« 2014年10月 | トップページ | 2014年12月 »

2014年11月30日 (日)

ようやく初乗りしましたが・・・「ジェンガラ」号の新線。

さて、先々週末に初乗りに出向いてはみたものの、満席で敢えなくスゴスゴ帰宅を余儀なくされていた、シドアルジョ=モジョクルト間の新線。
取り敢えず地元に未乗区間が残っているのも気持ちが悪いので、早めに一度は乗っておかない。先週出張の合間に夕食をご一緒した旧知の国鉄PT.KAI職員のRさんも、「ああ、あれはガラガラですよ」という話だったし、最初は物珍しさから地元のお試し客も多いだろうけれど、そろそろ落ち着いたかな、ということで、この週末日曜日に再度出掛けてみることにしました。
Jp1110931
陽もとっぷり暮れたシドアルジョ駅で出発を待つ、「ジェンガラ」号。

ちょっと寝坊して午後、15:20発の便を目指してウォノクロモ駅近くからマラン方面行きの乗合バンで南下、14時前頃にシドアルジョ駅に着いてみると、駅前は今日も前回と変わらぬ大勢の人だかり。つい先日11月24日には運輸大臣と県知事出席の下、公式開業記念式典が行われたということで、幾つもの花看板の立てかけられたままの駅舎に入ってみると、今日も変わらぬ長蛇の列。そしてデジャブ。数分並んでいるウチに、「15:20発のジェンガラ号は売り切れです」との無情な案内放送。あぁっ、もうっ... あと少し早起きしなかった自分に腹が立つ。誰かに八つ当たりも出来ないし。
Jp1110909
お祝いの花看板が多数並ぶ、シドアルジョ駅舎。
全く蒐集欲をかき立てられない、コンピューター発券のペラ券。
Jp1110911
そんなわけでやむなく次発、17:40のチケットを購入(1号車3Dということで、まだこの列車 12人目らしい。1本前の列車、ほんの少し遅かったか・・・)、歩いて街中をぶらぶら、モールや喫茶店で数時間を潰す羽目になってしまいました。で、ようやく乗れることとなった 10275列車、モジョクルト行き。20分ほど前には乗車改札が始まったものの、モジョクルトからの折返し列車が遅延、入線したのは17:55頃。それから到着客を降ろし、乗車出来たのが18時10分過ぎ、折返しの列車が出発したのは、もう18時20分頃でした。
Jp1110942
ちょっと変わった握り方をする、ワンハンドル・マスコン式の運転台。
車内の電光掲示では、列車名と駅名とが交互に流されていました。
Jp1110948_2
17時半過ぎなら、まだ少し位は車窓も拝めるかな・・・とうっすらと期待していたのですが、この時間になってはもうとっぷりと日も暮れ、車窓は全くの暗闇、所々家の灯りが見える程度で、これじゃあ“乗っただけ”です。また日のあるウチに一度出直してこないとダメだ。
そんなわけで汽笛一声出発したINKA製の気動車KRDIの新モデル、基本的には以前乗った「Cepu Ekspres」 や「Madiun Jaya」で使われているのと同じ編成の、顔変わりマイナーチェンジ版。車内は椅子の形態が少し変わった位か。ドア付近の変な配置の“ハズレ椅子”も相変わらず残存。同じ料金でこれは嫌だね。車販カウンターも同様に設置されているけど、この列車では流石に売れないとみたか、販売員は乗ってませんでした。それでも掃除スタッフの溜まり場となっており、熱心にモップ掛けに勤しんでいました。
Jp1110938
車内はこんな感じ。少し椅子の形態が変わって、座り心地は向上か。
こちらが“ハズレ席”。これを同じ料金で売ってはいけないと思いますが。
Jp1110959
シドアルジョを出て大きく右にカーブして西へ進路をとった列車、あとはひたすら真っ直ぐ直進。途中の停車は、新駅トゥランガンと、南本線に合流するタリックの2駅のみ。トゥランガンからはお試し乗車と思しき数人の乗車客、以前から準備だけはされていた高床ホームに到着したタリックでは驚いたことにほぼ半数の乗客が下車、ほぼ満席に近かった車内は、一気にガラガラに。 そして終点モジョクルトには18:15頃の到着。
Jp1110950
途中トゥランガン駅からも数人のおためし乗車の方々が。

直ぐに入線案内放送があったブリタールからのスラバヤ行き「Rapih Dhoho」号に乗り換えできれば都合が良かったのだけれど、さっきシドアルジョ駅で検索して貰ったら既に満席。週末の夕方のスラバヤ行きの各線列車、直前に買えたことがない位どの列車も混んでいるのはご同慶の至りなのですが、これじゃあ困ります。立ち席でいいから乗せて欲しい。

仕方ないので、三輪バイクタクシーで国道端まで出て、こちらも結構混んでて立ち客も出ている都市間バスを数台見送り、15分ほどでようやく空席のあったブリタールからのPATAS車に乗り、スラバヤに戻りました。やっぱりモジョクルトまではスラバヤ都市圏。コミューター列車の頻繁運転は必要です。シドアルジョ=モジョクルト間に6往復も走らせる位なら、スラバヤ=モジョクルト=ジョンバン間あたりの方が先じゃないかと思います。
Jp1110975
終点モジョクルトに到着。さて、もう一回明るい時間帯に出直しですな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年11月27日 (木)

スマトラ縦貫鉄道、始まる??

