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2011年3月27日 (日)

インドネシアからの救援チーム。

地震から半月、一週間前から被災地に入っていたインドネシアの救援チームが帰国するというので出迎えに空港に向かった。
震災の被害が次第に判明するにつれて、数多くの国々から支援の申し出が先を争ってなされ、普段から他国の災害の度に日本の国益にも一見関係なさそうな国に対してまで支援の手を差し伸べていたのが、こうやって帰って来るんですね。

実際のところ、多くの支援物資を海外から送って貰っても、成田から被災地までの運ぶ手段がないとか、外国製の薬は日本政府厚生労働省の承認を受けていないから、薬害なんかが発生した時の責任の所在がどうなるとか、外国の医師免許しか持ってない医師が来ても日本国内では医療活動をする法的根拠がないとか、NGOの人が来ても現地でガソリンも食料も手に入りにくいから、全部自分で自己完結で来て貰わなければならないとか、色々な障害はありますが、今回は結構「超法規的措置」で目を瞑ってる部分があるみたいで、きっと将来問題が起こることもあるかもしれませんが、今この非常時、少しでも救われる人がいればいいんだとと思います。
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帰国報告をするインドネシアの救援チーム。右には塩尻駐インドネシア大使の姿も。

で、その15人のインドネシアチーム、一関を拠点に、気仙沼、石巻、鮎川といったあたりを廻り、動きのとれなくなっていた数十人のインドネシア人被災者を救出して東京経由で帰国させるのに一役買ったとか。
確かに今の日本政府(中央・地方とも)に、外国人を(特に遺体で発見された場合など)アイデンティファイして、母国に送り届けるだけのキャパはないかもしれません。そこをもう手弁当で自国民保護をやってくれるのであれば、助かった、と思っていいんでしょうね。

逆に日本人が海外で被災した場合、大使館や領事館(あるいは本国から)はどこまで助けに行けるでしょうか。
二次災害の恐れがある場合なんか、特に。今回のインドネシアチームは、国家防災庁の職員、医師、軍人等の混成チームだそうですが、日本の場合、相手国によっては、自衛隊は「海外派遣(派兵)だ」とかいう議論になって、いつまでも送れなかったりする可能性も大いにありますもんね。

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2011年3月25日 (金)

一時帰国でしたが。

今日は夜の全日空で一時帰国へ出発・・・する筈だったんですが、延期になっちゃいました。というか、延期にしました。

今の日本は、東京でも、節電だ電車の間引き運転だ計画停電だ買占めだ、なんて状況で、インドネシアからお米や乾電池を抱えて帰るのも一種親孝行じゃないか?なんて思ったりもしましたが、とても友達呼び出して飲みに行こうぜ!なんて雰囲気ではないようで、中には「落花生。さんが帰って来ると、東北地方に行く筈の食料が一人分消費されてしまう」などという厳しいコメントをしてくれる奴もいて。

今回用意していたのは日程変更不可の安いチケットだったのだけれど、全日空がこの1ヶ月間の出発予定のフライトは、1回に限り無手数料で変更可能、という特別措置をとってくれたので(この手の措置を利用する立場になるのも初めてだ。)、仕事がインドネシアから日本への支援受け入れの関係もあって少々忙しいこともありまして、結局こうなりました。
まあ延期といっても1か月だけで、来月になったら状況が劇的に改善しているとも思えないんですが、少しは改善していることを祈ります。その時にまだ買占めが続いていれば、米でもトイレットペーパーでも抱えて帰ることにします(コメの輸入はうるさいんでしたっけね、日本は)。

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2011年3月19日 (土)

頑張る人達にエールを。

 震災から1週間が過ぎ、報道は震災・津波被害よりも原発事故一色の趣になっている。
 震災・津波では恐らく2万人とも言われる方々が犠牲になったと推測されているが、確かにこちらは今後の復興と、避難所にいる被災者の方々が如何に通常の生活に戻れるか、が主眼であり、他方で原発の被害については、この分野の素人の目から見れば、最悪のケースでは福島県浜通り一帯が「チェルノブイリ化」するのではないかとの不安がある訳で、メディアの報道がこちらに偏るのはある意味仕方がないか。海外メディアの眼も同様で、それまでCNNやBBCのトップを飾っていたリビア情勢、更にはその前に話題になっていたコートジボワール情勢なんかどっかへ飛んで行ってしまったような勢いだ。

