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2014年2月 1日 (土)

アチェ鉄道の遺構を辿る。

また一日空きました。
さてそのアチェ鉄道発祥の地でありながら、現在は鉄道とは縁のないこのバンダアチェですが、街歩きの(歩いてない、オジェック乗ってばっかりという指摘はさておき)合間に、幾つか鉄道関連のポイントにも立ち寄ってみる事にしました。
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アチェ鉄道で使用されていた、日本車輌製BB84号マレー式蒸機が台座の上に。
案内看板も錆びつきながら残っています。
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先ずは市内中心部にある大モスク(Masjid Raya Baiturrahmanと呼ばれています)の北側、橋の袂のショッピングセンターの敷地内には、台の上に乗せられて蒸気機関車が保存されています。
BB81号機と書かれているとおり、こちら珍しいBBマレー型の軸配置。
手元のインドネシア蒸機のバイブル的存在「PNKA POWER PARADE」によるとこのタンク式機関車、世界で最後に新造されたマレー蒸機で、1961~62年にかけてBB81~84迄の4両が製造され、バンダアチェ=シグリ間(の山越え区間)で使用された… はいいのですが、なんとこのBB84号機、製造は「日本車輌」だそう。日本製でしたか!
これはマディウンのS木さんに早速お伝えしなくては。

残念ながらお世辞にも保存状態がいいとは言えず、煙突も途中でちぎれてしまっているのですが、この数mの高さの台座の上に置かれていたために津波の際にも流されず、現在もその姿を留めているだけでも幸いか。
因みに現在のこの保存されているバラタなるショッピングセンターの位置が、元のアチェ鉄道のバンダアチェ(コタラジャ)駅の跡地だそうです。
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あるんですねえ。国鉄PT.KAIのアチェ事務所。線路跡の敷地にあります。

当初、線路はここと港のあるウリリュー(Ulee Lheue)とを結んで開業したわけですが、当然線路跡の遺構は全て津波に押し流されて全く見つけることが出来ないのですが、その線路敷地は今でも国鉄PT.KAIの所有となっているところ、このバンダアチェ市内のPT.KAIの事務所をアポなし訪問してみました。
元の線路跡の敷地上に設けられた普通の民家の造りの事務所、看板には「UPT Pengusahaan Aset」とあるように、会社の財産管理を行う事がメインらしい。この事務所で応対してくれたのは、カリマンタン出身だけれどアチェ勤務は二回目だという事務所長のシフルディアン氏。
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事務所長室の壁には、現役時代の列車の写真が飾られていました。

アチェ鉄道の歴史と、1970~82年の全線営業終了までの経緯や、その後のアチェ独立紛争の間に線路や駅施設等の財産はあらかた盗難にあったという事、
この事務所はアチェ鉄道関連のPT.KAIの土地は売却せずに引き続き保有するという運輸省鉄道総局の決定に従い、土地を賃貸して借料を回収するマネージメントがメインの業務であること、(それは将来のトランススマトラ鉄道の敷地として使用されることが前提かとの問いに対して)トランススマトラ鉄道は、郊外の土地が使用しやすいところでは再利用はあり得るが、アチェ鉄道より高規格な線路を建設するものでもあり、都市部など既にそれは明らかに困難な地域においては別の土地を購入して使用するであろうこと、
特に、現在所有している土地には多くの不法占拠の住居・建物等が存在してしまっているが、これの立ち退き強制執行することは、既得権となってしまった住民の反発を招き、それを契機にGAMが住民の味方として反国鉄活動を起こしかねない懸念があり、PT.KAI社のみならず警察・国軍共に及び腰なため、強制退去も、借料の徴収も出来ていない土地が多数あること、
更には、自分(シ氏)としては、今回一部区間を標準軌1,435mmで再建したことは全くおかしいと思う、現在のDivre1、Divre3路線を活用すべきであり、これらを全部改軌して車両を新造する手間を考えれば、多少輸送量は落ちても現在の1,067mmゲージで建設すべだった、なんてご意見まで伺うことが出来ました。
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事務所で戴いた、アチェ鉄道の路線図というか、アチェ事務所の管轄区簡図。勿論最近作り直したものですが。

その後、日本軍の上陸記念碑もあったという市内北西方のウリリューに向かってみました。
橋を渡ってウリリュー島側に渡った少し先、軍の駐屯地と警察分署の間の小道を海岸側に入ったところ、残念ながら記念碑は津波で流され台座しか残っていなかったのですが、直ぐ近くの海岸縁には、いつもの「PT.KAI所有地」の看板が。どうやらここがウリリュー港の駅跡地だったようです。津波をまともに受けたこのウリリュー、全く遺構が残っている訳ではありませんが。
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すぐ先は海。ウリリュー海岸に建てられた、「PT.KAI所有地」看板。ここにウリリュー埠頭の駅があったのでしょう。

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