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2014年1月31日 (金)

マジャパヒット王国のトゥロウラン遺跡へ。

さてまた一回お休みして、今日1月31日は当地は中国正月(イムレック)でお休み、三連休になってます。今回は上司がお出掛けという事だったので、こちらはお留守番。

で、近場でお出掛けすることにしたのは、スラバヤから南西に(飛ばせれば)1時間と少々、モジョクルト市とその周辺。近く事務所の社内旅行(?)でこのあたりに来る事を検討しており、下見がてらドライブにやってきた次第。

それはそれとして、折角このあたりまで来たので前から見てみたかったトゥロウラン(Trowlan)の遺跡群に立ち寄って見ることにしました。
場所はモジョクルトの市外地を大回りして抜けるバイパスを西のジョンバン県に向けて暫く走ったあたり。市政府としては一大観光地なのだからもう少し大々的に宣伝してもよさそうなもんだけれど、まあ一応、走ってると見落とすほどの小さな文字で書かれた看板に従い国道から南側に入ると、広大な池が現れた。このあたり、クラトンと呼ばれており、まあ王宮の敷地内の池だったのだろう。そして少し先には博物館、なのだけれど、休日の午後3時、もう閉館してしまっていました。観光地として、いいのかそれで。

ああ、書き忘れていましたがこのトゥロウラン遺跡。
13~14世紀にかけてこの地域に栄えたマジャパヒット王国の都があったところです。
仏教国だったマランのシンゴサリ王国を滅ぼした後この地に栄え、最盛期の14世紀には西のスマトラ、マレー半島中部、カリマンタン、バリまでを支配する一大国家を築き上げたのですが、15世紀には新興のイスラム国家に押される形で衰退していったとされます。
(この辺は、全く詳しくないので、専門の方にお任せします。)

そんなわけでこちらの遺跡、同じヒンドゥー教遺跡の中部ジャワ・ジョグジャカルタのプランバナン遺跡やバリの寺院に雰囲気は似ているかも知れません。
今回はこのエリアのいくつかの遺跡を訪れてみました。
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↑こちらは水の中に浮かぶチャンディ・ティクス(ネズミ寺院)という変わった名前のもの。沐浴場だったのでしょうね。

↓こちらは国道の北側にある、チャンディ・ブラフ。当然復元されたものですが、レンガがを上手く使って修復し、往時の姿を思い起こさせてくれます。
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これらの寺院は、公式には入場無料となっているようですが、入場者名簿に名前その他を記載すると、必ずといっていいほど寄進を求められます。これがちゃんと遺跡の整備に使われるのであればいいのですが、どうせこの守衛所の皆さんのお小遣いに化けるのかと思うと癪にさわります。悔しいのでRp.4,000~5,000と少額に留めましたが、それでもあっさりニコニコと通してくれるところを見ると、これでもホクホクなのか。うーん。

ちなみに(ちなまなくてもいいですが)、我々的には、マジャパヒットといえば、こちらですかね。ジャカルタとマランを結ぶ長距離エコノミAC準急列車「KA.Majapahit」号。
残念ながらここモジョクルトは通らず、手前のクルトソノからブリタール経由でマランに入って行きます。
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2014年1月30日 (木)

ジャワ島新幹線計画、始動。

今日はアチェ旅行の話は一休み。
今朝の当地邦字紙「じゃかるた新聞」によれば、ジャカルタとバンドゥンとを結ぶ高速鉄道事業、新幹線計画の実現可能性調査が始動した由。援助業界でいうところのフィージビリティ・スタディ(実行可能性調査)という奴ですね。
 
これは先般昨年12月にインドネシア政府からの円借款要請を受けて日本政府・JICAとの間で調査にかかる政府間合意がなされたことを受けて始まったものであり、既に本ブログでも書いていますし、特段ニュース性が高いものではないのだけれど、計画と実現に向けた道筋が公にされたということで、紹介しておこうと思います。
 
本計画の全体像としては、最終的にはジャカルタ=スラバヤ間約700km(強)を結ぶジャワ横断高速鉄道なのだが、今回先行調査、そして建設を目指すジャカルタ=バンドゥン間は、このジャカルタ=スラバヤ間の一部分となるのか(この場合、バンドゥンから先は東北東のチルボンを経由し、スマランそしてスラバヤへ向かう)、ジャカルタからチカンペックを経て真東にスマランを目指す本線とは別途、ジャカルタ=バンドゥンへの支線を実験的に先行運用するのか、は今後調査の過程で定められて行くという認識だったのだが、今回の報道に添えられた地図によれば、既にバンドゥンからチルボンを目指す路線が既定のように描かれている。運用効率や需要喚起という面からは確かにこの方が現実的と思われるけれど、既に決まったかのような誤解を与える報道は宜しくないですね。ちゃんと正確に書いて貰わないと。
 
さておき、今回の報道によれば、ジャカルタ=バンドゥン間の“新幹線”、両都市間のターミナル、ジャカルタ側はドゥク・アタス、バンドゥン側はグデバゲの間約140kmを37分で結び、公示期間は妬く6年間、工事総額は約53兆ルピア(約5千億円)とのこと。
そして面白いことに既に運賃は20万ルピアという金額が設定されているという話で、需要予測や内部収益率などの経済的効率性を判断するためには、一旦運賃額を設定しなければならず、それが表に出たという事なのでしょう。確かに現在、国鉄PT.KAI在来線の特急「アルゴ・パラヒャンガン」の運賃が約10万ルピア強程度ということを考えれば、それはそれで現実的な額とはいえ、今後数年間の物価上昇がどうなるかわからないのに、先に運賃が外に出てしまうと、後でより高額の運賃設定がなされて揉めたりするんじゃないのかなあ。
 
本件新幹線計画に対しては、日本政府は超低利の円借款を供与することを念頭に置き、その条件として一定のコンポーネンツを本邦企業からの調達を義務付けるSTEP案件(本邦技術活用案件)とすると想像される。
土木工事は地元企業とのJVとなり、地元の資材を使うだろうから、日本からの輸入となるのは、車両は信号システムといったものが中心となり、今後日本型の新幹線車両が走ることが期待されるわけですね。益々楽しみです。

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2014年1月29日 (水)

津波被災地、バンダアチェ市内を歩く。

バンダアチェ、勿論知らない方はいないでしょう。

スマトラ北部、アチェ州の州都。かつてはクタ・ラジャと呼ばれていた。
この街を一躍有名にしたのは、2004年12月26日に発生したスマトラ沖大地震と大津波・・・この震災・津波では近隣諸国を含めて23万人ともいわれるが、ここアチェはその中でも死者数約17万人と最大級の甚大な被害を受け、バンダアチェの街は壊滅状態となった。

その後世界各国からの緊急援助、そして復興支援が入り、またこの震災・津波で、このアチェ州の独立を求め、インドネシア政府軍と1970年代以降長年に亘りゲリラ抗争を続けて来ていたGAM(Gerakan Aceh Merdeka、アチェ独立運動)の幹部も大勢死亡して組織抗争が困難となったこともあり、またこれら支援の受け入れ態勢を確立することが先決との現実的判断から政府との間で紛争終結に至ったという副産物があった。
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立派な「津波博物館」。 まさか今度津波が起こった際の待避所を念頭に置いている?
ODAマークつきの機材も。日本政府の支援もお役にたってるようですね。
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ホテルにチェックインして荷を解いて一休みの後、そのバンダアチェ市内散策に出てみた。
オジェック… ここのバイクタクシーは、後ろに乗るのではなく、サイドカー・スタイルが主流のようで、メーター・タクシーは殆ど見かけない。
先ず目指したのは市内中心部南方の「Museum Tsunami」こと津波博物館。立派な建物は入館無料。
荷物を預けて館内に入り、一通り見て回ったが、やはり印象的だったのは当時の津波が流れ込み、そして壊滅状態となった街の映像を見せるシアタールームと写真。そして生存者の方が描いたであろう、震災当時の絵。
大勢の観光客はグループではしゃぎながら写真を撮り合ったりしているが、当方はとてもそんな気分にはなれず。自分がこの場に居合わせたら、あるいは震災直後に援助関係者としてこの街に入ったとして、何が出来るだろう、何から手を付けたらいいだろうかと考えると気が遠くなった。
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日本への感謝が記されたモニュメント。「平和よ」そして「ありがとう」。

