« 2012年11月 | トップページ | 2013年1月 »

2012年12月31日 (月)

早起きは三文の…@ジャカルタにて。

さあいよいよ今年も終わりです。
そういえば一つ書いてなかったな、先日ジャカルタに行った時の早起きは三文の活動。

折角の久々のジャカルタなので、6時に早起きしてちょっとマンガライを覗いてみた。
チキニに住んでた頃は毎日だって出来たことだけれど、今はこういう機会が貴重になってしまっている。

目的はいつもの屋根まで満員列車なんだけれど、この日は全くと言っていいほど見掛けなかったのは意外。ドア開けっ放しのEkonomiは勿論、ACコミューターも一部のドアを閉め切れずに開けたまま走っている位の混雑ぶりなんだけれど、マンガライ到着直前のエコノミ列車にも屋根上乗車は全く見られなかった。今日は取り締まりでもあったのかな?
Mrikmp1050679
マンガライ駅の留置線で、到着した夜行列車の食堂車から食材を下ろしてトロッコで運び出し。。。(^-^) 昔、日本食堂でアルバイトしていた時に似たようなことしてたなぁ(笑)

 今日は留置線裏の車庫側も興味を魅かれるようなものは置かれておらず、仕方ないのでマンガライ~タナアバン間のピストン輸送に従事中の都営6000系でタナアバンへ移動。駅から線路沿いに北側に少し歩き、タナアバンのデポ(機関区)を覗いてみる。
こちらにはC300型という1957年製の古い小型ディーゼル機が休車状態で留置されているというので、アドミの事務所で見学許可をいただいてから、先日のバンドゥンのデポとは大分違う雑然とした雰囲気の小さな機関区の裏手に回り込んでみると、やあありました。3両の色褪せたC300型。留置線には相当草も生え、運転室内は荒れ放題。まあこりゃあ復帰する可能性はないなぁ。

というわけで、朝からちょいと楽しませて貰いました。
次ジャカルタ来るのはいつかなあ。
C300p1050751
タナアバン機関区の裏手で休車状態のC300型DL3両。こりゃあこのまま廃車だね。

そんなこんなで、今年も一年こんな感じで終わりました。相変わらずでしたね。
それでもこのBlogや、最近始めたFBなどを通じて多くの方々とお知り合いになれた一年でもありました。
お世話になりました皆様、ありがとうございました。
まだ来年もスラバヤ生活は続くようです。引き続き宜しくお願いいたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月30日 (日)

マラン市内いろいろ寄道。

マランの続き。今日あと行かなきゃならないのは事務所のスタッフ慰安旅行の下見だけなので、まだ時間があるんでせっかくなので幾つか寄り道してみる。

先ずは、市内南方にあるマラン・コタ・ラマ駅。「旧市街(Kota Lama)」の名がつけられているところ、1879年営業開始と、現在のマランの中央駅であるマラン駅の1941年に比べると随分早くから営業を開始している。その1879年にStaatsspoorwegen(蘭印国鉄)の手によりスラバヤからの鉄道がマランに伸びてきた時の終点はこの駅だった訳だ。
Malangkotalamap1190459
柱が特徴的なマラン・コタ・ラマ駅。天井の明り取り用の二重屋根も下から見ると中々よい雰囲気。

勿論今の駅舎は当時のものではなく、後世に建て直されたものなのだけれど、先日バンドゥンの国鉄本社で貰って来た「Stasiun Kereta Api di Pulau Jawa - Indonesia」によれば、それでも1911年築というからもう100年だ。駅本屋より、ホームの上屋を支える木製の支柱が中々特徴的なデザインです。
ちょうど到着した列車はバニュワンギからのEkonomi列車「Tawang Alun」。30分程の遅れで、時刻表ではマラン発着になっているが、実際は一駅南のコタ・ラマ駅まで足を延ばして来ているらしい。折り返しは14時半発とのこと。
続いて現れたのは隣のマラン13:45始発のジャカルタ・コタ行き特急「Gajayana」。908kmを15時半かけて走る、恐らく現在のインドネシア国鉄の最長距離列車で、ジャカルタ終着は明朝の5時と長丁場。ここマランからはジャカルタまでのフライトも毎日6便もあるんで途中駅からの乗車ニーズ対応がメインかと思いきや、既に各車両数名の乗客が見える。編成中央部には明るいグリーンをベースにしたバティック風塗装の食堂車が連結されているのが見えた。この色合いもありかな?
Gajayanap1190470
マラン・コタ・ラマ駅に到着する「Gajayana」号。この色のバティック食堂車は初めて見ました。

この後少し場所を変えて、マラン駅とコタ・ラマ駅との間の築堤と鉄橋部分でタワン・アルンの折り返しを一枚撮ってから、目指したのはマラン空港。元々軍用飛行場だったのを1994年から民間商用フライトも受け入れるようになり、現在新しいターミナルビルも建設中。正式名称は「Bandar Udara Abdul Rachman Saleh」といって、2,400mの滑走路を持つ。現在、Garuda、Batavia Air、Sriwijaya Airがジャカルタへ毎日計6便、Lion Airの子会社のWings Airがデンパサールへ毎日1便ATR機で飛ばしており、ちょうどこちらが空港に着いて「この空港の発着時刻表をくれ」「そんなものはない、各社で聞いてくれ」などとやり合っているうちに、14:50発、ジャカルタ行きのSriwijaya航空の新塗装機と、14:25発、遅れのデンパサール行きのWings AirのATRが飛び立っていった。これが本日の最終便だけど、14:50発が最終ってのは、あんまり便利じゃないかもね。
Sriwijaya737p1190509
ジャカルタへ向けて出発するSriwijaya AirのB737-300新塗装機。
GA→GO→EasyJet→GA→Citilink→SJと渡って来た不思議な経歴を持つ機体。

ところで、空港へ向かう道の脇に廃線跡があったのはビックリ。空軍基地まで燃料輸送用の鉄道があったらしい…と思いきや、後から調べてみたら、これは、マランの一駅北のBlimbing駅から南東方向のTumpangという街まで鉄道路線が走っていた事があり、その路線の支線らしい。
廃線も沢山そのまま掲載されているPT.KAIの路線図に何も書かれていないところを見ると、私鉄だったのかな…と思って調べてみたら、1901年に「Malang Stomtram Maatschappij(マラン蒸機軌道)」なる会社が開業させた路線のようだ。廃線日時は不明。

最後、また渋滞に巻き込まれながら、パスルアン県Prigenの山の上にあるTaman Safari2という動物園に立ち寄り、帰り間際のマーケティング・スタッフを捕まえて情報収集。今日はもう閉まってるんでもう中には入れなかったけど、まあ来月末の本番の時の楽しみにしときましょう。
Malanghashi1
マラン=コタ・ラマ駅間の鉄橋を渡るバニュワンギ行き普通列車「Tawang Alun」。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月29日 (土)

ブラウィジャヤ博物館にて @マラン。

明日から運ちゃんが田舎に帰るので、今日はクルマでお出掛け年末最終日。
いや別に自分で運転してもいいのだけれど、ここの運転事情と事故を起こした時のリスク(周囲の有象無象に取り囲まれて暴行を受けるなんて話もある。)を考えるとちょっと二の足を踏まざるを得ないもんで。

で、今日は暫く前からもう一度行きたいと思ってた南へ100km程のところにある高原都市マランへ行ってきました。途中までは高速もあるし、空いていれば1時間半ほどで行くのだけれど、9時頃ノンビリと出発した今日は途中パンダアンを過ぎたあたりからから大混雑。このスラバヤ=マラン街道、とっても交通量が多く、マランの手前十数キロは昼間はいつも渋滞している印象。ちょっとバイパスか高速道路の1本くらい必要だろう。
こちらは携帯弄ったり寝ててもいいのだけれど、運ちゃんは大変だ。結局目的地のマラン市内のブラウィジャヤ博物館についたのは12時半を回っていた。3時間半ってのはちょっと新記録的に時間かかったかも。バンギルを大廻りする列車の各停だって3時間あれば行くのに。