今日の当地英字紙「Jakarta Post」の一面には、「トランス・スマトラ鉄道、視野に」との大見出し記事が。なんだこりゃ。新政権下で何か新しい動きでもあったかな。

ランプンからアチェまで、スマトラ島を南北に縦断する総延長2,168kmのスマトラ縦貫鉄道、前々から計画だけは何回もあり、一部アチェ地域では標準軌での建設も開始されていたこの鉄道、記事によると、 実現に向けてF/S(フィージビリティ・スタディ)が来年にも開始されるとのこと。
既に工事が始まった部分もあるのに、今更再度F/Sって、何それ。やり直すのかいな。

記事を読み始めてみると、政府運輸省は、国家開発計画庁(BAPPENAS)からドラフトが公開された 2015-2019年の政府中期開発計画(PPJMN)の中にこの鉄道計画を含めようとしており、来年にも F/Sを開始するのだという。 記事によれば同計画は、アチェ~ベシタン間518km、ベシタン~メダン~ランタウ・プラパット間の既存線の活用、ランタウ・プラパット ~ドゥリ~プカンバル~ムアロ~ジャンビ~パレンバン間1,650kmの新線建設、パレンバン~ランプン間の 既存線の信号システム、線路設備の改修などが含まれている模様。
14112804844transsmatera
一面に大見出しでトランス・スマトラ鉄道の文字が。上の写真はシドアルジョの泥池を迂回する鉄道に関してのもの。これはまた別記事で。

同省のヘルマント鉄道総局長によれば、これらのうち既存の施設も過去に鉄道が存在したこともない区間、特にプカンバル~ドゥマイ間のF/Sと土地収用を優先的に始めると述べ、当該区間にはトランス・スマトラ高速道路の建設計画が進められる中、これと合わせ用地買収を効率的に行い、地元自治体の協力を得つつ作業を 加速化させ、1年程度でF/Sを終了させたいとのこと。
ジョコ・ウィドド大統領は去る火曜日、ランプンを訪問し、トランス・スマトラ高速道路と鉄道計画を確認、これで事実上両計画は承認されたことになった模様。取り敢えずは65兆ルピアを見込んでいるという予算措置について国会の承認が得られたわけでも、資金手当てのあてがついたわけでもない状態ではありますが。

さて記事には簡単な地図が添付されていたので少々突っ込んでみますと、リアウ州プカンバルからジャンビ までの間、わざわざ西スマトラ州のムアロに大回りするのが現実的と思えませんが、これは西スマトラ鉄道の既存線に接続する支線(実は旧日本軍が占領時代にロームシャを動員して建設した鉄道のルート跡地になるかもしれない)を建設するという趣旨かな。プロジェクトの一部にパダン・ミナンカバウ空港新線の建設が含まれているなど、同州への配慮が見て取れます。
他方で、標準軌のアチェ鉄道との関係については何も触れられず。フランスの支援で再建・再開されたこの区間 を標準軌としたのは、貨物輸送が重要な役割を占めるこのトランス・スマトラ鉄道については、輸送力の大きな 標準軌仕様とすることが適当だとして無理やり標準軌化したと思ったんだけど、これはもはや黒歴史化しつつ あるのだろうかね。

より根本的な疑問としては、ジャカルタとスラバヤという東西の両主要都市間の流動と、両都市と地方都市との 流動があるジャワ島と異なり、スマトラ島の各都市は全島から人を集めるほどの大都市もない(メダン、パダン、パレンバン等の100万都市が幾つかある。)。基本的に、各地の資源をジャカルタに輸送し、ジャワ島からの 工業製品などの物資を地方部に届けるという輸送内容となるわけですが、そうであれば、細長い島の各主要港とのジャワ島との航路、港の整備、港と内陸部との道路や鉄道の整備が重要なわけで、こんな 縦断鉄道、国家百年の大計的な夢というかプライドはありますものの、そのためにこの大プロジェクトに大金を 投じますかね。

そして、一番最後に気になるパラが。
アンドリノフ・チャニアゴ国家開発計画担当大臣(バペナス長官ですな)は、新政府においては今後5年間 において高速鉄道は重点項目としておらず、近い将来において現実的ではないと述べた由。
インドネシア政府と日本政府は先だってジャカルタ~スラバヤ間新幹線高速鉄道計画について合意したが、イグナシウス・ヨナン運輸大臣は、ジャカルタ~スラバヤ間高速鉄道や、スカルノ=ハッタ~ハリム空港特急 建設について国家予算が割り当てられることはないと述べたとのこと。
おいおい。首脳間合意をいきなり反故にする気ですか… 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年11月26日 (水)

鉄道復活、続く!?

昨日のシドアルジョ=モジョクルト間新線の記事の続きですが、こちらの路線、実は完全な新線ではありません。
実は蘭印時代1910年代にこの路線は営業を開始しており、現在の途中駅トゥランガンと、南本線と合流するタリク駅との間には、プランボン(Prambon)なるもう一つの駅もあったのだそうです。それが1972年に列車の運行を取り止め休止、その後2006年のラッピンド社による泥噴出事故が発生、シドアルジョ=ポロン間の路線が大きな被害を受けたため、この区間の迂回ルートとして、シドアルジョからモジョクルト方面へ向かい、その途中で分岐して南へ向かい、プロボリンゴ・バニュワンギ/マラン方面へ向かう路線の、ポロン=バンギル間にかつてあったグヌンガンシール(Gununggangsir)へ向けて迂回路線を建設するという計画が持ち上がり、その一環として、このシドアルジョ=モジョクルト間も再生された、ということらしいです。
14112504835ignasiussda_2
昨日のKOMPAS紙、開業記念列車車内のイグナシウス運輸相(左2人目)とサイフル県知事(右)の写真ですが、表題は「鉄道路線、再生」。

それはさておき、以前中部ジャワ州では州知事のイニシアティブで休止鉄道の復活に向けた動きが進みつつあり、プルプック=テガル間路線の旅客営業再開が実現したなんて話を書きましたが、昨日の全国紙「Kompas」の17面のこの新線開業式典の記事は、「Jalur KA Kembali Hidup(鉄道路線、再生)」との題し、他にも今後、新政権下で進められる可能性のある、休止鉄道線復活計画として、本文中に以下の路線が挙げられていました。

東ジャワ州ラモンガン県、北本線のババット=トゥバン間路線
同 ババット=ジョンバン(南本線)間路線
同ジュンブル県 カリサット=シトゥボンド(シトゥボンド県)間路線

