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2012年9月30日 (日)

ジャカルタでの休日。

話が前後してしまったのだけれど、29日土曜日。朝09:40発のCitilink、QG802便でジャカルタへ飛ぶ。

本当は昨晩の夜行列車「BIMA」あたりで上京したかったのだけれど、生憎レセプション2つ掛け持ちして、しかも後者が2時間遅れ、帰宅したのが23時という事で、そんな日程組んでなくて良かったよ、という状態。

本日のフライトは軽く25分ほど遅れたけれど、今日は急いでないからまあいい。機内でスラックスにコーヒーこぼして半ベソかきながらDAMRIのリムジンバスで市内へ。

偶々コタ駅経由マンガドゥア行きなんて新路線だったので、これでコタ駅で降りてみると、久々の103系がカンプンバンダンとの間のフィーダー運用に入っているのに出会えて久々にラッキーか。コタ方には「東京」側面には「むさしのドリーム 東所沢」なんて標記も残り、最近日本語の標記を徹底してなくそうとしているPT.KAIというかKCJにあって異端なのか、噂では巻き取り装置が固まって動かないだの方向幕の裏蓋が空かないだの、ちょっと脱力するような噂も聞きます。
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Juanda駅前のAmarisホテル3階東側の部屋、窓は小さいけど、一応トレインビュー♪
今日の宿は中央線のジュアンダ駅前徒歩1分のところにに新規オープンした、磁場の大手ホテルチェーン・サンティカがやってるデフュージョンというか、ビジネスホテル版の「Amaris」。その派手な外観からウチの上司は「あぁあのラブホテル」って、違います。タダの全く簡素なビジネスホテルで、冷蔵庫もなければ、ランドリーサービスもないだなんて(涙)替えのスラックス持ってきといてよかったです。それでも、東側3階の「トレインビュー」の部屋をあてがって貰い、これでネット予約で税込Rp.40万、今後も使う可能性あるかな。
今日は夕食まで時間があるので、久し振りの電車で中央線を下ってパサール・ミングまで行き、タクシーでタマンミニ(TMII)へ。この遊園地自体は勿論前にも来たことがあるんだけれど、中のMuseum Transportasi(交通博物館)をじっくり見たことがなかったんで。

ここは、25輌ほどの古いSLと数台のDLが静態保存されており、更には昔の大統領専用客車、何故かガルーダのDC-9型機や、ダムリ・バスやブルーバード・タクシーの初期の車輛などがあわせて展示されている。また、インドネシアで初めて走った鉄道・スマランのクミジェン~タングン間の時刻・運賃表が書かれていている看板があったりと、(館内の展示物は全くダメダメなんだけれど、)屋外展示車輛にはなかなか興味深いものがあります。
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転車台の上にも並べられたTMIIの保存蒸機。沢山ありすぎて有難味ないくらい (^-^;;

また園内にはモノレール・・・に見えるけど、実は2つの車輪で走っているからモノじゃないレールが高架線上をグルグル、更に地上にはSL風デザインの金色のDL列車が園内を周遊しており、子供のおもちゃではあるんだけれど、ついつい乗りたくなってしまう不思議な魅力を備えています。

今日はこの列車の写真を撮っていたら、携帯にメッセージ「今TMIIで汽車の写真撮ってたでしょー、服装は○○で…」。ジャカルタ勤務時代のローカルスタッフからだ。ええっ!? 見られていたー(笑) 家族で遊びに来てるんだとかで、あぁ恥ずかしいったらもうっ!

帰路はやはりタクシーで中央線のタンジュン・バラット駅に出て、環状線方面行きからマンガライで後続のコタ行きに乗り換え、ジュアンダに戻って来たところ、昨日の日記に描いた大捕物騒ぎとなったのでした。。。
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こんな金色にしなけりゃ多少見られたもんなのに…



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2012年9月29日 (土)

人命救助しちゃったよ。

今日はジャカルタに来てるんだけれど、
今さっき、駅で人命救助しちゃったよ。
夕方18時過ぎ、ジュアンダ駅でホームに降りた時、娘(幼稚園児くらい)の手を引いて駆け込み乗車して来た父娘連れ、父親が乗り込んだところでドアが閉まり、電車が動き出してしまった。
ここの電車、ACつきの自動ドア車でも、ラッシュ時に客が溢れるとドア開けたまんま走ってしまうから、父親の片手が挟まって娘が車外でぶら下がったままスピードが上がっても、緊急停止する気配もない。娘の足がホームと電車の間に落ちている。このまま転落したら、万一電車に轢かれたら手か足切断しかねない。目の前に時速30キロくらいに速度をあげつつある電車からぶら下がる娘が近づいてきたので、すれ違いざまにその両腕を掴みホームに引き上げた。父親は手を離したらしい。列車はそのままスピードを上げ、コタ駅方面へ走り去り、案の定車掌は安全確認なんかしちゃあいない。当初は呆然、そして泣き叫ぶ少女、あの父親はおかしい!と周りの野次馬に叫ぶ一部始終を見ていたおばちゃん。
ようやく警備らしい制服の若者2名がノンビリ現れて少女をホームの詰所に保護していったが、すぐに次の駅か電車に連絡するんじゃないのか? こっちもまだ心臓が少しドキドキしてるよ…。ともあれ、無事で何よりでした。
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この電車ではないけど… 運用再開した103系「東京」行き。

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2012年9月28日 (金)

鉄道記念日です♪

今日9月28日はインドネシアの鉄道記念日。太平洋戦争終戦の1945年のこの日、軍政日本の陸輸局から独立宣言をした新生インドネシア政府の鉄道局DKAに鉄道輸送の管理が委譲されたのを記念している日とのこと。1867年に初めてスマランに鉄道が走った日じゃあないのね。

その今日は、ジャカルタやPT.KAIの本社があるバンドゥンでは何かイベントがあるらしいのだけれど、ここスラバヤでは特段何もなさそう。…と思っていたら、事務所のスタッフが「今日はスラバヤ~ポロンのコミューター列車が無料らしい」という情報を持ってきた。ので、列車に記念ヘッドマークでも付いてたらいいのに、と思ってお昼休みにグベン駅を覗いてみたが、お昼12:55発のポロン行きコミューターは普通に通常料金とっての販売だった。あれ、今日は無料じゃないの?と聞いてみると、なんでもラジオ局のキャンペーンで夕方17:35発の列車でイベントがあり、その列車に限って無料となるが、既に切符は配布し終えてラジオ局の人はもう帰った、だって。
あらそれは残念、というか、そんな時間じゃあ、ちょっと見に来るのは難しいなあ。