続いては隣の公園に設けられた、支援各国への謝辞を各国語で書いた記念モニュメントを一回りしたのち、再びバイクタクシーで移動したのはカパル・アプン。震災後の映像でご覧になった方もおられるかもしれない。市街地北西部、ウリリュー港に係留されていた大型ディーゼル発電船「PLTD.Apung」号。長さ63m、能力10MWのこの発電船は津波の際に港から2.4kmほど、市街地のJl.Harapan地区まで流されて来てしまった。
この大型船は今は市内きっての観光地となっており、今日も大勢の観光客が訪れていた。この被災地や紛争跡などを眺める、所謂「ダークツーリズム」というものに対する是非は緒論あると思います。三陸では、骨組みだけになった防災センターや船など、解体するケースが殆どのようだが、当地では観光地化し、売店や土産物店、ガイド、タクシーなど周辺では多くの非正規雇用や経済効果を創出している。筆者としてはどちらが正しいとは断じ得ないし、それぞれの地元の方々の判断だと思います。
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街の中心部近くまで流されてきて、そのまま鎮座した、発電機船。

本日最後は、市内北部ランプロ地区にあるもう一つの船。「Kapal di atas rumah Lampulo」とそのままの名前で名づけられたこの長さ25mほどの漁船、津波により海岸から1kmほどのこの集落まで流されて来たという。船の脇には階段が設けられて船を上から眺められるようになっており、更には腐食を防ぐために屋根も設けようとしているのか、鉄骨が組まれていた。
また、船の前の案内板には、その津波の際、56名の住民がこの船上に避難して難を逃れたという逸話が記されていた。
これらはいずれも市政府の資金で整備さえているようで、入場料金は徴収しないものの、良かったら心づけを置いて行って下さいという事なので、箱の中に少額を寄進し、改めて犠牲者の方々のご冥福をお祈りした次第でした。
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「家の上の船」と名付けられた、流されてきた船。震災のモニュメントとして、観光地化活用しようとしてますね。

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2014年1月28日 (火)

バンダアチェへ向けて走ります。

さて明けて26日朝。

昨晩のうちに電話で頼んでおいた三菱コルトL300ミニバスで7時半にホテルを出発。数人の乗客を拾って、街を出たのはちょうど8時頃。
この乗り物、インドネシアでは一般的にトラフェルとか、地方によっては(乗合)タクシと呼ばれる、一般の大型車を使った路線バスよりは小さなミニバンやミニバスを用いて、都市間を高速で結び、出発地と到着地では自宅まで送迎してくれる類の交通機関なんだけれど、ここでは、他の地域で一般的なキジャン型のミニバン(乗客6人)(最近はジャカルタ近郊では、マイクロバスを使って大型化・積載人数を増やしたり、逆にゆったりとしたシートにしてるものも増えている模様。)ではなく、各社とも1box型の乗客11人が乗れる仕様で、エアコンなし(一部会社はエアコン有)。途中の道端で手を上げる人も空席があれば拾って走り、昨夕帰りに乗ったのもこのバンダアチェ=ロクスマウェ=ランサ路線のミニバスでした。
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このミニバスで突っ走ります。ガソリンスタンドにもムショーラ(お祈り場所)があるのはインドネシアですねぇ。

ロクスマウェの市街地を出て暫くは道沿いに、再開を目指して再建されつつある件の線路がそって走るが、こちら、正式には「廃・休止線」なんだけれど、見た目は「未成線」という雰囲気。
バンダアチェまでは約260km。これ、列車代行バスと言えるかな? 汽車が走っていた当時は、朝出発して夕方着だったというから、随分ノンビリだったのでしょう。
今のミニバスは、一般車やトラックを次々と追い越し、最前列(助手席。2人座れます。)に座っていると頻繁にヒヤリとさせられます。シートベルトないし、1boxの最前列の席なんて、追突したら一溜りもないよねえ。うーん、もう前を見ないで寝ていくのがいいのかなあ・・・
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↑線路も敷かれて今にも列車が走ってきそうな状態の区間。
↓こちらはPC枕木が置かれただけで、工事が中止されている、ロクスマウェ市内区間。

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そんな走りっぷりだったので、途中2階のトイレ休憩を挟み、5時間と少しでバンダアチェ市街地の手前の「L300ターミナル」に到着。そんなのあるのね。
そこで運転士が地元の人に交代し、順番に乗客を自宅や目的地まで運んでくれ、こちらもほどなく市内中心部のスルタン・ホテル迄運ばれました。運賃はRp.75,000。
ああ、肉体的以上に、心が疲れました。やっぱり陸路は汽車旅ですなあ。
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車窓には、他所と変わらぬ平和な農村風景が広がります…

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2014年1月27日 (月)

再開アチェ鉄道に乗る ようやく。

25日土曜日、まだ続きます。

さて列車出発の30分ほど前になり、動きが慌ただしくなってきた。
暇そうにお喋りしていた職員らはよれたTシャツから制服に着替えてくると、流石にキチンとして見える。
駅舎には週末の今日、レジャーとして列車に乗りに来たと思しき若者たちが現れ、1枚1,000ルピアの切符を購入。こちら、国鉄の標準スタイルの切符ではあるのだけれど、印字はされておらず、日付と「KA PERINTIS ACEH(アチェ試験列車)」と記されたスタンプを押しただけのもの。なるほど試験列車、試運転扱いなわけですか。先般の報道が何となく曖昧だったのがわかるような気がする。
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いよいよ入線してきましたが… なんかやっぱりぶつけたことあるんだ。

そして車庫の扉が開けられ、2両編成のKRDI気動車が出庫してきた。
駅の西側でスイッチバックして駅舎前のホームに入線。乗客は、先ほどの若者3人組と家族連れ、全部で10人くらいだろうか。
対する運行側は、駅員3人、運転士と助士、車掌、警備員、掃除係に加えて非番の職員まで現れるなど、こちらも10人以上。

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暇つぶし?に汽車に乗りに来た、地元の若者グループ。女性は皆ジルバブですねー。

発車前に運転室に入れて貰え、列車は定刻に出発! なのだが、出発信号機はなし。聞くと、「いや、ここには信号機はないよ」と平然と仰る。
まあ、全線一閉塞。っていうか、走れる列車は一編成しかないんだから、正面衝突事故なんて起きる訳はないわな。なので中央のブンカー駅と両端の両駅との間で無線連絡すれば済んでしまうのだけれど、問題なのは、踏切も全くなく、列車の直前横断を行うクルマ、バイク、そして放し飼いの動物たちの多いこと。
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運転席に添乗させて貰い、一路東へ。立派な鉄橋(バイク道との併用橋?)ですね。

一度列車がブラインドカーブを曲がった直ぐ先で、まさに横断しようとしているシャコタンのカローラが現れて盛大にホーンを鳴らして急制動・・・ はかけず。
実はこの列車、最高速度が25kmに抑えられており、実際のところ現時点では時速20kmほどしか出していないのである。なので、衝突事故の可能性は殆どないといえるだろうか。なんでもまだ再建したばかりの路盤が安定していないため、こうやってゆっくりと列車を往復させながら路盤を固めていくのだと。
その状態で営業運転して乗客を乗せちゃあイカンと思うのだけれど、まあだから「試運転中」な状態なわけですか。
更には、再建工事がある程度進んで以降(2008年頃には)、数年間放置されていた間に、線路沿いの住宅や道とを結ぶ「私設踏切」が、もう十数mおきに勝手に作られており、あまり高速で通過すると土盛りに乗り上げて脱線の危険すらある。
そして、まだ怖さを感じないのか、列車が近づいても警笛を鳴らしても、動物たちは逃げやしない。
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私設踏切?が多いですねー。
こんな田舎でも立派なモスクが見えるのが、アチェらしいですね。

そんなわけでまずは東の終点、クルン・グクで小休止の後、切符を買い直して折返し、今度はブンカーを経て西の終点クルン・マネへ。今度は乗客は30人ほどだろうか、週末の夕方、夕涼みがてらちょっとお散歩といった感じの家族連れが乗り込み、それなりの乗車率になってきた。