ヘルマント・ドゥイアトモコ運輸省鉄道総局長によれば、カリサット=シトゥボンド間路線については既に復活に向けた調査が始まっているとのこと(休止中のこの区間の現状はこちら。)、更には、中部ジャワ州プルウォクルト=ウォノソボ間路線(位置関係は、こちら。)までもが復活対象だとか。既に元の路盤や駅跡には不法占拠の住居などが立ち並んでおり、これら最早既得権と化している人たちを移転させるのは、容易ではないでしょう。

その他には、既報ですが、既に一部では改修工事に着手されている同州アンバラワ近くのトゥンタン=クドゥンジャティ間路線、また、ソロ・プルウォサリ=ウォノギリ間路線(こちらなど、旧知の国鉄職員R氏によれば、懸案だった橋の改修も既に終了しており、レールバス「バタラ・クレスナ」編成の方に問題がなければ、この12月からにも運行再開される可能性ありとのこと!)など、果てにはバリに於ける鉄道建設計画(詳細不詳)まで書かれるなど、もうなんだかキリがない夢一杯という感じの記事になっています。

何がどこまで実現するのか、いつになるのかわかりませんが、なったらいいなー、位に楽しみに待っていましょうかね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年11月25日 (火)

新線、公式開業。

先般11月12日にヒッソリと開業していたスラバヤ南郊、シドアルジョとモジョクルトとを 結ぶ新路線、実は当地で言うところの所謂“ソフト・オープニング”だったらしく、正式開業式典が昨24日(月)にイグナシウス・ヨナン運輸大臣出席の下、シドアルジョ駅で行われたということで、今日の当地報道各紙には大きなカラー写真入りの記事が載っていました。
いやあ、月曜日の朝にやりますか。週末だったら見に行けたのですが。平日だと・・・ 事前にわかっていれば・・・いや、いたとしても、有給とってこの式典を見に行くのは、少々気が引けますが。
112504841ignasiussda
開業記念列車車内のイグナシウス運輸相(左)とサイフル県知事(右)のビミョーな表情を伝える今朝の当地紙「Jawa Pos」。

ところがわざわざ大臣まで出席して開催された式典の雰囲気は少々刺々しかった模様。 東ジャワ主要紙の「Jawa Pos」37面の記事は、「半時間遅刻、県知事、大臣に叱責される」との見出しがつき、8時開会予定の式典に30分ほど遅刻して現れたサイフル・イラー・シドアルジョ県知事に対し、イグナシウス運輸相は自らのスピーチの際に、「今何時とお考えか。貴殿をお待ちしたために式典の開始が遅れているが」と腕時計を示しつつ述べ、知事は黙って大臣の車両点検セレモニーの後ろをついていくだけだったと書かれていた。
まあ、この国のお偉いさん、アポイントの時間を超過しても長く話をつき合ってくれることも多いのだけれど、逆に言えばそれは次のアポの人を待たせているわけで、指定された時間にいってもまあ時間どおりに始まることがない、というのが常(国軍行事を除く)。
先般イグナシウス“国鉄PT.KAI社長”と会った時も、1時間ほど待たされたけれど、これも会議が長引いたためで、こちらはそんなの慣れっこで、別に私のために途中で切り上げて貰うような話でもないのだけれど、「待たせて申し訳なかったね、日本人は時間に正確だから」とさかんに気を遣っておられた。基本的に、そういう感じの方のようですね、この大臣。

更に同大臣、今回の車両を確認した上で、INKAに対しても注文。「別に豪華なものは作らなくてもいい。でも期待されることは長持ちするものを作って欲しいと言うこと。パレンバン=インドララヤ間(のレールバス車両) なんか、製造から何年も経ってないのにもう全然走らない。」と、この創立33年になる国営鉄道車輌製造会社を批判した。
関係者の方には申し訳ないですが、至極当然の指摘で、全くそのとおりです。 先般鳴り物入りで導入したドイツ支援の「KfW」電車、韓国製電装品を用いて再生させた「Holec-AC」電車も全て運用離脱している有様。客車は流石にそこそこまともに使われているようですが、これではジャカルタ空港鉄道用車両も、ホントにちゃんと作れるのか、心配になってしまいますね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年11月24日 (月)

ジャカルタ空港駅、着工!

今朝の全国紙「KOMPAS」紙には、「空港鉄道駅の建設、始まる」との見出しで、去る18日、ジャカルタ・スカルノ=ハッタ国際空港鉄道用の駅の建設工事が開始されたことを報じていました。

工事が開始されたのは、円弧を描いて設けられている南側の第1ターミナルと北側の第2ターミナルの中間付近、少し東側の第3ターミナル方向に行った辺り、地図で見ると杓文字の付け根あたりといえばいいだろうか。記事によると第632ビルの前に7,200㎡の敷地を確保して、と書かれてるけど、わからないよね。
どのターミナルビルからもそれなりに遠く、この空港駅と各ターミナルとの間は、APMS(Automated People Mover System)と呼ばれる無人運転のシャトルで結ばれるという。
最近流行?の羽田のモノレールやKLIA、或いは古くはヒースローの地下鉄ピカデリー線のように、直通列車がそのまま各ターミナルに停車するというスタイルにはならない模様。
空港管理会社アンカサ・プラ2の広報担当課長ユディス氏によれば、工事は国営建設会社アディ・カリヤが主体となったコンソーシアムが請け負い、段階的に進められ、遅くとも2015年12月には完成するとのこと。
14112604842bandara
空港駅着工を伝える24日付「KOMPAS」紙(左)と、完成予想図を載せた25日付「Jawa Pos」紙(右)も追加しときましょう