閉館時間が13時(土曜日)ということで途中ハラハラしたのだけれど、何とか間に合ってヤレヤレのそのブラウィジャヤ博物館(Museum Brawijaya)、手元の「地球の歩き方」には「軍事博物館」と書かれているが、実態はそのとおりで、対オランダ独立戦争時代の武器や関連資料が展示してあるのがメインで、今日も社会科見学と思しき小学生が沢山訪れていた。一回りした後屋台でコーヒー飲みながら先生と話してみたら、シドアルジョからやって来た小学校4,5年生たちとのこと。熱心に展示物の説明をメモする子供がいるかと思いきや、携帯で写真撮って後で見ればいいや、という要領のいい今時の子供たちもいるようだ。
Gerbongmautp1190434_2
「Gerbong Maut」 この貨車の中で多くの独立の闘士が命を落としたそうです。合掌…
それはそれとして、デッキの手すりのデザインが、先日の「Gerbong Air」のとよく似てますね。

お目当ては、中庭に展示されていた古い二軸の小型貨車である。「Gerbong Maut(死の貨車)」と名付けられたこの車両、説明によれば、「1947年11月23日、ボンドウォソ(東ジャワ州東部)の刑務所からスラバヤのブブタン収容所へと送られるインドネシア人捕虜を運んだ3両の貨車のうちの一両である。輸送中は扉を閉め、鍵をかけたため、劣悪な環境下で死者46名、重体11名、病人31名を出し、健康な状態で到着したのは12名に過ぎなかった」と。ここにも鉄道を巻き込む悲劇の歴史がありました。オランダ人には捕虜の取扱いや従軍慰安婦等に関して日本政府に対して抗議を続けている人たちがいますが、このようなインドネシア人に対する行為については謝罪や賠償をしたことはないそうです。

その日本人、日本軍人に関する展示物もこの博物館に結構ありました。終戦後、日本施政時代にインドネシア人と結婚した等の事情から戦争が終わっても帰国せず、インドネシアに残って独立戦争の支援をした所謂残留日本兵(当地ではPETAと呼ばれます)といわれる人たちがいましたが、独立戦争の英雄スディルマン将軍が日本兵を閲兵している場面を描いた絵や、「クデリ州」なんて日本時代の地形図などなど(今の当地の地図より見易い印象!)。
その白眉が博物館の正面に展示された1台の小さな戦車。これは旧日本陸軍の97式中戦車(チハ。皇紀2597年に正式採用されたため。)って奴です。キチンと屋根をかけて貰い、なかなか良い状態で保存されているように見受けられました。しかし、この暑いインドネシアで、(当然ですが)冷房もない鉄板で覆われた戦車の中で戦うというのも相当シンドかったでしょうなぁ。。。
Chihap1190441_2
97式中戦車。マランには旧陸軍の精鋭部隊が駐屯していたそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月28日 (金)

やれば出来るインドネシア人も@海軍の式典にて。

今日は珍しくお仕事のお話。
アフリカや東ティモール在勤の頃と違って、今の仕事はアドミというか、事務仕事が中心で、外に出掛けていく仕事は上司や各担当が直接やってしまうので、何となく消化不良気味。
なのだが、今日は上司が一時帰国中ということで、久々に代理でお出掛け・・・したのは海軍の式典。スラバヤで軍関係の施設入るの初めてなんで、なんとなくテンション上がる。事務所のクルマで市内北部のウジュン地区にある港のエリアに入っていくと、あちこちの交差点やロータリーに海軍のスタッフがたち、そこかしこに「☆」を2つも3つ4つ!もつけた高級車が先導車をつけて軍の敷地内に入っていく。「☆☆」で既に少将だった筈で、今日は相当のお偉いさんが集まる行事らしい。
Semampir2012122702411
新型のコルベット艦の前を閲兵する新艦隊司令。

会場について桟橋側に出てみると、正面は3,000t級のフリゲート艦「Oswald Siahaan」。オランダ海軍から譲り受けた50年以上前の古い中古艦が、左右に2006年に就役したばかりの新型のステルス・スタイルのコルベット艦「Diponegoro」(1,700t)ら2隻を従え停泊中。このスラバヤを母港とするインドネシア海軍東部艦隊の旗艦なのかな?

この手の式典は、延々待たされ、大体偉い人の到着を待って漸く始まって・・・というのが常なのだけれど、そこは軍隊、時間どおりにキチッと始まり、沢山の行事が次から次へと待つ間もなく進められ、全く飽きることがなかったのは驚き。
今回のメインイベントの、艦隊司令の交替式に引き続いては、新指令による閲兵式、特殊部隊の訓練デモンストレーション、最後は海軍も持っている車輛(通常の車輛からキャタピラー式の兵員輸送車、装甲車、上陸用舟艇からセグウェイ(笑)も含む)のパレードと、中々楽しめました。
やれば出来るんじゃん、インドネシア人。(なんだこの上から目線) いや、いつもこんな風に時間どおりに、秩序ある行動が出来れば、大分違うこと、色々あると思うんだけどなぁ。。。

Sharyo2012122702433
好きな人は好きですよねー。こういう奴。
しかし兵隊さん達の動きのキビキビしてる事と言ったら!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月27日 (木)

夜の運び出し作業☆

午後、国鉄PT.KAIのHeritage Railway部門に勤める友人からSMSが入り、今晩古い貨車の積み出しをやるから見に来ないかと誘われた。最近同部門では全国の車輛区や工場の片隅に保存(放置を含む)されていた古い車両や設備をアンバラワの鉄道博物館で保存するためにかき集めており、ここスラバヤのSidotopoからも、1両だけ残っていたマドゥーラ鉄道の客車が運ばれていったりしていた。
まだ何かあったっけ?と聞くと、戦後間もない、まだ地方で水道が整備されていなかった時期に、各駅で必要な水を運ぶために使われていた、何と呼ぼうか、給水車というか、運水車と呼ぶか、インドネシア語では「Gerbong Air」を今晩アンバラワに向けて運び出すのだそうだ。
Gerbongair2012122602373
小型DLに押されて踏切に進入…

豪雨でアパートの前の道が冠水して渋滞しているというので、これ幸い?とタクシーで市内北東部、既に何度目かのシドトポ駅に向かい、担当助役に挨拶して話をしてみると、もう間もなく出発するよー、乗ってく? と係員にくっついて操車場の中に入って行くと、旧塗装のD301-33という、こちらも古いロッド式DLと一緒の黒光りする見慣れぬ貨車が1両。
線路の上を走れるのだから、このままスマランあたりまで走らせていくかと思いきや、問題は連結器。この貨車は自動連結器ではない、バッファー付きの古い連結器の為、普通の機関車で牽引する事は出来ないのだという。なので、ここから500mほど南の大通りの踏切までこのDLで押していって、そこでフォークリフトでトレーラーに積み替えるのだとか。
Gerbongair2012122602377
フォークリフトで貨車を線路から持ち上げ…  デッキの手すりのデザインが特徴的ですね。

予定時刻の20時を30分ほど回った頃、「乗れ乗れ」と言われて貨車のデッキに乗り込むと、ホントにこのDLで後ろから押しだした。前照灯なんかないから、前を照らすのはスタッフの懐中電灯。ゆっくりゆっくり走り、踏切につく直前で一旦停止し、ここで下車。
踏切の周りには2台のフォークリフトと、大勢の警察官と国鉄PT.KAI、運送業者に加え、地元の鉄道ファンと思しき大きなカメラを持った若者も集まり始めている。どこから情報仕入れるんだか。
暫くの後、トレーラーが到着して準備が整い、2.5車線×上下車線あるうちの片側を閉鎖して作業、もう片方を車両通行用に開けておくとのことだったが、いざ始まってみると、予定変更。
遮断機を下げて片側車線を閉め、そこに貨車を停車させると2台のフォークリフトが貨車に取り付き、持ちあげ、バックして一旦線路と直角(道路の車線と並行)に停車し(これで約1.5車線を塞ぐ)、一旦作業中に溜まった交通を空けた1車線を使って通過させ、もう一度踏切を閉じてトレーラーをその1車線に入れ、フォークリフトが唸りだして貨車をトレーラーの上に載せる。
後は多少の位置修正の後、車止めを差し込んで、紐と鎖で貨車を固定し、お終い。結構あっという間の、迅速な作業っぷリでした。
Gerbongair2012122602394
トレーラーに積み込んで、縛りつければ、出発準備完了ー!