先ほどの線路を戻り、途中のブンカーを出発して以降、右手の車窓には海岸が近づいてきた。このあたり、2004年のスマトラ沖大地震・津波の際にはかなりの被害があったという(200人ほど亡くなったと述べる人もいた)。

そして当座の西の終点、クルン・マネに到着。
これで無事に完乗タイトル回復、スッキリしましたね。笑
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東のクルン・グク駅で、折り返し待機中。

次第に日も陰ってきたので、今日の乗車はこれで終了。関係者の皆さんにお礼を述べてお別れ、10分ほど歩いて国道に出て、ロクスマウェへ向かうミニバスを捕まえる。市内に入ったターミナルまで40分ほど、Rp.10,000でした。

今晩は市内に2つしかない三つ星ホテルの一つ、ホテル・リド泊(Rp.40万)。質は、まあ値段相応。
ところで、このナングロ・アチェ・ダルサラーム州、シャリア法が適用される、厳格なイスラムの強い地域です

ここで一句。
流石アチェ Bintang(星つきホテル)なのに、Bintang(ビール)なし
ちょっと字余り。

少し寂しい夕食時でした・・・。
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最後になっちゃいましたが、アチェ鉄道の切符を。デザイン変更で不要となった古い図柄のものを再利用、ってことかな。

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2014年1月26日 (日)

再開アチェ鉄道に乗る(プロローグ)。

 さて、このロクスマウェまでやって来た目的、空港から(警官の私用)バイクタクシーで北へ向かい国道を越えて更に北の海側まで走ること約15分。
椰子の並木に囲まれた南国の田舎の集落・・・の先に突然現れた「Bungkah」駅。あれ、スペル、これでよかったっけ?

こちら、今回30数年ぶりに復活したアチェ鉄道の運転拠点となる、ブンカー駅。
建て直されて真新しい駅事務所の発券窓口には時刻表が貼られており、予め調べていた情報のとおり、朝と夕方に数本の列車がこの駅から東西側の両駅・・・ クルン・グク駅とクルン・マネ駅とを結んで走っている。料金は片道Rp.1,000と、当地の物価と比べても格安。
駅構内には交換設備の準備工事が行われており、更に対向側ホームの海側には車庫があり、水色に塗られたKRDIディーゼルカー編成が格納されている。
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ノンビリとした昼間のブンカー駅構内。左奥の車庫の中にはディーゼルカーが見える。

程なく駅から線路を挟んだ反対側にある職員宿舎らしき建物から、非番なのか休憩中の職員と思しき男性が現れ、話しかけてきたのを機に、しばしお話を伺うことに。
今回営業運転を再開したのは、ここアチェ南東部のロクスマウェ市西方のブンカー(正しいスペルはBungkaihだが、発音からは「i」が落ちて「ブンカー」となるため、駅舎の看板の標記も間違ったらしい)駅を挟む、東のKrueng Geukue(クルン・グク)と西のKrueng Mane(クルン・マネ)とを結ぶ約11.3kmの区間。

1876年に、当初は現在の州都バンダ・アチェ市内の5kmで750mm軌間の蒸気鉄道として開業したアチェ軌道(Atjeh Tram)は、その後アチェ国営鉄道(Atjeh Staats Spoorwegen)と経営形態を変更・改称し、1919年までに南東隣の北スマトラ州ベシタン(Besitang)まで約450kmが開通、メダン側から伸びてきていたデリ鉄道(Deli Spoorwegen)と接続した。当時、バンダアチェ=メダン間は、途中ロクスマウェでの1泊を経て、2日間がかりのノンビリとした運行だったという。
その後ディーゼル機関車も導入・無煙化される等の近代化も進められたが、モータリゼーションの進展に伴い乗客数は減少、1970年代前半から部分廃止が始まり、1982年にランサ(Langsa)市内区間を最後に全線の運行が停止、残念ながら、事実上の廃止となってしまっている。
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アチェ鉄道の時刻表を載せておきます。鉄道雑誌「Majalah KA」の1月号の時刻表には、少し誤植があるので。

そのアチェ鉄道が、スマトラ島を南北に縦断するスマトラ縦貫鉄道(Trans Sumatra Railway)計画の一環として復活を目指す計画が立ち上げられ、1998年頃から政府予算が割り当てられ、元々の750mm軌間で建設されていた線路は標準軌1,435mmに改軌されて再建工事が開始された。この期間変更は、この計画がフランス政府とSNCFの支援によるものだったことが影響しているものと思われる。
工事自体は先ずこの3駅間のみが完成し、列車の運転が再開された訳だが、それに加え東のロクスマウェ市内付近までは用地の確保(不法占拠住宅等の除去)はほぼ終了、線路、少なくとも枕木の敷設は概ね終了しているという。確かにこの市外の3駅間だけ運行したところで、市内中心部まで入っていく訳ではないので需要は限られている筈で、市街地まで入って行けるようになって初めて、ある程度輸送機関としての機能が期待できるのだろう。
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新たに建て直されたブンカー駅舎。各駅とも同じ雰囲気で、味気ないといえば、そうか。

本日応対してくれた、ここの列車運転の責任者アブリザール氏によれば、全くもってその当方指摘のとおりで、現在この鉄道は営業収支は全く考慮されておらず、今から徐々に鉄道の利便性や単位燃料あたりの輸送効率性について地元住民に認識して貰い、今後開業区間が拡大して以降を見据えて、旅客需要の掘り起こしを目指しているとのこと。
なおこの路線は、アチェ鉄道区間全体を見ているPT.KAIアチェ事務所の管轄ではなく、メダンのDivre1(第一支社)の直轄なのだそう。運転関係の職員はメダンから1ヶ月交替での単身赴任勤務で、2軒の職員住宅で共同生活を営んでいるという。お疲れ様です。

変則3往復となっている列車のうち、午後の列車の運転は15時過ぎから再開ということで、まだ相当時間がある。一旦国道まで出て見つけた食堂で、お昼ご飯に当地名物の麺料理ミー・アチェをいただき一休みの後、再度ブンカー駅へ。
今度は件の職員住宅に招かれて暫く雑談するが、横でお喋りしている地元の男性、こちら「あ、俺?元GAMだよ。」とサラッと仰った。GAMとは、Gerakan Aceh Merdeka、アチェ独立運動といって、早い話独立派ゲリラで、彼も長い間銃をとって国軍とのゲリラ戦闘に従事していたんだという。うっひゃぁ。

そんなわけで、長くなってしまったので、乗車記は明日分に続きます。(引っ張ってスミマセン)
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さあ、発車時間が近づき、2両編成のディーゼルカーが出庫してきました。

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2014年1月25日 (土)

アチェに行ってみることにしました。

今週末、暫く諸般のお仕事の都合上、お出掛けが難しいとの事情もあり、月曜日に一日お休みをいただいてお出掛けしてくることにしました。

今回の行先は、初の訪問となるスマトラ最北端のアチェ州。かつてはナングロ・アチェ・ダルサラーム州と呼ばれていました。アチェといえば2004年末にスマトラ島沖大地震に伴う大津波で、23万人ともいわれる膨大な数の犠牲者を出したところです。以前から一度行かなければならないと思っていたところですが、今回ジャカルタから数えて在勤3年半にしてようやく重い腰を上げた・・・わけです。というには勿論、というか、案の定理由はあるわけで、去年の年末12月頭に、既に30年以上前に運転が取りやめられて放置されていたのが、一部区間で試験運転を再開したというアチェ鉄道に乗ってみるというのが目的なわけなのですが。

スラバヤからアチェに行くには、直行便はないので、先ずは1日1本の直行便がある北スマトラのメダンまで3時間、約2,000kmを一気に飛びます。
この直行便、運行会社は国内最大手のLCC、Lion Airで、都合のいいことにその先、アチェ南部のロクスマウェ迄の乗り継ぎ便もグループ企業のWings Airの運行で、一括して購入することが出来ます。遅れた場合の乗継をあまりケアしてくれないLCCだけど、同じ企業で、乗継便として発券してくれる以上、何とかしてくれるんじゃないかという期待もありますね。

