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2018年7月31日 (火)

雨から逃げて北シャンへ(その5:マンダレー~ラーショー線の旅・走る編。)

シーポーを発車した列車の車窓は、これまでとは一転随分雰囲気が変わってきました。川の流れの直ぐ側に迫る山との間の狭い土地に窮屈そうに、川の流れに沿ってクネクネと敷かれた線路を走ってきましたが、ここシーポーから南側では、“平野”とは言わないまでも、車窓の両側には農地が広がり、随分開けた印象があります。

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チャウメ駅に到着。乗務員も乗客も一休みです。

1時間半ほど走ったところで現れた街がチャウメ(KyaukMe)。シーポーよりも街は広い印象で、15分停車のホームには茶店が店開きし、その一角ではいつもの持ち帰り弁当も売られています。いつものように豚肉と鶏肉両方乗せを頼むと、お代はKs.1,700と若干の観光地価格でしょうかね。前の車両に乗っていた日本人の家族に話しかけられてお弁当をご披露(笑)。

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お弁当屋台は大繁盛中。運転士さんも下りてきて買い出し中。

この先は確か駅弁?の販売はなかった筈なので、この方々も購入しておられた模様。お父さんらしき方が2人いるなあ?と思ったら、ヤンゴン在住の家族連れと御同僚の方とのことだそうで納得。Ordinary Classをわざわざ選んだというお母様、「トイレとか厳しくないですか?」との問いかけにも、「いや、まあ思ったより大丈夫ですね」と中々お強いことを仰っておられます。

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早着したのか、15分ほどの停車になりました。皆続々と下りてきて、三々五々買い物や伸びをしたり。

以前この路線に乗ったのは、2012年だったと記憶していますが、あの時はマンダレー駅前の宿に泊まり、朝4時発の列車に乗って北上していきました。その際気になっていたのが、線路の左手(北側)に延々と続いていたパイプラインの埋設工事。当時は気にも留めなかったのですが、あれはベンガル湾の臨むチャオピューから中国雲南省へと延びる大規模資源確保プロジェクトだったのですね。今は地中にすっかり埋められてしまっており、ただ車窓を眺めているだけではその戦略的重要性には全く気づくことが出来ません。

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ナウンペン駅で対向の131UP列車と交換です。

次の大きな駅は、その北上する131UP列車と交換するナウンペン(NawngPeng)。こちらが先着し、駅前に停められたマイクロバスから幾組かのグループが乗り込んできます。程なく南側からの列車が到着すると、下車した観光客がまたそういったミニバスに吸い込まれていき、そしてその列車からは果物や飲み物などの売り子さん達がこちらの列車から多数乗り込んできました。折り返しの列車でもう一商売ですかね。

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2018年7月30日 (月)

雨から逃げて北シャンへ(その4:マンダレー~ラーショー線の旅・開始編。)

まだ真っ暗なラーショー駅を出発した列車は、未だ真っ暗な闇の中をゆっくりと走り出しました。Upper Class車の窓には全て鎧戸が下ろされていましたが、程なく30分ほどで明るくなってきたので、前後左右の鎧戸を全て開けて爽やかな夜明け・・・ ではないですね。漸くギリギリ雨が降らないくらいの曇り空、湿度の高い中ですが、機関車を入れて9両編成の列車は、右に左に躰をくねらせながら、ゆっくりと進んでいきます。

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まだ暗くてシャッターが止まらないですね。相当レタッチした、朝5時半の車窓から。

最初の停車駅はナンミャオ(Namyao)。川が近づき大きく左にカーブして駅に入る直前、右手後方から合流してくる線路がありました。
航空写真を見ると、この線路を本線から分岐して北へ進み、川を渡ったところに貨物駅のようなエリアが見えます。ここまでが国鉄と同じメーターゲージで、ボードウィン・ナムトゥの山から610mmのナローゲージ運ばれてきた鉱物資源はここで国鉄の車両に積み替えられて山を下っていったのですね。

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ナンミャオ駅直前で合流してくる貨物線。植民地経済を支える、鉱石積み出しの大切な道だったはずです。

ナンミャオ駅自体は山と川の間の狭隘な土地に有り、駅周辺にも人家は殆ど見られず、川を渡った貨物駅のあたりにちょっとした集落が見受けられるような場所です。画像で見える限り外界からこの村へ向かう道も十分なものとは思えず、この貨物駅の探訪は相当にハードルが高いかもしれません。

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周囲に人家のないナンミャオ駅。

次にちょっとした集落が見えたのはManSanYeDaGunという、ちょっと変わった長い名前の駅。駅の片隅に色褪せた「滝」の写真の看板が立ち、ちょっとした観光地になっているようです(YeDaGunで「滝」という意味らしいです)。

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マンサンイェダグン、でいいのかな。小さいながら、観光地らしい?瀟洒な駅舎。

衛星写真で見ると、1kmほどの間に7段ほどの滝が続く七段滝で、それなりに見応えはありそうですが、1日1往復の汽車で途中下車して滝の観光でもないでしょうね。
ラフティングとかどうかしら・・・と思っていたら、駅を出て暫く走ったところで左手の車窓に、雨季で水嵩を増した川の流れが瀑布となって10m以上の落差を流れ落ちていくのが2つ見えてびっくり。これはラフティングどころじゃないですな。

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水煙を上げて流れ落ちるMan San滝を左手の車窓に望みながら。

そんなこんなでおよそ4時間半弱、水分豊かな緑に包まれたドッタワディ川とミンゲ川(Google mapの表示では、マイイットンジ川。これ、Myitnge(ミンゲ)からですよね。酷いなぁ... 意味のないふり仮名。間違った情報なら、ない方がマシですよね。)の流れに沿ってくねくねと走ってきた列車は、漸くちょっとした開けた街に出てきました。ラーショー以来のビルも見える、シーポー(ティーポー)にほぼ定刻に到着です。

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川に沿って走っていきます。油断していると、恵みの雨を受けてすくすくと育った沿線の木々に、顔や手を激しく叩かれます。