さてこの鉄道新駅、駅だけではなくて線路がどうなるか、なのだが、既報のとおり空港鉄道は既存のタンゲラン線バトゥ・チェプールから北上する12kmの新線を建設する既存路線活用案と、ジャカルタ北部アンケ付近からプルイットを経由し、現在の高速道路空港線に沿った形で東から空港に入るルートの二案があり、費用対効果で現実的なのは前者の既存路線を活用する案。
土地収用も、路線予定地には軍や空港公団の敷地が多く比較的容易・・・とはいえ、まだ20軒ほどが移転に応じていないような話を誰かから聞いたことがあったな。それでも北回りルート案よりは現実的でしょう。タンゲラン線側も複線化工事をほぼ終え、この路線を経由して、タナアバン、スディルマン、そしてマンガライ駅に設けられるターミナルとの間を結ぶ空港特急を運行する方向で計画されており、使用される車両も、INKA-Bonbardier組が落札した(筈。契約に至ったかどうかは未確認ですが。)。
更には、ジャカルタ南東方のハリム空港(現在は国内大手ではCitilinkだけが乗り入れ。先日Lion Airが運営権を獲得したので、今後はLion airも就航するでしょう。)までこの空港鉄道を延伸する計画もあるそうです。

いずれにしても、早ければ30分ですが渋滞すると酷い時にはジャカルタ都心との間で2時間半程も要し、出張者が乗り遅れたりしたこともあるスカルノ=ハッタ国際空港、運航時刻の安定した鉄道交通機関が出来るのは誠に有り難いこと。その進捗には何度も一喜一憂してきておりますが、今後も恐らくそうなんでしょう。それでも着実に進められ、そのうち突然「開通!」なんてなるであろうことを期待しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年11月23日 (日)

イジェンの青い光、リベンジ。

今回の目的はリベンジとなる イジェン火口湖。
前回は昼間の登山、午後になって霧が出てしまい、肝心の火口も全然見えなかったのだけれど、今回は夜間の登山をメインの日程に据え、これに合わせてスケジュールを組みました。
当方、夜間の登山なんて初めてで(ブロモの日の出を見に行ったのは、殆どジープで走って最後に遊歩道を少し歩いただけだから、登山には含めないね。)結構心配していました。
Bp1110804
硫黄が燃える青い光を望む。イジェン火口にて。
ピントが合ってなくて申し訳ないですが、迫力は伝わるかと。
Apibirup1110834
夜23時頃に宿手配のジープで出発、深夜1時頃に登山口の駐車場に到着。 ここでガイド…といっても、例の硫黄堀り・運びのオッちゃんなわけですが、そのガイドさんの一人と合流、頭に着けるタイプの懐中電灯を手渡され、さあ出発です。
駐車場には前回とは打って変わって、50台以上はあるだろうか、沢山のクルマが停まっており、随分多くの登山客が一緒に登っているであろうことがよくわかります。
前回随分と苦労した山道は、外輪山までがおよそ3km、この間に約500mを登るという、結構な急坂で、さっきクルマに乗っている間に雨が降り出して心配 したのですが、幸いにもこのあたりは降らなかったようでヤレヤレ。
今回の同行者、当方以外はアラサー世代ということで、やはり如実に歳の差(ということ にしておこう。日頃の運動不足は棚に上げて。)を感じましたが、それでもなんとか位つきながら、1時間半ほどで途中の休憩所での一服を経て、火口湖まで無事到着。
Bp1110838
ガスや煙が噴出する中、硫黄を採掘するオッちゃん。流石にここには近づくな、と言われました。

ここからが今回のメイン。ガイド氏に随分とゴツいマスクを渡され、案内されて急な 岩場を下りだす。あちこちに手をつきつつ、ちょっと滑ったりしながら20分ほど歩いた 頃だろうか。ちょっとマスクを外すと喉を突くような激臭が漂い、眼下には青い光 が。
この山は今でも活動している活火山で、日々硫黄が吹き出してきており、 このオジちゃん達は(実は30代前半であることが判明するのだが)この硫黄を掘り出して下まで運ぶことで生計を立てている人たちで、アルバイトとしてガイドさんも兼業 しているのでした。
その硫黄の山の近くまで案内すると「ホッて来るからちょっと待ってて」と言って硫黄ガスの 中に飛び込んで行った。おいおい大丈夫かい。
我々はその間硫黄の青い光を遠巻きに眺めながら写真を撮ったりするのだけれど、 どうにもこうにもピントが合わず、エライ苦労しました。こんな状況下での撮影なんか したことないから、マニュアルでもどう合わせていいのかわからず。ちょっと勉強 しとかなきゃダメですね。
Bp1110861
案内してくれたガイドさんが60kgの硫黄を計量中。。オッちゃんと書いてスマヌ。僕より10歳も若かった。

そんなわけで程なくオジちゃんの作業も終了、次第に明るくなって来た中を外輪山まで急な岩場を登り(これが また眼下に広がる崖、昼間最初この崖路を見てたら、絶対歩いて下りたくなくなる ような急坂でした。高所恐怖症の当方にとっては更に。)、下山。
登山口に降りてきたのはもう6時くらいになっていました。往復5時間、我ながらよく歩いたもんだ。
Bp1110777
ちょっとバリあたりのリゾートっぽい雰囲気を目指して頑張ってます、な今回のホテル。

8時半頃、ジープで再度宿に戻って一休み。
駅に送って貰い、カリバル10:19発の「Mutiara Timur」 86列車でスラバヤ戻り。
ホントは件のトロッコ列車に乗りたかったのだけれど、今回もまた12月いっぱいまで保線作業のため運休、とのことで断念。なんかここの区間ばっかりいっつも作業してるような気がするのだが…
Bp1110881
スラバヤ行き急行「ムティアラ・ティムール」号を牽引するのは、CC204の初期型、非流線型CC201似ボディの0307号機でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年11月22日 (土)