幸いにも本日の早朝便、朝4時に起きてタクシーで空港へ向かい、6時発のJT979便、あまり機数の多くないB737-800NGは、6割ほどの搭乗率で、ほぼ定刻にスラバヤ空港を離陸。同社で大多数を占める新車(?)で導入したB737-900に比べると、若干座席間隔が広い気がするのですが(中古で買ったからかな?)、なにせ3時間という長距離便、ありがたいこと。
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メダン(KNO)→ロクスマウェ(LSW)を週3便結ぶWings AirのATR72型機。

早起きだったのでうつらうつらするうちに、あっという間に朝9時過ぎ、ほぼ定刻にメダンのクアラ・ナム新空港に到着。
乗り継ぎは10:20発のIW1250便、週に3本火木土だけのロクスマウェ行き。Lion Air系列のフィーダー子会社のWings Airの運行で、東南アジアのローカル線では最早主力となった感のあるATR72-500型機はこちらも7割ほどの適度な搭乗率で、20分ほどの遅れで無事離陸。当初は2A席を指定されていたのだけれど、離陸前にCAさんから最前列の1Aに移るように言われ(非常口があるんですね。何かあったら手助けを、ということで。)足元も広くなってラッキー。プロペラ機は巡航高度が少し低いため、山並みや下界の景色を眺めることが出来ていいですね。

40分ほどのフライトで到着したアチェ州南部のロクスマウェ空港は、週に3便、このメダンからのATR機が飛んで来るだけのローカル空港なんですが、以前降り立ったことのある東ジャワ州東部のバニュワンギ空港に比べると、結構立派な造りでした。
なんでもこの定期便に加え、LNG会社が社員専用のフライトを飛ばしているそうで。
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超ローカル空港にしては、なかなか立派な造りのロクスマウェ空港ビル。

さてこのロクスマウェ・マリクス・サレー(Malikus Saleh)空港、着いたはいいのですが、市内へ向かう足が、公共交通機関がないようです。1台だけ停まっていたバスは、LNG会社の社員用だそう。タクシーで市内へは20万ルピアもするようで、さてどうしたものか。

今回最初の目的地は、空港からほど近いブンカー(Bungkaih)と呼ばれるエリア。取り敢えず空港出口の方に向かい、警備の警官に「公共交通機関はないの?」と聞いてみると、バイクの後ろでよければ… ということで2万ルピアで交渉成立。距離的にはその半額くらいかな。勤務中の若い警官が自分のバイクの後ろに乗せてくれ、出発―。
これほど安全な交通機関もない?かな。
さあ本日の活動開始です(つづく)。

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2014年1月24日 (金)

最後の残留日本兵を訪ねて。

このところ暫く、特段興味をひくような鉄道ニュースがなく(ジャカルタの洪水の話は、JABODETABEK電鉄メインの他のサイトさんが十分詳しく書いていますし)、開店休業状態だったんで、今日はちょっとお仕事でのお出掛けのお話。

ここインドネシアには、1942年からの日本の軍政統治が1945年の敗戦で終了し、日本軍が引き揚げた後も、様々な事情により当地に残留、その後インドネシア独立義勇軍に参加し(PETAと呼ばれます。)、対蘭独立戦争を戦った、旧日本兵の方々がいらっしゃいます。
こういった方々は数百人に上り、独立戦争中に命を落とされたり、不遇な扱いを受けた方もいる一方、独立戦争の英雄として叙勲されたり、その後進出してきた日系企業の活動を支援し経済的に成功した方もいらっしゃる等、その後の運命は様々だったようです。

そんな残留日本兵の方で今もご存命な最後の一人、小野盛さんという方が御年数えで95歳になってこの東ジャワ州マラン近くのバトゥという街に家族と共に暮らしておられ、先般も在スラバヤ野村総領事が訪問したというのが「じゃかるた新聞」に載っていたりしました。
そんな今日は、上司からのお使いということでこの方にお会いすることとなり、事務所のクルマでスラバヤから南下すること2時間半ほど、涼しい高原都市バトゥを訪れることとなった次第です。まさにその総領事が訪問した時、TV朝日の取材も同行しており、まさに今日24日の「こんなところに日本人」という番組で放映されるという、ちょうどのタイミングでもありました。
Batup1200265
つい先日も近くまで来ましたね。バトゥの高原地帯の眺め。

普段は日本人との付き合いもあまりないようですが、お会いした小野さん、戦争中に片腕をなくされ、最近では視力も殆ど見えない程度まで落ちてしまい、また足も悪く歩くことも殆どなくなってしまい…と仰りながらも、折角なのでお話を伺わせていただくと、まさに立て板に水のごとく、終戦、独立戦争以降、様々な職業をされてきたお話を色々お伺いさせていただくことが出来ました。
ご本人曰く、ここの人達は日本人より短命なので自分がこの村では最長寿になってしまいましたよーはっはっはー、と。

彼を含めた「残留日本兵」についての本を読んだことはあったのですが、ご本人自ら著された「インドネシア残留日本兵の社会史」という書籍も出版されているそうで。ちょっと探して読んでみたいと思いましたね。
ともあれ、沢山のお子さん、お孫さん、そしておそらくは曾孫さん達にも囲まれ、恩給も貰いながら幸せな余生をおくっておられるようにお見受けしました。
どうかお元気で、長生きしてください。
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壁には軍人時代の写真も飾られていました。元日本兵、小野さんと。

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2014年1月17日 (金)

ソロ・ジュブレス駅、旅客営業廃止?

16日付の当地インターネット報道によれば、ソロの国鉄PT.KAI第6鉄道管理局(DAOPⅥ)は、ソロ市内のエコノミ列車停車駅を市内東部のソロ・ジュブレス(Solo Jebres)駅から西部のプルウォサリ(Purwosari)駅へ変更する方向の由。

このサイトを読もうという人はご存じのとおり、インドネシア国鉄PT.KAIの主要都市の駅は、優等旅客を窃盗等から守るという名目のもと、優等列車用の駅とエコノミ列車用の駅を分けて異なる客層の導線を分離しており、このソロも優等列車用のソロ・バラパン駅とこのソロ・ジュブレス駅に別れている。
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営業廃止になってしまう? エコノミ列車専用にしては立派な造りのソロ・ジュブレス駅。

同局の輸送市場課長シギット・イラワンタ氏によれば、これは管轄区域内の駅の整理統合及び列車運行ルート調整の一環として行われるもので、実施は本年2月(って、もう来月じゃん)を予定、以降、ジュブレス駅は旅客扱いはしない貨物駅となる予定とのこと。その理由としては、ジュブレス駅で下車しても駅前に連絡交通機関もなく降車客のその後の移動が不便であること等が挙げられている。うーん、そんな駅は他にいくらでもあるがね。

今回の停車駅変更が実施されると、ジャカルタ=ソロ・ジュブレス間を結ぶエコノミ準急「Bengawan」は、プルウォサリ止まりになる他、現在ジュブレス駅に停車している各長距離列車はソロ市内ではプルウォサリ駅にのみ停車することとなること、それに加えてちょっと心配なのは、南本線マディウン方面からジャカルタ方面を結ぶ列車のうち、ソロ・ジュブレス駅に停車した後南北本線間の連絡線(これはインドネシアで最初の鉄道が開通した区間であるけれど)を経由してスマラン方面へ向かっている長距離Ekonomi列車、具体的には「Brantas」(ジャカルタ=クディリ)、「Matarmaja」(ジャカルタ=マラン)といった列車はソロ市内には全く停車しなくなってしまうことです。まあこれらの列車がソロ=スマラン間の移動に用いられてきたわけでは(殆ど)ないことを考えれば、影響はそれほど大きくないということだろうか。
昨今の中部ジャワ他鉄道ルートのニーズに合わせた再活性化の動きから言えば、ソロ=スマラン間なんて営業再開の筆頭だと思うが、これももしそうなったとしても、ソロ・バラパン駅からのルートを使えばいい、っていうことだろうか。

