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2008年8月18日 (月)

檜山丸と・・・?

早起きしてバンドン発朝06:05、1日1本のスラバヤ行き、東ティモール時代にさんざんお世話になったメルパティ・ヌサンタラ航空MZ616便でスラバヤに向かう。1日1本・・・そう、今回依頼した旅行会社はそう回答してきた。が、空港に着いてみたら、09:45発のスリウィジャヤ航空便もあるではないか。これならこんなに無理して早起きすることなかったのに・・・。しかもこの旅行会社、最初はこの区間の移動に対してバンドン(借上車)→ジャカルタ(飛行機)→スラバヤなんてルートを提示してきて、こっちから「メルパティがあるんじゃないの?」って聞いて初めてMZ便の料金を提示してきた。ちゃんと調べてよ。

さておき、スラバヤに飛んできた目的、それは一隻の船を探す事でした。が、出発前から随分いろんな人に聞いてみたのですが、正確な情報を把握できず、おかげで全体日程が固められず、困っていたんです。友人、元の職場の同僚、そしてこの旅行会社・・・、船の運航スケジュールなんて、船会社に電話一本確認すればいいだけのように思えるんだけど、帰ってくる回答がみんな異なってるんだもの。

で、その船ですが、勿体つけてもしょうがないですね。元の青函連絡船、檜山丸です。我々の世代は青函連絡船の最後にギリギリ間に合った世代で、中学の時の初渡道(羊諦丸)から青函トンネル開通&連絡船最終便まで、若い頃に何度か北海道ワイド周遊券を手に北の大地を目指した、思い出の船は今、函館港(摩周丸)と青森港(八甲田丸)でのメモリアルシップ、お台場の船の科学館(羊諦丸)、そして最近まで長崎でホテルシップとして余生を送っていた大雪丸。国内クルーズ船に改造された後、フィリピンに売却されてカジノ船となっていた十和田丸。そして松前丸と津軽丸は北朝鮮に売却されてその後中東に渡ったりしてスクラップになったという(いずれもネット上で拾った情報)。貨客船石狩丸、貨物船から売却後に客船に改造された空知丸も、地中海航路で活躍した後に廃船・解体処理されたんだそう。

というわけで、思いでの青函連絡船のうち、唯一の生き残りが、ここインドネシアで活躍している!ということで、これは会いに行かない訳にはいきませんよね。後日改めて書きますが、実際、随分苦労しました。ネットを弄ってるうちに、PT. Prima Vistaという船会社が運行している、KM. Mandiri Nusantaraという船だということは判ったんだけれど、この会社がホームページを持ってない。検索しているうちに行き当たったのが、2003年にスラバヤ港で台湾船と衝突した際の、インドネシア政府運輸通信省の船舶事故調査報告書だったり。

なので、一番確度の高いと思われる情報を頼りに、スラバヤ港近くの船会社のオフィスに直撃。来意を述べるとすぐにスケジュールは判明。もう1隻の船とペアを組んで、毎週月・水・金の週3便、スラバヤ港とカリマンタン島のバリクパパン港を夜の20時(前後)発、36時間後に目的地に着き、その夜20時発で折り返す、という運行形態とのこと。で、今日。さっき入港して、旅客をおろした後、今は港内に停泊しており、今晩17時に再度接岸し乗船、20時に出発するという。なーんとGood Timing!。というわけで、今晩の便に乗ってみるか。一番安い桟敷席で35万ルピア、一等2人個室で405,000Rp(但し2人分必要)とのことだ。が、頼んでみるうちに、なんとこれから荷物のローディングのために一時接岸するので、乗せてあげるよ、とのこと。勿論御礼目当てなのだろうけれど、まさに渡りに船? 早速、元は日本の船に乗ってペルーやらラスパルマスだかを回っていたために片言の日本語の出来る支店の責任者らしき人とタンジュン・ペラク港の桟橋の方へ向かうことにした。

で、この船↓です。「KM. Mandiri Nusantara」号。                        

Mandirinusantara113

どうでしょう。艦橋後部に客室の増築改造がなされており、面影を残す部分といえば、緩くカーブを描いた操舵室デッキと、JNRマークが見えてきそうな煙突くらいでしょうか。

Sajikip10801272

遠くからタグボートに引かれて現れた船がゆっくりと接岸するのを待ちかね、乗船してみたんだけど、中もやっぱり大改造されており、「国鉄」とか「檜山丸」といった当時の名残を示すものは全く見あたらず。元の貨車航送に使われていた下部デッキから階段を上って船内に入り、増築部分から船の後部・元の桟敷客室部分を活かして現在も客室となっている部分に入ってみても、今ひとつピンと来ない・・・ 一部漢字の書かれた機器や、なんとなく国鉄=JRの寝台車ドアにそっくりな字体の「ひく」と書かれたドアといったものが発見できた程度。今回は最初の阿波丸の時と異なり操舵室デッキには入れて貰えなかったんで、そちらは確認できず。

Hiku

というわけで、あまりに名残のなさに少々ガッカリしてしまい、36時間の乗船はあっさり諦め、この乗船時間は別の目的につかうことにしました。。。

ところで、このPT. Prima Vista社の事務所におかれていた、所有している船の写真一覧の印刷されたチラシを持って帰ってきたのですが、この船「Mabuhay Nusantara」号、どうでしょう。瀬戸内のクルーズ船だった「サウンズオブセト」、即ち、元の宇高連絡船「土佐丸」ではないかと思えてならないんですけど。。。 ほーら、また次回の宿題が出来ちゃった。キリがないなぁ・・・(笑)

Mabuhaynusantara1

あ、阿波丸と讃岐丸を訪問したときのお話は、こちらで。「スンダ海峡」と「島なみ街道」のところです。宣伝でスミマセン。

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コメント

wakaさま、
ご訪問、書き込みありがとうございます。突然瞬間的にアクセスが増えたと思ったら、井脇議員の学校法人が21世紀号をお買いになられた時の金銭処理が問題になってた・・・って思いっきりこの船じゃないですか(笑)
他にも、もしご興味をひくような記事がありましたら、是非読んでやってください。
今後とも宜しくお願いします(^-^)

投稿: 落花生。 | 2009年3月 3日 (火) 00時14分

あのピンクのスーツの井脇センセのニュースから、お、これは青函連絡船の貨物船改造したやつじゃん…と思い、検索してたどり着きました。
おおお、まだ現役だったんですねー、スゴい!!
しかも、乗りに行かれたとは!!!
他にも面白そうな記事が多いので、あとでじっくり読ませて頂きます。

投稿: waka | 2009年2月24日 (火) 09時18分

ろーれる@北葉開発さま、
こんにちわ。ご訪問・コメント、ありがとうございます。また、ローレルさまのサイト、拝見させて戴きました。大変な情報量、感服いたします。
Mandiri Nusantara号は、同じくインドネシアで今も活躍する宇高連絡船阿波丸や讃岐丸に比べ、当時の面影を残す部分が少なかったのは残念ですが、既にあれから20年を経た現在でも現役なのは嬉しい限りで、仰るとおり末永く活躍して貰いたいものですね。
これからも宜しくお願いいたします。

投稿: 落花生。 | 2008年8月30日 (土) 23時10分

語り継ぐ会の掲示板から流れてきました。
貴重な写真拝見いたしました。
実際Mandiri Nusantaraに乗船されたんですね。
定期便を持つ船としては唯一の元青函連絡船なので
これからも末永く活躍して貰いたいものです。

投稿: ろーれる@北葉開発 | 2008年8月28日 (木) 19時02分

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