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2018年1月28日 (日)

セイピュー駅にて、謎と格闘する。

“終点”のセイピュー駅。ここから先、先日行ったミンブまで線路は繋がっている(水害で流されて切れているとかいうオチがあるのかもしれませんが)のですが、列車の運行はありません。
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終点セイピューに到着。保線作業車が見えますね。

チャンギン~パコック鉄道計画の途中にあるこの駅に列車がやって来たのは、MR公式によると、一つは、「9th Oct 2010 Seikphu - Sinphukyun Line opened.」と書かれています。シンピューキュンというのは、ミンブとセイピューの中間付近です。
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折り返しまで時間があるので、ホームには食堂が店を出してます。

このエーヤワディー川西岸を走る大鉄道建設プロジェクト、チャンギン~オーシッピン間(2008.3.2)、オーシッピン~カマ(2009.3.22)、カマ~タエッ(2009.10.17)、タエッ~ミンラ(2010.3.14)、ミンラ~ミンブ(2010.9.18)、ミンブ~プィンピュー(2011.1.22)と線路が次第に北に延伸されてきた時期に、2010年の10月にセイピュー~シンピューキュン間が開通したものの、なぜかプィンピュー~シンピューキュン1駅区間が未開通(開通時期の記載なし)となっているように読めます。誤記かもしれません。
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セイピュー~シンピューキュン区間の開通記念碑ですね。

他方で、セイピューから北方面は、南方面の開通に先立ち、「12th June 2010 Yawchaung - Seikphu Line opened.」との記載があるのですが、現在のMRのこの区間の路線図に、Yawchaungという駅はありません。他方で北のパコック方面から伸びてきた路線については、「20th Nov 2009 Pakhokku - Kyungchaung line opened.」とあります。キュンチャウンは今日通ってきた、区間運転列車の終点駅ですよね。

そしてキュンチャウンから「26th Feb 2011 Kyunchaung - Daumgtha Line opened.」という記載もあります。このDaumgthaなる駅ですが、昨日の投稿で書いたように、今日通ってきた区間の「DowThar」と駅名標に書かれた駅のミャンマー文字の読みは、スタッフに聞いてみたところ、Daumgthaの方が近いというんですね。Dowtharは、昔の読みなんだと。因みにGooglemap上のこの街のポリゴンには、なぜかロシア語で「ドーター」と。

そうすると、この付近、ドーターだかドウンター駅だかの東側にYawchaung駅があって、ここまでを終点とした列車がセイピューから走ったことがあって、2011年に繋がった際に既開通区間が飲み込まれて、Yawchaungがなくなって… なのか、intermezzoのMayaさんが、かなり謎めいた示唆を残してくれています。凄い。
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MR公式に記載の、エーヤワディー西岸路線の区間ごとの開通日を路線図に落とすと、こんなふうになるわけなのですが、2カ所ほど矛盾というか、不明点がある訳です。駅名標とHPのセイピューのスペルの違いなんかは気にしないとしても。

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コメント

mayaさま、
早速拝読させていただきました。Google EarthのHistory機能、すごいですね。そんな使い道があるとは。
出来ることなら、これで昔の軽便や殖民軌道の変遷など見てみたいところですが、ストリートビューとかも使って。ですが、人工衛星打ち上げ前の状況を見るのはちょっと難しいのかもしれませんね(苦笑)
という冗談はさておき、川の流れの変わり様と、あれだけの規模の築堤が流されて消滅してしまってるのには、驚かされます。治水の重要性をあらためて認識しますね。

投稿: 落花生。 | 2018年4月 3日 (火) 01時22分

お待たせしました。記憶をたどるより確かなGoogleEarthのHistory機能を活用して、記事を書いてみました。
Yawchaungだった場所は、大橋梁のほんの少し(1kmない程度)セフュー寄りの切通区間です。橋の開通待ちだった可能性が高いですね。現状集落もなく、資機材および人材運搬用の意味合いが強い駅だったのかなと推測されます。
Sinphukyun~Pwintphu間はかなり長いので、開通したあかつきには途中駅もできたでしょうね。架けたばかりの橋の件、トラックバックおよび参照URLに記載した記事にまとめました。ここが「最後に残った工事区間」だったのは、航空写真の見た目よりもかなり難しい工事を技術陣が強いられていた事があるのかもしれませんね。

投稿: maya | 2018年3月31日 (土) 15時35分

いやあ、4年も前、当方がインドネシアで遊び呆けていた頃から、この国の深遠な謎に取り組んでおられたmaya様に敬服します。Yawshaungであったらしき場所の写真も拝見しましたが、どのあたりなのでしょうね。橋の開通待ちだったのでしょうか。
そしてSinphukyun~Pwintphu間、路線図では1駅区間に見えますが、Googlemapでは、間に幾つかの駅のある、結構な距離に見えますね。掛けたばかりの橋が流されているように見えましたが…

投稿: 落花生。 | 2018年2月27日 (火) 00時26分

4年越しに世界の果てに残してきた謎に対峙していただいてありがとうございます。
私の乗車時は、たまたま分断時からいらっしゃった運転士さんだったので、かなり謎が解けました。ご存じない方であれば、私の問いかけた謎はただの外国人の戯言で終わっていたでしょう。
Sinphukyun - PwintPhu 間はGoogleMap上で繋がってない時期が(特に特徴のない集落の周辺が未成でした)ありましたので、実際に繋がったのは最後の最後で、おそらく営業開通はしていないのかなと推測しています。
ミャンマーの未成線を追いかけるようになってから、エーヤワディー西岸鉄道を縦貫するのが夢だったので、かなり残念です。

投稿: maya | 2018年2月23日 (金) 00時03分

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