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ソロ市内の鉄道路線概念図。やっぱり図はわかりやすい 笑

ともあれ、これでソロのジュブレス駅が旅客営業を廃止してしまえば、インドネシア鉄道草創期、1867年にスマランを起点に開業した鉄道が1870年にソロに延伸されて程なく、1884年に建築されたこの由緒ある駅舎を利用する機会がなくなってしまうわけで、それもまた残念なこと。昨今の潮流(国鉄Heritage Railway部門のサイト)から言えば、この歴史的駅舎は当然に保存・整備されるのだろうとは思うけれど、やっぱり“活きている”ものとは違うからねえ。
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こちら、今後ソロの第二の玄関口となるプルウォサリ駅。ホームの真ん中を渡り線が横切る不思議な構造。

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2014年1月15日 (水)

ジャカルタに2階建て観光バス導入だそうで。

さて飛び石連休明けのなんとなく気怠い水曜日。
今朝の当地新聞3紙に載っていたのは、この2階建てバスの派手なカラー写真。

以前からジャカルタ北部の旧市街地を観光開発しようという話はあったのだけれど、体系的なアレンジはいつまでもなされてこなかった。そんな中この度、ジャカルタ特別州政府観光局は150億ルピアを投じて5台の二階建てバス・・・(Bis Dua Lantaiとは言わずに、「Bus tingkat(階層バス)」と書かれてます)を入札実施、落札した業者により中国厦門より調達されたこのバス5台がジャカルタのタンジュン・プリオク港に到着、陸揚げされたというニュースでした。1台3,000万円って結構なお値段だけれど、入札するとどうしても中国製とかになっちゃうのかね。インドネシア国内にも、日野やベンツのシャシーにボディを仮装するメーカーは幾らもあるけれど、二階建てボディを作れる業者はないのかな。
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これは全国紙「KOMPAS」の記事。赤のTransJakartaとは対照的な青系塗色。誰ですか、JRバスみたいな色だとかいう人は。

ともあれ、そんなわけで調達されたこのバス、記事によれば、ジャカルタ市街地を巡る無料観光バスに投入され、朝7時頃から夜の19時あるいは21時頃まで、ホテルインドネシア前ロータリー→タナアバン(テキスタイル博物館)→モナス→コタ旧市街→ブロックMと走らせるとのこと。
え、無料ですか。で、コタ旧市街地だけじゃなくてブロックM迄? そんなことしたら普通に市内を移動したい客が大勢乗り込んでどうしようもなくなるんじゃないのかなあ。
更に20台のバスの追加投入が検討されているとのことですが、ちょっと行って簡単に乗れるようにはならないでしょうな。

実際の運行に当たっては、地方や外国からの観光客を証明する書類を見せないと乗れないとか・・・ そんなJKT48のスーパー遠方枠みたいなことをするとも思えないですが、まあ様子見て、機会があれば乗ってみることにしましょうかね。
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なおその昔にも、ジャカルタ二階建てバスが走っていたことがあるらしいですよ(タマンミニにて)。

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2014年1月13日 (月)

ハリム空港再開 つづき。

さて日本は3連休ですが、当地スラバヤは火曜日が休みのため飛び石連休。
その合間なのでローカルスタッフは休んでる人多いし、東京からは訓令指示の類の連絡はないし、とっても落ち着いた一日でした。
なので週末の新聞なんかゆっくり読んでる余裕があったのだけれど、取り敢えず各紙が取り上げていたのは、先週金曜10日に商用(再)開港のハリム空港の初便、ジョグジャカルタからのCitilink機が、セレモニーの影響で20分ほど遅れたけれど、ほぼ満席だった、但し空港の周囲の渋滞が悪化しているって話でしたかね。

なお、見出しには「一時的な解決」って書いてあるものも。今回の一部フライトの移管はジャカルタのスカルノ=ハッタ国際空港の離発着回数が限界に達しているためであり、今後2024年頃にスカルノ=ハッタの改良工事が終了すれば、一時的にハリムに移した便はまたあちらに戻る予定、という事でして。
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伝統舞踊でお出迎えされたCitilinkの初便を伝える全国紙「KOMPAS」記事。水かけ祭りはやらないのね。

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2014年1月11日 (土)

高原は気持ちがいいですね。

土曜日、上司が一時帰国中で不在なので遠出は出来ず、お留守番。
昨日10日ジャカルタのハリム空港が商業開港したということもあり、お出掛けしてきたいところなのだけれど、これは月末以降のお楽しみに。
なので、遠出せず、何かあったらすぐにスラバヤに戻ってこられる範囲ということで、今日はスラバヤから2時間、南のマランの手前、パンダアンを目指してクルマを走らせた。

Google Mapで見ていたらちょっといい感じのカーブがあったので、山に上る前に暫く線路端(駅でいうと、Wonokerto~Sengon間)に寄り道してみたのだけれど、雨季だというのに午前中はそれなりに晴れあがって、暑い。日射病になりそうになるが、すぐ傍の田圃はノンビリと耕している農家のおじちゃんが数名。暑くないのかね~。なのだが、列車が来るタイミングに限って陽が陰る・・・ 
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トラワスの高原地帯からの眺め。涼しくて気持ちがいいです。

さて寄り道が本筋になっちゃっても困るので、本日の主目的、スラバヤから南を目指すと次第に正面に見えてくる大きな山、アルジュナ山の中腹にある避暑地、トラワス(Trawas)を目指します。避暑地としては、山を登っていく途中で分岐するトレテス(Tretes)の方が有名で、きちんとしたホテルもいくつか。ゴルフ場も2つあり、ウチの上司も週末時々やってきているみたいだけれど、今回はそちらはパス。

というのも、こちらトラワスには温泉があるという情報をネットで見かけたので、そちらを試しに来てみた次第でして。
トレテスへの分岐から暫く進むと、段々涼しくなってきて、クルマのエアコンを止めて窓を開けて風にあたる方が気持ちがよくなってきた。ほんの数百メートル上るだけで、あの暑さからこんなに違ってくるものだとはね。

なのだけれど、走っている限りなんらの看板も現れず(温泉浴場は「Pemandian Air Panas」といいます。)、途中眺めの良いところで止まってみた所で尋ねてみたりしたのだけれど、「この先のあっちの方にならある」という返事ばかりで、ドンドン進んでいくだけ。

最後は両側の草木がクルマのボディを両側から叩くような細道を暫く進んで峠を越えて、ああ、ようやく公衆浴場のようなプールが見えてきた!

と思ったら。なんか見覚えのある景色。一昨年の9月に一度入りに来たことのあったパチェット(Pacet)の温泉でした。
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パチェットの温泉… 温水プールですな、これは。

こちら、残念ながら以前行った西バリのミンピ・リゾートや、西ジャワ州ガルットのように、各部屋に温泉露天風呂がついているようなホテルはなく、殆ど温水プールのような共同浴場があるだけで、わざわざ期待していくほどの施設ではないのが残念です。
ちなみにこちら、ラフティングを楽しめるようで、ちょっと事務所を覗いてみたら、一人当たりRp.225,000、ミニマム4人からの参加ということ。以前行ったプロボリンゴの奴もとても楽しかったし、また何人か集めて遊びに来ようかな。
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寄り道してみたのはこの場所。 列車はバニュワンギ=マラン間を結ぶ「TawangAlun」号。20‰の勾配を轟音を立てて上ってくる。

逆方向だとこんな感じ。スラバヤ行き「Penataran」号の、各駅停車の方。下り勾配なので迫力はいま一つ。後方に山が見えればもっと良かったのですがね。
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2014年1月10日 (金)

円借款だけじゃなく、いろいろ借りてます。

昨日付の当地英字紙「Jakarta Post」には、鉄道模型をもった大の大人が二人写った写真。
当然ちょっと読んでみたくなるわけで、さて何でしょう。
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鉄道模型をプレゼント。円借款の署名式で日本大使にプレゼントされるってのは?

