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2012年12月29日 (土)

ブラウィジャヤ博物館にて @マラン。

明日から運ちゃんが田舎に帰るので、今日はクルマでお出掛け年末最終日。
いや別に自分で運転してもいいのだけれど、ここの運転事情と事故を起こした時のリスク(周囲の有象無象に取り囲まれて暴行を受けるなんて話もある。)を考えるとちょっと二の足を踏まざるを得ないもんで。

で、今日は暫く前からもう一度行きたいと思ってた南へ100km程のところにある高原都市マランへ行ってきました。途中までは高速もあるし、空いていれば1時間半ほどで行くのだけれど、9時頃ノンビリと出発した今日は途中パンダアンを過ぎたあたりからから大混雑。このスラバヤ=マラン街道、とっても交通量が多く、マランの手前十数キロは昼間はいつも渋滞している印象。ちょっとバイパスか高速道路の1本くらい必要だろう。
こちらは携帯弄ったり寝ててもいいのだけれど、運ちゃんは大変だ。結局目的地のマラン市内のブラウィジャヤ博物館についたのは12時半を回っていた。3時間半ってのはちょっと新記録的に時間かかったかも。バンギルを大廻りする列車の各停だって3時間あれば行くのに。

閉館時間が13時(土曜日)ということで途中ハラハラしたのだけれど、何とか間に合ってヤレヤレのそのブラウィジャヤ博物館(Museum Brawijaya)、手元の「地球の歩き方」には「軍事博物館」と書かれているが、実態はそのとおりで、対オランダ独立戦争時代の武器や関連資料が展示してあるのがメインで、今日も社会科見学と思しき小学生が沢山訪れていた。一回りした後屋台でコーヒー飲みながら先生と話してみたら、シドアルジョからやって来た小学校4,5年生たちとのこと。熱心に展示物の説明をメモする子供がいるかと思いきや、携帯で写真撮って後で見ればいいや、という要領のいい今時の子供たちもいるようだ。
Gerbongmautp1190434_2
「Gerbong Maut」 この貨車の中で多くの独立の闘士が命を落としたそうです。合掌…
それはそれとして、デッキの手すりのデザインが、先日の「Gerbong Air」のとよく似てますね。

お目当ては、中庭に展示されていた古い二軸の小型貨車である。「Gerbong Maut(死の貨車)」と名付けられたこの車両、説明によれば、「1947年11月23日、ボンドウォソ(東ジャワ州東部)の刑務所からスラバヤのブブタン収容所へと送られるインドネシア人捕虜を運んだ3両の貨車のうちの一両である。輸送中は扉を閉め、鍵をかけたため、劣悪な環境下で死者46名、重体11名、病人31名を出し、健康な状態で到着したのは12名に過ぎなかった」と。ここにも鉄道を巻き込む悲劇の歴史がありました。オランダ人には捕虜の取扱いや従軍慰安婦等に関して日本政府に対して抗議を続けている人たちがいますが、このようなインドネシア人に対する行為については謝罪や賠償をしたことはないそうです。

その日本人、日本軍人に関する展示物もこの博物館に結構ありました。終戦後、日本施政時代にインドネシア人と結婚した等の事情から戦争が終わっても帰国せず、インドネシアに残って独立戦争の支援をした所謂残留日本兵(当地ではPETAと呼ばれます)といわれる人たちがいましたが、独立戦争の英雄スディルマン将軍が日本兵を閲兵している場面を描いた絵や、「クデリ州」なんて日本時代の地形図などなど(今の当地の地図より見易い印象!)。
その白眉が博物館の正面に展示された1台の小さな戦車。これは旧日本陸軍の97式中戦車(チハ。皇紀2597年に正式採用されたため。)って奴です。キチンと屋根をかけて貰い、なかなか良い状態で保存されているように見受けられました。しかし、この暑いインドネシアで、(当然ですが)冷房もない鉄板で覆われた戦車の中で戦うというのも相当シンドかったでしょうなぁ。。。
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97式中戦車。マランには旧陸軍の精鋭部隊が駐屯していたそうです。

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