船の写真一覧の印刷されたチラシを持って帰ってきたのですが、この船「Mabuhay Nusantara」号、どうでしょう。瀬戸内のクルーズ船だった「サウンズオブセト」、即ち、元の宇高連絡船「土佐丸」ではないかと思えてならないんですけど。。。 ほーら、また次回の宿題が出来ちゃった。キリがないなぁ・・・(笑)

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あ、阿波丸と讃岐丸を訪問したときのお話は、こちらで。「スンダ海峡」と「島なみ街道」のところです。宣伝でスミマセン。

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2008年8月17日 (日)

今回はおとなしめに。

ジャカルタ・ガンビル駅朝9時。今日はバンドンで友人と会う(=飲む)予定にしているので、無理に早起きせずに09:10発の特急ArgoGedeで出発。勿論少し早めに余裕を持って駅に向かい、ホームの端でトレインスポッター。・・・が、そういえば今日は日曜日。いつもと比べて行き交う近郊電車の数が圧倒的に少なく、古い日本製電車の他、所謂中古譲渡組の中で現れたのは、都営6000のBogor行き急行1本のみで残念。今回はジャカルタは事実上スルーなので、もう少し見たいところだったけど。

で、殆ど寝っぱなしでお昼過ぎおよそ10分弱ほどの遅れで終点バンドン着。午後は近場の火山の火口まで出かけてみたり、夜は久々の再会を祝して乾杯。次に会うのはいつになるかしら。

が、独立記念日の3連休の中日ということもあり、事前に旅行会社にお願いしてとって貰った宿は、町外れ+シャビィ、に加えて(旅行社の手数料が)高い、と良いことなしでした。バンコクあたりだと、旅行会社を通じると、ホテルの公示価格よりだいぶ安く泊まれたりするんだけど、ここは違うのかしらね。

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黄色がチョっとだけ入ってマイナー・イメチェンした、おなじみの都営6000系。

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2008年8月16日 (土)

さあー夏休み♪

待ちに待った夏休み。一年ぶりの夏休み♪。例によって早くから特典航空券だけは抑えておき、暫く前からは仕事の関係で「休めるかな~。大丈夫かな~。」と不安になったりしながらも、なんとか11:00発、NH111便シンガポール行きのB767-300で出発。UAの☆券だったのだけれど、NH*PLTを見せたら、あっさりと最前列窓側を割り当てて貰えた。強いんですね。出発の際にはすぐ近くにSQのA380が見え、最初っからわかってたら、あっちにしたんだけどなーーー。 

シンガポールで乗換え、ジャカルタにはもうすっかり暗くなった19:20着。ブルーバードの乗り場はいつものように長蛇の列だったんで、昔住んでたアパートにいつも停まっていたGAMYAのタクシーで市内中心部のIbis・Tamarinにチェックインし、迎えの旅行会社の人から明日以降のチケットを受け取り、支払いを済ませる。が、まだ一部の手続きが終了していないとの連絡が併せて入っており、若干の苛々が募る。まあせっかくの夏休みだ。自分が楽しまないと。

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2008年8月10日 (日)

偶にはクルマで。

出張だ、体調不良だ、で随分長い間クルマに乗ってなかったな~って気がしてた。というより、燃料高騰のおりでもあったのだけれど、バッテリー上がりゃあしないかと心配になってました。で、久しぶりに近場でちょっと出かけて見ることにしました。緑の中で、温泉もあるのがいいな、ということで、目指したのは埼玉県の長瀞。ホントはラフティングなんてのがしてみたかったんだけど、それは前泊した上で、一日仕事になっちゃうんで、有名な自然氷をつかった阿佐美冷蔵のかき氷も食べてみたかったし、温泉も・・・というわけで、代わりに川下りで我慢することにしました。

で実際行ってみると、さすがに週末ということもあって、阿佐美冷蔵は長蛇の列。長瀞の船着き場の河原は団体さんで一杯で何艘も待たされたけれど、バーベキューをしたり川遊びをしたりと楽しそうな家族連れや学生時代を思い出すようなグループ、時折目の前の橋を走っていく電車を眺めたりするうちにあっという間に時間は過ぎていきました。この船下り、馬鹿にしたもんじゃなくて、結構な急流、落差があったり水をかぶったりする区間もあって、浦安の某ランドの作り物なんかよりよっぽど楽しめます(個人差があります)。

で、お風呂は秩父市内北方、小鹿野にほど近い「星音の湯」というところにしてみました。いやぁ、日本人はやっぱり足伸ばしてお風呂に入りたいもんですね、、たまにわ。

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ジオラマにしちゃった人も居る、秩父鉄道の有名な鉄橋の下が船着き場。

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2008年8月 1日 (金)

ブルキナ病ではないみたいです。

 帰国してからどうも体調が思わしくなかった。火曜朝の成田到着時は「ちょっと疲れたかな?」という印象だけだったので検疫でも何もいわれなかったのだけれど、夜からお腹を壊し発熱、火曜日に近くの総合病院で貰った下痢止めでそれは止まったのだけれど、昨日木曜日から再度全身が怠くなり、夜には再度発熱、一晩中39°台の高熱に魘される羽目に。

 で、今朝。熱帯病の専門の先生もいるという、新宿戸山町の国立国際医療センターの渡航者健康管理室なるところに出かけ、再検査。血液を大量に抜かれ、体中にいろんなもの差し込まれた結果、取り敢えず何か見つかったらしく、それもアフリカから持ち帰ってきた変な菌ではないことが判って一安心。で、それに併せて抗生物質などを処方され、夜中になって熱も少し下がりだし、ヤレヤレでした。来週火曜日には血液培養の結果も出るそうだから、これでシロだったら最終的にOKということだそうです。

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