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2018年1月31日 (水)

ピイ本線、タラウォー支線 時刻表。

まあそんなわけでの無用に少し悔しい出張ではあったのですが、行きがけの駄賃、レッパダン駅でこのピイ本線とタラウォー支線の最新の時刻を確認できたので、ご参考までに共有させていただきます。
しかし、使いづらいですね。ヤンゴンからもピイからも、朝出て昼過ぎに目的地着いて仕事したり観光したり出来ないというのは、もう需要を考えたダイヤでは全くないと思うのですがね。
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2018年1月30日 (火)

少し悔しい出張。

昨日今日とバゴー地域北西部のオッポー、ジョーピンガウックというエリアに出張で行っていました。それどこ?という感じですが、ピィ本線のレッパダンの少し北の方、といえば、このブログを読んでおられる方なら皆さんおわかりかと。
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段々道が悪くなって来ました。

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この悪路に現れた加悦興産のFellow Line塗装の7E。定期路線ではない模様。

ヤンゴンとピィとを結ぶ幹線国道を外れると、あっという間に道は未舗装、ドンドン悪くなっていく道を借り上げの四輪駆動のプラドーでガタガタと走り、最後はクルマの入れる道がないところを、バイクのリアシートに乗せて貰って走って行くような奥地。
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バイクで移動する出張というのも珍しい。

この辺り、毎年雨季の洪水が激しい地域で、村の家は1階が倉庫、住居は2階になっており、ボートを備え付けてある家が多いのが印象的でした。
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こんな感じの住宅が多い地域です。

昨晩の泊まりはレッパダンのロイヤル・パインヒル・ホテルなる、昨年10月にオープンしたばかりの新しいホテル。
にしては、Wifiなし、お湯も弱いし、部屋の造作も随分ヤレが激しい気がしますが。まあ清潔なのが良しとしましょうか。場所は、駅からは少し離れていてバイクタクシーで10分くらいですかね。国道に出たところの四つ角の、200m位北側にありました。
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Royal Pine Hill Hotelという名前でした。

明けて翌朝。今回の出張時に、偶々同じタイミングで近隣地区に出張している同僚のS木さん、の訪問先の村の一つは、やはりクルマで行ける道がないため、未舗装の細い道を延々バイクに揺られていくか、あるいは荷物についてはレッパダン~タラウォー間を結ぶ鉄道!が貴重な交通手段になっているのだそう。

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”チャーター列車”とは、この保線車両でした。

今回のプロジェクト中の建設資材も、列車をチャーターしてレッパダンから運んだ、この日の往訪もチャーター列車で往復する!という話を聞き、
なんだ、車両は何を使うのだ、(レッパダンの車庫に停まっていた)RBE2520(元のと鉄道)か、或いはLRBEだったら許さなんぞ、俺が代わりに成り代わっていくぞ、云々とブツブツ言いながら早朝のレッパダン駅に行ってみたら、
待ち構えていたのは、この保線作業用の車両でした。この後部の荷台と、連結した平台車に建築資材を積んで、定期列車の合間を縫って運んでいたのだそう。
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出発していく列車を見送り、こちらも今日の仕事場へ。

当地に着任してから汽車に乗るのが初めてだというS木さんがニコニコしながら運転台に添乗して出発していくのを指をくわえて見送り、こちらも今日のサイトに向かうことにしました。
雨季の冠水が酷く、道路交通が十分に機能していないこの地域で、英国時代に建設されたヤンゴンとパテインを結ぶルートをになっていたレッパダン~タラウォー間の支線が、ヒンタダへの渡河連絡がほぼ不要となった現在でも、老朽化した橋を架け替えてまで今も走り続けているのは(前回来た時も盛況でした)、こういう事情があったのですね。
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こいつが“チャーター列車”だったら、もう悔しくて眠れないところでした。

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2018年1月29日 (月)

セイピューからの帰り道。

ともあれ、いずれにしてもここから南方面へは列車は走っていませんので、駅前に数台並ぶ3輪乗合車に乗って、エーヤワディー側をアノーヤター橋という名前の長大橋で渡って対岸のチャウックへ。
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駅前からは、お馴染みの三輪乗合車で川向こうのチャウックへ(Ks.1,000)。

ヤンゴン~ピィ~バガン本線からこの街まで伸びてきている支線に乗った際に1泊した街なので、やっと勝手知ったる?ところに戻ってきました。
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エーヤワディー川を渡る橋はここにも立派なのが。

ここから空港のあるバガンに戻ればいいのですが、三輪乗合車が「バガン行き」と言って下ろされた目の前には、ハイラックス・トラックの荷台に乗る奴。これはヤダなぁ。ちゃんとしたの、ないの? トラックの前の白人バックパッカー夫妻も、これに乗るのかぁ、と何となく考えあぐねているよう。