シーポー駅の手前の鉄橋、よく見ると途中橋脚の1本だけが新しくセメントで作り直されているように見えます。この地域の旅行記(下川氏のものを含む)を読むと、このシーポー~ラーショー間で橋が落ち、橋の手前で汽車を降りて反対側の列車に乗り換えさせられたという記述を見かけることがあるのですが、この橋の橋脚が倒れたためだったのかもしれませんね。

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一本だけ新しいコンクリート造の橋脚に作り替えられてますね。

ここで列車は10分ほど停まるというので下りてみたシーポー駅のホームには、多くの乗客や物売りで溢れていました。
予想以上に多かったのはバックパッカー風の外国人。山歩きの拠点になっているこのシーポーは外国人向けのゲストハウスも幾つかある街で、ここから南のゴッティック橋やピンウールィンまで乗車する人が多いようです。2両繋がれたUpper Class車のうち、機関車直後の1両はラーショー発車の時点では、電気もつけられず乗客ゼロだったのですが、この駅で大挙乗り込みほぼ満席に。この1両分がシーポー駅割当となってるみたい。

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大きな木に覆われたシーポー駅に到着しました。

後に続くOrdinary Class車も皆サラリと座席が埋まり、その後ろ5両目に連結されている当方のUpper車にも、数組の乗客が乗り込んできました。前方のOrdinary車両には、日本人と思しき子ども連れのグループも乗り込んできたようです。

朝ご飯は昨日の飛行機の(2回目の)機内食のパンで済ませたのですが、ちょっと食べてもいいかな、な気分だったので、駅売りの果物を買い込んで車内へ戻り、さあ、出発ですかね。

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外国人を含め、大勢の観光客が乗り込んできます。売り子さんも稼ぎ時。

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2018年7月29日 (日)

雨から逃げて北シャンへ(その3:マンダレー~ラーショー線、に乗る前に)。

今回このラーショーにやって来たのは、以前2012年に当地に旅行に来た際、(まさかその後転勤で来るなどとは夢にも思わず)マンダレーからの列車を途中のシーポー(ティーポー)で下車してしまったため、末端部のシーポー~ラーショー間が未乗になっていたからです。まあそのお陰でナムトゥに寄り道したりも出来たので結果オーライではありますが。

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1910年時点のビルマ鉄道路線図。

このラーショーへの鉄道の歴史は古く、1898年にマンダレー側ミョーハウンから部分開業した線路は1900年4月にメイミョー(ピンウールィン)迄の開通を経て、1903年3月1日にはラーショーまで全通しています。

これは、沿線のナムトゥ・ボードウィンの鉱山から搬出された鉱石の輸送が一つ大きな目的だったのは間違いないのですが、もう一つ、ビルマを自国領とした英国は、雲南省との間に鉄道を建設し、マラッカ海峡を経由せずに中国にアクセスするルートの確保を狙っていたようです。一次資料には当たっていませんが、中国(当時は清国)との間で結ばれた「中英続議ビルマ条約」においても、そのような規定があったとのこと。
これが実現に向けて動き出したのは1938年、日中戦争が激化し、中国(中華民国国民党政府)を支援する英米両国の協力を得て、援蒋ルートとしてラングーンからラーショーを経て雲南省昆明までの間を鉄道で結ぶべく、昆明からビルマ国境の街、芒卡に向かう鉄道の建設が始められました。

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早朝4時半のラーショー駅にバイクで送って貰って到着。

滇緬(テンメン)鉄路と呼ばれたこの鉄道は工事全体の40%程度が進捗、1942年に日本がビルマを占領し、このルートが役に立たなくなるまで工事が進められ、昆明近郊の一部区間では線路は完成し、戦後一部区間は営業運転に供されたようです。しかし100km以上に及ぶ未成線の遺構が未だに雲南省内には残り、現地中国の方や、日本人の方でその遺構を訪問された方もいらっしゃるようです。驚きです。

後者の蔵重さんという方が滇緬鉄路について詳しく説明してくださっていますので、勉強させていただきました。

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手書きで当駅割り当て分の切符を売って貰います。

ともあれ、その当時、ラーショーから先の中国国境方面へ向けての工事が進められることのなかったミャンマー側の線路は、今もマンダレーからこのラーショー迄、1日1往復の列車が運行されています。運行時刻はラーショー05:00->21:15マンダレー、マンダレー04:00->19:05と、上り下りとも夜行バスで着いても始発には乗れず前泊を余儀なくされ、終点についてももう移動は困難となる、時間が限られているサラリーマンには少々厳しいダイヤです。
で、単なる乗り潰しであれば、ラーショー~シーポー間だけ乗ればいいのかもしれませんが折角ですので久し振りのゴティック橋も行ってみたいですよね。

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ディーゼル機関車が連結され、さあ、間もなく出発です。まだ真っ暗ね。

そんなわけで早朝4時、市内のホテルの周りにはタクシーもバイタクの影もなく、皆どうやって駅まで行くのだろう?な状況ですが、ホテルの兄ちゃんのバイクで辿り着いたラーショー駅には三々五々乗客が集まって来ます。

ひょっとしたらまだ先に線路は続いているの? とも一瞬思わせられるような先(北東側)の方からやって来た中国大連製2000馬力の強力DLが、Upper2両、Ordinary4両、貨車2両を連ねた編成の先頭に連結され、定刻5時、マンダレー行き132DN列車の出発です。

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塗装変更された赤胴車、増えましたね。こんな僻地路線でも。

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2018年7月28日 (土)

雨から逃げて北シャンへ(その2:ナムトゥ現状)。

ナムトゥ郡(Township)は、ホテル観光省のサイトによれば、市街地に限り外国人の立入りが認められている、逆に言えば、市街地以外は事前の当局の許可がなければ立ち入ることは出来ない地域とされています。じゃあ今回ラーショーから来た私のようなケースは、当然に市街地以外を走ってこのナムトゥ市街地にやって来たわけで、ヘリで飛ぶとかでもないと、市街地に直接入ることは出来ないわけですが、そのあたりの整理がどうなっているかは、少々問い詰めてみたいけど、藪蛇になっても困りますな。