しかし売切ってことは知ってる人は知ってるわけで、どうやって皆こういう情報を手に入れるんでしょう。駅にも新聞にも、PT.KAIのサイトにも、どこにもそんな情報載ってないわけで。ここは雑誌Majalah KAとそのサイトに期待したいとこですが… 
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こんなヘッドマーク付けた記念列車でも走ればいいのにね。

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2012年9月22日 (土)

修復始まるスラバヤ・コタ旧駅舎。

スラバヤのコタ駅、
南本線系の列車は事実上グブン駅始発・終着扱いとなっておりその先は回送なのではないかとも思われ、営業列車が入ってるのかすら怪しいなどと言われていた、何故か地元ではStasiun Semut(蟻)と呼ばれておりタクシーの運ちゃんなどにはこの方が通りがよい、スラバヤのターミナル駅。最近では長距離列車を含むほとんどの列車がこの駅を起終点としており、駅舎こそ中途半端に古臭いビル型で色気がないものの、その駅舎の中に入ってみれば、頭端式のホームが並び、関西の私鉄のターミナル駅を彷彿とさせる中々雰囲気がある駅ではあります。
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スラバヤ・コタ旧駅舎(左側)。右にもう一つ同じよう建物有り。
昔の写真は国鉄PT.KAIのHeritage Railwayのサイトからお借りしました。
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そのスラバヤ・コタ駅、以前は勿論スラバヤにおける正真正銘のターミナル駅だった。その時代から使用されてきた駅舎が、現スラバヤ・コタ駅の東側、客車の留置線が並ぶあたりに現存している。
この駅舎は1878年にスラバヤからマランまでの鉄道が開通した際に蘭印国鉄Staatspoorwegen(SS)により建造され、1911年の増築を経て現駅舎の落成までの間使われていたもの(これが正確にいつまでだかという情報がないのです。どなたかご存知でしたら教えて下さい)。その後この旧駅舎は荒れるに任せた状況にあったが、1996年にスラバヤ市の文化財に指定されて以降、取り壊しを逃れ、現在に至っていた。
最近になり漸くこの駅のリハビリが現実化して来ており、本2012年7月には国鉄PT.KAI幹部らの出席を得て式典も開催されている。また、数日前、19日付の地元紙「Jawa Pos」によれば、既に修復工事が始まっており、11月には屋根がかけられる予定だということ。
ということであれば、取り敢えず工事が本格化する前の現状を見てみようと思い、週末の今日、ダラダラと午後になって起き出し、コタ駅へと向かってみた。
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ホーム側より。屋根は落ち、壁と上屋の鉄骨だけが残る。

そのコタ旧駅舎、古い写真集で見た古い駅舎がそのまま残っているのだが、入口と出口なのか少し離れて建てられた二つの建物の周囲は高い塀で覆われ、中を覗くのは困難な状況。横の工事関係者出入口らしいところから中に入ってみると、本日の工事はお昼で終了して作業員ももう帰ってしまったような状況ながら、昼寝していた留守番のおっちゃんが出て来て出入扉の傍の詰所に貼られた「絵を描いたりこの駅舎に関心があって照会したい者は、DAOP8の広報の誰それに連絡されたし…」と書かれた紙を指し、ホントは入ったり写真撮っちゃダメなんだよね…とのこと。まあその辺りは結構緩い当地のこと、「ちょっとだけ見せてよ、折角来たんだし」なーんて言ってるウチに、別に小銭をせびるでもなく、まあOKということでちょっと覗かせて貰っちゃいました。
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これもまたイイ作りをしているコタ駅入口の信号所。

駅舎は外から見るとおり、相当に荒れ果てて入るものの、流石にオランダ時代に造られた立派な建築、壁はシッカリしているようだし、円弧を描いた扉上部の明り取り窓や高い天井など、優雅な作りをしている。今後キチンとリハビリを終えた後は博物館になるのか、再度駅として使用する等という報道もあるようだが、なかなか楽しみである。

帰りはやはり鉄道華やかりし頃を彷彿とさせるコタ駅出口の信号所付近から、グブン方面とシドトポ方面への路線が交差する地点までノンビリとお散歩、行きかう列車数本を眺めてから帰路につきました。
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グベン方面へ向かうHolec改造で新導入されたKRDEは珍しい貫通型。Madiun行きのArjuna Ekspresですね。上はシドトポとパサールトゥリを結ぶ貨物線。

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2012年9月18日 (火)

マラン・バトゥ温泉。

昨日の続き。パスルアンからクルマを今度は南西へ向け、道端にナローの軌道がそこかしこに見られる裏道を暫く走り、目指すはマラン。ところが途中スラバヤとマランを結ぶ国道に出た辺りから大渋滞、夕暮れ時には着くかなー?と思っていたのが全然だめで、しかもマラン市内を抜けるのにも一苦労、目的のバトゥに着いたのはもう7時半だったか。
バトゥというのはマランの北東、グヌン・カウィの中腹にある山間の集落で、日本人的には温泉が湧いているので暫く前から行ってみたいと思ってたとこだった。その温泉、実は意外と活用されておらず、ネットで調べる限り確実に入れるのは、バトゥの市街地を過ぎたホテルやロッジ等が立ち並んでるエリアの一番奥、Air Panas Alam Songgoritiというホテルだけのようで、日もとっぷりと暮れた山道を走ってなんとかこのホテルに辿り着けた。
その日帰り温泉入浴施設は、ホテルの部屋を貸し出してくれるのではなく、同じ敷地の反対側に外来用の入浴施設「Papa」があり、こちらは個室温泉入浴施設が並んでおり、料金は15,000~25,000ルピア。経験上、この値段ならそんなに汚くない筈。

早速個室の部屋に案内して貰いお湯を溜めてみると、お湯の色はどちらかというと鉄錆のような色で、臭いも鉄錆のような臭いがする。部屋の中がなんとなくくすんだ感じがあるのはこの泉質に関係しているのか。まあ、それはそれで温泉っぽくてまあいいのだけれど、一つ残念なのはどうも湯温がぬるいこと。ここの人たちは熱いお湯が嫌いだというので既に水でうめてぬるくしてるんだろうか。

そんな訳でちょっと一浴びしただけで早々に退散。帰りに道端のお土産屋さんでマラン名物のリンゴを買って帰ったんだけれど、いやー酸っぱかった。品種改良してないんだろうかねー。
このホテルに泊まればもう少し自由に湯温調節できるんであれば、一回泊りに来てもいいんだけどね…
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Air Panas Alam Songgoritiの入浴施設「PAPA」。通路だけみると中々立派です。

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2012年9月17日 (月)

もうひとつの平面クロス。

謎の短絡線の後はクルマを東へ向け、パスルアンへ向かう。

ここは以前シテュボンドへの往復の途中、道路を横断するナローの製糖工場専用線を見つけており、その後Googlemapで見ていたら、どうやらそのすぐ脇で国鉄PT.KAI線と平面クロスしているらしいことに気付いたから。先日スラバヤに転勤してくる前に、スマトラ島北部のパーム椰子運搬用のナローが国鉄と平面クロスしているところを訪問して来たところで、こんなの全国でもここだけかと思っていたら、もう一カ所現役の国鉄とナローの平面クロスがあるということになる。