ここからアンバラワまでは、南本線に沿った国道を通って約350km。明日の昼頃には到着の予定だとか。
急に誘われたんでカメラを持っておらず、携帯カメラでの撮影なんで見にくくてゴメンなさい。
でもとっても面白い夜を過ごすことが出来ました。こういった保存活動、鉄道車両を文化財として扱い、それなりのお金をかけるPT.KAIを高く評価したいと思います。またアンバラワでまた会おうね♪

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月23日 (日)

Jadwal KA 鉄道アプリを試してみる。

そんな訳で、今回買ってしまった初Andorid携帯、その最も強い背中押しとなってしまったのがこのアプリ「Jadwal KA」、早速インストールして色々試してみているのですが、取り敢えずの基本機能は、主要駅から出発する各列車の時刻、途中の主要停車駅の時刻、各クラス毎の運賃等を簡単に検索する事ができ、なんといってよいのか、普通に旅行計画をたてる分には相当便利かもしれません。

全てインドネシア語表記という事もあり、まだ全部を使いこなしてみている訳ではないのですが、機能的には切符の予約、銀行のネットバンキングと連動して支払いも出来るらしい。他にはネット上の鉄道関連のニュース、趣味のフォーラムの記事閲覧、SNS機能など、インドネシア人が好きそうな機能も色々。徐々に試していってみますかね。

というわけで、画面はこんな感じです。(初めてAndroidの画面キャプチャー機能を試してみました♪)

Screenshot_20121225162445_4
初期画面はこんな感じ。列車検索は「Jadwal」から。

Screenshot_20121225162515
ジャワ島優等、ジャワ島Ekonomi、スマトラ島のいずれかを選び、調べたい駅を選択する。

Screenshot_20121225162559
上り下り含めて、その駅から出発する列車の一覧が示されるので、調べたい列車を選ぶと、

Screenshot_20121225162613
始発から終点までの主要駅の時刻と、「Tarif」タブからは各クラスの運賃(Ekonomi-ACを含む)が検索できる。

残念なのは、Ekonomi列車のうち、近郊のローカル列車は全く検索できないという事。長距離列車しか出てこないし、長距離列車も全停車駅ではなく、主要停車駅の時刻が出てくるのみ。
あと重要なのは、どの程度のアップデートがなされるかということですが、例えばジャカルタ近郊スルポン・ランカス方面で運転を開始している「Kalimaya」なんて新しいのも掲載されてると思いきや、ジョグジャ近郊の「Maguwo Ekspres」や、スラバヤ近郊の「Arjuna Ekspres」なんてのは出てこない。判断基準が今一つよくわからないのだが、全駅と言わないまでも、全列車が検索できるようになれば、相当素晴らしい筈。今後のアップデートに期待したいですね。
現在のところ、無料アプリですが、↑こういった検索が全部できるのならば、お金払って全然構わないですよん、当方♪

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月22日 (土)

マングローブ川下り@スラバヤ市内で。

週末。昨日から上司が休暇で帰国してしまったので、お留守番。スラバヤの近郊にいなきゃならないという事で、ジョグジャやソロ、ジュンブル等に行きたいところは幾つかあるのだけれど、取り敢えず近郊でどうやって過ごそうか… と考え、以前から話には聞いていたのだけれど行った事のなかった、スラバヤ市内のマングローブ公園に行ってみることにしました。
ネットで調べてみても、「誰かに連れて行って貰いました」的な体験記が幾つかあるだけで、実際にどこにあるのかは今一つ判然とせず、市内の地図を見ても海岸部分は白紙だったり、養殖池が描かれているだけだし、Google Earthなんかみてみても、要は木が植わっているだけなので、ポリゴンが書かれていない限り、判るわけがない orz... 
Blog書いてらっしゃる皆さんへお願いです。何か新しい場所を紹介する時は、どこにあるのか、どうやって行ったらいいのか、或いは衛星写真上で「東経…南緯…にあります」ってポイントを示して下さるとか、書いていただければ、次に行く人の参考になりますので宜しくお願いします…

というわけで、今日はウチの運ちゃんに、「ITS(工科大学)より南側の、海の方にあるらしい。」という事務所のスタッフ情報だけを頼りに、クルマを走らせてみた。どこかネットで「スラバヤ市内」と書いてあったのを読んでいたので、恐らくは南のSidoarjo県には入らないうちで、先ずは市街地の東をスラマドゥ大橋からGalaxy Malの前を通って空港方面に向かう(まだ空港高速までは繋がっていない)、新しい大通りを南下。
なんとなく携帯のGoogle Mapと手元の地図を見比べながら、ルンクットの工業団地の東側あたりで海側に入ってみたりしながら、時折停まってそんな場所がないかと聞いてみたりしながら、それでも1時間程で目的地に辿り着けました。

今回の目的地は正式には、「Dermaga Ekowisata Mangrove Wonorejo Rungkut」と称し、スラバヤ市内南東部のウォノレジョ(Kelurahan Wonorejo)と呼ばれる地域にあります。
件の大通りを市内から南へ下り、Kali Londoという川を渡ってすぐ左折、堤防沿いの道を東へ向かい、段々道が狭くなってクルマの擦れ違いが難しい生活道路になっても更に突き進んでいくと、突然「Ekowisata Mangrove」と、「Grand Semanggi Residence」と大書された看板が現れます。ここから舗装道路を外れて右折し、暫くデコボコ道を走ったところに船着き場と簡易食堂、駐車場などが見つかりました。
随分沢山のバイクが停まってる割には、Rp.25,000の入場券を売る窓口は閑散。どうやらバイクで乗り付けた若者は、船着き場の脇から遊歩道を歩いて散歩していって、その先が友人達でおしゃべりしたり、カップル達の“Tempat Pacaran”になってるそうで。
Mangrovep1190386
入場チケットを買って、この船で川下りします♪

こちらは8人ほど集まった時点で船に乗って川下りに出発。市の環境局長上がりで環境問題に造詣の深いリスマ市長も訪れてオープンしたらしいこのEkowisata、先ずは両岸をマングローブ林に挟まれた川を15分ほど船下りし、その間、野鳥や運が良ければ鰐なども見られるという。この森には猿も飼われているとか。
河口まで出たところでUターンし、河口近くの船着き場に寄せてここで一旦途中下車。ここからはマングローブ林の中に設けられた木製の遊歩道を暫く歩いて海辺まで出ると、警察と国営石油会社プルタミナが設けた観察用の“ガゼボ”と称する展望台があり、ここで休憩してお喋りしたり、お弁当を食べたりできるようになっている。船着場近くにはレストランもあるようだけれど、今日は営業している気配はなし。
残念なのは、遊歩道から両側のマングローブ林を観察できるのだけれど、ここには大量のゴミが溜まっていたこと。おそらく観光客が捨てて行ったゴミではなく、海面の潮の満ち引きの際に、海側から運ばれて来たものと思われる。
なので、ちょっとばかり掃除したところでまた潮が満ち引きすればまたゴミが運ばれて来てしまうのだろう。
市内の川には今も大量のゴミがそのまま投げ捨てられ、海へ流れ出している現状を踏まえれば、そう簡単に解決しないんだろうな。

それでも、マングローブの若木を育てて、荒れた海岸部に植林してみたりという地道な活動が市当局とNGOとの協力で続けられており、僅かな額の入場料ですが、お役にたてれば何より。凄く小さな規模で、わざわざここを目指してくるようなところではないけれど、カリマンタンとか遠くまで行かなくても、近くでプチ自然体験が出来るのもいいですね。
Mangrovep1190402
マングローブの中に作られた、遊歩道を歩いて。下は残念ながらゴミだらけ…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月20日 (木)

新型アンコッ導入@スラバヤ。

17日付の当地紙Jawa Pos報道によれば、スラバヤ市当局は、現在市内で約5,000台が営業している軽ワゴン車改造のミニバス「アンコッ(Angkot)」(当地では普通「ベモ」と呼ばれるが、何故か紙面ではこの言葉を使用している)について、刷新を図る計画を打ち出した由。
初年度には、140億ルピア(約1,4億円)を投じ、8台の新型でより大型のマイクロバスタイプの車輌を導入。今般導入されるマイクロバスは、現在のアンコッが整備不良から公害の要因となっている現状を踏まえ、排出ガスの少ない低公害車とし、また車椅子での乗降が可能となっている趣。
そして、従来このアンコッという交通機関は、乗客の求めに応じてルート上のどこでも乗り降りできたのが、約1kmの間隔で設けられる停留所でのみ乗降が可能とし(ているため、しばしば渋滞の要因となっている)、また、運転手や車掌が車輌をオーナーから借りて運転し、レンタル料を払った残りを収入とするシステムであるため、一定の数の乗客が集まると発車する(集まるまで発車しない)という乗客側としては若干ストレスを感じる運行体制だったのを、10分間隔で運転するという、先進国のバスに近い運行体系となる模様。