 そのような深刻な状況にある福島第一原発では、ここ数日自衛隊、消防、警察、東電職員等による、相当の被曝の虞もある中での冷却のための放水・電気供給のための決死の作業が進められており、各国のメディアやネットユーザーからは「英雄」視するような賞賛の声が多く上がっている。
 全くそのとおりだ。彼らの職業人としての意識の高さ、使命感を抱いて、この深刻な問題を何とかするために、身を挺して立ち向かっている。自分にそんなことが出来るか?

 暫く前には「事業仕分け」とかいって自分たちがやっている仕事を公衆の面前でボロクソに貶され、辱められ、予算を削られ、待遇面でも切り下げられた人だって多いのに、その内閣・与党に今度はまた「現場は何やってるんだ」と批判されながらも、それらに対して抱いているであろう不満は皆さておいて、住民・国民に与える被害を与えないため、最小化するために、現場で必死で働いている。この内閣・政府・上司に対する忠誠心じゃないんだ。家族、同僚、共に暮らす人々、日本人、日本という国(国家・政府じゃない)に対して、皆誇りを持って働いているんだ。
 自分の立場はさておいて、一国民として、こういう人たちがきちんと報われる事を望みたい。

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2011年3月16日 (水)

リゾートを目の前にして。。。

 そんなこんなで今日はもうジャカルタに戻る日だ。といっても仕事は続いており、上司と一緒の便。結局マナドではダイビングで有名なブナケン島はおろか、ホテルの近所100m界隈にある安食堂しか行く隙なしで、土産物買うことすら出来なかった。
 帰ってきたら、事務所はインドネシアの救助チームが東北に向かうべく訪日するというので、その対応、に加えて記帳だの溜まった仕事の処理だでバタバタしている模様。勿論休んでる暇はない。体調は最悪で熱もあるが、取り敢えず薬で抑えて暫くは走り続けるのみなり。
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ホテルの窓から眺めるマナド市街地。右手の奥には綺麗な(筈の)海が見える。

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2011年3月13日 (日)

マナドへ出張。

 マナドへ出張。朝3時半過ぎに事務所の車が迎えに来て、上司をピックアップし、空港から05:40発のGA600便で出発。唯でさえ寝不足溜まってる中、この早起きだったので、離陸してナシゴレンかオムレツから選べる機内食を食べたら一瞬で爆睡。気がつくともう着陸体制に入っていた。
 空港からは借り上げ車で市内のスイスベル・ホテルに直行し、一室を借り上げた事務所で早速業務開始。・・・と思ったら、東京からの出張者から尋常じゃないリクエストが続き、バタバタしてるうちにあっという間に深夜に。朝が早いだけに結構シンドい。
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GA600便ジャカルタ→マナドの機内食。国内線でも3時間のフライトだとこの位。

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2011年3月12日 (土)

こすりやがった。。。

 仕事を終えて夕食後、コタ地区から帰宅しようとクルマを南東に走らせてると、前にやたらとトロトロと、しかも2車線を跨いで抜かせないように走るホンダの小型セダン。運ちゃんはイラつきパッシング、クラクション、そして近づいてあおったり。苦笑してると、突然停車して右折ウインカーを出している。もっと早く出せとか日本人的には色々あるが、仕方ないので左から避けて通り抜けようとする際、ギギーっと嫌な音がして、右横のドア2枚分を擦りやがった。
 あ"ーぅ。明日は早起きして出張だというのに、これから警察呼んで調書とって事故証明書いて貰って保険屋電話して…とウンザリしてたら、運ちゃん暫く先方と話した結果、50,000Rpで話がついたんで、貸してください、とのこと。え、500円でいいの? 向こうはリアバンパーの角に穴開いてるのに。これで解決ですか。日本だったらバンパー交換で10万円コース、ここでもちゃんと直せば1万円はかかるのに。ふーん。日本みたいに少々の傷は気にしないお国柄とはいえ、ちょいと驚きました。
 なお落花生。車側の傷は、ワックスだかコンパウンドだかで磨いたら大体落ちて、あとはちょっとタッチアップしておけばよいでしょう。という感じで保険修理はしないことに決定。

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みんな無事ですか?