写っているのは国鉄PT.KAIの財務部長と、相手の女性は落花生。も口座を持っている国内銀行大手の一つBCA(PT.Bank Central Asia)の幹部だそう。
この度国鉄PT.KAIはBCAから6,650億ルピア(約5,500万ドル)の借り入れを受けることについての署名式典が行われ、その式典でこの機関車…新型CC206だなこれは、の模型が贈呈されたという話らしい。前原(元)国交大臣じゃああるまいし、この女性幹部がこれを貰って喜んだかどうかは全く定かではない。

ともあれ記事によれば、この借款でPT.KAIは600両の運炭用貨車と、600両のコンテナ車両を調達する予定とのこと。貨物運送へどんどん力が入ってますね、最近の国鉄。
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北本線ボジョネゴロ駅で追越退避中のコンテナ貨物列車。
隣の日本車輌製KRDの方が気になりますか?

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2014年1月 9日 (木)

ハリム空港、開港できますか?

さて今月10日の商用開港が予定されていると先日書いたジャカルタのハリム空港ですが、ホントに予定どおり開港するのか、微妙な雰囲気です。

ちょっとバックデートしますが、6日付の当地紙には、バンバン運輸副大臣の発言をクオートして、ターミナルビル建物の改修はほぼ終了したが、内部の施設運営等に関する調整が終わっておらず、10日の開港は難しいとの見解が示された由。
更に空港リムジンバス・・・ 以前であれば国営系DAMRIが独占運営すればそれでよかったのだけれど、最近はスカルノ=ハッタにもPrimajasa社や他の会社も乗り入れているように、民間業者と調整して路線を設定しなければならない。

更に今日9日付の全国紙「KOMPAS」によれば、ハリム最寄りの高速のインターチェンジ、ジャカルタ環状線とボゴール方面に繋がるジャゴラウィ道とが交差するチャワン付近は日常的な渋滞個所だが、ここにハリム空港へ出入りする流動が交差することになり、その対応が全くとられていないこと、そして酷いことに空港公団アンカサ・プラからこの交通流動変化にかかる環境アセスメント報告が出されていないとして、POLDA-Metro(ジャカルタ警視庁)が噛みついているなんて記事も書かれていた。
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一番早く乗り入れてくるのはCitilinkかな? 

他方航空会社側の動きとしては、既にガルーダは運行開始は2月に延期したとか、Air Asiaは3月にした、1月10日に運行開始できる準備があるとしているのはガルーダ系列のLCC、Citilink一社のみだとしている記事もある。
その他、Kalstar、Sky Aviation、Sriwijaya、Lion-Batik Air、Tiger-Mandalaの各社も乗り入れを表明しているが、現時点で各社のウェブサイトにはハリムへの乗り入れ開始については一切何も書かれていない。
別に開港初日の初便に乗りたいとか、そんなつもりで見ているわけではないのだけれど(まあ飛び出したら取り敢えずハリム便を選んで乗るわけではあるのだけれど)、開港前日になってもこんなんじゃあ、先行き思いやられますね…


※とー思ったら! 9日夜になって、Citilinkのサイトに、10日ハリム就航!との案内が載せられていました。 それによると就航路線は ハリム=スマラン(2往復/日)、=ジョグジャ(3往復/日)、=マラン(1往復/日) の3路線。ところが面白いことに、予約検索をしてみると、ハリム=パレンバン(2往復/日)も1同じ10日から運航開始の模様。

ともあれ、これで一応正式開港は決まったようです。スラバヤ便がないので、さてどこに乗ることにするかな。考えましょう。(^-^) 

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2014年1月 8日 (水)

複々線ってなんっていうか知ってますか。

暫く前に、ジャカルタ勤務の後輩から「複々線って、インドネシア語でなんて言えばいいですか?」との照会が。あんたインドネシア語の専門家でしょうにー。「他に知ってそうなひといなくって」って。喜んでいいものやら。
なんでも近く通訳やる機会があって、そんな話題が出そうなのだけれど、辞書にも載っていないとやらで困っておられました。

そうねー。インドネシアには現時点で複々線って、ないからね。複線は「Jalur Ganda」というのだけれど、さて複々線ですか。
仕方ないので餅は餅屋。知り合いの国鉄PT.KAI職員2人ほどにSMS打って聞いてみたのですが、彼らもちょっと困ったようで、「DDT(Double double track)」で中では通じるよ、とか、「4 Jalur」かなあ、「Jalur 2 ganda」って使ってるよ、とか、正確な用語は知らない模様。
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「Dwi Ganda」という言葉を使う専門紙の記事。

仕方ないので、「一番確かなのは、現在進められているジャティネガラ=ブカシ間の複々線化事業(円借款)の関係書類を見ればわかるんじゃない?」と匙を投げておいたのだけれど、そうこうしているうちに数日が経ち、別の経済担当の後輩が調べてくれて、どうやら「Jalur Dwi Ganda」という言葉が使われているらしいことが判明。なるほどね、「Dwi」は「双」とか「複」とかいう意味があるのね。また他所では役に立たない(笑)単語を一つ覚えました。

ちなみにこの複々線化事業、取り上げていた「Bisnis Indonesia」紙によれば、ブカシまでではなく、その先工業団地の多いチカランまで更に17km実施されるのだそう。開通時期は2016年予定とのこと。当然電化もされるだろうから、JABODETABEK電鉄区間も延伸されるわけですね。思い出したわ。昔自分でもちゃんと書いてるし。
あ、これも日本政府の円借款ですからね。お役に立ってますよ。
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複々線化予定のブカシ線ブアラン付近を走る、懐かしのエコノミ電車。

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2014年1月 7日 (火)

スラバヤへの帰り道。by Tiger Mandala

今日で冬休みもおしまい。スラバヤに戻るのですが、バンコク=スラバヤ間の直行便はドンムアン発のAirAsiaの他にもう一社、毎日運航ではないのだけれど、Mandala航空というのも飛んでいます。
マンダラ航空?と聞いて、羽田の片隅に長く放置されていたYS-11を思い出した方は結構なお歳の結構ディープに足を突っ込んでこられた方ですよね。あれは結局輸出されずに、その後どうなったのでしょうね。

さておきそのマンダラ航空、元々は国軍の系列で1969年設立の歴史ある会社なのだけれど、2011年初に経営悪化から倒産、その後2012年にシンガポールのTiger Airの資本が入って運行再開。現在は「Tiger Mandala」としてタイガーエアーのサイトで一括して予約が可能な、LCC会社として運行を再開しています。
機体のデザインは以前の曼荼羅を描いていた尾翼から、今はタイガーエアーと同じ虎刈りならぬ虎塗りになったA320。

今日の帰りは18:10発のRI915便。流石に年末年始の連休最終日ということで満席とのことでしたが、暫く前に買った時には2,700バーツ(約9,000円)と、まあお安いお値段。エアアジアよりも安かったなぁ。

こちらは東のスワンナプーム新空港発ということで、市内パヤタイ駅からエアポートレールリンクの電車で空港に向かい、チェックインして搭乗口へ行ってみたのですが、搭乗時間の17:20になっても搭乗が始まるどころか、係員の影もなく、乗客は通路の椅子に座って待っている状態。案内放送の一つもないまま暫く待つうちに、ようやく一人の女性係員が現れ、ほぼ同時に建物の前には折り返しの機材が到着しました。
で、ここからが速かった。30分くらい遅れるんだろうな…と思いきや、満員の乗客もスムーズに乗り込み、何とほぼ定刻のドアクローズ。順調に離陸してしまいました。
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色付きガラス越しで携帯カメラだと、こんな画像が限界でスミマセン。
折り返し便が到着…

そんなわけでスラバヤまでは4時間弱ほどの順調なフライト。
今回の往復で、週末金曜午後休取れば、シンガポール、KLに加えてバンコクも気軽に出掛けてこれることがよくわかりました。往復2万円しないのなら、ガルーダでジャカルタやバリ往復するのと変わらない料金。スマトラとか東部インドネシアまで飛ぶよりも安い。
これからの週末小旅行の選択肢が広まりましたね。

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2014年1月 6日 (月)