まあこうなってくると、最早アンコッ/ベモではなく、普通の路線バスなわけで、我々外国人にとっては利用し易い交通機関にはなるのだけれど、どこでも手を挙げれば乗れて、車内で屋根を叩けば下ろしてくれる、曖昧な便利さに慣れたここの人たちにとっては不便に感じて直ちに受け入れられなかったりするんじゃないだろうか。
まあジャカルタも、なんやかんや言いながら、Trans Jakartaみたいなシステムがすっかり定着してきたので、当地でも場合によっては上手くいくかもしれないが、トランスジャカルタの場合は、運転手/車掌が普通の給与制度の下で雇用されているから、少しでも多く稼ぐために(客を待たせて)出発時間を調整したり、儲からない区間の運転を勝手に打ち切ったりとかいった問題を起こそうというインセンティブに繋がらないからよいのであって、上述のような個人営業システムを続けるのであれば、いずれ今のアンコッと大して変わらない状態に戻ってしまうであろうことは想像に難くないわけです。そのあたりがこの報道では全く触れられていませんが。

まあ、5,000台のうち8台ですから、当面大きく変わるというわけではなさそうですが、取り敢えず導入を楽しみに待ってみることにしましょうか。
Angkotbaru1
現在のアンコッ(右)と新規導入車両(左)。もはや別モンですなぁ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月17日 (月)

Androidに落城。。。 (^-^)

1カ月ほど前から久々に物欲大魔王が降臨。
ジャカルタお友達のパクアン急行さまのBlogのトップページで紹介されていた、Android用の「Jadwal KA」なるアプリ、インドネシア国鉄PT.KAIの各列車の時刻が途中の主な停車駅とともに検索できる、しかもEksektifやBisnisといった優等列車のみならず、3等Ekonomiのみの長距離快速列車も検索できる(流石に近郊区間のコミューター列車までは無理のよう)という中々の優れモノ、で、無料。
最近ではPCでAndroidアプリを動かす事が出来るエミュレーターなるソフトがあって、職場の同僚N宮さんのiPadには簡単にインストールで来てその実力を垣間見る事が出来たのだけれど、落花生。の母艦東芝DynabookSSはRX1T8Eという、既に5年ほど前の旧型機種で、エミュレーターをインストールしようとしても、エラーが出てインストールできなかった。
他方で、職場のSIMを入れて使っている携帯電話、NOKIAの古い、カメラもなければ日本語入力もできない、画面3cm×2cm位の、こんなの今時何処で売ってるんだろう?っていうダメダメ機。他の方々とのSMSのやり取りでは「日本語入力できないんですか?」などと半分バカにしたような憐れんだような反応を受けていた。しかも打ちこみ凄く面倒くさい。直観的操作が出来ないというんだろうか。Xperiatipo_sony3

で、思い切ってAndroidスマートフォンを(勿論私費で)買ってみる事にしました。iPhoneもタッチパネル操作があまり好きでないため買ってなかったし、インドネシアでは友達づきあいはBlackBerryが中心だった。
今回買ったのはSIMカード2枚差しで、1枚は通話用に職場の公用SIMを、もう1枚はデータ通信用に当地到着後のホテル滞在期間に買ったポケットWifi機に刺さっていた「3(Tri)」のSIMを指して、これで公私混同はない筈。

数日前の新聞広告で、目をつけていた、当地では10月に発売になったばかりのSonyのXperia、Tipo DualがRp.160万からRp.150万に値下がりになったのに背中を押され、昨日日曜日の夕方、市内の携帯電話系のショップが多数入っているスラバヤプラザ裏のWTCモールに出掛け、数日前に話をしたUlfiaさんのお店を訪ね、自分へのクリスマスプレゼントとかなんとか言いながら、いよいよ購入。してみたら、キャンペーンでルーレットを回したらRp.10万のキャッシュバックがあたり、更にお得になっちゃいました (^-^)

通常スマートフォンって当地でも4~7jutaはするので、このTipo Dual、明らかに廉価版なんだけれど、そのJadwalKAを含め、必要最低限のアプリを使うには取り敢えず何の問題もなし。常に身につけてなければいけない公用携帯だから、あまり大きい画面のを買って持ち歩き出来なくなっても困る。今メイン機のBlackBerry Bold9780と比べて、一回り小さく、Baju(プラスチックのカバー)を被せたBBよりもちょっとだけ薄い。なので、腰のフォルダーにつけっぱなしにしてても全然違和感なく、サイズ面でも問題なし。
取り敢えず今日職場で(ヲタというより最早プロの)N宮さんに手伝って貰ってGoogleの日本語入力アプリもインストールし、さあ暫くはこれで楽しんでみるかな♪♪
Xperiatipo1
箱の中にはこれだけ。包装の簡易化はまあいいでしょう。一番右のがこれまでのNOKIA機。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年12月15日 (土)

戴きものの御本。

今週もようやくおしまい。慌ただしい出張や、400人規模の大規模レセプションや、重みは大分違うけれど館内の忘年会のアレンジとか、取り敢えずなんとか無事終了し、あとは年末まで深刻な案件はない・・・筈・・・と祈りたい。という訳で、今日は先日バンドゥンの国鉄PT.KAI本社訪問時に戴いてきた本の御紹介を。
時間がなくてパラパラとめくっただけだったのだけれど、今日になってようやくゆっくり眺める時間が出来、期待どおりなかなか立派なものだった。
3books1

戴いた本のウチ、豪華装丁の写真集(画集)が3冊。
1.Stasiun Kereta Api di Pulau Jawa - Indonesia (インドネシア、ジャワ島の鉄道駅)
2.Bangunan Kereta Api Bersejarah (歴史的な鉄道駅の建物)
3.Lawang Sewu in Water Color (水彩画のラワン・セウ)

1.と2.はいずれもジャワ島にある、おもにオランダ時代に建築された古い鉄道駅舎の写真集で、1.はPT.KAIとトリサクティ大学の共同出版で、初版は2010年。ジャカルタのタンジュン・プリオクからスラバヤのグブン駅、東ジャワ東部のジュンブル駅までジャワ島内の21駅を取り上げ、先日訪問した中部ジャワスマラン近くのタングン・クドゥンジャティ両駅も含め、駅舎の外観夜景や室内の高い天井、改札口のようなパーツまで、それぞれの建物の特長を強調したイメージ写真が並び、眺めているだけでうっとりしてくる。
Stasiun3
「Stasiun Kereta Api di Pulau Jawa - Indonesia」

2.は2012年発行。西ジャワのセラン駅から中部ジャワのグンドゥ駅まで、中にはアンバラワ保存鉄道のアンバラワ・トゥンタン両駅を含め、24駅を取り上げているが、スマラン近くのブルンブン駅が地図上東ジャワ州にあるように書かれているのが勿体ない誤植。こちらは駅舎内外のみならず駅構内の信号施設や給水塔、機関庫など、駅舎以外の建物も多く含まれている。
いずれもISBN番号は取得しているものの、価格は書かれておらず、書店に並んで売られているのも見た事がないので、自家本なのか、関係者への配布用として作られた物なのだろうか。Bersejalah3_2
「Bangunan Kereta Api Bersejalah」

3.は、2回りほど小さいサイズの水彩画集で、先日訪問したスマランの旧蘭印鉄道本社ビルである「Lawang Sewu」の建物のあちこちや補修作業の様子を描いたもの。一部開業当時の写真や図面の写しも掲載されており、紙質の選択も含めそのインドネシア製とは思えない(失礼!)お洒落な装丁に、一枚一枚机の上に並べて飾りたくなるような素敵な作りの本でした。
Lawangsewu3
「Lawang Sewu in Water Color」

他に一緒に戴いたのは、会社要覧や統計、貨物運送要覧、距程を含む路線図といった類の、印刷物としては簡易なあまり色気のないものだけれど、資料的価値は相当ありそうなものが数冊。普通に書店では手に入らない貴重なものを沢山頂戴したPT.KAIの関係者の皆様ありがとうございました。
年末年始暇だし、どこか近くのリゾートでも行って、ノンビリ眺めながら過ごすかな(若干変態チックだなぁ)。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年12月10日 (月)

慌ただしいジャカルタ出張。

今朝は職場に一旦顔を出した後、11:40発のGA313でジャカルタへ1泊2日の出張。今週は大型レセプションなど目白押しの中、2日空けるのは若干抵抗があるのだけれど、仕方ない。

