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2017年2月27日 (月)

ニャウンカシー支線に乗ってみる。

Wawを出発した列車は、当方にとって初乗りとなるモーラミャイン方面へのそれなりに整備された本線を快走、途中小さな停留所に停車しつつ東へ。車窓に広がる光景は、先日のマグウェイ地域・マンダレー地域の荒れ果てた土地と比べると、随分と緑の多い豊かな土地に見えます。
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アビャ駅で本線と分岐してニャウンカシーへ。

数名の乗降客があった最初の停車“駅”アビャで本線から分岐します。駅を出てから暫くは両線が併走するので一見複線区間のように見えますが、その両線の差は歴然。100mほどのロングレール化がなされ、バラストの量も多いモーラミャイン方面への本線に比べ、こちらの走るニャウンカシー方面への支線はバラストも薄く枕木もまばらで、明らかに乗り心地もスピードも落ちています。

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左がモーラミャイン方面への本線。右がこちらの進む支線。線路状態の格差。

歴史を遡ると1907年、英国植民地政府の統治下にあった時代にBurma Railway Companyによってペグー(バゴー)~マルタバン(モッタマ:モールメイン市街地の川向かい)間が開通した際のルートは、このアビャからニャウンカシー経由のルートでした。
このニャウンカシーからシッタン川を渡り、対岸のモッパリンから現在線のルートに戻り、南のモールメインを目指していたのですが、太平洋戦争中の1942年、ビルマに破竹の勢いで進駐してきた日本軍に追われる形で撤退した英国軍が、この鉄橋を破壊していったのだそうです。

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農村地帯ののんびりした車窓を望みながら、ゆっくりと走って行きます。LRBEで来たかったな。

その後、戦争中は日本軍の手によってこの橋梁は復旧されず(少し上流に簡易架橋を行った由)、戦後になって再度このルートの鉄道が復旧した際には、8kmほど上流のTanawGyunを経由する形で線路が敷かれ、結果的にアビャ~ニャウンカシー間のみが盲腸線として残ってしまったということで、その経緯はともかく、なんだか東北本線の岩切~利府間に似てますね。

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終点ニャウンカシーに到着。終戦70年以上がたっても、スタイルは途中駅なのですね。

終点のニャウンカシーの集落は、メインの通りも舗装されていない小さな集落ですが、1日2往復の列車が発着する時間帯は活気に溢れていました。単なる途中駅だったため… 終点駅となってからの時代の方が最早長いのかも知れませんが、簡素な作りの駅舎のある場所から暫く前方に進むと、本線上に転車台。そしてその前方には車止めが。
昨年5月?まではこの路線はLRBEによる運行で、それを目当てに多くの日本人“鉄”の方々が訪れていたのですが、既にこのキハ48系RBEに置き換えられてしまい、残念ながら当方(のヤンゴン赴任)は、それに間に合いませんでした。

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ああ、これがLRBEだったらもっと絵になったのになぁ…

アジアの鉄道全般、そうなのかも知れませんが、その中でも特に動きの激しいミャンマー鉄道MR。全てが一期一会ですし、行ける時に行っておかないと後で後悔するのは間違いありません。

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1日2本の列車の時刻は、長く変わっていないのでしょうね。

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ウォウ駅に掲示されていた、バゴー~ニャウンカシー間列車の時刻表です。
駅間所要時間、明らかにおかしな部分有りますし、当方の乗った昼のニャウンカシー行きも15分近く早く(!)来ましたが、ご参考までに。

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