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ナムトゥ駅・機関区の東側で川を渡る鉄橋。

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駅のヤード越しに機関区を望みます。

 そのナムトゥ市街地の西側にある、鉱山鉄道のナムトゥ駅までやって来ました。
 駅の事務所とヤード、車庫の周りには有刺鉄線が厳重に張り巡らされ、国鉄MRなんかより遙かに厳しく、ちょっと隙間から中に入れそうな雰囲気ではありません。今日は公休日ということで事務所も門を閉ざしており、さてどうしたものか・・・

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デルタ線に囲まれた鉄道事務所の建物。有刺鉄線で厳重に囲われてます。

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事務所建物には「ナムトゥ」の駅名標?が掲げられています。

と、駅事務所の近くの茶屋で屯していたおっちゃん達にタクシーの運ちゃんが話をしてみると、「じゃあ、○○さんのところに行くといい」と1人がその方に電話をしだし、更には「ついて来な」と自分のバイクで案内してくれた先は、この鉱山会社の鉄道部長さんの官舎でした。

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車庫の入口には、現在は使われていない由のO&K製DLが。

来意を説明し、お話しをお伺いすると、これが立て板に水でこちらから聞いてもいないうちからドンドンと状況を話して下さいます。

 曰く、
現在鉱石運搬用の鉄道は運行されていないが、2週間に一度土曜日、タイガーキャンプ、ボードウィン地域の生活物資輸送のために日野グースが定期的に動いている。ボードウィン手前ER Valley停留所の手前での地滑りの為に今は線路は繋がっていないが、途切れている区間の先ボードウィン側では小型のレールカーが、ナムトゥ側では普段はタイガーキャンプにいる日野グースが貨車1両を牽引する編成で走り、途絶区間で荷物を積み替えて運んでいるとのこと。朝にボードウィン側を出て、昼にナムトゥ着、午後に折り返していくとのダイヤとなっているとのこと。ちなみに明日の土曜日は運転なし。先週と来週とのこと。明日走ってたら、間違いなく日程変更してたな。

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車庫の入口前のグース。これは修理待ちとのこと。

そしてこれまた「ついて来な」と自分のバイクで走り出し、先ほどの駅事務所のゲートの鍵を開けて中に入り、車庫の方へ連れて行かれました。
機関庫の入口に顔を見せる2両を含め、10両在籍するO&K製のDLは6両が可動、他に独Diema製DLが2両と中国製が1両。Rail Trackと称するグースは、3両のうち2両が稼働可能(但し通常はタイガーキャンプにおり、ここにはいない。ここに居る1両は修理待ち)。

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綺麗に整備され、稼働可能な状態の1914年英国Kerr.Stuart製13号機。

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こちらも可動状態にある1928年W.G.Bagnall製42号機。

庫内の13号、42号の2両の古い蒸機は何れもきれいに整備され、いつでもチャーター運転可能とのこと。チャーター費用は、蒸気機関車が1,000ドル、日野グースが700ドル、これに客車や貨車を繋ぐことで追加料金となるのだそう。

惜しむらくは、記述のとおりこのナムトゥ郡は市街地以外は外国人は入域要許可地域で、少数民族との小競り合いが頻発している今は、タイガーキャンプ、ボードウィン方面への外国人の立入りは先ず許可は出ない、もう何年もチャーター運行はされていないと寂しげに語っておられました。

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40号機、34号機と書かれた2両の蒸機。部品取り用とのこと。

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こちらの小型サドルタンク機は1913年Kerr.Stuart製とのことですが、こちらは復活は流石に難しそう。

じゃあこのナムトゥ駅構内を往復するくらいのチャーターなら出来るのかしら?と思ったりもしましたが、チャーターするには鉱山会社の上部機関である鉱山省から許可レターが下りてきて始めて動かすことが出来る、現場判断で勝手に受けていいというものでもないようで、ハードルは結構高そうです。

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立派な車庫の前には鉱車や有蓋貨車などが並んでいました。

それでも、この鉄道に興味を持ってくれてありがとう、いつか近い将来に蒸機列車のチャーターが出来るように、いつでも走れるように整備しておくから、というお言葉をいただきました。
はい。是非よろしくお願いします。楽しみにしておきます!

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2018年7月27日 (金)

雨から逃げて北シャンへ(その1:ナムトゥへ)。

今日7月27日はワソー満月の休日ということで、3連休。南部のダウェイに行こうかと思ったら、途中のモン州モーラミャイン付近で大雨らしく列車の正常な走行が懸念されるような状態だったのと、また、FMI Air運航休止のあおりでか、ダウェイ便のフライトが悉く満席だったので、急遽行き先変更。お昼12:30発のAir KBZ、K7-828便でへーホー経由でシャン州北部のラーショーに飛んできました。

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今日はいつもより古めのATR72-500型機でのフライトです。

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ヘーホー経由便のため、機内食が2回出されましたが、そんなに入らないので、2食目は非常食に持っていくことにしました(こちらは1食目)。

中国国境に近く、今でも北のムセ国境を越えて中国雲南省との間の公式非公式の貿易が多く(日本人は通れない国境ですが)、このラーショーの街にも結構な中国語の表記が溢れています。

今日はここからナムトゥに向かいます。

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随分立派になったラーショー空港。以前来たときは、こーんな田舎飛行場だったけど。

ナムトゥ(Namtu)、日本語のサイトではナムツという表記も多いようですが、15世紀頃から各種の鉱石を産出していたともいわれる歴史のある鉱山だそうです。英国植民地時代の1903年にマンダレーから延びてきた鉄道がラーショーに達し、この鉄道の途中駅ナンミャオ(Namyao)から分岐しナムトゥに至る軌間610mmのナローゲージ鉄道が1907年に建設開始、1914年にナムトゥを経てボードウィン(Bawdwin)迄の43.7kmが開通、産出された鉱石を鉄道で運び、ナムトゥで精錬し、鉄道による下ビルマ、そして国外への搬出が開始されました。鉛、銀、亜鉛、ニッケルや銅といった各種の金属を産出したこの鉱山は、日本占領期には三井金属鉱山によって運営されていた時代もあったそうです。