ほぼ定刻にジャカルタ到着後、スカルノ=ハッタ空港でもう一人、メダンからの出張者と落ち合って都心へ向かい、事務所に届けモノをした後、2時間程の会議。

今晩の泊りは元の日航ホテルが身売りされて模様替え中、アコーグループのPullmanホテル。相変わらず部屋は狭いけれど、中々使いやすそうな感じで、コーポレート料金でこの値段ならまあいいかな、という感じでした。一旦部屋を出て戻ると、さっきまでNHKを見てたのが元のホテルの広告のチャンネルに戻っているのは少々鬱陶しいが。

晩御飯は事務所の同僚らとグランド・インドネシアの「かつ盛」にて。大皿のトンカツとエビフライなどをお腹いっぱいいただき、若干の胸やけを覚えてしまいました・・・。
Img2012121102316
そして久々のジャカルタの渋滞。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月 9日 (日)

帰りは一瞬。

今日は昼までにスラバヤに戻らなければならず、朝6時のMerpati航空MZ616便に乗るべく、宿を4時半に出て空港へ向かった。そういえば随分昔、バンドゥン留学中のティモール人の友達と会った翌日も、このフライトでスラバヤ向かったっけな。

朝5時のバンドゥン空港は、「なんでこんなに?」と思うような大勢の乗客。一番多いのは同じく6時過ぎ出発するスラバヤ経由デンパサール行きのLion Air。他にもパレンバン行きのAir Asia等、随分朝早くから沢山の便が飛んでるもんだ。

今日のMZ616便はB737-300。隣のLion AirのB737-900に比べると2世代位前の機体なんだけれど、見た目は殆ど同じ。機内はLCCのLionよりは少しは座席間隔広いかな?あんまり変わらないか。
定刻より10分ほど遅れて搭乗開始。ここはタラップがなくて歩いての搭乗になるので、涼しい高原の朝の空気を感じながら機体へ向かうと、我々の機体の先には中国西安製のMA-60が2機。スマランとジョグジャへ向かう便と思われる。色々ジャワ島内の短距離便も最近増えてるのね。

乗ってしまえばスラバヤまでは僅か1時間10分。昨日は13時間。でもってこっちの方が安いんだからね。

昼からは夕方までお仕事。流石にちょっと眠いね。
Mz616p1050485_2
朝の涼しい空気のバンドゥン空港で、歩いてボーディング。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月 8日 (土)

PT.KAI本社訪問@バンドゥン

バンドゥンにやって来たのは、今回ここに所在する国鉄PT.KAIの本社と関連施設訪問の許可が取れたため。
先ずは朝7時に鉄道史的建造物である、高い天井とステンドグラスのあしらわれた優雅なデザインのバンドゥン駅南口に集合、2台の車に分乗して市内のグラハ・パラヒャンガンに向かう。
Stasiunbandungp1050326
未だ現役の歴史的建造物、バンドゥン駅南口駅舎。最近ではコンビニも入りました。

この建物、元は1927年築、戦後は幹部宿舎として使われた後、国鉄職員の官舎となっていたのを、2009年頃から鉄道史的建造物としてリハビリを行い、現在では給水塔や駅に設置してあった鐘、その他切符の印刷機や日付印刷機などの備品や、古い駅舎の写真や絵などを展示しつつ、会議室施設として部外に貸し出したりしている。スマランのLawang Sewuと並ぶ、国鉄PT.KAIのHeritage Railway部門の大型歴史的建造物リハビリ活動の成果の一つだ。
Grahaparahyanganp1050346
グラハ・パラヒャンガンの室内。綺麗に整備され、展示もセンスがいいですね。

こちらでPT.KAI側からのお土産として、Company Profile的な様々な資料に加え、大判の「ジャワ島の駅舎」写真集等、抱えきれないくらいのお土産を戴いてしまい、大感激。また、案内のPT.KAIの広報担当職員イスティアワン氏や、なぜか一緒についてきた地元の鉄道ファン等と意見交換というか、様々な従来からの疑問をぶつけてみる時間も。

次は市内東方にある、市内に2カ所あるうちの信号関係のPT.KAIの研修施設Balai Pelatihan Sinyal Telekomunikasi dan Listril に案内された。こちらは不勉強な分野で、日本語でもよくわからないものをインドネシア語で説明されてもさっぱりなのだけれど、初中上級あわせて毎年300人が3ヶ月程度の研修を受講しているというこの施設、ODAマークがつけられた機材も綺麗な状態で活用されており、なるほど、である。ちなみに、先般日本のJRからは消滅した腕木式信号機であるが、当地ではまだ全線の7割程度が腕木式とのこと。他方で、閉塞システムに関する実習用の機械も見せて貰ったけれど、タブレットについては(画像検索した)写真を見せても、そのようなものは以前から使われていないとのこと。そうなんだ。
Bpstl_p1050382
信号機やポイント、踏切など様々な施設が並ぶ、BP-STL研修施設の敷地内。

続いて、その東側に連なる旧貨物駅へ移動。こちらは広大な敷地に一部補修用機材が保管されている倉庫があるが、現在は線路も草に埋もれ車輌の出入りはない。草臥れた建物と草生した広大な土地が一種荒れ果てたなかなかの雰囲気を醸し出しており、「あぶない刑事(古っ!)」の横浜の煉瓦倉庫のように、時折映画撮影等に用いられたりしているんだとか。
ここでの収穫はその草生した敷地の奥の奥に見えました。草をかき分け、時折足下を線路や水たまりにすくわれたりしながら辿りついたそこには、3両の廃車体。
といってもうち2両は既に車体は朽ち落ち、台枠と台車しか残っていないが、残る1両は写真や古い映像でしかみたことはないけれど、素性はすぐ判った。これは1970年代に日本の援助で大量の抵抗制御式電車が導入され、近代化される前のジャカルタ首都圏の電鉄区間で使われていたオランダ製の古い電車の廃車体だ。元々の電化は1925年頃の筈だから、その頃に製造・輸入され、1970年代中盤まで使われた後、何らかの経緯でこの地に運ばれてきて、恐らくは電装解除されて倉庫代わりか何かに使われていたのだろう。そこから更に100mほど先の大きな木の下には、更にもう1両。こちらは合造車だったのか、窓配置が若干違う。
いずれに車輌も朽ち果てる寸前といった雰囲気だが、同行のイスティアワン氏によれば、直してカフェかなんかにするなんて話があるらしい。いやいや、これはジャカルタのマンガライのバライ・ヤサにある古い電気機関車、BonBonことWH202型機と同じくらい歴史的価値があるものだよ。取り敢えずちゃんとレストアしてみようよ・・・。
Krllamap1050403
オランダ時代からの古い電車の廃車体。これも貴重な鉄道文化財。是非レストアを。
こちらも。上の車両とは少しスタイルが違ってるね。
Krllamap1050406



Krl28be6fa
当時走っていた電車。即ちこの廃車体の現役当時。
出典:
http://www.kaorinusantara.web.id/forum/showthread.php?t=4100

バンドン駅に戻って昼食の後、引き続いては、Ekonomi AC改造客車を連ねるPATAS(近郊快速列車)の脇を歩いて、駅の西側にある機関車・気動車のメンテナンス・デポを訪問。本当は客車のAC改造なんかもやってのける客車のデポの方も見てみたかったのだが、こちらは許可が下りなかった由。
とはいえ、このバンドゥンのディーゼル・デポ、これまで全国幾つかのデポをのぞかせて貰ったことがあるが、こちらは清潔というか、流石は本社とお膝元という感じで、極めて近代的に運営されている印象だった。
5線ほどの機修用の線路が敷かれた庫内の床はフィルムが貼られ、常に掃除夫がモップをかけて回っているおかげで油汚れ一つない。機関車が出入りする際にはキチンと安全確認の笛が鳴り響き、たまたま検収庫の拡張工事作業中の場所で土木作業をしているの人足は然るべき距離をとって待避させられており、インドネシア的な緩さがあまり感じられない。
Depobdp1050453
驚くほど綺麗なデポの庫内。沢山のDLやDCが整備の真っ最中。

庫内ではCC201、203、CC301といったおなじみのディーゼル機関車が日、月、3,6月といった定期点検を次々と受ける傍らでは、日本車輌製の気動車KD2・MCW302系列がお色直しの真っ最中。白地に青と赤のラインが入った新塗装に塗り替えられている一方、電車改造のKRDEが故障してマディウンのINKAに入院してたのがやっと帰ってきたとやらで、緑色の見慣れぬKRDEが営業再開に向けて動き出しつつあった。
このデポには他にも、巡察車「Rail One」や「Ukur(検測)車」や黄色の救援車など珍しい車輌も何両か。Rail Oneについては、KA Wisataを通じて依頼すればチャーター可能だよ、なんて言われたけれど、本当だろうか。ホントに可能なのならば、旅客営業のない貨物線でも走らせてみようか。
Krdbdp1050439_2
こちらでは日本車輛製DCがお色直しの真っ最中。

