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2013年1月24日 (木)

マドゥーラ鉄道の機関庫(デポ)を見に行く。

えっと、今日はムハンマド生誕祭という事で当地はお休みです。
ちょっと先週末の疲れが残っているので、今日はノンビリと自宅で寛いでいるので、こんな時間のエントリーも可能な訳で、月曜の記事の続き、タンジュン・ペラク港からフェリーに乗ってマドゥーラ島のカマル港にやって来ました。今回のお客さんパクアン急行さんがこの区間のフェリーの日本の中古船がお目当てだったのだけれど、往復とも各船、明らかに瀬戸内の島嶼路線辺りで使われてた船っぽいのだけれど、社名・船名を特定できるような材料は見当たらず、残念。そう思うと、あのメラク=バカウニ航路の「阿波丸」は奇跡的だよね。

 今回カマル港では一つ確認したいモノがあったので、同行のパクアン急行さんをつきあわせ、港の前の道を少し歩き、左手の住宅街の中へ分け入って行くと、足元には早速廃線路が現れた。で、100mほど先、突然視界が開け、広場のようなスペースとなり、正面には、
↓これです。

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カマル港の北側に残る、マドゥーラ鉄道の機関庫だった建物。

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現役当時のデポ。建物はそのまんまですね。

これは、マドゥーラ鉄道の機関庫というか、デポの建物・跡地なわけです。
近付いて眺めていると、地元のおばあちゃんが声をかけて来たのでちょっと話をしてみると、1980年代中盤まで蒸気機関車運転の列車が毎日朝夕の2便走っていた事、自分は行商目的でしばしば使っており、列車はいつも混んでおり、マドゥーラ島中部のパメカサン辺りまで片道3時間程だったこと(ここまでは110km以上あるから、そんなに速かったかはちょっと?ですが。)、今は一部が貸間、倉庫、球技施設などとして使われている事、この付近には車輛等は全然残ってないけれど、この建物を見学・調査しに、スラバヤやジャカルタから当局の人が何回か訪れている事、等を聞かせて戴くことが出来ました。

折角なのでネット情報があまりない、このマドゥーラ鉄道の話を書いてみる事にします。

マドゥーラ島は、面積約4,250平方km、4県の行政単位を有する大きな島で、およそ350万人が暮らしています。マドゥーラ人は一般に血気盛んな民族と言われ、時折島内で宗教・宗派対立による暴力事件が発生したりしていますが、概して農業に不向きな土地柄貧しい地域と言われ、東ジャワ州をはじめとする他の地域に出稼ぎに出て行くケースも多く見られます(シトゥボンドなど、東ジャワのサトウキビ農園では、マドゥーラ出身の労働者をよく見かける)。カラパン・サピと呼ばれる競馬ならぬ競牛競技と独特の絵柄のバティック(ろうけつ染)が全国的に有名で、先般2009年に中国の援助により対岸のスラバヤ市とを結ぶ「スラマドゥ大橋」が開通し、経済の活性化が期待されています。

 そのマドゥーラ島の鉄道は、1898年に蘭印政府の旗振りにより、スラバヤの向かいに位置するここカマル港(Kamal)から島西部の中心地バンカラン(Bangkalan)迄18kmが開通したのを端緒に、1901年までに島東部のスメネップ(Sumenep)にあるカリアンゲット(Kalianget)迄が Madura Stoomtram Maatschappij.(マドゥーラ蒸気軌道会社)により営業を開始しました。
 島内の道路は未整備で、他に公共交通機関もなかった時代、この鉄道は連日満員の乗客と生活物資を運びましたが、中でも重要だったのは、マドゥーラ島の南岸で採取される良質の塩の輸送でした。西端のカマル港からスラバヤへ、東端のカリアンゲット港からはやはり対岸のシトゥボンドへと船が運行し、スメネップを始めこの地域には製塩工場が稼働しており、この地で作られた塩はこのマドゥーラ鉄道と船で島外へと運ばれて行きました。現在、島内の製塩工場は既に操業を停止して久しいですが、南岸のサンパンからスメネップにかけては今も多くの天然塩場があります
 最盛期にはマドゥーラ鉄道は支線も含め総延長224kmの路線を有しましたが、日本統治時代に東側のカリアンゲット=パメカサン間の路線は廃止され、線路は供出されてしまいました。第二次大戦が終結し、独立を果たした後にインドネシア国鉄が引き継いだ路線はパメカサン以西の路線のみで、国鉄PT.KAIの発行する鉄道路線図には未だにこの126kmの区間が記載されているものが多く見られます。

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マドゥーラ島に延びていた鉄道路線図。

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鉄道駅に貼られた路線図には、マドゥーラ島路線(右上)が未だに掲載されているものも多い。

 その後もマドゥーラ鉄道は島民の貴重な足として活躍を続けましたが、モータリゼーションの進展により乗客数・貨物数は減少し、1987年を最後に運転を廃止されてしまいました。
 現在でもカマル港に降り立つと、港のすぐ北側には「国鉄PT.KAI所有地」との看板が立ち、ここに鉄道が存在したことを示していますが、そこからバンカランへ、そして東のサンパン、パメカサン方面へ向かう主要道路をクルマで走ると、道端のあちこちに廃線となった線路や鉄橋がそのまま残っている姿をあちこちで見かけ、またカマル港の北西側には、今回訪問したとおり、廃止後25年を経過した現在でも当時の機関庫がほぼそのままの形で残されており、往時を偲ぶことが出来ます。
 なお、末期にはC26型、C31型といった蒸機が混合列車を牽引していたのですが、残念ながらこれら機関車は保存されてはいないようですが(もしあるようだったら教えてください)、マドゥーラ鉄道で活躍していた客車の唯一の生き残りである「Kereta Sultan」木造客車が、長くスラバヤの機関庫の片隅に保管されていたが、2012年にアンバラワの鉄道博物館へ運ばれて行きました。然るべき整備の後、一般公開されることが期待されています。
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マドゥーラ鉄道の列車。1970年頃だそうです。

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カマル港の埠頭駅で列車を待つ乗客。駅名票には「マドゥーラ蒸気軌道」の文字が見えます。

当時の写真の出典はいずれも: http://madura-area.blogspot.com/2012/03/sejarah-kereta-api-di-madura-beserta.html からです。

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