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2012年8月26日 (日)

スラバヤのトラム(市内電車)のお話。その1.

さて、この3百万都市のスラバヤ、普通この位の都市なら地下鉄の2本や3本あったってイイとは思うのですが、所謂都市高速鉄道的な交通機関は全くありません。ジャカルタにも地下鉄はないけど、今円借款で1本作っており、昔一度頓挫したモノレールを作ろうという話がまた動いてるし、そもそもオランダ時代からの(そして円借款で改良した)近郊電鉄が4方に延びてるし。
なのですが、ここスラバヤはローカル鉄道が西、南西、南にあり、一日数本~十数本の普通列車がテレテレ走っているだけ。ジャカルタの他スマラン・ジョグジャなど他の都市にあるBRTバスもなく、普通の路線バス(一部はAC付きだが)やベモと呼ばれる、ジャカルタで云うところのアンコットのような小型バスが走り回っているだけ。
なのですが、その昔スラバヤには市内電車が走っていました。スラバヤのトラムといえば、「スチーム・トラム」が有名なのですが、この当時はSoerabajaと綴っていた市街地の路面を走っていた鉄道は、1889年、蘭領インドネシアに設立されたOost-Java Stoomtram (OJS)(東ジャワスティーム・トラム)社によってOedjoeng(現在の綴りでUjung、Tj.Perak港東側地区)からWonokromo Kota(現在のJoyoboyoバスターミナル付近)迄の間が開通し、その後1898年に南西方のSepanjangを経由してKrian迄17kmが延長されています(この区間は普通の鉄道で、)。
その後1910年、Wonokromo以北の市内区間は同社によって電化され、市内電車路線として運行され、1940年の時点で電車運転区間はタンジュン・ペラク港=トゥンジュンガン=ウォノクロモの市内を南北縦断する路線に加え、Tunjunganから西のSawahan、東はGebeng駅を経て南のGebeng、現在の日本総領事館近くに至る路線を運行していました(運行経路はまだ把握してません。。。)。
他方、WonokromoからJL.Diponegoro通り、Pasar Toerie(現在のPasar Turi駅前)を経てカリ・マス川西岸をタンジュン・ペラク港東側のウジュンに至る、1979年の廃線までスラバヤのスティームトラムとして有名にした市内路線は、1916年に開通したものでした。

この辺りの歴史的経緯は、取り敢えずネットで調べただけですので、間違いがあるかもしれません。そのうち本気で調べてみますので既に間違いにお気づきの方がいらっしゃいましたら、ご指摘いただければ幸いです。何か判る資料を教えて頂けるともっと嬉しいです。

そういった目で見てみると、例えばWikimapia等でスラバヤの航空写真+地図を見てみると、市内のあちこちに線路の表記があるのが目につきます。
一瞬「引き込み線かな?」と思ったりするのですが、明らかに大通り沿いというか大通りの真ん中をあり得ない形で走っており、しかもその通りには現在そんな引き込み線なんかない訳で、これが当時の市電の線路の位置なんですね。中にはポリゴンにカーソルを当ててみると「トラムの車庫」なんて書いてあったりして、好奇心をそそられるというか、もう萌え萌えなんです(笑)

というわけで、あとは明日以降に続きます。
Wonokromomap
例えば、ウォノクロモ(ジョヨボヨ)周辺だけでもこんな感じで♪

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