« 2010年8月 | トップページ | 2010年10月 »

2010年9月25日 (土)

引越しました。

ジャカルタに来て早一ヶ月、ラマダンやレバラン連休のせいでなかなか内装改修工事が終わらず、ホテルやゲストハウスを4軒転々とする羽目になっていたのですが、今日ようやく約束の日となり、不動産屋さんと一緒にこれから2年間お世話になる市内メンテン地区、チキニ駅前のアパートに転居してきました。このメンテン地区は、オバマ大統領も幼少期を過ごしたという、古くからの高級住宅街で(結構スラム化している部分もあるんですが)、最近の日本人駐在員はあまり多く住んでいないそうです。

話では、作業はもう昨日のうちに終わっている筈だったのですが、到着した時もまだ、インターネットの配線工事をしていたり、キッチンや風呂場の清掃が終わっていなかったりと、ここのペースは相変わらずのようです。
呆れて(落花生。が、というより不動産屋のおばちゃんがキレて作業員を怒鳴りまくり)、仕方ないので荷物だけ置いて、そのままお昼に行って戻って来て、漸く「残りは来週末」って言って、ひと段落。

築16年の古いアパートの12階ですが、お客様用の寝室もあり、NHK国際放送も見られるし、何しろ一人暮らしにしては広い!です。電鉄中央線チキニ駅徒歩1分、ジャカルタにお越しの際は、是非ホテル代わりに使ってやってください。

なにせ、窓の下にはとっても素敵な景色が広がっていますんで。
P11401472
窓の下にはこんな風景が・・・(笑) これが物件選んだ決め手?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年9月12日 (日)

マドゥーラ島色々。

12日。ホテルで朝食後、マドゥーラ島へ行くバスの乗り場はどこかとフロントで聞いてみるが、要領を得ない。去年6月に開通した全長5.4km程のこの長大橋、スラバヤと向かいのマドゥーラ島を結ぶのだが、中国の借款で建設されたというのが正直癪に障る。中国はOECD加盟国じゃあないので、OECD-DACの援助ルールにも拘束されないから、借款援助でこういったインフラを作るにあたって、建設業者は勿論中国の業者、作業員さえも中国から連れて来て(アフリカの工事の場合など、囚人を連れてきて働かせているから人件費がタダだなんて噂もある)、地元被援助国側には殆どお金が落ちない。ところが日本の借款援助は基本的にアンタイドで実施せざるをえないから、日本国民の税金を原資とする借款援助のお金を中国政府の息のかかった企業が安く落札して持って行ったりするのだ。ああ腹立たしい。
 それはともかく、この橋を渡ってみたいのだが、フロント曰く「橋は一般車両・バイク・トラックだけ。公共交通機関は通っていない」んだそうで。ホントかね。

Suramadup1140081
霞んじゃってるけれど、スラマドゥ大橋と連絡フェリー。

 仕方ないので往路はフェリーで行くことにし、タクシーでタンジュン・ペラク港へ。何年か前に旧青函連絡船の桧山丸を見に来た時に来たことあるところ。ここスラバヤと向かいのマドゥーラとの間は1日中ほぼ20分間隔でフェリーが行ったり来たりしており、人だけの場合運賃は3,500Rp(安!)。明らかに日本の中古船のフェリーに乗り込んでみると、車載甲板には路線バスが2台ほど。路線バスはやっぱり未だにこのフェリーを使っているのだろうか。
 スラバヤは軍港でもあるので、出発した船からは沢山の貨物船、客船に交じって明らかにステルス性を考慮した造形の軍艦が数隻見える。そして長い長―い橋。真ん中の部分が高くなっており、船がくぐっていけるようになっている。帰りはあっち経由で行きたいところなんだけれど…

 30分ほどで向かいのマドゥーラ島側、カマル港に入港。このマドゥーラ島、バリ島より少し小さな約5,250k㎡に約350万人の人が住む。名物は、カラパン・サピという競馬ならぬ競牛と、ソト・マドゥーラという内臓を煮込んだスープ。秋はカラパン・サピのシーズンだと言うが、カマル港からアンコッで30分ほど走って最大の街バンカランまで行ってみるが、街の中の競技場の辺りで尋ねてみるが、今日はこの辺りでは競牛はないという。まあ突然フラッと来て見られるほど甘いもんじゃあないんだろうな。
それより趣味的に驚いたのは、カマル港を出てすぐの辺りに「PT. Kereta Api」の土地を示す看板が立ち、そこから北に向かいバンカランの手前まで、ずっと線路跡が道路に並走していたこと。製糖工場で見かけるナローではなく、恐らく国鉄規格の1,067mmだ。このマドゥーラ島には昔鉄道があったという記述は何処かのネットで読んだことがある。が、詳しい路線や車両についての情報があまり見当たらない。どなたかご存知の方、ご教示いただければ嬉しいです。
Madurarailp1140091_2
マドゥーラ島内に残る廃線跡のレール。

