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2014年3月28日 (金)

新聞記事いろいろ(2)ジャカルタ編。

昨日の新聞の続きです。

あとの2つの記事はなんとなく関連していて、一つはジャカルタ北部西アンチョール地区の住宅地の 住民が日々使っているチリウン川の支流にかけられた橋が、 かつて1871年、蘭印鉄道会社(Nederlandsch Indische Spoorweg Maatschappij:NIS)により、 市街地北部のバタヴィア(Hoofdstation Batavia駅)及びスンダ・クラパ港近くのKleine Boom駅と、 現在のガンビル駅の西側、Koningsplein駅との間に鉄道が開業した際に設けられた、インドネシア鉄道 草創期の鉄道橋の遺構だが、地元住民は全くそんなことを気にもせず日々渡っているのだという話。
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「1941年のジャカルタ鉄道路線図」 が掲載された記事。線路跡は現在大通りに飲み込まれており、遺構が発見できるところは恐らくないと思います。

もう一つは、何処かで見たことのあるような1941年のジャカルタの鉄道路線図(一般鉄道および市内軌道 )を掲載、表題は「その昔、ジャカルタは欧州クラスの鉄道を持っていた」となっている。
鉄道路線自体は、コタ駅とタンジュン・プリオクを結ぶ路線が現在休止となっているほかは、一部短い 貨物線が廃線になった程度でそれほど大きな変化はないのだけれど、 他方で市内の軌道路線、北はコタから市内中心部、モナス周辺やメンテン、西のタナアバンや東のグヌンサハリ 等を経由、サレンバの大通りをなんかして、現在のカンプン・ムラユのバスターミナルのあたりに至る、 長大なトラムの路線網が当時は存在していた。
このトラム路線は、戦後のモータリゼーションの進展に伴うバス交通の発達等により、ジャカルタ市当局が 市電の廃止を検討、一九六〇年の市北部の路線廃止を皮切りに徐々に路線網は縮小され、一九六二年には 市街地南東部に残っていたクラマット=カンプン・ムラユ間を最後に、すべての路線が廃止されてしまって いる。

この記事では、冒頭で研究所LIPI関係者の談として、このオランダ時代の鉄道網をより育てていれば、現在の ようにジャカルタは渋滞していなかった、という文言から始まってはいるものの、その後は オランダ時代に建設・運営された市電と市内の鉄道路線についてその歴史的経緯を淡々と 書き、この市電の廃止は失敗だったとか、オランダ時代から全然発展していない鉄道網だとか、ありがちな 短絡的批判は殆ど書いていなかった。
最後に一言、ジョコウィ知事の時代になって、新たな技術に基づく大量輸送トラムともいえるMRTが 建設されることとなった、と簡単に触れて文章を終えている。

地図には「BETM廃止路線」との記載をする一方、本文にも注釈にもBETM何ぞやということに全く触れていない など、相変わらず“あと一歩”感はあるのだけれど、興味深く読ませていただきました。

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