今日、日付変わったからもう昨日か。3月11日は、日本にとって忘れられない日になるんでしょうね。
金曜のお昼休み、恒例のインドネシア語の勉強をしていると、上司から携帯に電話が入ってきた。「日本で大きな地震があったんだって?」 すぐに切り上げ、執務室に戻ると、同僚がTVにかじりついていた。最初はマグニチュード7.4とのことだったが、のちに8.8に修正された。なんでも記録をとり始めて以来過去最大規模の大地震とのことで、この後生中継で津波が宮城県の平野部を襲う姿を目にすることになったのだった。

余震の中でも大きいものはマグニチュード7前後、関東地方もビルの倒壊や火災、鉄道の全線運行停止など、首都圏の都市機能は麻痺してしまった。取り敢えず携帯で実家に電話してみると、一回で繋がって落花生。父の無事が確認されて一安心。しかし、東北地方在住の友人たちは無事だろうか。週末だが、旅行しに行っている奴はいないだろうか。いや、自分の友人だけじゃない。この規模の津波では、相当な犠牲者が出ているに違いない。

続々入ってくる死者・行方不明者の数はどんどん増え、仙台市内で200~300の遺体が発見という報には度肝を抜かれた。これ、日本の災害で聞くフレーズじゃないよ。
犠牲者数は1,000名を超える勢いで、先ずはご冥福をお祈りするほかない。

落花生。は、この週末から、国内マナドで10カ国の軍・救助チーム等が集まって行われる災害救助演習の路地支援のためにスラウェシ島に出張する予定だったのだけれど、同じくこれに参加する予定だった自衛隊や緊急援助隊、捜索チームの救助犬等をただちに日本に戻すことになり、そのオペレーションで深夜までバタバタすることになった。しかも、こんな日に限ってJAL便が機材故障で欠航だとか。

そんな中、インドネシア側からは、「いつも災害の時には日本に真っ先に支援して貰っているんだから、今度は我々がお返しする番だ。必要な物・人、何でも言ってくれ」という申し入れが色々なレベルで入ってくる。同僚の一人の言葉を借りれば、「涙が出ちゃうくらい嬉しかった」。長い間の積み上げが、この国の人たちとの友好関係を作り上げて来てる。そんな国で仕事で来ているのを嬉しく思います。

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2011年3月 4日 (金)

悲しい一区切りがついたので。

当初今回の出張は、3月3日まで、但し帰路は日程変更可能なチケットで、という出張指示だったので、状況次第で延長なんてのもあるんだろうと思っていたら、一昨日には6日迄の出張延長を命ぜられ、ところがチケットが8日の便しか取れなかった、とか色々あったのですが、今日、NZ政府からは悲しい発表が。
今まで行方不明者の生存を信じて捜索救難活動を続けて来たのですが、生存者が残っていう可能性はないと判断せざるを得ない、とのこと。親族の心中如何ばかりかとお察しする。

そんなわけで我々の仕事も取り敢えず体制を整理することとなり、落花生。も予定より1日遅れで帰任する事になりました。突然だったので、クライストチャーチ→オークランドの国内線が取れず、暴風雨で物凄い横揺れ縦揺れ、嵐を衝いて着陸したウェリントン乗り換えでオークランドに飛ぶ羽目になり、オークランドからのマレーシア航空もまた飛行中殆ど「タービュランスのため」シートベルト着用のランプがつきっぱなしの状態で疲れました。
ともあれ、そんな訳で、今回の出張は、とってもつらかったです。こういうことがある度に心が折れていては一人前の担当じゃあないと言われてしまうのかもしれませんが、こっちだって人間ですから。

KL乗り換えでMH727便で22:35にジャカルタ到着、30分程で外に出て、事務所のクルマ、新車のセレナでアパートには23:45頃に到着。流石に夜は速いね。

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