目印はCJフーズの大工場。知らない食品会社だなぁ、と工場の看板を見ると、Cheil Jedangって、第一製糖って韓国企業の工場なのね。勿論この韓国企業で専用線を持ってフィールドに入るナローゲージのトロッコ鉄道を持っている訳ではなく、こちらはそのすぐ先にあるPTPN傘下のPG.Kedawungの所属。こっちの製糖工場で造った砂糖を使ってお菓子でも作って輸出してるんだろうか。

さておき、国道と国鉄の線路は予想外に近く直ぐ見つかった。先ずは国鉄の線路を渡った先のナローの折り返し所のあたりでクルマを停め、ナローの線路沿いに交差地点に向かってみた。線路は適度に光っており、まだ使われている様子。なのだが、国鉄線路と交差する両側には車止めが置かれ、これを開けないとナロー側の車輛は通過できない事になるが、どういうことだろうか。
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平面クロス地点。よく見ると、国鉄側は線路が切れておらず、左右のナロー軌道の車両はその上を跨いでいく感じ。

近くの国鉄線の踏切詰所を訪ねてみると、詰所内には国鉄の内線電話に加え、製糖工場の軌道担当部署に直通の電話があるようで、懐かしいハンドルをグルグル廻して電話してくれた結果、工場は今年のシーズンは明日16日まで稼働しているが、ローリーの運転は昨日14日で終了したという。なんてこった!いや確かに9月中旬を過ぎると工場はドンドン今年の稼働を終了してくる頃合いなんだけれど、正に昨日で終了って、いやぁ笑っちゃうくらいタイミング悪過ぎ。日頃の行いが悪いんだろうか。

仕方がないので、しかも定期列車は暫く間隔が空いて1時間以上まだ来ないというので、その合間を縫って作業している保線用車輛の通過を見守り、スゴスゴ引き返すことになりました。
しかしこのクダウン製糖工場、蒸機は既に使用していないものの、相当長い距離のフィールド線を持っている模様。来シーズンはちょっと立ち寄ってみてもいいかもね。
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珍しい電車が行くねー。手前の車止めが。。。 いやな予感がしたんだよなー。

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2012年9月16日 (日)

不思議な短絡線(未開業)。

スラバヤの南の方に以前から気になっている路線がありました。
南本線のモジョクルトと、マラン・バニュワンギ方面の路線のスラバヤ近郊路線の南の終点、ポロンとを東西に結ぶ路線は、オランダ時代の1898年にMojokerto Stomtram Maayschappijによって開業した路線であり、これは既に1970年頃に廃線になって久しいが、この路線の北側に並行する形で、南本線のタリク(Tarik)と、ポロンの北、泥流噴出で有名なシドアルジョとを結ぶ路線が存在するようで、雑誌「Majalah KA」やその他の資料でも、この区間については「Aktif」だという表記がされていた。
とはいえ、この区間を運行している列車の情報は聞いたことがないし、貨物線なのかとも思ったが、途中にはキチンと駅が設置されているらしい。
というわけで、考えていても情報が勝手に入ってくる訳もないので、とある週末、取り敢えず見に行ってみることにしました。
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突然現れた近代的なトゥランガン駅舎。周囲に人の気配なし。

スラバヤ市内から高速道路を南に下り、泥流噴出で寸断された高速道路をその直前のポロンI.C.で下り、国道を少し北に向かった、カバンの生産・直売で有名なタングルアンギン(Tanggulangin)の集落で田舎道に入る。暫く西に走るとTulangan、Singopaduという集落で三差路を右折して北へ。暫く走ると左手には(旧スペルで)PG.ToelanganというPTPN-X経営の小規模な製糖工場が現れた。トロッコが使われてはいるものの、牽引は全てトラクターで、フィールドに出る路線ももう全くないという事で残念。

このPGを過ぎて暫く北上したところに踏切。渡り板部分の線路は砂に埋もれている所を見ると、列車は少なくとも最近では全く運転されていないようだ。
その右手数百mのところにあった目的のトゥランガン駅はありました。突然あまりに近代的な駅舎が現れたのにはビックリ。最近のJabotabek首都圏の新駅舎か、インドララヤ新駅か。ホームは一般の低いホームではなく、電鉄対応の高いホームで2面4線。ホームの照明はなんと太陽電池駆動のようだ。
ところがその近代的な駅舎は堅く施錠され、中には入れないし、職員の姿も全く見えないので聞いてみようがない。見知らぬ来訪者に関心を示して近付いてきた近所の住民らしき男性に取り敢えず話を聞いてみるが、やはりこの駅を発着する旅客列車が運行されたことはないという。踏切の様子から察するに、貨物列車も走っていないだろう。設備は直ぐにでも供用開始出来そうな状況であるが、そもそもこの地域の流動はスラバヤを目指す南北の流動が主要。このモジョクルト~シドアルジョ区間を東西に結ぶ旅客需要があるのだろうか。
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PG.Toelangan製糖工場のローリーはトラクターでの移動。。。

近くには工場が幾つかあるらしく、この駅からの帰路、土曜の昼過ぎに勤務を終えて帰宅する社員と思しき大量のバイクが近くの道を埋め尽くし大渋滞となったが、このあたりの通勤客輸送・・・では無理がある。
貨物輸送にしても、シドアルジョから北に向かえば20kmも走らずにウォノクロモでモジョクルト・タリクからの南本線と合流してしまう。モジョクルト~ウォノクロモ間の線路容量が逼迫し、バイパス線を作る必要があるという話も聞いたことがない。モジョクルト方面からマラン、プロボリンゴ方面ジャワ東部への貨物であれば、シドアルジョに南側から入ってスイッチバックしなければならない線形にする必要はない。
正直、建設目的が今一つ良く判らない短絡線であるが、まあ運行が開始されたら乗りに来てみることにしよう。いつになるか判らないんだけどね。

位置関係としては、こんな感じになります
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2012年9月15日 (土)

タンク車に乗って: シドトポ~パサール・トゥリ

先週末のシドトポ駅を早速再訪。今日は10:30シドトポ発、スラバヤ・コタ駅経由のブリタール行き「Raphi Dhoho」でスラバヤ市内の(一般には知られていない)旅客営業が実はなされているらしい三角線区間の北・西区間であるシドトポ~スラバヤ・コタ駅間を乗ってみようというのが今日の目的。三角線のもう一方の密かな営業区間、シドトポ~グベン間は、早朝の4時台と5時台に1本ずつあるだけらしいので、こちらは後日、とーっても早起き出来た時か、夜行でスラバヤについた時などにとっておくことにする。
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この貨物列車の後部デッキに便乗させて貰いました♪