 さて、カマルに戻り、次は橋だ。アンコッの溜まり場で、スラマドゥ大橋に行きたいのだが、と声をかけてみるが、60,000Rpなどと口を揃え、お話にならない。小銭をチマチマ稼ぐ路線運行なんかやらずにタクシーに化けようというわけだ。
 まあそのうち漸く6,000Rpだという乗合車が現れ、後部の小さくなって収まりながら走ること20分ほど。橋の付け根かと思いきや、橋への取り付け道路を跨ぐ陸橋のような場所で降ろされた。おっと、こう来るか。右手には大橋が綺麗に見え、写真を撮る観光客御一行。左は料金所と道端には土産物売り場。犬走りを歩いて下り、取り付け道路の料金所前を歩きながら「路線バス、来ないかな~?」とみているうちに、中央車線側を「Madura=○○」と書かれた路線バスが猛スピードで通過して行った。慌てて手を上げるも停まってくれず。でも、ほら、橋を通るバスだってあるじゃないか。そうこうするうちに、スラバヤに戻るタクシーが通りがかり、手を上げると無事に乗せてくれた。ヤレヤレ。
 スラバヤからは19:40発のエア・アジアQZ7219便で帰京。1時間近く遅れてお腹が空いたので、機内販売の食事を試しに頼んでみた。メニューの写真とは大違いなのは噂どおりだった(苦笑)。
Qznasip1140116  
エア・アジアの有料機内食「ナシ・レマク」。メニューの写真だとそれなりに豪華に見えるが(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月11日 (土)

連休ですから2。

明けて11日。今日は何となく飛行機乗りたくない日です。
さて前回と同様、タクシーで回ろうかと思ったのだけれど、マディウン市内で見かけるタクシーが尽く手で「ダメ」を表示して乗せてくれない。仕方ないのでタクシーが屯して居そうな駅、そしてバスターミナルまで移動するも空車が見つからず、仕方長いのでオジェックで出発。目指すは市内北東Ngawi地区にある製糖工場PG.Purwodadi。ここは蒸機がフィールドに出る訳ではないのだけれど、工場と荷役場との間少し工場外を走る区間があり、その間にちょっとした橋があるのが撮影名所になっているところ。

市内から20分以上か、結構な距離をバイクで走って訪れたこの工場、悪い予想が当たり、人気がほとんどない。セキュリティに聞いてみると、レバランの休暇ということで工場もお休みで、再開は16日頃、とのこと。
先日のPG.Pangkahで話をした時には「今年は作業が遅れているので、レバラン連休も2日休むだけ」とのことだったので、ひょっとして・・・?と期待してやって来たのだけれど、こちらは結構長く休むみたいだ。
Purwodadip1140045
PG.Purwodadiの前に飾られた古い蒸機。スペルは旧正書法で「Poerwodadie」

仕方がないのでそのまま南隣り、GorangGarengにあるPG.Rejosariに移動。が、残念ながらこちらも、同じPTPN-XIの傘下工場ということもあって、同様にお休み。聞いてみると、蒸機は6,7号の2両が稼働、ちょっと特殊な形態の(その筋の方には有名な)10号機は普段は使われていない、とのこと。警備員がそんなこと詳しいのって、ちょっと意外。更に聞いてみると、もう一カ所、更に北西方向にあるPG.Sudhonoも同様にお休みということで、今回は全滅、成果ゼロという悲しい結果になってしまったのでした。
Muliap1140064
激しい雨をついて、特急Argo Wilisが入線。

夕方16:25マディウン発の特急Argo Wilisでスラバヤへ移動、グブン駅西口駅前のサヒッド泊。
夜、日本の自動車運搬船が海賊に襲われたとの情報が入って来て、情報収集に追われるが、緊急帰京の必要はなくて一安心。もう飛行機も夜行列車もない時間帯だから、帰って来いと言われても困るけどね。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月10日 (金)