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チャウック市街地。トラックの荷台は、嫌だなあ。遅いし。

暫し思案の後、こちらは、交通量の多い市場の前まで少し歩いて戻ってみたところ、フロントウィンドウに「パコック」と書かれたハイエース(の中国製パクり車)が現れたので、手を振って止めて、補助席?ながら空席があったので、こちらに乗せて貰うことにします。ここからパコックなら、バガンか、最悪ニャウンウーは通る筈。パコックまでの運賃払ってもいいよ。こっちの方が遙かに速いし、トラックの荷台よりは遙かに、楽。(結局バガンまでの運賃はKs.2,000でした。)
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写真撮る間もなく走り去って行きましたが、このチャイエースで高速移動。

そんなわけで、念のために相当余裕をもって最終のフライトをとっていたのまで随分時間の余裕が出てしまいました。なので、バガンでは漆器工房に行ってみたり、電動バイクで一回りする余裕も。4時間で5千チャットって、ガソリン代もかからないし、交通量も少ないこの地域では自由が効いて、いいですね。昔はレンタサイクルで汗をかきかき回ったりしましたが、今日は楽々でした。
18:20発のGolden Myammar航空Y5-201便でヤンゴン戻り。

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最近この会社多いな。Golden Myanmar.航空。

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2018年1月28日 (日)

セイピュー駅にて、謎と格闘する。

“終点”のセイピュー駅。ここから先、先日行ったミンブまで線路は繋がっている(水害で流されて切れているとかいうオチがあるのかもしれませんが)のですが、列車の運行はありません。
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終点セイピューに到着。保線作業車が見えますね。

チャンギン~パコック鉄道計画の途中にあるこの駅に列車がやって来たのは、MR公式によると、一つは、「9th Oct 2010 Seikphu - Sinphukyun Line opened.」と書かれています。シンピューキュンというのは、ミンブとセイピューの中間付近です。
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折り返しまで時間があるので、ホームには食堂が店を出してます。

このエーヤワディー川西岸を走る大鉄道建設プロジェクト、チャンギン~オーシッピン間(2008.3.2)、オーシッピン~カマ(2009.3.22)、カマ~タエッ(2009.10.17)、タエッ~ミンラ(2010.3.14)、ミンラ~ミンブ(2010.9.18)、ミンブ~プィンピュー(2011.1.22)と線路が次第に北に延伸されてきた時期に、2010年の10月にセイピュー~シンピューキュン間が開通したものの、なぜかプィンピュー~シンピューキュン1駅区間が未開通(開通時期の記載なし)となっているように読めます。誤記かもしれません。
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セイピュー~シンピューキュン区間の開通記念碑ですね。

他方で、セイピューから北方面は、南方面の開通に先立ち、「12th June 2010 Yawchaung - Seikphu Line opened.」との記載があるのですが、現在のMRのこの区間の路線図に、Yawchaungという駅はありません。他方で北のパコック方面から伸びてきた路線については、「20th Nov 2009 Pakhokku - Kyungchaung line opened.」とあります。キュンチャウンは今日通ってきた、区間運転列車の終点駅ですよね。

そしてキュンチャウンから「26th Feb 2011 Kyunchaung - Daumgtha Line opened.」という記載もあります。このDaumgthaなる駅ですが、昨日の投稿で書いたように、今日通ってきた区間の「DowThar」と駅名標に書かれた駅のミャンマー文字の読みは、スタッフに聞いてみたところ、Daumgthaの方が近いというんですね。Dowtharは、昔の読みなんだと。因みにGooglemap上のこの街のポリゴンには、なぜかロシア語で「ドーター」と。

そうすると、この付近、ドーターだかドウンター駅だかの東側にYawchaung駅があって、ここまでを終点とした列車がセイピューから走ったことがあって、2011年に繋がった際に既開通区間が飲み込まれて、Yawchaungがなくなって… なのか、intermezzoのMayaさんが、かなり謎めいた示唆を残してくれています。凄い。
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MR公式に記載の、エーヤワディー西岸路線の区間ごとの開通日を路線図に落とすと、こんなふうになるわけなのですが、2カ所ほど矛盾というか、不明点がある訳です。駅名標とHPのセイピューのスペルの違いなんかは気にしないとしても。

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2018年1月27日 (土)