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ラーショー空港を空から。

 2012年頃から鉱山は採掘を休止しており、炭鉱鉄道もその役割を終えたのですが、他方で新鉱脈の試掘なども行われており、関係者も多くがそのまま雇用されている(一度解雇すると二度とこの山の中に戻ってこないので、)とのこと。採掘現場であるボードウィンには今でも集落があり、この鉄道が貴重な輸送手段を担っているそうです。
 その鉄道には、有名なFar Rail Toursの一行からの依頼(と支払い)によって走行可能な状態にレストアされた2両の蒸気機関車、1914年英国Kerr.Stuart製13号機、1928年W.G.Bagnall製42号機が2013年頃まで外国人グループによるチャーターに供されていたのですが、その後この地域の治安の悪化(少数民族グループとの武力衝突)により、外国人の立入りが制限されているため、その後、この鉄道をチャーターしたという話はネット上に流れなくなってしまっていました。(2013年当時のチャーターの模様がこのブログに詳しく書かれています。)
 このナムトゥの現状を確認すべく、ラーショー空港からクルマを借り上げ走ること2時間、ナムトゥにやって来ました。

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こちらは途中で交差した、ナムトゥ~ナンミャオ間を結んでいた路線の廃線跡。

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2018年7月16日 (月)

あっという間のジャカルタ。

2日目、午前中はラスナサイドのバクリー大学での所要の後、午後もまた暫くぶりの友人と会ったりしているウチにあっという間に時間が経ってしまい、もうヤンゴンに戻ります。

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地下鉄工事もたけなわなジャカルタ市内。スナヤン駅の換気塔ですかね、これは。

帰りのフライトは、深夜01:30発のAir Asia AK383便KL行き。夕方乗ったEagle社の若いタクシーの運ちゃんが、自分はいつも空港で客待ちをするので、もし空港に行くのなら是非自分のクルマを使ってくれ、高速代込み10万ルピアでいいからと盛んな売り込み。
じゃあ、23時にホテル前で待っててくれたら君のクルマで行くよ、と言っておいたら、ちゃんとその時間に現れたので、そのまま空港へ。「こんな時間にフライトあるんですかー、何処行くんですかー」と、このAir Asia便の存在はあまり有名ではない模様。

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Terminal 3 Ultimateと立派な名前が付けられたSHIAの第3ターミナル。この日の発着便もほぼ終わったこの時間帯は閑散としてますが。

すっかり立派になった巨大な“Ultimate”なる愛称のついたターミナル3、制限区域内では飲み物一つ満足に手に入らないような時間帯で少々苦言を呈したくなりつつ、更にフライトが1時間遅れ。
当方はKLで2時間半弱の乗り継ぎながら、偶々同じ便でKL乗り換えでチェンナイに戻るという知人C原さんと乗り合わせたのですが、こちらは乗り換え時間が1時間50分ほどと少々厳しい趣き。KLに到着したら、突っ走っていきました。あのKLIA2って空港、反対側のピアに着いたりすると、長い橋で渡って乗り換えの検査して、また戻って、と結構空港内移動に時間食うんですよね。

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Air Asia便の乗り継ぎでヤンゴン戻ります。2フライト共に非常口前の3人掛けを独占できたし、$6x2区間のHot Seat購入は正解でした。今回は。

この日も、KL到着時は近い側のピアでしたが、ヤンゴン便の出発は橋を渡った反対側。たまたま1席だけ空いてた出発間際のカートに乗せて貰えて時間短縮出来ましたが、二度も受ける保安検査は長蛇の列+ベルトや靴まで脱がされるなど、搭乗口に着いた際にはもうヤンゴン行きAK504便は搭乗が始まっており、折角の“Hot Seat”優先搭乗の恩恵にはあずかれませんでした。

ヤンゴン到着は朝の8時。一旦帰宅してシャワー浴びて、2時間有休とっての出勤です。

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これまではミートパイ位だったAir Asiaのプレブック・ミール、この日は1時間遅れの離陸で、夜中の3時過ぎにこのミールを出され、乗り継いだ先でまた同じものを出されても、食傷気味もいいところでした。

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2018年7月14日 (土)

1年ぶりのジャカルタ。

金曜夜に仕事を終えてから一旦帰宅、シャワー浴びて着替えて21時半にタクシーを呼んで貰い、空港へ。

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日付変わる前に出さなきゃいけない何か理由があるのかな? 色々使えそうな23:55発のKUL行きMalindo Air。

こんな時間にも韓国や中国、ドバイ行きといった国際線のフライトはあるのですが、今日の当方はもう国内線とあまり替わらない近距離、KL行きのMalindo Airという、Lion Airグループのマレーシア拠点のキャリアの便です。ヤンゴンからKLなんて2時間半ほどで、夜行便というのも凄いですよね。この23:55発のOD553便、1時間半の時差の関係もあってKL到着は朝の4時、なんか立派に夜行便なスケジュールに見えます。

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ジャカルタに到着、空港ターミナル間を連絡する新交通システム(但し有人運転)に初乗りしてみます。

このKLで2時間ほど待って接続便は朝6時発のジャカルタ行き、同じLion Airグループのインドネシア拠点の“フルサービス”会社、Batik AirのID7164便。こちらも2時間ほど(実際飛んでるのは1時間半強くらい?)の短時間国際線で、時差もあって、ジャカルタ着は朝の7時前。
まだ第2ターミナルのイミグレも開いたか開いてないかくらいの一番乗りで、「ん、何処のフライト?」と眠そうな声で入管職員に聞かれる位の時間帯でした。

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ジャカルタ空港連絡鉄道にも初乗りです。二年前にはこんな状態だったところが立派な駅になって機能していて、感無量です。

そんなわけで久しぶりのジャカルタ。1月の来訪予定が仕事の都合(大規模な来客)のお陰でキャンセルとなったため、殆ど1年ぶり。なんか空港ターミナル間移動の新交通システムは出来てるし、第3ターミナルはバカでかくなってるし、空港と市内を結ぶ連絡鉄道も運転開始してるし、なんか色々様変わりです。

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メトロ5000系もまだまだ元気で走ってました。KCIロゴになってからは初めてかな。

それでもガラガラの空港特急電車で新線を走って市内スディルマン駅横の「BNIシティ」駅からタクシーに乗り換えてみると、いつもと替わらぬジャカルタの街の姿が目に入ってきました。勿論、日々刻々と姿を変えていく現在進行形で発展中の街ですが、それでも落ち着く気分、帰ってきた感半端なく、ホッとします。

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LRT車両が港からトレーラーで運ばれてきました。

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台車が持ち上げられた時点で当方はTime Up。明日朝があるので無念の退却です。車両が上がるまであと2時間くらい…は待てませんでした。

 

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Adam君、Faris君、頑張ってますね!