ところでそのスラバヤ市内の鉄道、地図やネット情報を見てみると、なかなか複雑なものがある。
一般的な営業区間としては、西のパサール・トゥリ駅から西のボジョネゴロ、スマラン方面へと向かう、所謂ジャワ北本線と、コタ駅・グベン駅から南そして南西へと向かう、所謂ジャワ南本線、南のウォノクロモ駅から更に南下、その後東のバニュワンギ方面と、南のマラン方面へと別れる路線、と3本が主な営業路線。これに加えてこの度、シドトポ~グベン間とシドトポ~コタ間に営業運転する列車があることが分かった。
シドトポの駅というか、機関区からは、北のベンテン(Benteng)貨物駅を経て、プルタミナの石油基地のあるバンダラン(Bandaran)駅までの貨物線が延びている。また、パサールトゥリ駅からは北のタンジュン・ペラク港までの貨物線が延びており、こちらも日に数本のコンテナ貨物列車が運転されているそうだ。
問題は、西のパサールトゥリ駅と東側路線との間で、勿論線路は繋がっているのだが、貨物列車が運行されているという話は聞くのだが、旅客列車はオランダ時代から現在に至るまで、運行されたことがないという。
勿論単線非電化で線路容量は大きくないのだが、スラバヤの旧市街地の中心はこの貨物線が通る、現在でいうところのトゥグ・パフラワンの塔のあたりで、現在も州政府庁舎やインドネシア銀行の支店等が位置しており、現在も市内の中心部はこの西はパサールトゥリ・北はトゥグ・パフラワン近辺、東はグブン駅をそれぞれ頂点とし、更に南側に広がるエリアになっている。
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スラバヤ市内の鉄道路線略図を作ってみました。

北と東は海でこれ以上広がりようのないスラバヤの市街地は、西と南に向かって拡大しており、西のラモンガン方面から市内中心部東側へ、或いは南のシドアルジョ、モジョクルト方面から市内中心部の北側の通勤客あるいは、市内中心部周辺の古い住宅街から南の工業団地等への通勤・通学客の利便を考えると、西からの北本線と南西・南への南本線とシドアルジョ方面への路線は、直通運転させた方が何かと便利かと考えられるが、なぜかそのような計画はないようだ。平成22年度にJICAがこのスラバヤ地域の鉄道路線の近代化(電化・高架化)にかかるフィージビリティ・スタディを実施しているが、この報告書でも両路線の直通は推薦されていない。

そんなわけでこの区間については実際に列車が走っているのか気になっていたのだが、今日シドトポ駅で列車を待っていた時、メカニックの係員に声をかけられた。「何処へ行くんだい?」から始まって世間話をするうち、「なんでグベン~コタ~パサールトゥリに列車を直通させないの?」という疑問に対し、この区間は線路が繋がってないからね、という回答。え、そうなの?
確かにコタ駅の南側を通過しているパサールトゥリ方面からの線路は、コタ駅のホームレベルより一段高い築堤の上を走っており、コタ駅からパサールトゥリ方面へは行けなさそうだ。しかしホンの数十m先の築堤の上にホームだけ設ければよさそうなもんだが・・・と思ったら、その線路はシドトポ方面に繋がっているだけで、グベン駅方面には繋がっていないのだそうだ。
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コタ駅を俯瞰。ヤードの奥にはスラバヤ・コタ旧駅舎跡が見える。

そんな話をしてるうちに、「今から貨物が出るから乗って行くかい?」という話になり、勿論願ったりかなったりで、便乗させて貰うことにした。
貨物列車というんで、ディーゼル機関車のキャブに添乗かと思いきや、案内してくれたのは1両だけ連結されたタンク車の後部デッキ。普通のタンク車と異なり、ちゃんと係員が乗れるようにここに屋根がついてる。
聞いてみると、この列車はパサールトゥリを起点に発着している北本線の列車を牽引するディーゼル機関車用の燃料(軽油)で、同駅脇の機関区のタンクに給油するため、2日に一回、北部のプルタミナの基地があるバンダランとパサールトゥリとの間を往復しているのだという。鉄板一枚隔てた背中は軽油が満載されたタンクということで、交通事故にでもあった時にはもう確実にどうにかなってしまいそうな乗車環境なわけで、今日ばかりは事故が起こらない事を心から祈らざるを得ないなぁ。

にこやかな駅長に笑顔で見送られて出発した貨物列車は、シドトポ駅を出て南下を始め、すぐに築堤を登り始め、右手(西側)の線路との間に高低差が生まれ出した。こちらはコタ駅方面への路線とのこと。
次第に線路は西方向へと向きを変え、グベンからコタへ入る複線の線路を跨ぐと、右手方向にはコタ駅の手前の留置線が広がって来た。数本の列車が並ぶ向こうには、鉄骨だけが残った廃駅舎。これは昔のスラバヤ・コタ駅で、駅舎正面の建物は鉄道遺産的価値があるとして取り壊しを逃れており、将来的には整備されることが期待されている。そのコタ駅手前の右下側からこちらの貨物線側に上がってくる線路が一本あり。あれ、繋がってないんじゃなかったっけ??
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スラバヤの裏町を抜けて走る貨物列車。

さてこの貨物線の方は、線路脇には不法占拠のスクウォッター住居が立ち並んでいるのは予想どおりなのだが、何故か各家には鳥籠というか、木製の鳥「箱」が設けられているのが目立つ。同乗の職員氏曰く、育てて売るのだとか。ブリーダーなんですかね。

そして列車はのんびりと走りながら、トゥグ・パフラワンの塔のある広場をこれまでない角度から眺め、再びスラム化したエリアをゆっくりと左にカーブし、パサールトゥリ駅へ入って行く。駅の手前、北側には大きなショッピングモールが建てられており、単線の線路ははこのモールの1階部分を潜り抜け、駅構内へ入って行く。
この区間、途中には北のカリマス駅、タンジュン・ペラク港方面への貨物線を分岐する「Mesigit」そして「Pasarturi Gudang」という2つの駅がある事になっているが、全く判らず。信号所にしてももう少し何かありそうなもんだが。
列車はパサールトゥリ駅構内を一旦走りぬけた後、スイッチバックで転線し、機関区へ入る手前で降ろして貰ったが、シドトポ出発からここまで、この間対向列車と交換できるスペースはなかった。この区間に旅客列車を乗り入れる場合には、ちょっと課題になり得るかもしれないな。

そんな訳で、普段乗れない区間を乗ってみる貴重な体験でした。
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モールの1階をくぐりぬけてパサールトゥリ駅へ到着。。。