パコック~セイピュー路線に乗る(後編)。

石油の臭いが和らいできたHtanChaukPinを過ぎたあたりから列車はエーヤワディー川に別れを告げ、次第に内陸部に向かうことになります。小さな峠を越えたかエンジンの音が替わると、右手の下の方にはまた別の大きな川が。エーヤワディーの支流のYawという川だそう。
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エーヤワディ川とも暫くお別れです。

 この川を越える橋の前で一旦停止し、安全確認。この橋、1車線しかない道路との併用橋で、1日2回列車が通る時には、道路交通を踏切で遮断して列車を通すようになっています。
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他の交通機関が不便なこの区間では、車内は結構な乗車率です。

軍事政権下のミャンマー政府は地方開発(ばらまき?)の一環で、新しい道路や鉄道を随分作りましたが、予算が潤沢ではなかったため、交通量が少ない地域では、橋は一車線片側交互通行だったり、更に線路まで同じ一車線の中で飲み込んでしまうような細い橋で取り敢えず建設した例がそこかしこにあるようです。
確かに、列車は一日に2~4回程度。自動車もそれほど多くなく、その交通量が当分激増する見込みもなければ、そのような橋であっても、上下流に数km単位で橋がない状況を改善するには、妥当な妥協策なのかもしれませんね。

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橋の袂で一旦停止して、安全確認。

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そしてこの一車線の併用橋をゆっくり渡って行きます。

 その併用橋をクルマ1台・バイク1台待たせてゆっくりと渡りきった先がDawThar。こちら、MR公式には「26th Feb 2011 Kyunchaung - Daumgtha Line opened.」と書かれている、部分開通した際の終点だったようですね。ミャンマー語の英語スペルは、ホントに全く統一性が取れてません。同一性の確認(Web検索など)にいつも一苦労です。同じMRの駅とHPでの記述が違うのだから、もう正直お手上げです。

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川を渡って、駅名標の表示は「DowThar」に到着。

 ともあれ、いよいよラストスパート。この辺りからは各駅から乗る乗客も少なく、先ほどまではほぼ満席、デッキには立ち客(座り込む客、ですが)も出ていた車内は次第に空席も出来てまったりモードになって来ました。
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足元に白い石で「MR」の飾り文字。駅員さんの手作りかしらね。

 終点のセイピュー到着は、なんと時刻表より40分ほども早くの早着。毎回書いてますけど、これは1日1本の列車を逃した乗客から苦情が出ないのか、不思議です。時間調整するか、時刻改訂すればいいのに。
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終点SeikPhyuに早着です。

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2018年1月26日 (金)

パコック~セイピュー路線に乗る(中編)。

ミッチェを出発した列車は、左手にエーヤワディー川を挟んだ対岸のバガンを望みながら、キュンチャウンへ。
この現在は3箇所で途切れ途切れの運行になっているエーヤワディー側西岸路線、MRとしてはチャンギン~パコック・レイルウェイ・プロジェクトの一部になるわけですが、その北部区間として(MR公式によれば)2009年11月20日に開通した区間の終点の駅です。
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主要駅キュンチャウンに到着。結構な数の乗客が待ち受けます。

現在も運行上の要衝で、このセイピューまで走るセイピュー1、2列車に加え、キュンチャウン早朝発でパコックに向かい、午後折り返してくる127UP・128DNという区間列車があります。この駅より南側は1日1往復になってしまうわけです。

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対岸のバガン、日の出観光の熱気球が多数上って行くのが見えます。

そのキュンチャウン付近、ちょうど夜明けの太陽が東の空をオレンジ色に染める頃合いですが、対岸のバガンが車窓から望めるようになります。様々な形のパゴダがシルエットになって浮かび、そこから20くらいでしょうか、黒い小さな点が浮かび上がっていくのが見えます。これは、日の出観光のバルーンですね。季節にもよりますが、1搭乗?300ドル/人とか結構な金額を取るこの日の出観光の気球、転落事故があったりしたこともあってバガンのパゴダに登れなくなってしまっている現在、人気は益々高まってきている模様。
 とはいえ、大河の向こうからこのバガンの朝焼けを望む光景は、ある種感動的ですらありました。絶景です。
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車窓は一転して荒々しくなって来ました。

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この、橋の代わりにコンクリート管を埋めて水を通すの、何と呼ぶのでしょう?