バニュワンギ祭りへ。

明けて22日土曜朝、早朝5時に20分ほど遅れて終点バニュワンギ着。こちら、駅名票などあちこちにバニュワンギ・バルとの表記があり、駅コードもBWB。
以前この路線の終点駅はバニュワンギ市街地中心部にあるバニュワンギ駅に入っていたのだけれど、(Wikipediaによれば)1985年頃に途中のカバット(Kabat:現在は休止)駅からこの現在のクタパン港近くに伸びる路線が新設され、切り替えとなったもので、現在に終点バニュワンギ・バル駅は市街地からは10kmほど北と大きく離れている。
Bp1110664
早朝5時のバニュワンギ駅へ到着。

駅周辺にはバリ島へ向かうフェリーターミナルと、少し北へ向かったところに工業地帯があるくらいでロスメン(簡易宿舎)一つないので、市内へ入って少し休憩できるところを探そうと思ったところにベモの運転手が声をかけて来たので我々グループ5人でこれをチャーター(Rp.50k)し、市内へ。

ところがこの日の市内、我々の目的でもあるバニュワンギ・フェスティバル観覧客が多いためか中心部のプンギナパン(宿泊施設)は悉く満員。それでも責任感を感じた親切な運転手さん、数軒回ってくれ、ようやく一軒のロスメンを見つけ一寝入りすることが出来ました。早朝速く着き過ぎる夜行列車も善し悪しです。
Bp1110689
バニュワンギ・フェスティバルが始まりました。

そんなわけで一休みの後、市内中心部の会場へ… 向かっていたところ、行事関係者と思しき人たちを見つけて話しかけると、そのグループの中の一人がなんと関係者どころかバニュワンギ県知事だったのはビックリ。まだこの40台と思しきやり手の知事さん、自ら無線を持ってあれこれ指示しながら忙しそうでしたが、ちょっとお話も出来てラッキーでした。

お祭り自体は随分と待たされて1時間半近く遅れて開始となり、始まったらまた知事に来賓の大臣2人(観光大臣と社会大臣だったかな)の挨拶が延々続いて、屋外のテント下で汗だくになって来た頃にようやく始まり、3機の飛行機が頭上を舞い、会場センターを伝統的なお祭りの衣装・・・なのかな、美しく着飾ったグループが音楽を鳴らしながら練り歩くという、ファッションショーともちょっと違うけれど、なかなかのものでした。
Bp1110705
ベモ(右)をチャーターして、カランガセム駅に到着。

しかしまあいかんせん暑くて疲れ、汽車の時間もあるので申し訳ないけれど途中で退出させていただき、再度通りがかったベモと交渉、今度はバニュワンギ駅よりも市内中心部に少し近いであろう、カランガセム(Karangasem)駅へ移動。
定刻15:09発、下り急行の交換待ちで少し遅れた「Probowangi」号スラバヤ行きで約1時間、今晩の宿となるカリバルへ。宿のクルマを待ち、向かった先は幹線道路から少し外れた「Kendi Villas and Spa」なる、まだ新しい小奇麗なこじんまりとしたリゾートホテル。他にお客さんもいなかったためか、非常に家族的な対応で、良い感じで気に入りました。
深夜の活動に備え、夕食後は先ずは早寝。
Bp1110731
カランガセムから「Probowangi」号でカリバルへ移動。
カリバルで交換した「Pandanwangi」号は、もはや全国でもここだけか、箱形液体式DL、BB304型機が牽引する定期列車。
Bp1110762

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年11月21日 (金)

金曜夜、夜行列車で。

金曜夜、この週末は珍しく職場の同僚ら5人で、東ジャワ州内の地方部へ出掛けてくることにした。
行先はジャワ島の東部、馬蹄とも呼ばれる、バリ島に向けて広がっているエリアの先端、バリ島へのフェリーの発着港もあるバニュワンギ県。
仕事を終えてから、在留邦人の一つのグループの定例の飲み会を途中で失礼し、シャワーを浴び、市内グブン駅から乗り込んだのは、22:10発の1,2等急行87列車、「Mutiara Timur」号。いかにも二線級の地方の急行列車らしく、雑多な古い客車をかき集めて組成したと思しき編成の車内は、週末お出掛けといった雰囲気の人達も含めてほぼ満席の盛況。週末前だしね。
Mutiaratimurgubeng10351098
スラバヤ・グブン駅で出発を待つ、ムティアラ・ティムール号バニュワンギ行き。これは二等Bisnis車です。

車内で同行の同僚と待ち合わせ、列車はほぼ定刻に発車しました。夜行列車なんか乗るのも久しぶりです。車内壁際のDVD画面では、何故か「るろうに剣心」を字幕付きで。
ゆったりとしたリクライニングシートの車内ですが、夜行列車で寝るには、やっぱり寝台車が欲しいよなーと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年11月16日 (日)

新線、満席で乗れず・・・

例のシドアルジョ=モジョクルト間に開業した新線、既報のとおり1日6往復の列車が冷房付きの新型KRDI車両で運行を開始しています。実は今日試乗に来てみたのだけれど、お試し乗車を試みる地元住民等で溢れ、結局乗れずにスゴスゴ引き返してくる羽目になっちゃいました。
Jenggalap1110642
シドアルジョ=モジョクルト間「Jenggala」に投入された、新型KRDI車両。

市内ウォノクロモ駅の南側からミニバスに乗って1時間ほど、シドアルジョ駅に着いた10時半の時点で11:45の便が満席(3時間前からの販売で、その時点で数分で売り切れた由)で先ずは驚き。で、次の15:20発は13時から販売するというので、12:45頃に窓口に向かうと、既に長蛇の列。
それでもまあ大丈夫だろうと思って並んでいたら、僅かに5人ほどに販売しただけで「15:20発満席、17:40発立席のみ」との紙が貼られた。
Bannerp1110599
新列車の運転開始を告知するシドアルジョ駅前のバナー。