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列車の愛称名いろいろ。

 日本でも新幹線、特急列車など愛称名が付けられている列車は数多くありますが、その命名法は国それぞれ。日本では新幹線は当初「ひかり」「こだま」といった抽象名詞がつけられていたが、運転範囲が広がるにつれ「あさま」のような地名や「あおば」城、「つばさ」「さくら」といった伝統の特急列車名がつけられるものが出てきたわけで。
 韓国では「セマウル号」「ムグンファ号」等名づけられているが、これは愛称名がそのまま列車の等級(速度や通過駅の多寡)を表しています。これは台湾でも同様で、「自強号」「莒光号」等はいずれも列車の等級(太魯閣号ってのは沿線の地名だけど、事実上最速列車を示す等級だよね。)。
 ベトナムでは南北縦貫の所謂「統一鉄道」では単なるアルファベットと数字の組み合わせの列車番号を用いているが、サパのような観光地に向かう列車にはVictoria Express, Ratraco, Green Train, Livitrans,といった運営会社の愛称がつけられてるし、フィリピンでは山の名を冠したMayon Limitedなど、マレーシアKTMではExpress Rakyat、Sinaran Utara、そして日本から中古で輸入したブルートレインを用いた夜行列車にはMalayan Tiger Trainという愛称が付けられている。
 日本の場合、愛称名は主に乗客誘致の為の宣伝効果や、より実利的には指定券販売の容易性を目指してつけられたと考えてよいだろう。かつて「からまつ」「はやたま」「山陰」「ながさき」という愛称名付きの普通列車があったが、他の夜行鈍行と異なりこれらにのみ愛称名がつけられていたのは、これらの列車が寝台車を連結していたからに他ならない。「第123列車の寝台を1枚」というのよりは、「からまつ号の」といった方が判り易いからね。
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SEMBRANI号のサボ。日本の鉄道好きにはなんだか親しみが湧きますね。

 さてインドネシアでは、首都圏電鉄を除く殆どすべての列車に愛称名がつけられている。頻繁に列車の改廃があるので全部で何種類あるか数えたことはないが、恐らく100種類近くあるんじゃないだろうか。同じ区間を走っている列車でも異なった愛称名をつけていたり、ネタがなくて面倒になったのか、極めて安易な愛称名をつけているローカル列車もある。日々出掛ける度に接しているこれらの列車の愛称、有名な地名を冠しているかと思えば、辞書や地図で調べても何に因んだ愛称なのかさっぱりわからないものもある。 なので、スンダ語やジャワ語の判る事務所のスタッフの知恵も借りつつちょっと調べてみたら、こんな感じになりました。

1.地名を冠しているもの。
2.宗教上の伝説、伝承、民話等に因んだもの。
3.その他。

まず1.だが、多いのは、山や川の名前をつけているもの。
全車一等Eksektifの特急はこれが多い。例:
 アルゴ・ブロモ・アングレック(ジャカルタ・ガンビル~スラバヤ・パサールトゥリ)東ジャワ州のブロモ山+アングレック(蘭)より
 アルゴ・ラウ(ガンビル~ソロ・バラパン)中部ジャワ州のラウ山より
 アルゴ・ムリア(ガンビル~スマラン・タワン)中部ジャワ州のムリア山より
 アルゴ・ウィリス(バンドゥン~スラバヤ・グベン)東ジャワ州のウィリス山より
 マラバール(バンドゥン~マラン)西ジャワ州のマラバール高原より
中には、セレロ(クルタパティ~タンジュンカラン間)南スマトラ州の丘陵の名や、
 ラジャバサ(同)ランプン州の丘陵の名、など三等エコノミ列車に使われている例もあり。
 

川の名は三等Ekonomi列車に使われているケースが多いようだ。例:
 ボゴウォント(ジャカルタ・パサールスネン~ジョグジャカルタ間のACエコノミ列車)中部ジャワ州のボゴウォント川より
 ブランタス(ジャカルタ・タナアバン~クディリ)東ジャワ州のブランタス川より
 ロガワ(ジュンブル~プルウォクルト)中部ジャワ州のロガワ川より

二等Bisnisを中心とした列車の場合、地名+αというのをよく見かける。
 センジャ・ウタマ・ソロセンジャ・シンゴサリなど、Senja(夕暮れ)+Utama(第一の)という名づけ方だから、当然夜行列車だろう。いや、夕方に目的地に到着するという意味か。どっちでもとれるなあ。シンゴサリというのは、東部ジャワに13~14世紀にかけて存在した王国の名前。
 ファジャール・ウタマ・ソロファジャール・ウタマ・ジョグジャなどは、Fajar(夜明け)だから、こちらもやっぱり夜行列車か。

行先の都市名をつけただけの簡単な愛称は、比較的短距離の列車に多いようだ。
 チレボン・エクスプレス(ガンビル~チレボン等)
 シアンタール・エクスプレス(メダン~シアンタール)
 ランカス・ジャヤ(タナアバン~ランカス・ビトゥン)
 マディウン・ジャヤ(マディウン~ジョグジャカルタ)「ジャヤ」というのは「偉大な」「栄光の」という意味で、今もジャカルタの電鉄区間の駅名にある「ジャヤカルタ」が転じて「ジャカルタ」になったと言われている。
 プルウォジャヤ(ガンビル~チラチャップ)途中の主要駅プルウォクルトからとっているが、これもこの一種だろう。
 ジャカルタ首都圏電鉄JABOTABEKで急行運転していた時代の、デポック・エクスプレスベカシ・エクスプレスなんてのもこの仲間。
 カフリパン(クディリ~パダララン)11世紀クディリ王朝のアイルランガ王によって遷都された王都の名からってのも。

沿線の遺跡の名前を冠したものもいくつかみられる。
 プランバナン・エクスプレス(ジョグジャカルタ~ソロ等)世界遺産にもなっているプランバナン遺跡から。通常略してプラメックスと呼ばれる。
 プナタラン(スラバヤ・コタ~ブリタール)ブリタールにある、シンゴサリ王国のプナタラン寺院から。

より広範な地名を使う場合、古くからの呼び名を使うケースが多いようだ。
 パクアン・エクスプレス(ジャカルタ・コタ~ボゴール間をかつて運行していた電車急行)パクアンとはボゴール周辺のエリアの古い呼び名。
 ガジャヤナ(ガンビル~マラン)8世紀に中部ジャワに栄えた王国名。
 アルゴ・パラヒャンガン(ガンビル~バンドゥン)パラヒャンガンはバンドゥンの一帯の古い呼び名で、今でもパラヒャンガン大学等にその名を残している。
 リメックス・スリウィジャヤ(クルタパティ~タンジュン・カラン)スリウィジャヤ王国は7~14世紀の長期にわたり、スマトラを中心に栄えた王国。
 マジャパヒット(パサールスネン~マラン間のACエコノミ列車)マジャパヒット王国は、13~15世紀に東部ジャワに栄えた王国。
 バンテン・エクスプレス(タナアバン~メラク)現在の地域名であるバンテン州からってのもありますが。
  