 ここから先は列車は暫くエーヤワディー川に沿って南下していく・・・ように航空写真では見えますが、実際のルートは支流の沢ごとに上流まで遡って、少し狭くなったところを築堤とコンクリート橋で渡って、再度下って、といったヘアピンルートを繰り返します。そのため、ここから先の車窓は急に険しくなって来ました。削り取った山、新たに作られた築堤、荒々しい地肌がそのまま見えます。川を渡るのも、コンクリート橋だけではなく、コンクリート製の管?を埋め込んで、そこに水を流すようなものなど、建設時の苦労が忍ばれるところです。

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このあたりから、車窓には、緑色のテントが目立つようになって来ました。

 そんな中、開け放たれた窓から油の臭いが鼻をつくようになり、車窓には小さな緑色のテントと機械が目に付くようになります。斜面に山肌に、そして山と山の間の小さな平野部のそこかしこに。
 隣席の地元客に尋ねると「イエナン」との説明。イエナンとは油、石油のことだそう。この辺り、小さな油井がたくさん操業しているのですね。川向かい、バガンからマグウェに向かう道沿いにもイエナンジャウン(油の川)という街もあります。後で聞いてみたら、政府から土地を買った企業が、個人事業主に平米幾らで掘削権を又貸しし、上前をはねるような操業形態なのだそうです。

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このような小規模な油井が無数に散在しています。

この、ギッコンバッタンでさえない小規模な油井から、取れる石油は1日にドラム缶数本という程度なのだそうですが、帰ってから調べてみたら、戦時中旧日本軍がここの石油を目的にこの地域に進出し、英軍が既に破壊して逃げて、直そうとしているうちに英軍の空爆を受けたり、なんてこともあったそうで、歴史のある産油地帯のようです。

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各駅では1日1本の列車を待つ乗客。皆結構着込んでますね。半袖シャツではまだまだ寒いですTantKyiTaung)。

そのような石油の街というか集落の近くの駅、或いは停留場に停まる毎に、数人の下車客と大きな荷物。キュンチャウン以南の線路沿いの集落は、幹線道路から外れており、この新しい鉄道が重要な物流手段となっているのがよく判ります。

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2018年1月25日 (木)

パコック~セイピュー路線に乗る(前編)。

パコック駅を出発した列車は、より市内中心部に近いティンタン・ラン駅、続いてGooglemap上にはこちらが「Pakokku」駅と記載されている、パコック大学駅でそれぞれ10人ほどの乗客を拾っていきます。
昨年2月に来た際は、訳あってパコック駅から乗車できず、このパコック大学駅からエーヤワディー川を渡ってバガンに向かうRBEに乗ったのですが、ここで乗車区間が繋がりました。パコック4線のうち、残るは今日これから進むセイピュー方面への西岸路線なわけです(なんのこっちゃ)。
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パコック出発直後の車内は、閑散。最近は飲料水タンクがサービスで置かれるようになってるんですね。

窓が閉まらず寒風が吹き込んで寒い車内で、昨日来ていたシャツを上から着込んで耐える外国人乗客1名と20人ほどの一般客を乗せた列車は、まだ殆ど真っ暗闇の中、左手にそのバガン方面への線路を分け、一路西へ。次の停車はパコック・コンピューター大学駅。ヤンゴンのコンピューター大学も、市街地を大きく外れた北の方にありますが、こちらも、パコックの市街地からは随分と離れた土地に、航空写真でもよく判る巨大な建物が作られています。とはいえ、こんな朝の6時、夕方の帰りは18時半頃ですが、折角の大学駅ですが通学の足としてはあまり活用されてないようで残念です。

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交換駅MyitCheに到着。停車中に次第に明るくなって来ました。

周りがようやく明るくなったのが、沿線でも最も大きな街にみえますね、ミッチェ(MyitChe)に到着。この駅でディーゼルカーはエンジンを一旦切って、乗客も乗員もホームに開かれた売店に集まって朝ご飯です。ご飯、麺(水分の殆どないモヒンガーなど)、温かい飲み物など色々出ており、ホテルから朝食をボックスに詰めて貰ってきている当方はコーヒーだけ戴きます。
そうこうするうちに10分ほど、対向列車が現れました。現れたのは、旧松浦鉄道塗装もそのままのRBE2576号車。一つ先のキュンチャウン始発のパコック行きで、ホームのない2番線側に到着なのですが、停車位置にきちんと2段の階段が設けられており、乗降の便を図っているのも、そしてゆるゆる徐行しながら、その足場に合わせて停車するのも、立派なところ。几帳面ですね。

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MyitChe駅前。画一化されたつまらないデザインですが、模型化し易い??