日は明日朝の所要の都合でラスナサイド、スティアブディ近くのホテルに荷物を置いて、午後は友人と会ったり色々と飛び回りました。最後は市内北東部、クラパガディンにて、タンジュン・プリオク港に陸揚げされたLRTの陸送があるというのを見に行ってしまい、ホテルに戻ったのは日が変わった後。

勿論クタクタなわけですが、しっかり楽しませていただきました。

 

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2018年7月10日 (火)

出張ですが、いつもと似てる。

昨日・今日の月・火はネーピードーとマンダレーに国内出張。
まずは月曜朝7時のAir KBZ K7-234便でネーピードーに飛び、午前中に某役所で会議一件。早く着き過ぎてしまったので役所の駐車場でクルマの中でウトウト。ヤンゴンからの朝のフライトがもう1時間遅くにあればこんな早起きせずとも済むのにねえ。

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KBZの朝ごはん、クロワッサンサンド、そこそこ食べられます。

そして昼食の後、ミョーマ市場横の小規模のバスターミナルから、13時発のシュウェシンセッチャー社の高速バスで約4時間半かけてマンダレーに移動です。
出張ですから、普通だったら飛行機を使うのでしょうが、今回アポイントを調整していた際、マンダレー〜ネーピードー間のフライトが去る6月下旬をもって無くなってしまっていたのを初めて知りました。

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ネーピードー空港の到着ロビーの市内行きシャトルバスの案内。

まあネーピードーもマンダレーも空港と市内が遠く離れているので、「ネーピードー市内->空港(30分)+1時間前チェックイン+フライト30分+(荷物待ち時間)+マンダレー市内まで1時間」云々と考えると、バスで4時間半というのもそれなりに競争力があるのかもしれませんね。

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ネーピードー->マンダレーの高速バス。途中の休憩所にて。

他方で列車の方、午後のこの区間の便はネーピードー15:22->21:00マンダレーの1本のみ、所要5時間半以上ということで、残念ながら夜の会食に間に合わないため、今回は列車での移動は断念(笑)。

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ミンガラー・マンダレーという新しいモール。在留邦人の方も、この中は別世界だと仰る。

あ、繰り返しますが、今回は出張です。 仕事の中身の話はブログやSNSには書けないので、足の話だけになってしまうと、普段の遊んでる週末と同じになってしまうのがつらいところです(苦笑)。

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火曜の夕方のUB144便、B737-800でヤンゴンに戻ります。

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2018年7月 6日 (金)

モンユワ周辺時刻表(再掲)。

というわけで、今回乗ってきたモンユワを中心とした、シュウェボー・キンウー~モンユワ~マンダレーそしてパコックとを結ぶ路線の時刻表ですが、先般掲載したものと変更ないことが確認されましたので、再掲しておきます。

あ。シュウェボー~ティンテェィンヤンの区間列車、DMUってなってるな。ここはRBEに直しておかないと。残念。。。

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2018年7月 5日 (木)

雨季旅行モンユワ(その6.帰りましょ)。

モンユワからの帰路は、駅前通りに並んでいるハイエース(や、パクリ車)の中のマンダレー行き。ここから何処に行くクルマがあるのかなー、と眺めるつもりで近づいていくと、客引きの方から次々と声をかけてくるので、少し選んで冷房車だという車掌に引っ張られて行ってみると、パクリ車じゃないホンモノのハイエースの助手席に。
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それほど大きくないながらも、しっかりとした造りのモンユワ駅舎。 

こちらで途中30分ほどの食事休憩を挟んで3時間半ほどでマンダレーの市街地西部、川沿いのミョー・パッ通りと35番通りの三叉路のところに設けられた簡易ターミナルに到着(Ks.3,000)。一旦市内へ向かうことにしました。今回はマンダレー~モンユワ間を3回も移動する羽目になっちゃいましたね。
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この純正ハイエースの乗合車でマンダレーへ突っ走ります。

市内から空港へは、例のシュエナンサンの空港バス(1人Ks. 4,000)会社に電話してみると、今から暫くは空港に向かう乗合バスはないけど、セダンならKs.12,000でいいよと。こちら、乗客の需要は空港から市内への殆ど一方通行(Ks. 15,000)なわけで、空港への戻りクルマに乗ってくれるのなら、少し割引しても全然構わないのだろうね。マンダレー駅に屯してる客引きタクシーの半額くらいで行けてしまいます。
ロビーをお借りしたホテルに、キチンと指定された時間通りに冷房のよく効いた白いカローラが現れ、空港までは約50分。

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マンダレーへの帰り道、素敵な市外バスとすれ違い。マンダレー~シュウェボーと書かれています。中型車は日本のバスマニアに人気はイマイチのようですが。

ヤンゴンへの戻りは17時半発のUB134便、昨朝と同じB737-800でおよそ1時間分ほどの快適な旅路。時間帯により激しい雨の降るヤンゴン空港への到着ですが、時折急な横風に吹かれてヒヤッとするプロペラ機のATRに比べ、ジェット機だと多少安心感がありますね。

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さ、ちゃんと蛇腹につけられたジェット機でヤンゴンに戻りましょう。

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2018年7月 4日 (水)

雨季旅行モンユワ(その5.都市間RBEに乗る)。

マンダレーからは05:35発の123UP、RBE列車でモンユワへ向かいます。
橋上駅舎の切符売り場では乗車券を売ってくれず、去年マンダレー市街地をグルっと回ってターイゼィ、そしてマダヤーへ向かう列車に乗った1A番線からの出発となることのことで、切符もこのホームに設けられた小屋のような窓口で。
しかもマダヤー行きが出発した後の04:50頃からしか発売しないとおっしゃるので、線路脇に並ぶ茶屋でお茶を飲みながら暫く時間を待ちます。

