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2012年8月29日 (水)

スラバヤのトラム(市内電車)のお話。 その4.

さて、南北に市街地を貫く路線に加え、東西に結ぶ路線もありました。
実際にどういった運行系統だったかは知りたいところですが、今日のところは取り敢えず線路跡を辿ってみることにします。
トゥンジュンガンから東に向かう路線は、Balai Pemudaの交差点でWonokromoへ向かう線路を南に分け、そのまま東へ進みます。路線図を見ると、グブン駅の南側、現在のハナマサ・レストランとサヒッドホテルのある交差点から、ごく短い路線が北側のグブン駅前に乗り入れる一方、メインの路線はJl.Raya Gebengを南に向かいます。現在は繁華街からも外れ、特段何もないエリアですが、当時は市街地の一角だったのかもしれませんが、南へ1.5km程走った、現在はTaman Selawesiという、周囲を道路に囲まれた小公園になっているエリアで終点です。残念ながら公園には当時の遺構と呼べるものは何も残っておらず、ここが駅であった事を示す案内看板も何もありません。
周囲の道路はそれなりに交通量もある為、子供たちが遊びに集まるという空間でもないようで、都会の片隅の不自然な緑地空間だけがここが数本の側線を持つ終端駅であった事を今に伝えているだけでした。
Gubeng2012082801763
Gubeng終点駅(国鉄Gebeng駅の南方約1.5km)跡地に造成された公園に遺構は皆無。

一方、トゥンジュンガンの交差点から北西方向、Jl.Embong Malang通りを進む路線は現在のJW.Marriotホテルを過ぎて暫く行ったJl.Raya Arjuno通りとの交差点で、南のWonokromoからこの通りを北上して来たスティーム・トラム路線と平面交差していました。残念ながらその様子を映した画像は見つけられていませんが、市電を待たせてスティーム・トラムが横切って行く姿を見てみたかったものです。

2sawahanp1180178
Sawahanの終点は倉庫に変貌。「Tanah Milik PT.KAI」と書かれた看板だけがその名残。。。
当時の航空写真がありました。 http://surabayatempodoloe.blogspot.com/2010/06/depo-sawahan-dka.html からです。
Sawahandepo

更にJl.Tidar通りを西に向かうと、ドン・ボスコ高校の前を過ぎ、間もなく西の終点Sawahanに到着です。
ここSawahanには本線から南側に数本の線路を擁する車庫があったようなのですが、現在は大型トラックが多く駐車している倉庫エリアとなっており、線路があった痕跡はありません。唯一建物前に建てられている「国鉄PT.KAIの所有地」の立看板だけが、この土地が鉄道と縁のある場所であることを示しているのみ。
実は地図を見ると、その先にも左に弧を描きながら怪しくカーブして行く、線路か?という雰囲気の道が続いています。期待して見に行ってみたんですが、ここはWikimapia上、線路の表記はなく、上記写真のサイトによるとどうやら競馬場のトラックだったみたいですね。3号線の終点とも書いてあります♪ 

Surabaya1940map1dick_v_d_speks 

これまでの話だけではちょっと判りにくいかな、イメージ湧きにくいかと思いますんで、路線図載せてみます。出典は http://tdu.to/25976.att からです。

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