中には、起点と終点の地名をあわせて列車名にしてしまっている合成地名ならぬ合成愛称名も見られる。
 アレック・スロクルト(スラバヤ・コタ~モジョクルト)SURabayaとmojoKERTOから。
 プロボワンギ(プロボリンゴ~バニュワンギ)PROBOlinggoとbanyuWANGIから。
 コミューター・スラム(スラバヤ・パサールトゥリ~ラモンガン)SUrabaya~LAMonganから。
 大分苦しくなってくるが、
 バングンカルタ(ジョンバン~パサールスネン)jomBANG~madiUN~jaKARTAだとか、 
 今は運転されていないようだが、中には
 ジョグロセマール(ジョグジャ~スマラン)JOGja~soLO~SEMARangなんて大技も。津田沼とか小美玉市みたいなもんか。
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クルトソノ駅に入線する「カフリパン」号。愛称のいわれを考えながら汽車旅を楽しみたい。

その2は、外国人にはなかなか分かりにくいものが多い。
 アルゴ・ドウィパンガ(ガンビル~ソロ)ドウィパンガというのは、ヒンズー教の神話で戦争の神インドラが乗っていた象で、17世紀ジョグジャのスルタンが自分の象にこの名をつけていたという。
 スンブラニ(ガンビル~スラバヤ・パサールトゥリ)ヒンドゥー神話のヴィシュヌ神が所有していた、空を飛ぶ馬。
 タクサカ(ガンビル~ジョグジャカルタ)ヒンドゥー教の神話に出てくる龍。
 スリ・タンジュン(バニュワンギ~ルンプヤンガン)ジャワの伝統儀式で演じられる、マジャパヒット王朝時代の叙事詩。
 スリ・レラワンサ(メダン~ビンジャイ、ベラワン)スマトラの民話に出てくる悲劇の英雄。
 プトリ・デリ(メダン~タンジュン・バライ)デリ王朝の王女。
 

3.その他としては、例えば、地方や特殊な言語によるもの、例えば、
 トゥランガ(スラバヤ・グベン~バンドゥン)昔のジャワ世界で乗物、即ち「馬」を指す言葉。
 ロダヤ(ソロ・バラパン~バンドゥン)スンダ社会の象徴である「虎」。
 パスンダン(スラバヤ・グベン~キアラチョンドン)スンダ人の土地の意。
 ブミ・グリス(ボゴール~スカブミ)スンダ語で「麗しい土地」。
 ハリナ(スマラン・タワン~バンドゥン)サンスクリット語で「鹿」。
 

何とも分類しづらいものとしては、
 ムティアラ・ティムールムティアラ・スラタン(東方の/南方の、真珠。上海のタワーのような名前だな。)
 パンダンワンギ(スマラン~ソロ間を以前運行していた列車。)パンダンという果実のwangi(香り)。
 チャンティック・エクスプレス(スラバヤ~ジュンブル間を以前運行していた急行列車。)チャンティックとは「カワイイ」という意味だが、列車名につけるか。
 ビマ(ガンビル~スラバヤ・グベン)日本人に最も有名な、伝統の夜行列車。終点スラバヤより遥かに先のヌサトゥンガラ列島スンバワ島のビマ市からとったのであれば、かつて大阪~鹿児島間のブルートレインに「なは(那覇)」とつけられていたのを彷彿とさせるところであるが、「Biru Malam(夜の青)」からとったか、「Bima Sakti(天の川)」からとったという説が妥当だろう。
 

 
 そんなわけで、ちょっと長くなってしまったけど、今まであまりネット上で見かけたことのないインドネシアの列車の愛称名についてちょっと調べてみました、のお話でした。
Gambir2011121000734
最近は色々趣向を凝らしたサボもあって楽しいです。

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2012年9月 9日 (日)

シドトポ駅に行ってみました。

今日は昼前から市内北東部、Kenjeran通りのToyotaの工場に修理の見積もりと入庫の予約の後、夕方の来訪者の空港出迎えのフライトまで時間があったので、スラバヤ市内北部で前から気になっていた、近くのシドトポ(Sidotopo)駅へ向かってみた。
「駅」というのはおそらく公式には正しい表現。なんだけれど、実態は客車区・気動車区であり、機関庫であり、貨物駅というのが通常の認識だろうな。インドネシア好きの日本人鉄の方々には、路線図にしばしば出てくる駅名でもあり、見聞きしたことがある方も多いと思われます。
他方、実はこの車庫(なんと呼ぼう?)に早朝深夜に出入庫する列車が旅客営業しているという話を聞いたことがあり、今日は確かめに来たというわけです。
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パッと見普通の駅のようなシドトポ駅舎、には正面から入れず…

手元の地図にはSidotopo駅として広大なエリアが書かれているのですが、駅舎がどこにあるかよくわからないので、取り敢えずそれを半時計回りにぐるっと回ってみると、時計で言うと4時くらいの位置に駅舎はありました。正面は柵が施錠されていて入れず、隣のDepoの入口から駅舎に行ってみると、駅員が出てきて説明してくれました。
それによると、確かに何本かの列車はここから乗れるけど、乗る人はいない由。どこか行きたいんなら、グブンかコタ駅から乗りなさいよ、と。切符も販売しておらず、ここから乗っても、グブンで一旦降りて買い直して… という話。まあでも乗れるらしい。じゃあ乗らないわけにはいかないじゃないか。こんどスゴーく早起きして、乗りに来てみるかな。

礼を言ってシドトポ駅を後にし、半周して反対の西側に廻ってみると、職員住宅のような区画があり、そのまま貨物駅のようなエリア、そしてディーゼルカーや客車の並ぶ車庫に出てしまい、本当はキチンと申請して許可をとらなきゃいけないんだけど、なんとなく見学できてしまいました…
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ArekSurokerto用のKRDE(元Hyundai製の電車からの改造車)などディーゼルカーの並ぶ気動車区。あれ、2編成あるけど、使ってないのかな?