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マンダレー駅1A番線の脇に並ぶ喫茶店。

入線してきた列車は、去る1月にチャンウー駅で見かけたのと同じRBE3041号車、元JR東海のキハ40 5082号車だそうですね。
クリーム色に塗られた車体には緑とオレンジの湘南色の帯が入っていた筈ですが、沿線の草木との接触で削れてしまったのでしょう、側面はオレンジ単色の帯色となっており、城北線仕様のように見えてしまいますね。ボディ側面には他にも多数の生傷があちこちに見受けられ、熱帯の植物の強さを感じさせます。

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「快速 多治見」行きのキハ40で出発です。

各ボックスに1~2人ほどの乗りで列車は定刻に出発です。
柔らかなモケットのボックスシートは先ほどの夜行列車よりも遥かに座り心地がよいのですが、窓には熱帯の強い日差し除けのためのフィルムが貼られ、外を眺めることが出来ないのは少々困ります。
よく見ると、貼られているのは下降させて全開となっている上段窓だけのようなので、上段窓を上げて閉めてしまえば、傷の多い窓ながら一応席に座って外を眺めることが出来るようです。窓を閉めるとその分暑いわけですが、ここは他の窓が開いているので、良しとしましょう。

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エーヤワディ川を渡る橋を、開けっ放しの貫通路から眺めます。

列車は一旦ヤンゴン方面へ南下した後、西へ分岐してザガインの大鉄橋を渡ります。こちら、先の大戦中、日本軍の侵攻を受けて退却する英軍が鉄橋を落としていき、戦後に再建されたもの。当初鉄道と自動車の併用橋として建設されたものの、その後の交通量の増加からこの橋の北側に新たな道路橋が建設されたため、現在のこの橋の両側に残る道路橋はバイクなどの軽車両のみの使用となっているようです。

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遮光フィルムが貼られており、外を眺めにくいのは少々残念。

橋を渡る途中から右手前方のこんもりとした山、ザガイン・ヒルと呼ばれるこの山には数多くのパゴダが点在しているのが目に付きます。橋を渡りきったところで市名を冠したザガイン停留場に停車したのち、ゆっくりと市内へ入って行ったところがユワトーン駅。ヤトン、ヤタウンなど色々な日本語の綴りがネット上や書籍などに混在していますが、まあ難しい発音ですよね。何回かいろんな言い方をしているうちに通じることもあるでしょう。

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各駅の乗降客はそれほど多くありません(ンガタユワ)。

大規模な鉄道工場もあるこの駅で線路はミッチーナ方面への本線と別れ、列車は西へ向かいます。

この路線は、マンダレー、ザガインとザガイン州内中部の主要都市、40万の人口を抱えるモンユワとを結ぶ、1900年に開通した古くからの幹線で、これら三都市間の流動は非常に多いです。マンダレーから大型バス、シェアタクシーが合わせて30分間隔で走る他、乗り合いのハイエース車がお客が集まり次第頻発しており、所要時間は3時間半程度。

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単行気動車の車内はこの程度の乗車率。日本のローカル線みたいな雰囲気ですが、もう少し乗ってほしいところではあります。

なのですが、この間の鉄道は現在僅か1日1往復でしかありません。線路は古い時代に建設されたこともあり、駅を中心に街が広がっているところが多く、最近の新設路線に比べれば立地的には有利な筈ではあるのですが、完全舗装の幹線国道とほぼ並走していることもあり、各駅での乗降客も昨日のモンユワ以北区間に比べても少ないように感じられます。

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雨季はマンゴーの美味しい季節ですよね♪

運賃こそKs.750と、安いものでもKs.3,000を要する乗合自動車よりは遥かに安いのですが、時刻表上6時間を要するこの列車は、都市間輸送機能は全く果たせていないというのが実態のようです。

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タブレット渡しみたいな奴は使ってないんですね(ミンムー)。

ザガイン(ユワトーン)以西では沿線最大の街であるミンムーでも乗降客は数名。駅前には降車客を相手にした乗合車やバイクタクシーの姿もなく、ハイエースが着く度にバイタクやサイカーがわらわらと集まってくる自動車交通側とはだいぶ様子が違うようでした。

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路盤補修中の区間を最徐行で通過。

列車は途中、パコック方面への路線を分岐するチャンウーに1時間ほど早着し、ここで暫く停車となりました。この列車の前には、パコックからのモンユワ行き混合列車が走っている筈で、どうやら殆ど追いついてしまったみたいです。
この列車が先行し、閉塞が空くのを待ってからの再出発です。

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傷だらけの車体。毎日列車は走っているのに、繁殖力の強い熱帯の草木が激しく車体や窓を叩くため、窓から顔を出していると、かなり危ないです。

そんな次第もあり、終点モンユワにはおよそ1時間の早着、所要は5時間ほどでした。
途中線路状態が悪く保線作業のために徐行を余儀なくされた区間があったりしましたが、このRBEの性能なら4時間かそこらで走れるような距離ではあります。冷房付きの列車を高フリークエンシーで走らせれば、もう少し需要喚起出来そうな区間のようではありますが…ね。

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終点モンユワに1時間ほどの早着。先着したばかりのパコックからの混合列車を牽引して来たDLが機回しをしています。

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2018年7月 3日 (火)

雨季旅行モンユワ(その4・インターバル夜行)。

さて、キンウーからは夜行列車でマンダレーに向かいます。乗るのは23:52発のマンダレー行き56DNで、寝台やUpper Classも連結されているミッチーナからの長距離急行なのですが、どうやらこの駅では割当てがないようで、直角座席のFirst Classしか売ってくれません。早くオンライン化して貰いたいものです。

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ミッチーナからやってきた長距離急行列車がキンウーに到着。列車交換あるわけじゃないんだから、1番ホームにつければいいのに。