なんだそれは。今販売開始になったばかりの切符が、52席X4両、立席も入れて266枚売る筈の券が数分でもう売りきれとはどういうことだ、まだ販売開始になっていない夕方の列車の切符がもう満席とはおかしいじゃないか、といきり立って駅長室に乗り込んで直談判。
冷房の効いた指定券販売窓口で涼んでおられた駅長氏の説明によると、ローカル列車としての窓口での販売は3時間前からであるが、それとは別に「Pemesanan(注文)」によって多くの席が予約されているためだという。なんだそれは、どっかのお偉いさん用なのか、駅員とコネクションがある人向けに裏から手を回したりしてるのかと勘繰るも、そうではなくて、コンピューターで事前に予約できるのだという。こんなローカル列車が。
Sdap1110662
グダグダな列の前で突然張り出された売り切れ告知に愕然。

そうであるのならば、こっちだって予約するよ。窓口でスリの危険を気にしながら(結構トラウマ)押し合いへし合い並んでなくて良いのだから。予約できるのなら、なんでさっき10時半に11:45が満席で、次の15:20発が空いていた、その時点で予約するように教えてくれないのだ、と当然の如く問い詰めると、確かにそれは窓口の販売員の配慮が足りなくて申し訳ない、と素直にお詫びの言葉が出て来たので、まあそれなら仕方ない。

あとはこの新列車関係の雑談を暫くして過ごし、17:40発ではもう車窓も殆ど見えなくなってしまっているので、また来週末以降に出直してきますよ、ということで握手して駅を辞することに。
Jenggalap1110601_2
6往復ある列車時刻表。そんなに需要あるのかな?

まあ、皆さん(私もそうですが)新しモノ好きなんですよね。
仕方ないので、まあ、暫く落ち着いた頃に出直して来ましょうかね。近所ですし。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年11月14日 (金)

バニュワンギ空港で脱輪事故。

今日の当地主要紙「Jawa Pos」には、最近デンパサール=バニュワンギ=スラバヤ=ジュンブル間の運行を始めたガルーダ航空のATR72型機の写真。機体の拡大写真を見ると、車輪が滑走路脇の芝生に出てしまっている。あらら。
記事表題は「エプロン逸脱、ガルーダ機離陸できず」とあるけど、どうしたのだろう。着陸してオーバーランしたか、滑走路の隅でUターンする時にちょっと大回りしてはみ出しちゃったか。
20141114banyuwangiatr04822
事故を伝える新聞記事。どうやって復帰したのか気になります。

事故が起こったのは13日午後13:10頃、ジャワ島東端のバニュワンギ・ブリンビンサリ空港で、スラバヤから到着して乗客を降ろし、バリ・デンパサールへのGA7304便として出発準備中であったこのATR72-600型機、旅客ターミナル前に駐機し、乗客を乗せて扉を閉めたのち、プロペラが回り出したにもかかわらず、突然後ろに後退しだし、そのまま5~6mほど後ろ向きに動きエプロンからはみ出して停まったということ。
直ちに35人の乗客は降機して、まあけが人もなかったとのことですが、さていったいどうしたのでしょう。プロペラが回り出したという事なので既に車止めも外されていたのでしょうから、駐機位置が後ろに下っていたため、ズルズルいっちゃったという、まあ若干お間抜けな話というか、飛行場の設計がそれでいいのか、という事なのでしょうか。
プロペラを逆向きに回しちゃったんでバックした、なんてことではないんでしょうね。
Bwn2012112502217
問題のバニュワンギ空港のエプロン。この位置からズルズルと・・・

バニュワンギ、現在若手の県知事が張り切って工業団地や大学の誘致、港の拡張や観光客誘致イベントの開催、そしてその拠点となるブリンビンサリ空港ターミナルビルの改築などに努める中、ガルーダ航空がバリとの間のフライトを開設、バリへの旅行客をバニュワンギ県のサーフィンスポットやイジェン山にまで連れてこようと頑張ってる中、ちょっとケチがついちゃいましたかね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年11月12日 (水)

シドアルジョ=モジョクルト間新線、ひっそり開業。

ひと月ほど前に突然、近く営業開始!の報が流れた、スラバヤ南郊シドアルジョとモジョクルトを東西に結ぶ謎の短絡線。
昨日11日、別件で偶々訪れたスラバヤ・グブン駅のカスタマーサービスで何の気なしに聞いてみたら、あ、それ、明日から走りますよ、とのこと。ええっ、そうなんですか!
ただ、こちらの質問に暫く電話であちこち聞いた後、「時刻はわかりません。一日6回走るようです。」ええー、何それ。明日からの列車の時刻が、鉄道管理局の御膝元の駅でわからないってどういうことですか。

で、そのまま、有給取るわけにもいかない忙しかった今日、朝の当地ローカル紙「ラダール・スラバヤ」には、「明日、トゥランガン駅運用開始」との写真入りの記事が。
このシドアルジョと、モジョクルトの手前、南本線と合流するタリク駅の間には一駅、トゥランガンという新駅が営業を開始するのですが、それはすなわちこの路線が旅客営業開始されるという事ですね。
読んでみると、「随分長く待たされたこの区間、新型KRDI気動車により昨11日、試運転が行われた。DAOP8(第8鉄道管理局)のスマルソノ広報担当は、明日この区間の列車の運転を開始し、トゥランガン駅も営業開始される。しかし運行時刻については運輸省鉄道総局からの連絡待ちであるため、まだ決定されていない。」と述べたとのこと。なんだいそれは。
記事を読み進めていくと、明日12日は無料でのソフトオープン、正式営業開始以降は片道Rp.4,000となる予定とのこと。運賃も昨日の時点では正式には未確定ですか。
141112tulangan04820
ようやく営業開始、トゥランガン駅の近代的なホームに停車するKRDIを映す、新聞記事。

