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2014年6月18日 (水)

「いもこ列車」を楽しむ。

あらきそばで久々に美味しい田舎そばをいただいた後、目指したのは少し南に走った河北町の中央公園。こちら、お好きな方ならすぐにピンとくると思いますが、目的は「いもこ列車 」です。

詳しくはググっていただくのが宜しいかと思いますが、ここ河北町谷地と最上川を挟んだ奥羽本線 神町駅との間には「谷地軌道」と称する僅か5.6kmほどの短い蒸気軌道が走っていた時代がありました。
その昔鉄道草創期、街道沿いの有力な集落の中には、水運等他の交通機関が輸送の主力を担っていた時代に、例えば“蒸気機関車の火の粉で街が火災になる”といったことを理由に 新たに建設されることとなった鉄道が自らの街を通過することを望まず、 結果鉄道はその街を離れた地域を走ることとなり、山形=大石田間が1901年、1903年に新庄まで が開通しています。
その後鉄道沿いの街が栄える一方、鉄道ルートから外れた古くからの街が寂れていったという ケースが全国で多々見られましたが、谷地の街もその後慌てて鉄道建設を図り、私鉄として最寄りの奥羽本線神町駅との間にナローゲージの軽便鉄道が敷設されたのが1916年でした。 しかしながら1935年にはそのか細い線路も廃線となり、この鉄道が活躍したのは僅か20年ほどでした。 その軌道で用いられていた雨宮製作所製の蒸気機関車が装備していた、火の粉止め煙突の形状が里芋 の形に似ていたことから、この汽車は「いもこ列車」と呼ばれていたのだそうです。
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多くの町民の皆様に囲まれ、「いもこ列車」が走り出しました。

この列車を再現しようと河北町内の中央公園に新たに130mの線路を敷設し、河北青年会議所が運行 しているのが現在の「いもこ列車」。蒸気機関車は当時のものは当然残っていないので、台湾糖業公司渓湖糖廠から1948年ベルギー製の ナロー蒸気機関車を購入、1988年より公開運転を開始したものです。
当初は台湾時代の姿を比較的留めたままの運転でしたが、その後車両の不具合やアスベスト対策等 から補修を行い、運転台後方に新たに蒸気発生用のボイラーと、乗客用の乗車デッキをとりつけ、 2012年に運行を再開したのだそうです。

現在の運行は年におよそ5日ほどとたいへん少なく、今回の山形行きがこの数少ない運転日に 当たったのはラッキーでした。 勿論、この日程に合わせて山形に行こうと思ったわけじゃないですよ。 (本年の運転日は、こちら
この日の運転時間は午後13時~15時の間、乗客がいれば随時運転ということで、 お昼ご飯を終えてちょうど13時頃に河北中央公園に到着してみると、機関庫を出て出発準備中の 機関車の前には既に30人ほどの、地元の家族連れと思しき人たちが列を作って運転開始を 待っていた。 線路沿いには写真を撮ろうとする人や、本格的な録音マイクを手にした“音撮り鉄子”のような 方々も。
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後部には蒸気発生用のボイラーと、このような乗客を乗せる展望デッキが新設されていました。

出発を待つ間に列は続々と長くなり、数往復の後の給水のための小休止を挟んで30分ほどの 待って一往復試乗を楽しんで戻ってくると、この順番待ちの列はもう100人ほどにまで伸びて いたのは驚きでした。

現在は石炭ではなく、ボイラーを使って水蒸気を発生させているようで(燃料に何を使って いるかは「秘密」の由)、そのボイラーを収めた 運転台後部の無骨な黒い箱がオリジナルの雰囲気を壊してしまってはいますが、それでも 圧縮空気ではなく、ちゃんと蒸機を沸かして動かしているのだから立派なもの。 滅多に動かないだけあって地元の皆さんも楽しみにしている様子が伺われ、とても好ましい動態保存鉄道でした。

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