近くの食堂でサッカーを眺めながら夕食の後、30分ほどの遅れで到着した56DN列車、ひょっとしたらFirst Classの椅子は、キハ11あたりから外されてきたふわふわの快適な奴だといいな、と期待したのですが、やはりプラスチック椅子の座面に薄いビニール・モケットが貼られているだけの仕様でした。席まで案内してくれた当直助役と思しき駅員氏曰く、「隣は空いてるから、ゆっくり寝て行きな」って。そうね、あなたの駅での割当て分をほかに売らなかったんだものね。

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”First Class”の車内。青春18きっぷじゃないのだから、もう少し楽したいところですが。

もうこの歳になって、座席で寝るのはかなわんで、なのですが、また場合によっては空いてれば車掌に少し掴ませて寝台を使わせて貰うというのもありだったのかもしれませんが、車掌の姿も見えないので、横になっているウチに次の停車駅シュウェボーも待たずに寝入ってしまいました。昨日の朝も早かったからね。

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朝4時前、終点マンダレー駅に到着しました。結構寝られたけど、まだ眠い。

気がついたら列車はもうサガインの鉄橋を渡り、マンダレー市内に入りつつありました。終点マンダレー駅には遅れを取り戻して定刻2分遅れの03:47に到着。午前4時台発着の列車も多く賑やかなマンダレーです。甘いラペッイェ(お茶)でも飲んで一休み、そして次ですね。

 

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2018年7月 2日 (月)

雨季旅行モンユワ(その3・北半分の2)。

陽が西にすっかり傾いてきた18:40時頃、混59UP列車は50分ほどの遅れでティンテェィンヤンに到着しました。
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ティンテェィンヤンにはDMUが待っている筈でしたがっ!

この地域の路線で活躍して来て近年になって運用離脱したLRBE(トラック改造・タイヤ駆動の軽気動車)やLRBT(それに引かれる小型客車)、DMULRBEの発展型の鉄輪駆動の国産気動車)などが側線に保管されている駅で、地域の主要都市シュウェボーと当駅との間には毎日1往復のDMUの区間列車があり、昨年乗りに来たところです。
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徐々に近代化が進んで行く以上、やむを得ないのでしょうかね…

今日もそのDMU稼働車を見るのを楽しみにしてきたのですが、左前方に見えてきた車両はクリーム色と赤のツートーンに塗られた、RBEではありませんか。RBE2560号車、元松浦鉄道のMR-101ですね。聞くと、これはさっきシュウェボーから来て、明朝戻っていく列車だと。なんと最後のDMU運用も落ちてしまいましたか。

軍事政権時代の海外からの経済制裁下で、バスやトラックなどの部品を流用したりして苦労して自分達で作り上げてきた国産の各種軽気動車(またはゲテモノ)の最後の編成の定期運用離脱でした。去年乗りに来ておいて良かった・・・ですが、残念でなりません。我々がネットに上げてしまったのが原因なのでしょうか・・・ なのですが、当該最後のDMU302号編成が側線には留置されていませんね。シュウェボーにいるのかな。
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ティンテェィンヤンで満席になった乗客がまた各駅ごとに少しずつ降りて家路についていきます。


このティンテェィンヤン駅、幹線道路からはバイクでも20分以上、相当に離れており、まだ鉄道しか公共交通機関がなかった時代に形成された集落のようで、これまでの駅に比べても格段に乗降客数が多いですね。モンユワ方面からの下車客だけではなく、市場のあるこの街からこの列車に乗車して更に周辺の集落に帰っていく乗客もいるようで、一旦大勢が下車した車内は再びほぼ満席になりました。
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さ、すっかり夕暮れですね。


先日DMUで辿った道を逆に進み、イギリス時代~戦中の終点、戦後建て直された感のあるこれまでの各駅舎とは一線を画する趣ある駅舎のイェーウーにはすっかり暗くなった20時少し前に到着。大勢降りるのかと思いきや、まだ車内には半数以上の乗客が残っています。

かつて南から進軍してきた日本陸軍の部隊は、当時はエウと表記されたこの街まで貨物列車で運ばれ、ここからトラックや徒歩で現在のサガイン地域北西部のカレーワやホマリン、その先のインド側のインパールやコヒマを目指して進軍して行きました。そして敗走してこの路線の各駅に辿り着き、運の良い者は区間区間で鉄道連隊により運行が続けてられていた列車で、それもままならなくなった時期には、線路沿いに歩いて南へ退却していったそうです。

エウには軍の患者収容所が、モンユワ(当時の表記はモニワ)には兵站病院が設けられていたとのことで、いずれも列車が着くと駅頭には多数の兵隊と物資が溢れる一大拠点だったようです。
とはいえ、現在のイェーウー駅はキンウーまでの鉄道路線が繋がった際に市街地の南西方に移転設置された駅で、旧駅は街の西側から入ってきた線路から左手(北側)に分岐して、市街地の北西方に設けられていたと思われます。

そんな次第も有り、今の夜のイェーウー駅は当時を彷彿とさせるような気配もなく、静かに本日の最終列車の出発を見送ろうとしていました。

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併用橋を渡っていく列車。ですが、この画像じゃなんだかわかりませんよね。

 

この駅を出ると2000年代に入ってからの開通区間になります。線路状況はあまり変わりません。ほどなく、かつての技術では建設出来なかったのでしょうか、この路線をイェーウー駅で終点とせしめていた、エーヤワディ川の支流を渡る併用橋に差し掛かります。列車は徐行しつつ併用軌道区間に入り、数台のクルマを待たせて、砂埃を巻き上げて橋を渡っていきました。

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下川さん、ちゃんと電灯ついてますよ。明るさが足りなくてブレブレな写真ですが。

 

ここから先は既に車窓は真っ暗、集落も多くはないようです。とはいえ、前述の下川氏の書籍には「電灯がない」などと書かれていた車内ですが、今日の車内にはキチンと2本の電灯が、か細い電線を介してキチンと点灯していますので、危険な感じはありません。幾つかの小さな駅に停まりつつ、1時間ほどで車掌が「次は終点だよ」と教えに来てくれました。ちょっとした街の明かりが近づき、右手からミッチーナ本線の線路と合流し、21時半頃、およそ1時間少々の遅れで無事に終点キンウーに到着です。
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終点キンウーに到着。結構な数の乗客が終点まで乗っていました。


