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2014年3月30日 (日)

中部ジャワ北岸の旅(プロローグ)。

この3月31日(月)はヒンドゥーのバリでは“ニュピ”と呼ばれる、飛行機が一日離発着できなかったり、 自動車を動かしてはいけなかったりすることで有名な、ともかく休日、なのですが、ここジャワ島では普通の 三連休だったりします。
で、今回は直前まで(業務の都合上)出掛けてよいかが判らなかったため、ちょっと切符の確保が出遅れ、31日の夕方にスラバヤ戻りの列車が全く取れず、飛行機もバカ高かったので、 近場…とまでは言えませんが、前から行ってみたかった、中部ジャワ州東北部の北海岸エリアを周ってみることにしました。

このエリア、現在は内陸部をスマランとスラバヤとを結ぶ北本線以外の鉄道は走っていないのですが、 国鉄PT.KAIの資料を見ると、スマランの右上のあたりに結構な路線網が記載されているものが多くあります。 これは例によって、“廃線”ではなくて休止線という扱いなのかな。
しかしまあ、ネット上の写真を見る限り、土地所有権こそPT.KAIに残っていそうですが、路盤跡には建物が建ち、道路の拡幅に飲み込まれ、 橋は落ち、中部ジャワ州政府の休止線活用・再開計画という話はありますが、この一帯の路線の復活は、まあ 残念ながら、あり得ないでしょう。
Jatengtramroute1_2
中部ジャワ州東北部に広がっていた、旧SJSが建設した軌道路線網。

このSJS鉄道、開業当初は鉄道の方が先だったのでしょうからともかく、その後は写真を見る限り、道路の脇を併用軌道的に走り、実態としては、日本であれば「軌道」と分類されるようなものだったようです。
スマランを起点に蘭領東インド最初の鉄道が開通してからほどなく1881年にオランダ政庁によって スマランとジョアナとを結ぶ蒸気軌道の敷設が定められ、 スマラン=ジョアナ蒸気軌道(Semarang-Joana Stoomtram Maatschappij:SJS)社により 1882年にはスマラン側4kmの路線が営業を 開始しています。その後路線は1883年にはデマク、翌1884年には徐々に延伸され、当初の目的地 だったジョアナ(ジュアナ)までが開通、1900年にはラセム迄延伸されました。
更に同じ1884年にはこのプルウォダディと蘭印国鉄NISが開業させていたスマラン=ソロとを結ぶ本線上のグンディとを結ぶ支線が開通、スマランからプルウォダディを走る路線は 1894年にこの地域の中心地ブローラに達し、その後1902年にはチェプーまで延伸され、スラバヤとスマラン とを結ぶNISの本線と接続。1902年にはブローラと北海岸周りルートのレンバンとを結ぶ路線が開設され、このころまでにこの一帯に広大な路線網を形成していました。 その総延長は支線も含めると総計434kmにも達していたというから驚きです。

その建設目的は、ネット上ではコメの輸送のためと書かれているようだったので、 この地域の平野で収穫されるコメをスマランやバタヴィア・スラバヤ等へ送り出すため のものかと思いきや、実はさにあらず。「サマラン・ジョアナ蒸気軌道と稲米流通」 植村泰夫(2014:「広島大学東洋史学報」第9号)によれば、この地域内でも稲作収穫量には各県毎に相当の差異があり、また全地域的に不作の年などもあったことから、地域内での米の流通、場合によってはインドラマユなど他の地域から船で運ばれてきた米をこの地域で運搬したこともあったそうです。
また、スマラン、グンディ、チェプーに加え、東側の終点でジャティロゴにも 東側のボジョネゴロから伸びてきたNISと接続したこともあり、勿論その他の生活必需品も一緒に運ばれてきたのでしょう、道路事情の良くなかったこの時代、1920年代頃 まではこれら各路線は活況を呈していました。 しかしその後、世界恐慌の影響やトラック輸送等のライバルの出現により、輸送量は減少傾向を見せだします。 SJSも貨物運賃の値下げに加え、スマランの他主要駅の所在する各都市では、自宅 で集荷・列車で輸送し、宛先人の住所まで届けるという、現在の宅配サービスの走りのようなサービスまで提供していたそうです。
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アンバラワ鉄道博物館に保存されている、1914年に旧SJSが導入したHartman製「B2711」号機関車。

その後戦後国鉄に統合されて以降もこれら路線は残存し、B型・C型の小型蒸機が混合列車を引いて ノンビリと走っていましたが、1970年代に入りモータリゼーションの発達に伴い 支線区を皮切りに運行休止(事実上の廃止)が始まっていきます。 (「Rail Magazine」誌の名取編集長のブログ「編集長敬白」に、SJSで使われていた Cタンク機の、廃止直後の姿が掲載されています。)
原典やセカンドオピニオンを確認できていないネット情報ですが、ジュアナとクドゥスから分岐していた2本の支線が1975年、チェプー=レンバン間1984 年、スマラン=レンバン間の本線及びプルウォダディ経由でブローラを結んでいた 山側路線が支線と共に1986年、最後まで残ったNIS東側路線と接続していたレンバン=ジャティロゴ間が1992年、NIS開業区間のボジョネゴロ=ジャティロゴ 間が1999年に廃止(ditutup)という記載がありました。
この1990年代まで運行されていたのであれば、当然蒸機は全廃されており、DLが 入線していたと思われますが、その頃の写真を発見できていません。 ひょっとしたら、運行自体はこれらの日付より以前に終了してしまっていたのかも しれませんね。 このあたりが正確にわからないのが、インドネシア鉄道を趣味的に見る場合に 残念でならないところです。

まあ、そんなわけで、長くなってしまいましたが、今回周ってきた辺りの話を書くにあたっての前置きということで、段々趣味的に狭くマイナーになって来た というか、誰も読まないかもしれませんね。 (まあ自分の備忘録だからいいんですが)

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