一旦警笛を鳴らして出発しかけたこの対向のパコック行き127UP列車(こちらの方が正規の列車番号ですね)、バイクの後ろに乗って駆け込んできた女子高生?を一旦待ってあげて再出発。
これで進路が開いたこちらのセイピュー行きも程なく出発です。
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松浦鉄道車と交換。この幅僅か1mもない階段の前にきちんと止める律義さ。

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2018年1月24日 (水)

パコック~セイピュー路線に乗る(出発前)。

あけて日曜朝四時。呼んでおいたバイタクが時間どおりに来なくて列車を乗り過ごしたという話を聞いていたので、少し早めにお願いしておいたところ、キチンと現れ、無事にパコック駅へ…
と言いたいところが、寒い寒いこの朝。恐らく一桁まで気温が下がってるか、バイタクの運ちゃんはモコモコのダウンなど着込んでいる一方、こちらは半袖一枚。そりゃ寒いわ。
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出発を待つ05:00発、ヂョー行きの129DN列車。

パコックからは朝05:15発のセイピュー行きセイピュー2列車の、赤クリーム・ツートーンの標準色に塗り替えられた、元JR北海道のキハ141系の2連。
この時間帯、パコック駅のラッシュアワーで、5時発のヂョー行き、この05:15発のセイピュー行き、05:30発のモンユワ行き、そして06:15発の急行バガン経由ネーピードー行きと続くこともあり、駅舎内もホームも結構な賑わいです。
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出発を待つヂョー行きの代用客車。今日は普通の客車は連結されていないみたいです。

駅舎前の一番線?には、強力DF2015号機が先頭に立つ山岳路線のヂョー行き。発車を前にほぼ満席なのですが、先日私が乗車した時とは異なり、通常型の客車は連結されておらず、貨車改造や荷物車に椅子つけただけの代用客車が連なった編成です。クロスシート仕様にはなってますが、この車両で9時間近い旅路は少々厳しいなぁ。
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クロスシートの代用客車って、珍しいですよね。

他方で、こちらのセイピュー行きSP2列車の方は、発車時間近くになっても、殆ど乗客が増えません。僅か数名、関係者の方が多い感じです。
先に出る筈のヂョー行きがいつまでたっても出発しないのに痺れをきらしてか、こちらの方がお先に、定刻出発と相成りました。
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パコック駅で出発を待つエーヤワディ西岸路線(北部)のセイピュー行き、新塗装となったキハ141系の2連です。

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2018年1月23日 (火)

モンユワ~パコック、その他関連路線時刻表。

そういうわけで、この日確認することが出来た、モンユワ~パコック間、及びモンユワ~マンダレー間の列車の時刻表を、モンユワ~キンウー方面の時刻表と統合してみました。

ユワトーン~マンダレー間とキンウー~シュウェボー間、それにモンユワの南側のボディタタウンへの支線の分岐駅までの間は、この時刻表に出てない列車もあります。○ページ参照、って冊子の時刻表なら書かなければならないところですね。

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2018年1月22日 (月)

チャンウー~パコック路線に乗る。

当方の乗る15:10発のパコック行き126DN、この駅から列車番号変わって121UPとなる列車は、DD957号DLに牽かれて多少の遅れで到着。

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モンユワに行ってる時間がギリギリ微妙だったので、途中駅乗車になりました、パコック行きの列車が到着。

暫く前に下川裕治氏がこの路線に乗った際は貨車改造の代用客車だったそうで、今日もそれを覚悟していたのですが、今日の編成は機関車次位が窓無しで椅子だけ付けた代用客車、そして通常のOrdinaly客車、カブース,そして荷物車の5両編成。わざわざ窓無し代用客車を選択する必要もないので(いや、次第に貴重な存在になってきているのはわかってますけど、腰が、ね)、通常の客車の方に空席を見つけて座ります。各ボックスに1~2名程度の程よい乗りですね。

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機関車次位は窓のない代用客車GBHDT11275。一応座席はついてますし、こちらの方が乗客数は多いくらい。

列車の出発を待ちかねて帰宅の途につく駅員氏に見送られて出発した列車は、マンダレー方面への線路を左手に分け、一路南へ。緑豊かな車窓は豊か過ぎる木々が車体を叩き、油断して窓から外に出した当方の顔を容赦なくひっぱたいていきます。

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チンドウィン川を道路との併用橋で渡ります。

サガイン地域の南西部の主要都市モンユワとマグウェ地域北部のパコックでは県境現象があるのかと思いきや、並行して走る道路はそれなりの交通量、路線バスも走っているようで、1日1往復の列車はあまり相手にされてない・・・のは事実ではあるのですが、各駅に停車する度に各車両から少しずつ荷物が下ろされ、受取の人が待ち受けています。乗車して荷物を下ろしていく乗客のおばさんが運び屋をやっているのか、荷物車から降ろされていく荷物は、旧国鉄でいうところのチッキ運送を行っているのか。
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各駅でたくさんの荷物の積み下ろしがあり、大切な輸送機関として機能していることがわかります。