連休ですから。

今年のレバラン(断食明け大祭)は9~13日まで5連休。この時期のインドネシアは盆暮れ正月が一斉に来たようなお祭りで、このちょっと前の時期からインドネシアの役所や会社も仕事にならないようで、落花生。がアパートにいつまでたっても移れないのも、内装工事屋さんがちゃんと仕事してくれないから、な訳で。
で、5連休なわけで、普段だったら前後に数日有給休暇つけて海外汽車旅と洒落込むところなんだけれど、今回はまだ着任1カ月だし、休日電話当番みたいな仕事も降って来てるんで、今回はおとなしくしとこうかと。
この時期のインドネシアは皆さん一斉に田舎に帰省するシーズンで、ジャカルタははがらんどう、地方との間を往復する飛行機、鉄道、バス、船(島国らしいですね)は大混雑。そんな時期にわざわざ出掛けるのも一苦労なのだが、まあ5日も何もないジャカルタにいるのも芸もなければすることもない。

ネットでとれた今朝のスラバヤ行きは、なんと朝5時!発とバカ早いエア・アジア便。格安で有名な会社だが、混んでる時期は当然高くなるわけで、安い時期の倍はするが、まあこの時期は取れるだけで御の字か。朝の3時に宿舎を出て、タクシーを探して市内ワヒッドハシム通りをサリナ・デパートの方に10分ほど歩いて行き、先日までお世話になっていたイビス・タマリンの前でようやく1台ゲット。この時期はタクシーも運転手が帰省してしまうそうだ。

搭乗が順調で出発が早かったお蔭で、ひと眠りしているうちにスラバヤには20分ほど早く到着。今はエア・アジアも座席指定になっているのだね。ただ、第2ターミナルから出発するこの会社、当地では「エア・アジア」って言っても容易には通じなかった。タクシーの運ちゃんに「どのターミナル? どの航空会社?」って聞かれて全然通じず、困っているうちに、ふと閃いた。エア(Air)とは、インドネシア語の水(Air:アイル)と同じスペル。よって、「アイル・エシア」といったら通じた。なるほどね。

スラバヤ空港からタクシーで鉄道のWonokromo駅に出て、捕まえたのは07:40発の普通977列車Penataran号、Malang廻りのBlitar行き。このKertosono=Blitar=Malang=Bangil間207kmの南回り(Surabaya=Bangil間49kmはBanyuwangi方面への路線と共用)線はSurabaya=Malang間しか乗ったことがなく、Blitar近辺は風光明媚だとのネット情報も目にしていたので、ちょっと楽しみ、久しぶりの乗り鉄だ。全車Ekonomiということで少々心配していたが、帰省の時期にもかかわらず、座席がさらりと埋まるくらいの乗りで、走ればそれなりに涼しい風も入って来る。
Malangを過ぎてトンネルや結構な高さのある橋梁を渡ったりする区間に入ると、並行道路が十分でなくなるのか、車内は更に混雑が増してきた。そんな中車内には飲物や食物を売り歩く、公認未公認の物売りがしばしば廻って来て飽きない。食物や冷やした飲み物は、こんなローカルの普通列車なのに1両連結されているKMP車(kereta makan dan pengbangkit:食堂・電源合造車)から持って来てるみたいだ。
Ekip1140025
田舎の小駅で。帰省客を待ち受ける家族との再会風景が微笑ましい。

手元の時刻表では12:41着の終点Blitarで、12:43分発のKertosono行きに接続するようだが、少しでも遅れれば無理だ。まあその時はその時、と思っていたが、なんとほぼ定刻に到着。だが接続列車は見当たらず、乗客も半分ほどは座ったままだ。ひょっとして?と思って廻りの乗客に聞いてみると、この列車がそのままKertosono行き普通961列車RapihDhoho号になるようだ。WonokromoではBlitar行きとの事だったので、Blitarまでしか切符は買ってない。出発してから車掌に聞いてみると、我々の常識でいうところの“乗越”は、5倍の罰金対象なるのだそうだ。日本の不正乗車(3倍)よりも高額じゃないか。しかし今回の落花生。のようなケースだってある筈。最初っからKertosono迄行く列車だという情報が提供されていれば、そのような切符を買っていたはず。他の客だって、時刻表上別列車なのだから、そのような乗り継ぐ形での切符を買っているのだろうか、甚だ疑問。

