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2012年8月28日 (火)

スラバヤのトラム(市内電車)のお話。 その3.

さて、そのWonokromo駅を出発した市内電車は、北へと向きを変え、JL.Raya Darmo通りを経て市一番の目抜き通りJL.Jend Sudirman通りへと北上します。 そしてその通りが市役所へ向かうJL.Yos sudarsoへと名前を変えるBalai Pemudaの交差点でGubeng方面からの支線と合流する形で 西のSurya通りへと向きを変え、この市内電車の運行の中心であったと察せられる、現在のTunjungan Plazaの前へと至ります。
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出典は http://semboyan35.com/archive/index.php?thread-727-10.html からです。
現在のトゥンジュンガン・プラザ前ですね。
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現在この部分は、南からのJL.Basuki Rachmat通りとGebeng側からのSuryo通り、北西へのJL.Embong Malang通りと北へのJL.Tunjungan通りとが「X」の字型に交差しているのですが、トゥンジュンガン・プラザより南の現在のマクドナルドの位置するあたり迄も短い支線が延びていたようです(上の写真の、右手への線路がそうですね)。

ここから一番の幹線であったと察せられる北のTJ.Perak方面へと向かう路線は、マジャパヒット・ホテルの前を通過し、平行するJL.PahlawanとJL.Kramat Gantung通りを上下線に分かれて通過し(おそらく当時は複線分の用地がない位の道幅だったのでしょう)、Tugu Pahlawanの塔と州知事庁舎の間の道を通って国鉄線をくぐり、当時スラバヤの中心地であったJL.Veteran通りを経てジュンバタン・メラのターミナル、その後はJL.Rajawariを通ってTj.Perak港へと向かっていたことが地図から読みとれます。


Tugumaep1180194
現在Tugu Pahlawanの塔と州知事庁舎の前で国鉄PT.KAI線をくぐっているこの道路も、
こんな風に市電が通過していました。出典は http://maskomuter.wordpress.com/2011/05/24/jejak-transportasi-indonesia-part-ii/ です。
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ちなみに、この特徴ある形態の架線柱ですが、北のJL.Rajawaliに2本だけ残されていました。
Kasenchup1180198

ちょっと行き過ぎてしまいましたが、金融街JL.Veteranの通りはこんな感じだったようです(1925頃)。この辺も一方通行だったみたいですね。出典は http://forum.detik.com/share-pic-soerabaja-tempo-doeloe-t111253p20.html からです。
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現在はこんな感じですが、この辺りの建物は歴史的建造物として、建て替えが禁じられているそうです。
左の3階建ての石造りの建物は、電報局だったみたいです。
Telp1180213

今日の最後はジュンバタン・メラのターミナル付近。現在はベモのターミナルになっています。元の駅跡ってのは、バスターミナルや運送会社になっていることが多いですよね。
出典は、 http://2.bp.blogspot.com/-bFwijO3Fx-A/TcZe6Zj0h9I/AAAAAAAAAG0/UyZbgK3VDlw/s1600/850vmae.jpg です。1937年って書いてありますね。
850vmae

まったく同じ画角ではないですが、現在この付近はこんな感じです。
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