その後はバンドゥン駅長との面会、そして最後はバンドゥン駅から少し東へ行ったところにあるPT.KAIの本社を訪問。週末ということで幹部の方々への面会は叶わなかったけれど、当方からの質問事項は追って本社内で決裁をとってメールで回答するといってくれたし、敷地内を一回りし、古い立派な造りの建物を見せて戴くことが出来ました。敷地内には国鉄関係の書物を集めた図書館もあり、平日であれば閲覧も可能とのこと。ほら、また一度見に来ないといかんじゃないか。

週末の訪問ということで結構割り増し手数料を払いましたが、十分それだけの価値はある大人の社会科見学的な一日でした。アレンジしてくれた、職場の後輩Y山くん、この場を借りてあらためて、ありがとう。
Ptkai_honshap1050479
古いSLが展示されたPT.KAI本社入口。何故本社がバンドゥンにあるかについては明確な回答が得られませんでした。。。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年12月 7日 (金)

スラバヤ=バンドゥン「Argo Wilis」号乗車記。

今日は有給を頂いてバンドゥンに行くことにした。明日現地で用事ができたんだけれど、日曜の午後にはどうしてもスラバヤにいなければならなくなったため。であれば明日朝一の飛行機で行ってもまあ間に合うのだけれど、折角なので、スラバヤ=バンドゥン間699kmを12時間以上かけて走破するジャワ島を東西に走破する長距離特急「Argo Wilis」に乗りとおしてみることにしたのでした。
昼間の最長距離特急…という意味では、ジャカルタ・ガンビル=スラバヤ・パサールトゥリ間725kmを走るインドネシア鉄道の看板列車、アルゴ・ブロモ・アングレック号の方が長いのだけれど、こちらは線形が良いため9時間半ほどで走り切ってしまうのに対し、バンドゥン側に山岳地帯越え区間を抱えるアルゴ・ウィリスの方が所要時間は遥かに長い。(因みに夜行列車も含めれば、ジャカルタ=マラン間のガジャヤナ号が最長距離特急となります。)
Argowilisp1050200
スラバヤ・グブン駅で出発を待つ「アルゴ・ウィリス」号バンドゥン行き。

というわけで、折角なのでいつものグブン駅ではなく、朝7時、始発のスラバヤ・コタ駅から5列車「Argo Wilis」号バンドゥン行きにちゃんと乗ってみた。といっても、やはりこの最初の1駅間は回送同様の状況。全車未更新の大窓アルゴ客車を連ねた5両のEksektif車の乗客は僅か2人のみ。15分ほど停車したスラバヤ・グブン駅でようやく3割越え位か、まともな乗車率になって来た。やっぱりこっちが実質的な始発駅だね。発車すると、運転士、助士に始まり乗員名を紹介する念入りな放送があった。

間もなく車内販売や貸し毛布の案内が始まるが、併せて配られたチラシにはリフレクソロジーの案内が。食堂車の荷物室のような一室に安楽椅子をおいて、サービス要員まで乗車させているらしい。また、スーパーマーケットと掛けて「Spoormarket」と称するグッズ販売の冊子も配って歩く商売熱心。残念ながらあまり欲しいものはなく、唯一美味しそうだったクリームスープを買って朝御飯にする。
Relp1050195
立派な車内誌「Rel」もご用意。流石は看板列車は違う?

涼しげな朝もやの中を快走した列車は、ジョンバン(Jombang)で赤青の旧標準塗装の流線形機に引かれたエコノミ列車と交換。元々南スマトラのタンジュン・カラン区に所属していたのが、この秋にジャワ島からスマトラに送られた別の機関車と入れ替えの形でジャワ島にやって来た機関車だ。

9時45分マディウン(Madiun)着。CC20403 引く下りのスラバヤ行き急行サンチャカ(Sancaka)と交換。3両連結した2等車Bisnisはほぼ満席。2等車が減車されている列車が増えつつある中、この列車の2等車は暫くは安泰かな。と思ううちに、構内にソロの紅白レールバスを発見。ウォノギリ支線のスコハルジョから市内の併用軌道区間を経てジョグジャを結ぶコミューター列車に使われている筈だったが、故障運転休止か?心配になります。
Consentp1050248
窓の下には電源プラグが設置されている。時代に合ったサービスを提供してるね。

右手に製糖工場の見えるグネン(Geneng)通過すると雨が降りだしてきた。スコールのような雨が上がってくると、車窓には青々とした田んぼが広がる。三期作の土地柄とはいえ、雨期の始まりの今はやはりこういう田植えの時期なのか。

10時59分、クミリ(Kemiri)という小駅で対向の3等エコノミの快速列車と交換。この駅に限らず当方特急は一線スルーで直進通過していく。北本線のような複線化は遅れているが、こちら南本線でも改良は少しずつ行われている模様だ。
11時4分、ブンガワン・ソロを渡り、ソロ市内へ。雨期のため茶色に濁り、水量も多い。

そして右手にスマラン方面に向かう大デルタ線を見ながらソロ・バラパン着。向かいのホームで発車待ちの紫の日本車輛製KRDはプランバナン・エクスプレス(Prameks)の由だ。先日の脱線事故で車両不足となっているが、列車自体に対する需要は高いため、代替車で運行している訳か。やっぱり普通そうだよなあ。当地では車輛の故障修理や検査期間中は運休している列車が多いが、そっちの方が間違ってると思う。

ソロ・バラパン11時16分発。僅か3分遅れ。立派。 
Krdprameksp1050212_2
脱線事故により車両不足になったPrameksは日本車輛製KRDで代替運転中。

ここからは円借款で複線化工事が完了している区間に入り、Madiun Jaya ACとすれ違い。
11時58分、ジョグジャ空港を左手に見つつ、マグウォ(Magwo)空港駅を通過。数百m先の右手には、鉄道文化財指定されているMagwo旧駅舎が見える。 
12時3分、 ショッピングセンターなど大きな建物が増えてきて、12時6分、ジョグジャカルタ着。駅舎北側の5番ホーム着。ここで更に乗り込み、7割程度の乗車率になった。

かつて80年代、鉄道作家の宮脇俊三氏は日食観測ツアーに参加してこのジョグジャカルタを訪問している。ソロ=ジョグジャ間のローカル列車に乗り、夜中にはジョグジャカルタ駅に入場券を買って入場し、当時はまだ寝台車を連結していた特急「ビマ」を眺めている。その際のエピソードは著書「椰子が笑う 汽車は行く」に書かれているが、こんな南国までわざわざ汽車なんぞに乗りに来ている自分たちを南国の椰子が眺めて笑っている、棒の先に「笑」という字を乗せると、椰子の木そっくりになる、と書かれていたのを思い出した。

12時10分ジョグジャカルタ発。遅れは僅か1分に短縮。立派立派。
Shanaip1050216_2
ゆったりとしたリクライニングシートが並ぶ車内。隣の車両はブラウン色調と各車色違いでした。

ちょっとした峠を越えて平野に下りて来たところがクトアルジョ。右手からは、レールこそ錆び付いてはいるものの、休止中とは思えない立派な保線状態のプルウォレジョ(Purworejo)支線が右から合流してくる。終点のプルウォレジョ駅は鉄道文化財保存対象としてリハビリされ、近い将来の観光列車の運転が計画されているそうだ。

クトアルジョを出て単線、未改良区間に入るとスピードがガクッと落ちた。円借款による改良複線化が決定している区間であり、早急な工事開始を期待。右手には「運輸省鉄道総局所有地」の立て看板があちこちに見られるところ、用地買収は進んでいるようだし。
13時18分、プレンブン(Prembun)駅に運転停車、下り側線に入った。暫くの後、上り線をスルーですれ違った特急は30分ほどの遅れで運転しているらしい、本来クトアルジョで交換する筈のこの列車のペア、下り6列車「アルゴ・ウィリス」号スラバヤ行き。それでも、片方の列車の遅れを受けて迅速に交換駅を変更し、それほど待つ間もなく交換できるのはなかなか優秀。
6wilisp1050244_2
単線区間で対向のスラバヤ行き特急アルゴ・ウィリス号と交換。