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2012年9月 6日 (木)

事故りやがった…

そんなわけで昨日の帰路のCitilinkのフライト、(乗客が一人行方不明で預けた荷物の確認等で15分ほど待たされたものの)フライト自体はすこぶる快適で、無事にスラバヤ着。35〜45万と料金も安いし、暫くはこれ使うかな。LCCだから水も有料だけど、国内線だから持ち込み問題ないし、たった70分のフライトだしね。

そしてそのまま出勤すべく空港に迎えにこさせたクルマで市内に入り、Satelitのインターを降りて暫く走ったところで、あっ近い、危ないと肩を竦めた瞬間、鈍い音と振動に襲われた。左後部が左側車線のタクシーと接触したらしい。逃げるなよー、とクルマから飛び降りてタクシーの前に立ちはだかると、向こうも血相を変えてコノヤローと凄んでくる。
近くにPos Polisiがあったので早速警官が現れ事情聴取。その後連絡を受けて保険会社の調査員が暫くして現れ、どっちが悪いかについては警官も判断せず。お互い自分のクルマは自分で直すことで合意することに。今回も明らかにタクシー側の前方不注意だと思うんだけど、まあ、明らかに先方が悪かったとしても、当地のクルマ、タクシーやミニバス、バイクなんかは保険に入ってないことが殆どで、支払能力なし、結局は自分で直すことになるのが殆どで、今回も保険屋が「それでいい」と言ってるんだから、もうそれで納得するしかないんだろう。
こちらはオーバーフェンダーとサイドステップが擦り傷になってる程度でボディには影響なく、保険使用時の最低自己負担分20万ルピアの支払ということで、実害は大きくないんだけれど、まあ不愉快この上ないですなあ…。
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左サイドステップからリアフェンダーにかけての擦り傷。ボディが凹んでないのが不幸中の幸い…

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2012年9月 5日 (水)

Mr. First Lastって誰よ。

ジャカルタではやっと先週着任した後任に、夕食とりながらブリーフし、今朝は早起きして空港へ直行。今日のスラバヤ行きは07:50発のQG801便、ガルーダのLCC子会社のCitilinkを使ってみる。こちらも最近まではガルーダのお古のB737-300,400ばっかりだったのが、最近は殆どが緑色の尾翼のA320に更新されているようだ。
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ガルーダの青が緑の濃淡に変わり、なかなか爽やかなCitilinkのA320だが。。。

それはいいのだけれど、問題はチケット。1週間ほど前にネットで予約したとき、予約完了画面に出てきたEーticketの氏名の表記が「Mr. First Last」。ファーストネームとラストネームを打ち込むところが、何故かそのまま記載されているじゃないか。なんだそりゃ。
早速同社のコールセンターに電話して訂正を申し入れると、後で訂正した予約表をメールで送ることとなったが、これがいつまでも来ないので、事務所近くの同社の支店に出掛けて文句を言うと「ウチはただの販売代理店だからわかりません。空港のチケットセンターに行ってください」と言われてプチ切れる。そもそもおたくのネット予約システムの不備でこんなんなってるんだろう、それを片道1時間かけて空港まで来いとは何だ、なんとかしろ!と(代理店の窓口をいつまでも問い詰めても仕方がないので)その場でコールセンターと再交渉、結果、画面上は出ないけど(画面上の記載を変えるには、変更手数料20万ルピアかかるので)、システム上はちゃんと名前入れたから、そのままチェックインしてください、ということを言われていた。

で、今朝だ。案の定、チェックインカウンターのコンピュータの画面には「Mr. First Last」のまんま。一旦外に出て、発券窓口ですったもんだするうちに、どうやらどこかに落花生。の名前を発見した模様。E-ticket 写しに何か書き込んでスタンプを押し、「これでOKです。」と相成った。で、再度チェックインしてみると、ペラペラのレシート搭乗券の表記はやっぱり「Name: last/first」… これでこの便が墜落したりしたら、乗客名簿には落花生。の名前は現れないのだろうな… 
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「Name:last/first」の搭乗券。次からはもう代理店で直接買うか。

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2012年9月 4日 (火)

エア・アジアの世界。

KLからの帰りは、久々のAir Asia。国際線自体は以前BKK-SINで乗ったことあるんだけど、KLのLCCTは初めて。KLセントラル駅のローディングドックのような場末の乗り場から、空港行きのバスは僅かMR8だから、ジャカルタの空港リムジンと同じだね。

1時間弱ほどで着いたそのLCCT空港ターミナル、ネット情報では「倉庫みたいなプレハブ」なんて書かれてるけど、確かにそれは否定しないけど、沢山のお店が入って結構な賑わい。いや立派なもんで、高い金かけて箱だけ立派な空港ターミナル作るより、これで十分いいんじゃないか、という感じ。
早速機械でチェックインして(現在のところ、スマートフォンによるモバイルチェックインはサービス停止中だとか)、ちょっと並ばされて苛ついたのは、荷物預けのところ。せっかくWebチェックインしても、ここで時間とられると極めてアナログ感。
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廊下のような通路を歩いてA320に搭乗。まあ殆どバスみたいなもんだ。

最後に余ったリンギットでお土産など追加して、バス搭乗かと思いきや、なんというか、小学校の渡り廊下みたいな通路を歩いて機側に向かい、当然のことながらタラップで乗り込んだ今日QZ7693便の機体はA320。一昔前はLCCといえばB737だったけど、最近はこっちの方が多いのかな。
今日は時間も時間ということで、事前に機内食を頼んでみました。メニューはこちら。写真では美味しそうに見えるんだけどね…(笑) 
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機内食のナシゴレン+サテ。まだ列車の中の奴の方が美味しいなあ…

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2012年9月 3日 (月)

日本の十八番では?

コタバルから国境を越えてタイのスンガイコロクに入ると、そこはタイ南部、イスラム教の影響が強いエリアで、独立に向けた反政府活動・テロ等も発生しており、外務省からは「渡航の延期をお勧めします。」との安全情報が発出されているエリアのため、こちらにはあまり関わらないこととし、さっさと西海岸に移動。
マレーシアの西海岸部はうって変わって平穏なエリア。北部のアロースター周辺などは、隣国タイや同じマレー系人種のインドネシアと比べても街の造りが広々としており、清潔この上ない。道路や街並みなど、ちょっと旧宗主国のイギリス的な雰囲気すら感じられる(といったら、あとでイギリス留学組の同期K瀬君に思いっきりバカにされたんだけど)。

高速バスで中部の古い町イポーに移動し、ここから電車でKLに向かおうとしたが、ここで問題発生。マレーシア国鉄KTMのホームページによると、 ここイポーとKLの約208kmの間を、ETS(Electric Train Service)と呼ばれる特急電車が最高速度140km/hで最速2時間強で結びだしている。今日の夜はKL在勤の同期3人と晩御飯の約束をしているので、それにあわせてイポーから17時発の列車に乗ろうと思って16時過ぎにこれも歴史的建築物のイポー駅にやってきたのだけれど、駅の時刻表にはその列車は書かれておらず、次の列車は17:48発の普通列車と、18:15発のETSシルバー電車(各停だが、ETSは早いので、先発のディーゼル機関車牽引の一般列車を追い抜く。もっと速いETS電車列車は、Gold, Platinumという名称が付されている)しかない。待て待て、このETS電車だとKL着は20:40、もう大遅刻だ。ネットでは10本以上の列車が書かれているにもかかわらず、実際に走っているのはその半分くらいでしかないようだ。困るよ、こんな事じゃあ。KTM大減点ーー。
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発車直前、ノンビリ写真撮ってる場合じゃない。ETS用Class91系電車。