チャンウーを出てから1時間ほどでチンドウィン側を道路と一体となった鉄橋で渡り、その鉄橋の直ぐ先では鉄橋が出来る以前の渡船場まで伸びていた?ようなヒゲ線が路線図に記載されていたのに注目してみたのですが確認出来ず。

橋を渡った西岸のマグウェ側はサガイン側とは次第に植生も変わってきました。以前パコック~ヂョー路線の南部、山から下りてきたあたりと同じ、乾いた赤土にポツンポツンと木が生えている風景が広がってきました。
車内は相変わらず殆ど動きがない、とはいいつつも、イェサギョ、パッカンジーといったそれなりの規模の集落の駅では、荷物を下ろすと共に列車を下りて帰宅していく乗客もおり、日が暮れかかってきたチャウッレカーあたりでは1両だけのホンモノの客車の車内は数人を残すだけになっていました。
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Maou(魔王?)なる親しみ易い?名前の駅で小休止。

終点パコックには30分ほどの到着。駅構内に留置された車両を眺め、駅舎内で時刻表を見せて貰ったりしているうちに駅前に迎えに出ていたバイク・三輪タクシーは全てで払ってしまったようで、やむなくちょっと歩いて国道に出たところで三輪タクシーを拾って今日のホテルに向かいました(Ks.2,000)。

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夕暮れ間近な頃合い、列車はパコックに向けてゆっくりと走って行きます。

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2018年1月21日 (日)

チャンウー駅で。

国道から10分ほど歩いたチャンウー駅は、マンダレー~サガイン(ユワトーン)~モンユワとを結ぶ古くからの幹線鉄道と、モンユワ~パコック間を結ぶ路線の分岐駅です。それなりの規模の鉄道交通の要衝かと思ってやって来たのですが、この昼下がりのチャンウー駅、駅舎内には人影はなく、三角をモチーフにした小洒落たデザインの駅舎の2階へ上る階段は閉鎖され埃が溜まり、掲示された二種類の時刻表は平仄が合っておらず、現役とはいえど既に廃墟感が漂う有様。
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凝ったデザインのチャンウー駅舎。ですが中は廃墟同然。

それでも14:12発のマンダレー行き124DN列車の時刻が近づくと、バイクに乗った駅員が現れ、切符を売れる体制になりました。その駅員氏に切符を売って貰いながら話してみると、少し前までは上述の2ルート、このモンユワ発のマンダレー行きと当方の乗るモンユワ発パコック方面の他、マンダレー~パコック間のRBE運用も含めた3方向に直通列車が走っていたのですが、現在ではマンダレー~パコック間列車はやはり運転をやめてしまった模様。
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既に運行をやめてしまった列車が書かれたままで他に掲示された時刻表との辻褄もあっていません。

マンダレー行きも運転は1日1往復のみで、「アミャーンヤター(急行)」とのことですが、1日1往復で通過駅が有るわけではなく(通過駅は、旅客営業をしていない駅、となりますね)、機関車牽引の客車列車よりは表定速度は速いですけど、日本人的感覚からは微妙なところ。
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雲一つない青い空の下、東海色のRBEが映えますね。

ほぼ定刻に現れたそのマンダレー行きはJR東海色のキハ40単行「快速 多治見」行き。沿線の草木との接触で擦られたせいか、側面の帯色の緑が無くなり、オレンジ色の帯の城北線譲渡車のように見えますね。
先日アマラプラ駅で見かけたシュウェボ運用はキハ40系の2連だったので、こちらのモンユワ・ルートの方が需要が小さいということでしょうか。
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駅前の茶屋には、古いMRのポスターが沢山飾られていました。

1,2名の乗客が乗り込んだ車内はサラリと座席が埋まっている模様、軽やかな汽笛を鳴らして出発したキハ40を見送り、こちらの出発まではあと1時間ほど。外国人の姿を見かけて現れた数名の地元の小学生と言葉の通じない中で交流したりしつつ、今日の汽車旅はこのチャンウーから始めることにします。

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2018年1月20日 (土)

チャンウーからの汽車旅(着くまで)。

月一の外出デー(笑)。
今日は朝07:00発のGolden Myanmar Airでマンダレーへ。他社の一番早い時間帯の便は、バガンやへーホー経由となり、マンダレーに到着する一番早い便がこれでした。横浜市営バスで空港の滑走路の反対側まで延々運ばれましたが、定刻に出たし、結果一番安かったんで問題なし。
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もう7時とはいえ、夜明けな雰囲気ですね。Golden Myanmar航空。