13時45分、暫くの信号停車の後、カランガンヤール(Karanganyar)で対向の3等エコノミ列車と交換。遅れのバンドゥン(ルンプヤンガン)=スラバヤ間快速122列車「パスンダン(Pasundan)」が待避線に入るのを待っていたのか。
13時56分、左右に列車を待たせてゴンバン(Gombong)通過。左手には3等Ekonomi列車、右手には2等Bisnis編成。

次のイジョ(Ijo)では、下りの特急を待たせて交換。ジャカルタ発ソロ行きの10列車「アルゴ・ドゥイパンガ(Argo Dwipangga)」だ。

更に続いて14時15分、クムラジェン(Kemrajen)ではEkonomi-AC編成のジョグジャ・ルンプヤンガン行き7016列車「ガジャウォン(Gajawong)」号と交換。このあたり、殆ど各駅で交換する列車密度。やはり複線化は必須で喫緊だ。

チレボン、ジャカルタ方面の本線を分けるクロヤ(Kroya)には交換待ち遅れの影響を引っ張り、14時24分、1番線に到着。直ちにこちらの到着を待ちわびたように隣の2番線から1、2等青胴車の下り急行が発車。バンドゥンからのソロ行き74列車「ロダヤ(Lodaya)」号。14時28分には続いて2番線にやはり青胴編成の下り1、2等急行104列車クトアルジョ行き「サウンガリー・ウタマ(Sawunggalih Utama)」が到着。この列車が31分に先発すると、今度は同時に3番線には下り貨物が到着。すごい綱渡り的な列車捌きだこれは。

国営石油会社プルタミナ(Pertamina)の基地が右手に見えるとマオス(Maos)通過。列車名にもなっている大河スラユ(Surayu)川を渡り次の信号場でチラチャップ(Cilacap)方面への支線を左手に分けると、ここから先は随分と久しぶりに乗車する区間だ。東ティモール在勤中の2003年以来か。 
両側に田んぼが広がり、遠くに山を望む穏やかな田園風景。菅笠をかぶった農夫と椰子の木、所々見かけるマスジッドが日本とは違った雰囲気を醸しだしているが、日本人的には凄く心洗われるというか、ゆったりとした農村風景を眺めながら列車は進んでいく。

左手から合流する筈のパガンダラン方面への廃線跡は確認できなかったが、こちらも古く文化財的価値のある駅舎を持つバンジャール着。デッキに出てみると、ホームでは地元の物売りが様々な食べ物や飲み物などを売る声を上げているのに捕まった。なんとなく小腹も空いて来ていたので、愛想のいいおばちゃん売り子から軽食を購入。ホームには下回りを打診して歩く職員が見え、運転中もこうやって安全点検をしているのを見るとなんとなく心強いね。16時3分バンジャール発、遅れは18分に短縮。

Monourip1050260_2
きざみテンペと豆の和え物にアヤム・ゴレンをつけた定食?6,000ルピア。バンジャール駅で。

16時46分、転勤前にジャカルタから訪問したことのある、鉄道・自動車が上下2段になっているチラホン橋を通過。橋の袂では待ち構えて写真を撮る人有り。ちょっとした観光地になってるようだ。

 

さて、17時を回ればスラバヤからもうそろそろ10時間。なんだかんだ言いつつ若干疲れてきたかな。椰子が笑ってるといった宮脇さんの気持ちが解る。何せ今日の切符代は36万ルピア、明日の帰りのMerpati航空のチケットが297,000ルピアとこっちの方が安いのだから。

右手に長く連なる火山群を眺めながら、17時1分、タシクマラヤ(Tasikmalaya)着。スラバヤ・グブンから一緒だった目の前の家族連れも下車。赤ん坊連れで大荷物だが、ホームが低く下車に大苦労している。中国の車輛とは異なりここインドネシアの優等客車には車両側にステップはないためで、ホームのかさ上げをしていい時期かと思われる。
Tasikmalayap1050287
昔ながらの趣ある主要駅の作りのタシクマラヤに到着。

左手に歴史上しばしば噴火して大きな被害を出して来たガルングン火山を見ながらチアウィ(Ciawi)を過ぎ、チラハユ(Cirahayu)そしてチペウンドゥイ(Cipeundeuy)へ、高原地帯の雄大な景色を右手に望みながら、夕暮れの山をゆっくりと登っていく。オランダ時代に開業した古い路線なのでトンネルもほとんどなく鉄橋も最小限で、線路は等高線に沿って走る印象を受ける。
それでも人工密集のジャワ島では、こんな山奥の猫の額のような土地にも田畑が設けられている。この辺に「Ci~」という地名が多いのは、スンダ語で「水」を示す意味だそう。太古の昔から、人間が生きていくには、耕作するには水が絶対必要だからね。
標高772m、17時16分着予定の山間の小集落、特急が停車するのが不思議なチペウンドゥイにはすっかり涼しくなってきた夕暮れの17時51分着。ここで下りのマラン行き90列車マラバール(Malabar) と交換。現在唯一1、2、3等全てを連結したこの列車、本日はEks2両、食堂電源車に続き、Bis2両、EKo2両、貨物2両でいずれも殆ど満席の高乗車率。向こうはバンドゥン始発出たばかりでそれほど遅れてないだろうに、随分待たせちゃったね。
この駅では、赤ん坊を抱いた母親が物乞い。子供達だけで手を出してくるグループも。本当に貧しい地域なのかもしれないけど、こんな習慣を身に付けさせちゃいけないと思う。
18時発。列車はサミットを越えて下り出したが、日もすっかり暮れ、もう車窓を眺めるのは難しくなったな。
Cipeundeuyp1050305_2
夕暮れの高原の小駅Cipeundeuyを発車。さあバンドゥン迄あと一息。

18時33分チバトゥ(Cibatu)に運転停車。下り2等急行114列車ムティアラ・スラタン(Mutiara Selatan)号スラバヤ行きとスムーズな交換。先方は格上の我が方を差し置き、通過していく。

標高848m、インドネシア最高所にあるネグレグ(Nagreg)駅を通過し坂を一気に駆け下り、チチャレンカ(Cicalengka) 通過。ここからバンドゥンの近郊区間に入る。

 

19時46分のバンドゥン・ドライポートと称する保税扱いもしているらしいコンテナヤード貨物駅のあるゲデバゲ(Gedebage)を通過すると、次第に「街の明かりがとても綺麗ね♪」、になって、19時59分ようやく終点バンドゥン着。列車が停まりきらないうちからポーターさん達が乗り込んで来て、慌ただしく下車。遅れも含めれば13時間、流石に長かったなぁ。
特に陽が暮れてからは退屈でした。インドネシア鉄道の中でも屈指の景色のよい区間をしっかりと眺められる、バンドゥン出発直後の朝のうちにこの景色のいい区間を通れる、逆ルートの方がよかったかもしれないな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月 2日 (日)

おかしいと思います。発券システム。

夕方(ちょっとアンドロイド携帯が気になりだして)ハイテク・モール(市内北部の電気街)からの帰り道、なんとなく訪れたスラバヤ・コタ駅近くの踏切。
ちょうど16:50発、ジャカルタ行きの夜行特急33列車、「ビマ」が出発する時間帯で、踏切の脇の運転指令所の周りには、子供連れの親御さんが「ビマ!」等と叫ぶ子供を並べて出発していく列車をバックに携帯カメラで写真撮ってたりする。この麗しい伝統の夜行列車を線路端で眺めた日々を忘れず、立派な大人(テツ)になるんだよ、君達(??)。
Bima1
スラバヤ・コタ駅を出発する伝統の特急「ビマ」。一度全区間乗車せねば。

さておき、そのビマ号を見送り、普通列車が3本あるのでウォノクロモまで乗って帰るかと思って線路端を歩いて関西私鉄のターミナルみたいな雰囲気のコタ駅に向かうと、ちょうど遅れのブリタール行き「Penataran」が出発していった。当然のことながらここジャカルタ・コタ駅では2割程度の乗車率なのだが、窓口には「本日のプナタラン、ラピー・ドーホ全てHabis(売り切れ)」「17:15KRD Habis」「17:25コミューター Habis」と尽く満席売り切れの表示。平日の夕方ならともかく、週末でもこれかよ。