3両の代用客車から降りたのは全部で40人ほどでしょうか。ここからミッチーナ本線に乗り継いで行く乗客もいるようで、数名の乗り継ぎの乗車券を求める客で駅事務室はごった返しました。

あ、そうそう、DMU302号編成は、このキンウー駅北側の屋根が設けられた側線に留置されていました。塗装も真新しく、ひょっとしたら、先ほどのRBEの予備編成だったりすると・・・いいのですが。

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きれいな状態で留置されているDMU302号編成。まだ時折走ったりするのでしょうか。

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2018年7月 1日 (日)

雨季旅行モンユワ(その2・北半分の1)。

マンダレー駅近くの乗り場からシェアタクシーが出発したのは午前9時半。なのですが、このクルマ、インドネシアのトラフェルのように乗客の家などにピックアップに出向いたりするものだから、マンダレーの街を出たのはもう10時半になっていました。このルート、見込みは所要3時間弱、これに昼食休憩が30分取るのが通常なので、14時を回ってしまうのではないか、モンユワ市内側でのお客の送迎も含めると…と心配して途中若干ひやひやしたりもしましたが、それでも13時40分過ぎ頃、なんとかモンユワ駅前まで着くことが出来てやれやれでした。

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左がパコック行き、右が当方の乗るキンウー行き。さっきまでは真ん中にマンダレー行きのキハ40が停まっていたはずなのですが。

 

以前ボディタタウン支線に乗って以来のモンユワ駅、戦前に開業した古くからの駅ですが、この建物は明らかに後世になってから作られたものと思われます。日本軍の兵站拠点や野戦病院もあった街だし、戦争中に空襲で焼けたのかな。

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ロングシートの車内は、たくさんの荷物を抱えた乗客で席がさらりと埋まってます。左奥の出っ張りは、トイレ。流石長距離・・・ではないな。長時間鈍行です。


構内に入ってみると、13時発のマンダレー行きのRBE列車は既に出発してしまっており、停車しているのは2編成のみ。次にほどなく出発しようとしているのが14時発のパコック行き。一般客車と代用客車の双方が連なったこの列車は、先日途中のチャンウーからパコックまで乗車した列車ですね。

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最初の停車駅アーロン(Alon)で既に数名の降車客が。

そして駅舎側1番線に停車しているのが、当方の乗る14:15発の59UP列車キンウー行きです。パコック行きとは異なり代用客車が3両に貨車とカブース。客車のうち真ん中の一両は窓のない貨車改造車で、少しでもマシな方をと選んで、3両目に空席を見つけて座ります。車内中央部に窓側を向いた背中合わせのロングシートと、車端部に少しだけのクロスシートが並ぶ、なんとなくモノレールの座席配置のような感じ。

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放牧されている馬を眺めながら、列車はのんびりと走っていきます。

かの下川裕司氏は著書にて「ボロボロだった。~これを列車といっていいものか。森林鉄道の車両のほうが、もう少ししっかりしている気がする。」とディスり倒していますが、それはまあオーバーな気もしますね。当地の地方路線のローカル列車では時々見かける仕様です。
同書には「発車した列車はとんでもなく揺れた。」との記載もありますが、貨車の台車を使っているこの代用客車の乗り心地が良くないのはまあそのとおりなのですが、このモンユワ付近は英領時代の古くからの鉄道路線です。

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一日一往復の汽車を皆で眺めに行くのが日課なのかな。

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廃レールを使って仮橋脚を作って支えていたり、
古枕木を組んで橋脚の上で支えていたり、素人目にもちょっと心配な状況です。

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きちんとした駅舎があり、駅員も常駐する主要駅ブダリン。

MR公式によれば1900.4.15にユワトーン~アーロン、1922.7.1にアーロン~ブダリン間が開通している(※ 実はこのMRのサイトでは、2000.4.9にブダリン~イェーウー~キンウー間開通と書かれており、戦前戦中の軍記物で既にユワトーン~モンユワ~イェーウー間が運行されているという記載が多数あり、誤記であるようです。)。ともあれ、1990~2000年代の粗製乱造路線とは異なり、英領時代に建設された路線は比較的しっかりと造られており、保線整備状況がよくないのはそうなのですが、そこまで酷い部類ではないんじゃないかな、と私には思われますが。

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雨季ど真ん中とはいえ、この地域はヤンゴンよりは降雨量は少ないようで、今日もぱらついただけでなんとか持ちました。

とはいえ、走行速度は時速30㎞/hくらいでしょうか。バイクにも抜かれるノンビリ列車です。
それがいつに増して随分ゆっくりと橋を渡っていくな、と思って下を見てみると、橋脚と橋桁との間は元々は元々は勿論繋がってしっかりと支えられていたのでしょうが、今は橋脚の上部に廃レールや枕木を井の字に組み上げたもので橋げたが支えられているだけの状態。こんなの、戦争で落とされた橋を工兵隊が応急修理した仮設橋梁みたいな状態のところだったりするわけで、これは流石に酷い。

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沢山のお買い物をして帰って来たお母さんを、牛車でお出迎え。

最初の停車駅、モンユワ市街地北部のアーロン駅は、ボディタタウン支線のキハ141が夜明かしする駅ですが、ここで既に下車客がありました。
ここからも、この先の各駅でも、少しずつ乗降客がいます。ヤンゴン在住者にとっては全く使えない運航スケジュールのモンユワ空港を地図上では右手に掠め(全く見えないのですが)、ここから先では次第に国道から離れたルートを走るようになったこともあるのでしょう、中には明らかに、村の商店で売るための商品を市場で仕入れての帰りのような大荷物の方々が駅ごとに降りて行き、また乗る人もぽつぽついるなど、1日僅か1本のこの列車を沿線の皆さんは効率的に使っているようです。

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さ、大分陽が傾いてきましたね。

 

※ この路線の開業時期について、「100年のミャンマー鉄道」書籍で確認しましたところ、 アーロン〜ブダリン: 1922.7.1 ブダリン〜セジー: 1923.6.10 セジー〜イェーウー: 1926.7.1 となっていました。

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