バンコクへの帰り道に見かけた嬉しいもの。

さて朝になったらお湯が出なかったスパンブリーのホテルを出て、市内を暫く散歩してから、バンコク行きのロットゥーを捕まえた(流石に朝4時半の列車に乗る気はない)。インドネシアでいったら「トラフェル」に相当するだろうか、定義すれば都市間高速ミニバス・・・? タイ全国各地で見られ、車種はトヨタ・ハイエースが圧倒的に多い。
この手の交通機関は満席にならないと出発しないことが多いのだけれど、今日のこのスパンブリー発の便は、それほど待たず、5人ほど乗った時点で出発。途中の道端でバス待ちの乗客を時々拾って快走、1時間半ほどでバンコク近郊まで近づいてきた。
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乗合ミニバスでバンコクへ、所要1時間半、運賃100バーツで頻発。

っと、そのあたりで突然幹線道路の真ん中に立派な建設中の高架橋と、左手には駐車場のような大きな建物が・・・ とおもったら、本線側には駅らしきものが現れた。
おっとこれは、バンコク北西方に円借款で建設中の都市高速鉄道パープルラインじゃないか? 後で調べてみたら、最初の駅はバンヤイ地区にある終点クローンバンパイ駅で、左手に見えたのは隣接する車両基地だそう。
バンコクの地下鉄といえば、円借款で建設されておきながら、諸々の政治的駆け引き(?)の結果、全部独ジーメンスに持っていかれたという黒歴史があるが、今回は車両システム全体を丸紅・東芝・JR東日本のグループが一括受注、車両についてはJR東日本傘下となった総合車両製作所(J-TREC)が、新標準車両「サスティナ」を導入することとなった、喜ばしい案件である。

偶然とはいえ正月早々幸先の良いものを見せて戴きました。2016年の開通を目指して工事が進められている由。今後の他路線での導入拡大にも期待したいものですね。ジャカルタにも、是非。
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建設中の高架線と駅が現れた。近い将来ここを日本製の電車が走るんですね…♪

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2014年1月 5日 (日)

究極のローカル線 その2.

さて1月4日のバンコク、誕生日ということもあって折角なのでかのマンダリン・オリエンタルでケーキなぞ食べてみた後、再度向かったのはホァラムポーン駅。
もう夕方が迫ろうとする時間帯だけれど、今日の乗車列車は16:40発の普通355列車、スパンブリ―行き。聞いたことのある人の方が少ないと思いますが、その筋の人なら、あーあー、と膝をたたく地名ですよね。
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東急車両製THN系気動車3連(2等なし)による、1日1本のスパンブリー行き列車。

先日の訪タイの時は、南部スラタニ近くの“究極のローカル線”ことキリラッタニコム線に乗ってきたわけですが、実はこのタイ国鉄SRT、他にも一日一本しか列車が走っていない超閑散路線が結構あり、昨日乗った特急3列車の向かうサワンカローク線もその一つだし、キリラッタニコムの後に流れたカンタン線の終端部トラン=カンタン間も一日一往復しか列車が走っていない路線。
それでもこれらの路線は昼間の列車があるからまだ乗れなくはなかったので、機会を捉えて乗ってくることが出来た。
が、この首都バンコク近郊にももう二路線、かなり乗りづらい路線が残っている。
一つはバンコクから東、パタヤを経てウタパオ空港近くの終点パンプルタールアン迄のサターヒップ線と呼ばれる路線で、こちらは貨物運送がメインで旅客列車は一日一本、しかも土日休日運休ということで、これまた乗りづらい。

で、本日のスパンブリー線。南本線のナコーンパノムの西、戦場にかける橋クワイ河鉄橋のカンチャナブリーを経てナムトクへ向かう路線も分岐するノンプラドック・ジャンクションから北へ分岐しスパンブリーへ向かう77.4kmほどのローカル線である。
運転本数はこちらも一日一本、このバンコク発16:40分発の普通列車が夜20:15に終点スパンブリーに到着、折り返しは早朝04:30発のバンコク行き普通356列車のみ。
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バンコク近郊では高架化工事が進捗中。

しかも以前読んだ本によれば、終点のスパンブリーの駅から市内までは相当に遠く、列車はガラガラのため、待ち受けるタクシーやモトサイ(バイクタクシー)もなく、途方に暮れる、等と書かれている。
夜8時過ぎでは、もうバンコクに戻るバスもない時間帯だろう。一応県庁所在地ということだから、泊まるところくらいはあるだろうと思うが、空港やホテル、ホァラムポーンなどのホテル予約代理店はいずれもこの街のホテルの取り扱いはない、とつれなかった。
まあ観光地でもないし、そんなもんだろうな…

そんな軽ーい心配を抱きながら列車は各ボックス1人くらいの乗りで定刻に出発、市内の幾つかの駅で乗客を拾いつつ、この南本線バンコク近郊区間の高架電化工事が進むタリンチャンを出る頃にはほぼ満席となった。
その後サラヤーあたりから下車客がポツポツ出だし、18時過ぎ、夕暮れのナコーンパノム駅を出る頃には車内は再び閑散としてきた。
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夕暮れのノンプラドック・ジャンクションに到着。

18時半過ぎ、ノンプラドックを出る頃には車窓はほぼ真っ暗に。これでは初乗りもあったものじゃないのだけれど、他方で未明のスパンブリーから上り列車に乗ったとしても、このノンプラドックの手前迄はまだ夜明け前で殆ど車窓は楽しむことが出来ない。
地下鉄の乗りつぶしにも近く、これも今まで積極的に乗りに来るモチベーションが生まれなかった一因だろう。

ともあれ、本線を外れて列車の速度はガクンと落ちたが、揺れは倍増、更に倍、といった感じか。保線はほとんど行われていないのだろう。線路は全く見えないが、連結部からは前の車両が大きく飛び跳ねているのが見える。

途中駅・・・ 無人の停留場で降りていく下車客が数名、19時を過ぎた頃には車内は当方ともう一人だけになってしまった。
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終点・・・ではない、スパンブリー駅に到着。駅員氏もラフな格好で。

そして定刻20:15を少し回ったころ、周囲に明かりの全く見えないスパンブリー駅に到着…
なのだが、列車は一瞬の停車の後再び走り出した。勿論事前に知っていたので驚かないが、列車はこの先数百m進んだところにある仮乗降場といえばいいだろうか、タイ国鉄SRTの時刻表には記載されていない終点「マライメーン」停留場迄この列車は運行されている。終点が仮乗降場だなんて、小松島線みたいね。

列車は静々と進み間もなく停止した、そのマライメーン停留場で線路はぷっつりと切れていた。目の前には立派な4車線の幹線道路が横切り、この時間帯でもかなりの数のクルマが高速ですっ飛ばしている。
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マライメーン停留場で線路はぷっつりと途切れている。

この路線も、建設時点では北本線のロッブリーとを結ぶバイパス線とする計画もあり、バンハーン元首相の圧力で作られた路線だと、何処かの国の国鉄ローカル線にありそうな話も事前に読んだ本には書かれていた。それであれば、こんな一人二人しか乗っていないようなローカル線が廃止にもならず無理やり維持されているのも分からないでもないか。
ところでこのマライメーン停留場までの一駅間については、何冊か出版されているタイ鉄道本にはたいてい書かれているの当方も知っていたのだが、最も新しい「タイ鉄道散歩」(イカロス出版)には全く触れられていない。無人の車内や夜のスパンブリー駅・市街地の写真も載っているのできちんと乗車はしているようなのだが、かなり鉄道にも詳しいと思しき筆者の藤井氏、意図的にこの区間について触れなかった理由や如何に??
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田舎町に相応しくない立派なタワーが聳えていました。スパンブリー市内。

結局もう一人の、初スパンブリーだという乗客の兄ちゃんの交渉で、国鉄職員氏が運転するピックアップトラックで市内に送って貰い(多少お礼の額で揉めたが)、市内のスリ・ウートンホテル泊。翌日スポーツイベントがあるとやらで市内のホテルはかなり逼迫していたようだが、無事に1人割り込ませて貰えて、ヤレヤレでした。そして夕食は近くの道端の食堂で冷たいビールをお供に、美味しくいただきました。
やっぱり旅先の夜のビールは最高だねえ。
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一仕事終えて(笑) いかにもー、旅先での夕食って気分♪

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2014年1月 4日 (土)

素敵な帰り道♪ @食堂車にて。

珍しく(?)ちょっと観光客っぽく幾つかの寺院巡り、の後の帰り道は、、、

駅に戻ってみるとちょうど15:35発、東北線ノーンカイからの急行76列車バンコク行きの到着間近 ・・・だったのだけれど、ちょっと時刻表を確認すると、この列車、「EXP. DRC(気動車)」と書いてある。
特急(ドゥワン・ピセート)であれば、今朝乗った英国製か、前回乗った韓国大宇製の特急型一等気動車編成なのだけれど、急行(ロット・ドゥワン)でDRCって? そんな車両あったっけ。料金を聞くと20バーツ(約70円)とやたらと安い。往路の特急の十五分の一の金額ってなに?
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この近郊型気動車でラオス国境までの長距離急行って、ちょっと無理があるんじゃない?