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一目瞭然の横浜市営バスでのボーディング。

08:25のほぼ定刻にマンダレー空港に到着し、市内行きの順南山のバス便は出そうもない雰囲気だったので、市内まで15,000チャットの定額タクシーで市内へ… ではなく、空港高速の途中から下道におりて少し西のアマラプーラ方面へ。
この街からエーヤワディー川を渡ってサガインへ向かう橋があるので、そこを通るバス便を捕まえられれば大分ショートカットできるな、と思ったのですが、運ちゃんはそのままクルマを北に走らせ、(ここにもある)カンドージー湖の南西端の三つ角。ここがサガインを経てモンユワ方面へのミニバス便のターミナルとなっているようですね。

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このミニバスに12人ほど詰め込んで突っ走ります…が休憩もします。

直ぐに目の前に停まったHyundaiのミニバスの奥の座席・・・3人掛けに4人が座るような乗り具合でしたが、程なく出発したミニバスは橋を渡ってサガイン地域に入り、良く整備された舗装国道を快走、列車だと4時間ほど走る目的地チャンウーまで2時間半ほどで到着してしまいました(Ks.3,000)。

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2018年1月 6日 (土)

ミャンマー国際航空で帰ります。

そんなわけでバンコクでの短い気分転換もおしまい、バックデートになりますが、スワンナプーム空港から2日夜19:20発のMAIミャンマー国際航空8M-332便でヤンゴンに戻ります。スクムヴィットの宿からはタクシーでB250程度。荷物があったし、市内の渋滞を空港鉄道の駅まで行って乗り換える手間を考えると、まあ許容範囲内ですね。

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MAIのA319型機。先日はKBZコードシェア便の国内線で乗りましたが、MAI(8M)便としてちゃんと乗るのは初めてですね。

今日は生活物資の買い出しも兼ねていたので、大きめのスーツケースはパンパン。一応レガシィ・キャリアの筈なので多少は見逃してくれるだろうと、持ち上げてみて「こんなもんかな」だった預け荷物は、チェックインしてみたら19.8kgと内輪でニアピン。我ながらいい感じ(笑)

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目方でドン!(笑)

MAIは勿論どこの国際航空アライアンスにも属していないわけですが、個別に手を結んでいるらしく、インドネシアのGarudaと、スリランカ航空、グループ企業の国内線会社Air KBZとのコードシェア。ガルーダとスリランカ航空って、アライアンス、別だよね。

そして、一応レガシィ・キャリアなので食事に少し期待したのですが、チキン・ビーフンは量味共にイマニ。シンガポール便のUBにだいぶ劣りました。残念。これならLCCで十分。荷物だって、Thai Lionなら20kgまで無料だし。

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2018年1月 5日 (金)

カンチャナブリーの博物館。

先日はミャンマー側のタンピュザヤのDeath Railway Museumを訪問したばかりですが、こちらタイ側にも同様の施設が設けられています。
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Death Railway Museumの文字も生々しいですが、資料庫はきちんと見に行ってみたいです。

こちら、市内中心部カンチャナブリー駅近くの戦没者墓地の脇にあり、設置は欧米人犠牲者遺族だったか生き残った元捕虜の方の寄付によって建てられた博物館で、その立地からも連合軍側の視点でものが書かれているのは容易に想像が付くのですが、資料性という意味ではタンピュザヤのそれよりも遙かに詳しいですね、やはり。個別に手続をとれば、展示以外の書庫に収納された資料を見せていただく事も可能なようなので、これは時間をとって読みに来たいところですね。

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こちら、日本人にはなじみの深い、C56。23号機とのナンバープレートが。

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LRBE発想の元祖? 陸軍のトラックをベースにした機関車(?)

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こちらは、車体横につけられた説明板ではメーカー名がかすれて読めませんでしたが、1946年使用開始と書かれていたので、泰緬鉄道で使われたものではなさそうです。

因みにこのカンチャナブリーで他に見ておきたい関連展示物としては、クワイ川鉄橋駅のカンチャナブリー側に保存展示されているC56やもう一台の蒸気機関車と旧軍鉄道隊のトラック改造車両、そしてその近くのJEATH museumの入口に展示されている、イギリスが持ち込んだものを日本軍が徴発した蒸気機関車、などは見逃せないところでしょうか。

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鉄橋近くのJEATH Musiumに展示されているこちらは、日本軍が泰緬鉄道で使用した、North British Locomotive製と書かれた機関車。

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2018年1月 4日 (木)

久々の泰緬鉄道(3)

車内が落ち着いてきた頃、特別車両専属の乗務員が、車内サービスをはじめました。配られた箱には、お菓子と水。別途よく冷えた炭酸飲料。その後も乗車記念証を配布したりと、兎も角300バーツも取っているのだから、その分何かサービスしなければ、という必死感?が伝わってきます。間もなく昼時でもあり、簡単な食事でも出せばいいのに、とも思いますが、それはない模様。