しかし、今出て行ったプナタランはガラガラだった。スラバヤで下りの客が乗りこむのはスラバヤ・グベン駅か市内南外れのウォノクロモであって、そこまでは満席になる筈がないだろう、と窓口で切符の購入を試みるが、機械を叩きもせずに「満席です」と仰るので、「そんなことはないだろう。グブンやウォノクロモから乗る客だっているんだから、その席はそこまでは空いてる筈だ、事実、今出てった列車だってガラガラだったぞ。」とやり合いに。横では同じようにモジョクルト行きのKRDやポロン行きのコミューターの切符を買いに来た客がすげなく断られて帰って行くが、こちらは負けずにやり取りするうちに、上司と思しき職員が出て来て更に議論に熱が入る。そのうち、「あなたの言わんとすることは判るが、機械で“残席ゼロ”と出ている以上、我々としても売りようがないのだよ。恐らくは先の駅で切符を売る際に、始発(コタ)から終点までという設定で売ってるんだろうな。料金は同じだから、」と。

それはあり得るかもしれない。が、収まりつかない当方は「あなた方の駅側に責任がないのは判った。しかし、空席があり、乗りたい客がいて、民営化されたPT.KAIとしては少しでも収入を増やさなければならない状況下で、みすみす目の前の客を逃している、であるのに切符を売れないというのであれば、現在のシステムがおかしい。そのような苦情はどこに言えばいいのだ?」等と悔し紛れに言ったりしているうちに、先方はグベン駅のDAOP8(第8地方鉄道管理局)の担当部署の連絡先をメモして渡すとともに、もうこの外国人面倒くさい奴だ、と思ったのか、「今、キャンセルが出た」などと言いながら、一枚の切符を出して来た。
17:25発のコミューター、ポロン行き。座席番号「TANPA TMP DUDUK(座る場所なし)」と無座券だ。近郊のコミューター列車はそもそも普段から座席指定なし扱いで、販売数だけ決めて売ってる筈。どうみても今キャンセルが出て、Rp2,000の切符を払い戻しに来た客がいるとは思えないから、なんか機械を操作して無理やり1席捻り出して来たものと思われる。なんだ、出来るんじゃないか。
Tmpdudukp1190379_2
さんざん議論の後に発券された無座の乗車券。近郊列車で販売制限かけなくてもいいぢゃないか、

その切符自体は有り難く頂き、今日もArek Sorokerto用KRDE運行のコミューター列車に乗り込むが、案の定ガラガラ。グベン駅でも乗車は20人程度、次のコミューター駅Ngagelで数人、ウォノクロモでも10人程度が乗っただけで、ウォノクロモ発車時でもまだ座席は半分も埋まっていなかった。これが「Habis」の列車の車内かとは呆れたもんだ。たかだかRp.2,000の切符、念のためにと買うだけ買って、放棄して実際には乗らなかった客が多いのか。この空席分だけで40人×5両分くらいは余計に切符売れた筈で、その分PT.KAIは収入機会を逃してる。200×Rp.2,000で40万ルピア・・・4千円だけど。
「お客様のAman & Nyaman(安全と快適)」の為に中距離列車を全席指定にしたり、コミューター列車の販売数制限をしたりしているみたいだけれど、もう少し実態を考えてやらないと、今年のPT.KAIのエコノミ列車の収入は、大幅減になってると思うぞ。
Wonokromop1190377
ウォノクロモ発車時点での車内状況。なんでこれでHabisで売れないんだ?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月 1日 (土)

休止中の貨物線のその先に… グレシック貨物線。

土曜日の今日は、定年退職するスタッフの記念品の注文に行ったのがあっさり終わってしまったので、そのままクルマを北に向け、パサール・トゥリ~スマランを結ぶ北本線のカダンガン(Kadangan)駅へ向かった。
この駅自体は一日数本の普通列車が停車するだけのなんということはない小駅で、駅前広場もベモの乗り入れもなく、周辺からの集客が全く考慮されていない駅なのだが、この駅から北西のグレシック方面へ一本の貨物線が伸びている。
グレシックは巨大なセメント製造会社がある事で全国的に有名で、ここで製造されたセメントがこの貨物線を通って全国へと運搬されていたのだが、2010年に運搬契約が終了して貨物列車の運転も終了しているとの情報を目にし、確かめに行ってみることにした次第。
Kadanganp1190287
カダンガン駅は、外に出るとすぐにドブ川で、駅名の看板もなく、乗客の乗降を想定していない作り。

カダンガン駅に着いて程なく、列車が来る合図のシグナルが鳴り始め、駅員がホームに出て来たと思ったら、西から猛スピードでスマランからの急行「ラジャワリ」が通過していった。1,2等併結なのだが、2等Bisnis車は、最後尾の貨物車の前の1両だけで、編成の殆どは1等Eksektif車だった。やはり中途半端な存在の非冷房Bisnis車は次第になくなって行くのかな。

駅員と話をしてみると、ここカダンガンとグレシック方面との貨物列車の運行は、やはり情報どおり2010年から運行していないという。残念だが、取り敢えず路線図に乗っている、インドロ(Indro)駅を目指し、クルマを北西に走らせた。
Indrop1190299
インドロ駅は再開に向けた線路補修工事の真っ最中。左なんか、もう現役線レベルの整備状況。

グレシック市内に入って程なく、港の方へと向かう引き込み線にそって辿り着いたインドロ駅は、保線作業の真っ最中だった。
ん、列車運行再開か?? と期待しつつ、副駅長格の駅員氏に話しかけてみると、まさに貨物列車の運転を再開すべく、ほったらかしになっている線路の改良(diperbaiki)作業中だそう。荷主はグレシック・セメントではなく、更に奥にあるペトロキミアという会社で、以前もこの工場で製造した肥料をジャワ島東部各地に運び出しており、こちらも列車の運行はやめていたのだが、今後の同社との契約交渉状況如何では、早ければ来年1月からでも貨物列車の運転再開があり得るとのこと。そりゃあ楽しみだ。

ここで聞き出したもう一つの情報、Wikimapiaの空撮図にはここインドロから西のグレシック・セメントと、その途中から分岐して北西のペトロキミアへの専用線しか書かれていないのだが、以前はこのインドロから真北の「グレシック」駅までの路線があり、旅客営業もしていたという。そういえば、雑誌「Majalah KA」の廃線休止線・廃止休止駅も含めた路線図には確かにカダンガン=インドロ=グレシックという路線が描かれている。このグレシックってのは企業の専用線ではなく、国鉄路線として別に存在したのだな。
Indrogresikp1190320
インドロからグレシック駅へ向かう廃線跡は生活道路に。

折角なので駅員氏にそのグレシック旧駅への行き方を教えて貰うと、港の近く、村(Kelurahan)役場の脇だという。言われた方向へクルマを進めてみると、専用線のガーター橋をくぐって暫く北上した先の住宅街の軒の前に線路跡がはっきりと現れてきた。ドブ川を跨ぐ部分にはガーター橋も残っており、線路はセメントで埋められて生活道路となっている。
その先、グレシック港の入口から更に数百m進んだ先に、グレシック旧駅跡はありました。ホーム側はセメントで埋められて駐車場になっているが、上屋と駅舎への出入口は田舎の駅の雰囲気そのまま。駅舎の発券窓口のあたりは簡易食堂となっており、地元のおじちゃん達と店のおばちゃんに勧められるがままコーヒーを飲みながら暫し当時の話を聞かせて戴く。1970年代初頭まで旅客列車が走っていたんだよね、とのこと。
Gresikp1190305
グレシック駅跡。駅舎は田舎の駅の雰囲気そのまま残ってます。
ホーム側。線路こそ残ってないものの、駅舎以外の何物でもない建物。
Gresikp1190313

帰りはグレシックセメントとペトロキミアへ向かう専用線の廃線、いや一部は復活するのだから今は休止線だな、の跡を辿ってから高速に乗ってスラバヤに帰るが、途中は低速で走るトラックも多く、それなりの渋滞。途中跨いだインドロ=カダンガン間の本線はまっすぐに伸びた立派な高規格路線だ。グレシックは工場の沢山あるスラバヤの衛星都市で通勤・通学需要は豊富な訳だし、両駅間にはスラバヤから北・西方面へ向かう郊外・長距離路線のオソ・ウィラングン・バスターミナルの裏を掠める部分もあるから、駅だって設けられる。まーた、こじつけやがって等と言われるかもしれないけれど、グレシック市内での駅配置や市内バス・ベモ路線との連携を考え、バスターミナルからの乗り継ぎ客を拾って、東方はパサール・トゥリからスラバヤ都心部へ直通させれば、立派な近郊路線として機能し得るんじゃないかなあ。。。
Gresiksemenp1190330
インドロからペトロキミアへの専用線の現状はこんな感じ。復活成るかな…??

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年11月 | トップページ | 2013年1月 »