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2014年3月31日 (月)

中部ジャワ北岸の旅(前)。

という長い前置き(昨日の記事)を経て、29日土曜日朝、スラバヤを出発し、目指したのは森林鉄道チャーターで有名な(?)中部ジャワ州東部のチェプー。
本日の廃線跡・廃駅巡りはここから始めることにします。

先ずは少し北に走ったブローラ(Blora)から。
北海岸路線は併用軌道的に道路脇を走っていた区間が多かったようだが、こちらの区間は線路跡と道路は地図で見てもかなり離れて走っていた模様。
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小規模なバスターミナルとして機能している、ブローラ駅跡。

それでもブローラ市内に入る直前で左手に線路跡が沿い、自動車橋の脇には鉄道橋の橋脚の遺構が残る。そしてブローラ駅は市内の中心部のメインの大通り沿いにあったようで、現在はバスターミナルとして使われていた。
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ブローラ駅東側に残る橋脚。

駅本屋というか、ホームだった大屋根の下には屋台のワルン(食堂)が店開き。いつもの「国鉄PT.KAI所有地」の看板、財産標が張られた建物は当時の事務所か倉庫か。
裏手の線路跡の雰囲気を残した道を少し歩いてみると、現在はセメントブロック工場となっている建物、壁には「PJKA DEPO LOKO BLORA」の文字と、当時の国鉄PJKAのシンボルマークがはっきりと残されていた。
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機関庫跡の建物。立体的なPJKAシンボルマークが誇らしげ。

続いてそのまま北に向かい、北海岸幹線道沿いの街レンバンへ(Rembang)。小さな町の常で一方通行が多かったのだけれど、こちらでも街の中にあった駅跡はすぐ見つかった。最近はWikimapiaとか、GoogleEarthとか、地図が不十分な街でも本当に便利になったもんだ。
こちらの駅も明り取りのダブルルーフが特徴的な大屋根の下には洋服などの商店やワルン。元の駅舎だった建物には出札窓口がキレイに残っていた。また、東側に少し歩くと、蒸気機関車の給水塔が残されていた。
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レンバン駅舎。背中側には倉庫、奥(写真右手)には給水塔が残る。
切符売場の窓口が当時のまま残るレンバン駅本屋の建物。
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続いてよく整備された北海岸道を東へ向かい、目指したのはラセム(Lasem)。ここの廃駅は、トラックの車庫となっており、日本からの中古のものを含めた大型トラックが駅舎前に止められていたため、駅全景が取れなかったのは残念。
小規模な駅ホーム屋根の下では地元の子供たちが遊んでいたが、すぐ脇の駅本屋は目の前に建てられた看板によるとどうやらCagar Budaya(文化遺産)として指定されているようで、今はほったらかしだけれど、将来的には整備されて保存されるのかもしれないね。
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子供達の遊び場となっていたラセム駅跡。正面の駅本屋には出札窓口が見えます。
派手な選挙ポスターの脇には「文化財指定」の看板が立てられています。
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さて、本日のルートを逸れてこの街にわざわざ寄り道したのは、この街がバティックの産地として有名だから。
先月この中部ジャワ州西部のプカロンガンのバティック博物館を訪問した時、地元のものだけではなく全国各地の伝統的モティーフのバティックが展示されていたのだけれど、その中で個人的に一番気に入ったのが、このラセムのものだったのです。
事前にネットで調べると、市内でもキチンと手染めのバティックを作っている工房はもう3つほどしか残っておらず、その中の一つ、華人の楊俊賢(Njoo Tjoen Hian、 インドネシア名Sigit Witjaksono)氏経営の工房がラセム駅からほど近く、こちらを訪問してみました。
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バティック工房の作業場にて。
直販スペースにて。ここはこういう柄なんですね。
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ちょっとした展示がなされている旧家の裏手にあった工房ではこの日も10人ほどの地元のおばちゃん、おばあちゃんたちが染色作業に打ち込んでおられ、御年86歳、耳が遠くて会話に多少苦労しましたが、Njoo Tjoen Hian氏自ら案内していただきました。
この日は週末ということもあって、次々と観光客がクルマで訪れ(スラバヤのAirlangga大学の先生一家と暫く一緒に見学・話をしたりしました)、暫くの見学の後、皆さん一枚二枚と手染めのバティック生地を買って帰っていました。折角なんで当方もシャツに仕立てられそうなものを少し記念に。

面白かったのは、華人の方ということで、漢字を使ったデザインの生地も作っておられたのですが、多くのインドネシア人はその意味が解らないので、売り物の生地にはインドネシア語でその説明をする紙が貼られていました。

続きます。

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