あと、出来る事ならば、「クワイ川鉄橋」「チョンカイの切り取り」「アルヒル桟道」といった名所では、その旨車内アナウンスしてみてもいいかもしれませんね。
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車内で配られたスナック。中身は外に出てるものだけ。

列車は25分ほどの遅れを徐々に拡大させながら、遊園地のある駅に到着し、纏まった下車客。その後、川向かいのリゾート・ホテルを臨みながら、前後に多数のカメラを構える観光客の待ち受けるアルヒル桟道へ。これだけの人がいると、この観光客を画面に入れずに写真を撮るのは相当難しいかもしれませんね。
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そして橋を渡りきったタムクラセーでは大勢の乗客が下車し、出迎えのバスやワゴン車に乗り込んで行き、長い停車時間で遅れは更に拡大。当方はここでもよかったのですが、更に一駅進んだワンポーで下車。待たせておいたクルマに乗り込みました。

カンチャナブリーまでは列車では1時間半でしたが、こちらのカローラでは良く整備された道路を飛ばして僅か50分。路線バスもそれなりに走ってますし、観光需要がなければこのナムトク線の存在価値もごく限られたもの、なのでしょうね。

カンチャナブリーからサイターイ経由でバンコクに戻り、紅白でも眺めることにします。
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現在のナムトク線の時刻表。昼の一往復が快速運転であることがわかりますね。

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2018年1月 3日 (水)

久々の泰緬鉄道(2)

泰緬鉄道の旅に戻りましょう。
カンチャナブリー駅を出発した列車は、ローカル線にも関わらず、ミャンマー国鉄MRとは比べものにならないほど良く整備された線路を快走、最初の停車駅クワイ川鉄橋停留場に到着です。
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クワイ川橋梁停留場の賑わい。

この橋の近くのホテルに泊まっていたため、今朝散歩がてら出掛けて驚いたのですが、以前とは全く違う場所のような変貌ぶりにびっくりでした。
立派に整備されたホームは、そのまま橋のたもとのイベント・スペースに繋がり、周囲にはたくさんの土産物店が出ています。早朝から多くの欧米アジア近隣国そして国内からの観光客が橋を歩いて亘り、自撮り棒で記念撮影。
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列車の通らない時間帯の橋の上の賑わいぶりといったら。

この列車にも、一般車両の停車位置には、ラッシュアワーの電車の駅の如き大勢の乗客が待ち受けており、座れるかどうかではなく、乗り切るかどうか、な状況。これは特別車両にしておいて正解だったかな。
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300バーツなり、の外国人向け特別車両の切符。

程なく出発した列車はゆっくりと、橋の途中の待避している大勢の観光客に注意しながら橋を渡って行きましたが、車内では一般車の混雑から逃げ出してきた乗客が続々と2両の特別車両に引っ越してきて、殆ど全てのボックスがサラリと埋まるような乗り具合になってきました。
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待避所に逃げ込んだ観光客の皆様を押しのけて列車は進みます。

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2018年1月 2日 (火)

正月早々、

元旦の夜、日が変わって1月2日になって早々、バンコク市内スクムヴィット通りのソイにある、当方の泊まっていたホテルでは非常ベルが鳴り響き、停電。非常灯を頼りに階段を下りて、駐車場に避難する騒ぎがありました。
煙も出てないし、まあ誤報だろうとは思いつつも、先日のカンドージ・パレス・ホテルの火災事故があったばかりでもあり、パスポートや財布を持って一応避難してみましたが、その間ホテル職員からの避難指示アナウンス等は一切無し。なんでしないの?と聞いてみても、放送設備の電源が落ちたから、との回答。かといって職員が「避難しろ」あるいは「誤報です」と叫んで各階を回るわけでもなく、ホテルの危機管理体制が懸念されました。
結局30分ほどで電気が回復、部屋に戻ることができましたが、なんだか今年一年の前途多難を予感させる元旦の夜でした。

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2018年1月 1日 (月)

明けましておめでとうございます。

ちょっと旅行の途中ですが、1月1日は新年の御挨拶ですよね。

なんだかんだでミャンマーに転勤してきて1年と1ヶ月半。なんとか2回目のお正月をバンコクで迎えることが出来ました。四苦八苦・七転八倒の日々が続いていますが、先ずは無事に年を越せたことに感謝しなければなりませんね。

本年も宜しくお願いします。当方のミャンマー在勤、いつまで続くか判りませんので、もし当方を訪ねての当地御訪問を計画されている方は、お早めに(笑)

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