ともあれ本12日、国鉄PT.KAIの公式Twitterによると、どうやらこの区間正式に運行を開始したようです。運転は、モジョクルトからシドアルジョ経由でスラバヤかと思いきや、モジョクルト=シドアルジョ間の折り返し運転となった模様。
愛称名は「Jenngala」号。運転時刻は、
シドアルジョ発が 06:30、09:05、11:45、15:20、17:40、20:55
モジョクルト発が 05:20、07:45、10:20、13:50、16:35、19:50
の一日6往復と、案外多い。また、一編成のKRDIが行ったり来たりするわけだ。で、故障したり、定期点検の日には運休になるんだろうな。

しかしそれでは、その二地点と、間にあるトゥランガン駅の間の旅客しか念頭に置いていないということで、シドアルジョからスラバヤ方面のコミューター列車と接続しているわけでもない模様。そんなんで、どれだけの需要があるのでしょうか。需要量調査なんかしてるんでしょうか。

まあともあれ、建設以来4年間の放置を経て、ようやく営業を開始した新線、取り敢えず今週末に時間があったら、試乗に行ってみることにしましょうね。

| | コメント (0)

2014年11月 7日 (金)

訃報: レイルウェイ・ライター種村直樹氏、逝去。

私の汽車旅の師匠(と勝手に呼ばせていただくが)、Railway Writer種村直樹氏が昨晩逝去された。
鉄道ライターのはしりでもある同氏は、京都大学卒業後毎日新聞の記者を経て1973年に退社、フリーのライターとして数多くの鉄道記事や著作を世に送り出してきた。
国鉄・そしてJRの旅客営業規則に詳しく、雑誌「鉄道ジャーナル」や「旅と鉄道」に毎号のように紀行記事や、「汽車旅相談室」と称する、国内鉄道旅のハウツーや、鉄道の運賃関係規則に関する読者とのやりとりが掲載され、故宮脇俊三氏と並ぶ、鉄道旅行趣味界の二大巨頭とも称される方だった。

私自身、小学校5年生くらいの頃だったか、初めて同氏の著作を図書館で手に取り、たちまち虜になった。
氏の記事や著作品には自宅事務所の住所が書かれ、我々一読者からの質問の手紙を受け付ける、オープンな姿勢が新鮮で、中学生になった私も、確か所謂「一筆書ききっぷ」や、「鈍行乗り継ぎ」に関して何通か質問の手紙を書き、誠に達筆というか、判読するのに苦労する直筆の手紙での返事を貰ったのを覚えている。

氏には、大学時代からの友人が幹事役となって立ち上げられた「種村直樹レイルウェイ・ライター友の会(TTTT)」と称する読者の会があり、最盛期にはメンバーも1,000人以上を数えていた。年に一度国鉄・JRを使っての汽車旅ゲームや列車を乗継いでの旅が行われ、かくいう私も高校生時代に一度イベントの幹事役を仰せつかったこともあった。
当時活発に活動していた仲間・・・ 当時我々が高校二年生であったことから、「高2パワー」と称された、その頃の10人以上の仲間たちとの付き合いは、いつしか(上述のイベントが開催された東北地方にちなんで)「みちのく会」と名付けられ、その後四半世紀以上を経た現在でも、年に1~2度の汽車旅・温泉旅行などを続けている。

その後、私が一時期汽車旅から疎遠となったり、海外生活が長くなり種村氏とお会いする機会は減っていったが、それでも私の韓国在勤中にはソウルを取材で訪れていただき、SL列車や東海岸へ向かうスイッチバック、温泉などを御案内したこともあった。(こちらに収録)

2000年にくも膜下出血で倒れ、幸いにも回復されたが、その後残念ながら徐々に筆の勢いが落ちていったように感じられた。記事や作品にも雑な、あるいは誤りを含むものもしばしば見られることとなり、古くからの続けて来ていた雑誌の連載もなくなってしまった。
その後一度は旅に出られるまでに回復したものの、2010年の年末に脳出血で再度倒れ、病床でリハビリに励んでおられたため、私も帰国の度に病院に見舞いに顔を出していたのだが、残念ながら昨晩、転移性肺がんで他界されたとのことだった。
Itoigawaimg_9603_3
最後にご一緒させていただいたのも、みちのく会、小谷温泉→頸城鉄道保存列車運行を見学、の際でした。古い写真はデジタルデータがないので…

種村氏の作品に初めて触れてから30年以上の間、人生の3/4もの間、多くの作品を読ませていただき、時には旅のお供をさせていただく機会にも恵まれ、私のこれまでの人生に随分と大きな影響を与えてくれた方でした。
彼と彼の作品、彼の読者の会で出会った大勢の先輩や仲間たちの影響をうけて趣味活動を深め、年上のメンバーからは社会常識を学ぶこともしばしばありましたし、次第に海外に目を向けるようになり、今の職業を選ぶきっかけの一つとなり、そして現在の自分があるのは間違いありません。このブログや、拙著の文体にも、彼の影響を受けている部分が多々あることでしょう。

去る6月の一時帰国時、出来あがったばかりのその拙著『インドネシア鉄道の旅』を進呈しに、病床を見舞ったことがありました。既に自ら頁を繰る力は残っていませんでしたが、これが私の作品であることは認識して貰えたような表情だったと記憶しています。もう一度元気になってインドネシアの汽車旅を楽しんで貰いたいと回復を祈っていたのですが、この願いはかないませんでした。

彼は作家・ライターとしての晩年は若干不遇だったかもしれません。ネットの掲示板には、彼とその“取り巻き”を揶揄するような心無い書き込みを随分目にしました。
それでも彼がこの40年間、鉄道趣味界に残したものは大きかったと思います。今のように、ネットなどなく情報が限られていた時代、彼の著作は偉大な情報源でもあり、汽車旅への夢をかき立ててくれ、私を含め、多くの読者が汽車旅に親しむきっかけを作ってくれました。

もう今後、時間と体調を気にしなくてよいのだから、思う存分あちらの世界で汽車旅を楽しんでください。タバコとビの字もね。
享年78歳。御冥福をお祈りいたします。合掌。
Kubikip1120231
2009年、頸城鉄道保存会の公開運転日にて。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2014年11月 2日 (日)

