« 梅河口のSYは生きていた! | トップページ | まだまだ元気です 鶏西。 »

2008年12月30日 (火)

ある森林鉄道の終焉。

朝5時半、吉林省延辺朝鮮族自治州汪清駅の朝は当然ながらやっぱり寒かった。
この街に来るのは二度目で、この駅が街から離れてるのは知ってるので、今この駅前に一日一往復の快速から降りた客を待ってたむろしているタクシー連中を逃すと、街への足がなくなる。慣れた地元の人達は次々と交渉してタクシーや軽ワゴン車に乗り込んで去っていく中、落花生。に声をかけてきた一人のタクシーの運転手。既に女性が二人乗車しており、市内中心部のバスターミナルまでは5元で良いというのですぐ了承。二人を市内のホテルと住宅街で先におろし、「バスターミナルは6時に開くからね」とちょうど6時直前くらいにバスターミナル着。お気遣い多謝です。

こんな所まで二度もやってきた目的は、前回確認できなかったここ汪清のナローの森林鉄道が、厳寒期だけ伐採木の運送のために運転している筈だという、ネットの情報を確認するため。7時になってノンビリ出勤してきた行季寄存のおばちゃんに荷物を預け、タクシーで森林鉄道・小火車の駅へ向かう。最初は話が全く通じなかった運ちゃんだが、どうやら朝鮮族の人らしいので朝鮮(韓国)語に切り替え(・・・落花生。はかつてソウルに2年ほど住んでいたことがあり、韓国語をまだ少し覚えているのです)、話を聞くことに。
が、駅に向かう途中の踏切で、愕然。そこにあったはずの線路が、綺麗さっぱり剥ぎ取られ、完全に無くなって居るではないか。去年来たときは、まだレールは走行可能な状況だった。駅構内には貨車も並んでいたし、車庫はキチンと閉鎖され、中には機関車が大切に保管されている事が伺えた。
だったのに、運転手氏によれば、レールは今年の5月頃に撤去されてしまったのだという。ネットで調べてみると、2008年4月15日付の競売広告が出されていた。1990~93年石家庄製の380馬力の機関車6台、平板車152両、守車(車掌車)4両、客車2両、そして支線や側線も合わせ138km分のレールが鋼鉄として売却対象となっていた。そして売られていったのだろう。何処か別の働き場を見つけることが出来ただろうか。そして、もうここに二度とナローの森林鉄道が走ることはないのだ・・・。

Wqnp1080985
レールの剥がされた踏切跡。また一つ細い線路が消えた。

寂しい気分のまま、昼過ぎのバスで所々凍った山越えを二回、寧安、乗り換えて牡丹江へ。そして夕刻17:55発の快速N71次の硬座で鶏西へ。駅前の賓館泊。夜、近くの羊肉しゃぶしゃぶ鍋屋で苦労して注文し美味しく戴くが、店長の女性とバイトの女の子、「日中友好のため」といって25元ほどの料理代(ビール1本含む)をどうしても受け取ろうとしなかった。

|

« 梅河口のSYは生きていた! | トップページ | まだまだ元気です 鶏西。 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/200655/43673533

この記事へのトラックバック一覧です: ある森林鉄道の終焉。:

« 梅河口のSYは生きていた! | トップページ | まだまだ元気です 鶏西。 »