ひょっとしたら東急車両製のTHN系近郊型DC車両に、冷房つき二等車(キサロ)を間に繋いだ、マハーチャイ線あたりで使われている奴じゃないか、と思いながら待っていると、案の定、5両編成のステンレス車体のディーゼルカー編成が現れた。これで急行とは、日本で言ったらキハ40系列による遜色急行みたいなもんだ。末期の「つやま」とか。
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バンコク行きの長距離快速列車がアユタヤ駅に到着。

で、こちらが選んだのは30分後の16:05発、北線デンチャイ始発の快速(ロット・レウ)112列車バンコク行き。こちら、ちょっと暑苦しい赤系塗装の古い非冷房三等客車を連ね、半室だけの二等車が連結されているがこちらも非冷房。
若干の遅れで到着した列車を待ち侘びて乗り込んでみると、座れないわけではなかったけれど、目指したのは…

こちら、編成中央部の食堂車です。
早速窓際の席に座り、係員が注文取りに来るのももどかしく、「ビール、冷えたの!」
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ふふ。なんかのプロフィール写真に使えそうですね。食堂車でご機嫌な落花生。

これがあるからなんですね、わざわざ待ってまで遅い列車を選んだのは。近郊型DRCじゃあこうはいかないです。
インドネシアと違って非冷房車の窓は全開になるタイの食堂車。既にバンコク近郊でもあり、それほど風光明媚な車窓とは言えないですが、前回のブルトレ食堂車の時もそうでしたが、流れゆく景色を眺めながら、風に吹かれつつ、食堂車で傾けるビールってのは何とも言えないですなあー…

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2014年1月 3日 (金)

ディーゼル特急でアユタヤへ。

さてこの3日は殆ど20年(弱)ぶり位だろうか、バンコク北郊の古都アユタヤに行って来ることにした。

ホテルの朝ごはんを食べた後、国鉄SRTのホァラムポーン中央駅に向かうと、丁度タイミングよく、特急(ドゥワン・ピセート)3列車、サワンカローク経由のシラアット行きが発車するタイミングに間に合った。この列車、途中ピサヌロークの先、バンダーラー・ジャンクションから分岐して、スンコロク焼(宋胡録焼)で有名なサワンカローク迄の29kmほどの支線を走る、一日一本の列車である。
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今回は青系の色にお化粧直しされていた、英国製「スプリンター」特急列車。

この路線自体は以前ピサヌロークに泊まって乗車済みであるので今日はそちらには行かないが、当時と異なっているのは、サワンカローク発の列車は、バンダーラー・ジャンクションからバンコク方面に向かわず、再度北に向かって走り、ウッタラディット市街地の北にあるシラアット迄向かう。そこで折り返しバンコク行きとなり、今度はサワンカローク支線には入らず真っ直ぐにバンコクに向かうという、「ト」の字型の変則運行になっているということ。
車両は英国製の「スプリンター」との愛称が付けられた1等気動車(ディーゼル・ラーン/DRC)の3両編成で、若い日本人女性のペアを含め、外国人観光客の姿もチラホラ。

10:50の定刻にホァラムポーン駅を出発すると、特急の名に相応しくなく、サムセン、バーンスー、と市街地の各駅に連続停車。それでもドンムアン空港駅を過ぎるあたりから次第に速度を上げ出した。
ほどなく同乗の客室乗務員がお昼ご飯を配り出した。前回の南線特急と同じ箱入りのボックス弁当かと思いきや、お椀型の容器に入ったご飯とおかず、スープのレトルトパックが3つ、それに氷入りの水が配られた。へえ、こんな感じなんだ、今は。
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左から、ご飯、(甘い)卵シチュー、(辛い)鯖フレーク。これに冷水がサービスされます。

今日は1時間半ほどのアユタヤで降りてしまうし、朝食はさっきホテルで食べたばかり。密閉されているのをいいことに、バッグに詰めて帰り、後でお昼ご飯に食べることにしよう。

そんなこんなでよく整備された線路を列車は快走、目的地アユタヤに到着。外国人観光客は殆どこちらで下車する模様。
帰りの列車の時間を確認し、さて久々の古都巡りに出掛けますかな。

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2014年1月 2日 (木)

今年の旅初め。AirAsiaでバンコクへ。

さて正月元旦。今日の出発は夕方・・・ 予約した時は14:55発という話だったのだが、突然メールが来て16:10発に変更と一方的に告げられた。
今回は乗り継ぎ便もないし影響は小さいけれど、こういう航空会社都合での変更時には無条件で無手数料解約位出来てくれないと困る。・・・というの日本人的感覚なんだろうか。
Air Asia Japanは短期間で営業を取りやめて撤退してしまったけれど、日本人が「当然だろう」と思っているようなことが、他のアジア諸国ではそうでもない、だから日本市場では受け入れられなかったということなのだろうな。

ともあれ変更された時間からは15分程と、遅れるうちに入らない僅かな遅れで離陸した本日のQZ8122便バンコク(ドンムアン)行き、流石に正月元旦から移動する人も少ないのか、エアバスA320に僅か70人ほどとガラガラとも言ってよい搭乗率。お陰で3人掛けを1人で足伸ばして使わせて貰えました。
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ちょいと小腹がすいたので、機内サンドイッチを注文。美味しい晩御飯が待ってるからね~ これだけで我慢。

で、スワンナプーム開港以降初めてかな、久々のドンムアン空港。到着便の少ない時間帯なのか、到着してから入国審査まではガラガラ。

ところが到着ロビーに出てみると、タクシー待ちの長蛇の列。
さっさと諦めて国鉄SRTのドンムアン駅に向かおうとして時刻表を見ると、ホンの数分前にちょうどホアラムポーン行きの急行列車が出発した直後だった。
うーん、間が悪い。仕方がないので駅へ向かう高架橋の途中から高速下の幹線道路に出てタクシーを拾おうとすると、まさに目の前に上り列車が到着した。遅れてやがったか…
という、ちょっと空港出発には手間取りましたが、このドンムアン空港、スワンナプーム迄の連絡バスや、地下鉄・BTSのモーチット駅までの連絡バスも運行されているようで、ひょっとしたら昔、国際空港時代よりも便利になってるかもね。

そんな久々のバンコクの夜でした。さあ今晩はタイ料理つまみにビールだあ♪

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2014年1月 1日 (水)

明けましておめでとうございます。

皆様新年あけましておめでとうございます。
昨年は本ブログを御愛読(御笑覧?)いただきありがとうございました。

日本とは2時間の時差があるここスラバヤでも無事年が明け2014年を迎えました。
11時45分頃から若干フライングで市内のあちこちで花火が上がり始め、ちょっと前まで自宅近くの日本料理屋さんで見ていたNHK「ゆく年くる年」のような静かな年越しとは違う、また派手な当地流の新年を今年も迎えました。

今日は新年を迎えての心意気とか、今年一年の目標とか書かなければならないのかもしれませんが、昨日年末のご挨拶を書いたばかりなので、二日続けて挨拶というのもなんですね。
まあ、本年もこんな感じで日々(一応仕事はちゃんとしながら)気の向くままに歩き回り、そして書き綴っていきたいと思っています。

取り敢えず、間もなく上司が帰ってくるので入れ替わりに冬休み、ということで、本日夕方からは数日、お出掛けして参ります。

それでは皆様、本年もよろしくお願いいたします。

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新年の夜明け、ということで、スラバヤじゃなくてスミマセン。ジャカルタの朝です。

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