マレー鉄道でマラッカへ。

KL2日目の朝。KLセントラル駅の地下ホームから乗り込んだのは、マレー鉄道ことKTM、8時ちょうど発の13列車「Sinaran Selatan」、シンガポール行き。
2等車の座席は2人がけのロマンスシートでエアコンもほどよく効いて快適だが、残念ながら座席は方向転換できない固定式で、生憎後ろ向きの席になってしまった。
このあたり、イギリスの影響だろうか、先般乗った最新のKL=イポー間の高速電車ETSも集団離反型の固定座席だったっけ。気にならないのかなあ。回転座席にすることでそんなにメンテナンスに手間がかかるとも思えないのですが。
Ktmp1110553
タンピン駅に到着したマレー鉄道の列車。

まあそんな列車電車でおよそ2時間弱、KL首都圏の電鉄区間が、記憶にあった南の近郊区間の終点スレンバンからスンガイ・ガドゥなる小駅まで延伸されていて、更に延伸工事が行われている雰囲気で、そのほんの少し先、降りたのはタンピンという小駅。駅前広場は駐車場だけでおよそ何もないのだけれど、なく、どうやら最近立て直されたばかりのようだ。
そんな駅前に日系旅行会社のミニバンが停まり、この列車から降りてくる旅行者を待ち受けているのには驚いた。どうやら、「マレー鉄道乗車体験」つきのマラッカ・ツアーが組まれている模様。確かにこのくらいの距離・時間なら、鉄っちゃんではないフツーの旅行者がちょっとお試ししてみるには、丁度いい感じかな。
Melakap1110565
マラッカと言えば、この赤い教会ですよね。観光客だらけですが。

我々も交渉制のタクシーに乗り込んで、向かったのは西海岸随一の観光地マラッカ。
十数年ぶりの訪問だったのだが、週末ということもあって、日本や中国の観光地を彷彿とさせるような大量の観光客で溢れていたのにはびっくり。前回は人気も少なくて落ち着いた雰囲気だったのだが。
その人並みにまぎれ、例の赤壁の教会の日曜礼拝を覗き、川を渡った反対側にある旧市街地をお散歩。古い民家を活用した行列の出来るレストランで“ニョニャ料理”のお昼ご飯。
Melakap1110571
古い街並みがすっかり観光街となった、マラッカ旧市街地をお散歩。

夕方の帰路は、市街地外れに移転していた大バスターミナルからKLに戻るのだけれど、週末の夕方ということもあって、直ぐに出る便は各社とも悉く満席、空いてるのは夜19時だとか言われて焦った。
どうしよう、KLIA空港行きは空いてるらしいが・・・などと悩んでいるうちに、隅っこの方にカウンターがあった一社だけ20分後ほどの便がなぜか空いていて無事入手できたのでヤレヤレでした。
そういえば、行きに乗ったタクシーの運ちゃんも、「ターミナル寄って帰りの切符買うかい?」とか言ってたっけ。混むのだね、日曜の午後はいつも。
Mayangsarip1110576
MayangSari社の高速バスでKLに戻る。空いててよかったー。

そうそう。このマラッカ行きでちょっと楽しみにしていたのが、観光用に作られたというモノレール。ネット情報によれば、モノは中国製、2010年10月に1.6km程の路線が運行を開始したと言うが、故障が続出して1年ほどで運行休止になってしまったという。それが再開されたというような情報もあったので、タクシーに立ち寄って貰ったのですが、残念ながらモノレールの線路も一部取り外されてしまっており、もう復活は難しいような状況で、車両だけが寂しそうに“駅”に佇んでいました。観光用と言いつつ、教会や時計台、旧市街地のあたりまで走って行かないのだから、そりゃあ需要も見込めないですよね。
Melakamonop1110561
マラッカのモノレール・・・ 右上の方に車両がちょっとだけ顔を見せてます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年11月 1日 (土)

大人の週末@KL。

KL実質初日は、空港KLIA2からスタート。
今回のホテルプランは、ビジネスプラン(だったかな)と称して空港=KLセントラル駅間の特急電車の 往復乗車券がついてくる(これだけで2千円分の価値はあるね)というので、事前にやり取りしたホテルのコンシェルジュの指示に従い、空港駅の発券窓口でメールを見せると、あっさりと往路分の乗車券が 手渡される。
Kliaeksp1110454
空港特急電車で空港からKL市内までは僅か30分ほど。

券面には「KLセントラル駅→KLIA」と書かれているが、券面の二次元バーコードを自動改札機 に当てると何の問題もなく通過。暫く後現れた15分間隔で出発する特急列車に乗り込み、時速160kmの快速で KLセントラル駅、そこからホテル出迎えのワゴン車で本日のお宿、市内クアラルンプール旧駅(現役ですが) 近くにあるマジェスティック・ホテルにチェックイン。スラバヤのマジャパヒット・ホテルもそうですが、こういうコロニアル調のホテル、最近大好き。
Majestickl04806
コロニアル的な内外装がとても素敵、なマジェスティック・ホテル旧館。

荷物を置いて身軽になってから、ホテルのシャトルバスでKLセントラル駅で乗り換え、観光地を含む市内の主要なな地点と 郊外とを結んで走る(これがジャカルタよりも便利な点ですねー)新交通システムLRT、最初はクラナジャヤ線に乗り、先ずはチャイナタウンで(定番ですが)海南鶏飯でお昼ご飯。
更に電車で市内中心部KLCCの大モールであちこち迷いながら、KL数回目でようやく果たせた、というか、一度は行っとかなきゃいけない(が、二度行くほどのことはない)ペトロナス・ツインタワーに初登頂。 日系デパ地下などうろつきながら、違った街での夜を楽しみましたとさ。
Petronasp1110527
KL何回目?でようやく、初ペトロナス・ツインタワーへ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2014年10月 | トップページ | 2014年12月 »