ともあれ、終点Kertosonoには定刻15:13を10分ほど遅れて到着。7時間半、よく乗り続けたもんだ。一旦改札を出て、乗り継ぐのは15:43発、バンドゥン迄行く全車Ekonomiの長距離急行Kahuripan号。3等なので座席指定はない“無座”発券だったが、すぐ15分ほど前に別のEkonomi急行が先行していたため、無事に座れ、1時間半ほどで本日の目的地、マディウン着。帰省客の多い時期とはいえ、皆実家に泊るんだろう、と油断していたら、当てにしていた市内のムルデカホテルを始めまともなホテルはことごとく満室。何軒か電話して、ようやくスイートなら、というホテルを見つけ、レバラン特別料金なる更に高い料金を払ってようやく宿にありついた。お腹の調子も直ってきたようだし、冷えてないビンタンを氷で冷やして(割って?)晩御飯。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月 5日 (日)

恩恵にあずかってます。

ようやく落ち着いてきたので、ちょっと何か食べなければ、と街に出ることにした。
普段だったらその辺の屋台やファーストフォードでも、というところだが、こう弱っている時にはやっぱり日本食を求めてしまうのは、骨の髄まで日本人だってことなんだろうな。

ちょっと考えて、今日目指したのは、スディルマン通りのとあるビルに入っている、以前東ティモール時代に良く通った居酒屋。勿論飲む訳じゃないけど、何が食べられるか判らなかったので、アラカルトで何品かと、お茶漬けかなんかを頼めるかな、と思って。

そんな感じでジャカルタには日本料理屋が沢山あります。それは前から知っていたんだけれど、今回来て驚いたのは、純粋な和食とは言い難い日本料理というか、日本のチェーンが沢山ここジャカルタに入ってきているということ。
ちょっと挙げてみると、吉野家(牛丼)みたいな有名どころをはじめ、モスバーガー、ペッパーランチ(鉄板ステーキ)、大戸屋(定食屋)なんてところが事務所の近所をちょっと見渡しただけで入ってます。
シンガポールやバンコク並みの多さじゃないだろうか。そしてそういったお店の多くが、インドネシア人で毎日結構賑わっているということ。大したもんです。飽和状態になった日本国内市場を抜け出し、海外、しかも東南アジア、その中でもわざわざインドネシアまでやって来ていただいている企業の皆様、大いに助かってますよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月 3日 (金)

通過儀礼でしょうか。

 そんな訳で昨日は会社を休んでしまった。細菌性の食あたりであれば、下手に下痢止め飲むより取り敢えず悪い菌を出し切った方がいいんだったっけな。食欲も殆どないが、何か食べなければならない…、とトランクをあさってみたら、レトルトのお粥が一袋と、水羊羹が2缶出てきた。赴任の際に荷物の隙間に詰めてきたものだ。
 最近の不況下、かつてはビジネスクラスで赴任していた当社もエコノミークラスでの赴任となってしまったのだけれど、荷物に余裕があればこういうものも沢山詰めてこられるのに、エコノミー20kgじゃあどうしようもないだろう。船便は受け取りまで1月以上かかる訳だし。JALの営業さんが少し荷物エクセスをサービスしてくれたので助かった、という結果論ですが。

 今日の鉄ネタとしては、MRT(地下鉄)の第一期建設区間が、南の住宅地・車庫のレバックブルス駅~ドゥク・アタス駅(電鉄環状線のスディルマン駅付近少し南側の地上)だったのが、ドゥク・アタスから北にバス停2つ分ほど伸びて、ブンダラン・HI(ホテル・インドネシア)前の地下迄に変更となったとの報道。ブンダランHI周辺には「そごう」の入ったプラザ・インドネシア、西武の入った「グランド・インドネシア」等の大型モールや日航ホテル、日本大使館、そして日系企業の多く入ったビルの並ぶタムリン通りへの入口なので、これは利便性は向上するわけなのだけれど、そこが市内北方方面への乗継拠点となるというのが今一つ想像できないな。どうやって乗継バスターミナルでも作るんだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月 1日 (水)

体調崩す。

 日本からの中古電車の調達に関し、インドネシア側責任者の汚職疑惑(輸送量の水増請求)で住友商事など日本側関係会社が当局の家宅捜索を受けたという報道があったこの日は、朝から何となく体調が悪かった。
 この朝はイビスホテルから市内の長期滞在者向けゲストハウスに試しに移ってみたのだけれど、引越で疲れた訳でもないだろう。昼頃からは周りから「早く帰れ」と言われるほど見るからに体調が悪化、昨日今朝と怪しいものを食べた訳でもないのに下痢も始まり、宿に帰ってダウン。ちょっとつらい。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年8月 | トップページ | 2010年10月 »