仕方なくバスターミナルに転向するが、市内バスが予想外に時間がかかり、ターミナルについたのは17時直前。客引きに呼びこまれるまま直ぐに出発するという17時発の切符を買うが、これが始発ではなくどこかからやって来る便らしく遅れていつまでもやって来ず、17:30近くになってようやく現れた上、運転手に聞けばKLまで3時間半~4時間位とのこと。しかもバスターミナル前の道は夕方の大渋滞。到着が21時半ってのももう話にならない。
大慌てで(華僑の親切なおばちゃんの助けも得つつ、)駅に再度移動し、渋滞の中でヒヤヒヤしたりしながらも、18:11に駅到着、出札窓口の人が優先的に取り扱ってくれ25リンギットの切符を購入させて貰えた等の柔軟な配慮のおかげもあり、無事に18:15発のETSシルバー53列車に駆け込み乗車。ああー危なかった。
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KL行きETS列車、出発間際の風景はどこの国も同じですね…

乗ってみればこのETS、最速列車は208kmを2時間5分って、表定速度100km超えじゃない。狭軌1,000mmゲージでこれは凄いよ。長い間国鉄最速を誇った北陸線の「加越」が確か表定速度86.1kmとかいうのを小さい頃に本で眺めていた記憶があるが、それよりずっと速い。
のはいいのだけれど、このClass91系電車、実は韓国現代ロテム製。中距離の電車特急なんて我が国が最も得意とする車輛の分野で、韓国企業に持って行かれるとはなんたること。電動機器類は三菱製だと云うが、集団離反型の座席や、そこかしこに日本の最近の電車特急を見慣れた目には気配りの足りない部分が目立つ。ブッフェというか、車内販売カウンターはもう少し食事を充実させてもいい気がするけど、まあ走行2時間少々では、あまり供食サービスは見込めないか。今後北のバタワース、そしてアロースターへと電化区間の延伸が工事中みたいだから、こちらは今後に期待、かなぁ。
ともあれ、車両については、確かに交流25,000vの規格は日本では造り慣れている種類ではないかもしれないが、日本メーカーにも頑張って欲しかったな。 まぁ、そもそも乗り入れて行くKLの近郊電車が既にこの規格で作られてしまっている時点で「負け」なんだなぁ…
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歴史的価値のあるイポー駅舎。ちょっと駅前広場が工事中なのが残念ですが。

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2012年9月 1日 (土)

マラヤンタイガー・トレインの旅。

さてこのブルートレインあらため「Malayan Tiger Train」ですが、関心がある方にはあらためて説明する必要もないですよね。JRでは既に寝台特急というものが事実上消滅しかかっており、JR西日本・九州両社により九州方面への夜行列車で使われていた車輛が、日本政府を介しての援助という形でマレーシアに送られたのが昨年。JICA専門家も入ってメンテナンスの指導もするなど、万全の態勢で(ようやく)運行を開始したのが今年の春(昨年末に、日本大使等も出席してお披露目運転だけやったようですが)。
車輛はA寝台個室、2段式B寝台、座席車と各種に及び、列車はマレーシア南部・シンガポール国境の街ジョホール・バルから北東へ向かい、終点はタイ国境も近いコタバル近くのTumpat駅まで約800kmの間を約15時間かけて走る列車です。何故かマレーシア国鉄KTMのサイトの時刻表にはこの列車は掲載されていないのですが、列車検索をしてみると現れて来て、予約も出来る(等級別、寝台・座席は空席一覧表から自分で指定することが可能)。
現在は1編成(この日はロネ1、ハネ3、ハザ3の7両編成)のみが往復しているので週3便の運行ですが、更に1編成分(以上)の車輛が譲渡されているので、いずれ毎日運行になるんでしょう。
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カーブの多い半島横断路線を走るマラヤンタイガー・トレイン。

車輛自体は一部オレンジ色に塗装されてイメージチェンジを図っているものの、JR時代の姿を色濃く残し(実は軌間が1,067mm→1,000mmと微妙に改造されていたりするのですが)、車体のあちこちに「A寝台」「オハネ15」「京都」等の日本語表記が残っています。
この列車、終点のトゥンパット到着が定時で13時半ということで、そこを狭い個室で一人で過ごすってのも若干寂しいものがあるかな?と迷ったんですけど、結局料金は一番上級のA寝台個室(BDMF)で150リンギット、約4,500円だから、日本時代のA寝台個室、寝台料金だけで1万数千円払っていた(乗ったことはないんですけど。。。これに運賃と特急料金がかかっていた)のに比べれば、相当安いですよね。折角だから一回は乗ってみましょ、ということで、今回はこれにしてみました。
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JBセントラル発西鹿児島行き。他にも京都行き、大阪行きなど…

今日のこの18列車、B寝台はほぼ全ての下段寝台が使われており、上段まで使っているグループもありましたが、料金がほぼ倍額となるA寝台個室は乗客は落花生。一人のみ。時折趣味で乗って来る日本人がいるようで、この日も一人写真を撮りまくっている方がいらっしゃった。

さて朝は途中のKuala Lipisあたりで目が覚めたのですが、列車は先行の普通列車の追い越しや対向列車との待ち合わせなどで若干ずつ遅れを貯めながら、各駅で少しずつ乗客を降ろしながら北上。車窓は、なんとなくスマトラのメダンから南下する列車の風景に似てるなあ。パーム椰子のプランテーションが一面に広がり、かと思うと時々大きな岩がそびえ立っていたり。
この列車で一つ残念なのは食堂車が連結されておらず、車内販売もスナック菓子と飲物(イスラムなのでビールはなし)の販売があるだけ。あ、でも朝、途中のDabong駅だったかで、車内サービス係員が駅前の食堂から買い込んで来た食事とお茶の販売がありました。
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駅前食堂から買い込んできた朝ご飯。甘いお茶とあわせて5リンギット(約130円)

そして最後の大きな街、コタバル郊外のワカバルで殆どの乗客が下車、終点トゥンパットには1時間弱ほどの遅れで無事に到着。駅構内の車庫には、もう一編成と思しきブルートレインが留置されているのが見えました。ここからタイに抜ければ、タイ側南部本線でも中古で輸出されたブルートレイン車輛を用いた列車が走っていた筈。ブルートレインを乗り継いでのマレー半島縦断の旅、イイねえ~♪
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終点トゥンパット到着。コタバルに戻る普通列車が14時にあるし、街まで歩けばバスもあります。

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