« あっという間のジャカルタ。 | トップページ | 雨から逃げて北シャンへ(その2:ナムトゥ現状)。 »

2018年7月27日 (金)

雨から逃げて北シャンへ(その1:ナムトゥへ)。

今日7月27日はワソー満月の休日ということで、3連休。南部のダウェイに行こうかと思ったら、途中のモン州モーラミャイン付近で大雨らしく列車の正常な走行が懸念されるような状態だったのと、また、FMI Air運航休止のあおりでか、ダウェイ便のフライトが悉く満席だったので、急遽行き先変更。お昼12:30発のAir KBZ、K7-828便でへーホー経由でシャン州北部のラーショーに飛んできました。

37933970_1796090923813244_727786436
今日はいつもより古めのATR72-500型機でのフライトです。

37883975_1796090933813243_512422533
ヘーホー経由便のため、機内食が2回出されましたが、そんなに入らないので、2食目は非常食に持っていくことにしました(こちらは1食目)。

中国国境に近く、今でも北のムセ国境を越えて中国雲南省との間の公式非公式の貿易が多く(日本人は通れない国境ですが)、このラーショーの街にも結構な中国語の表記が溢れています。

今日はここからナムトゥに向かいます。

37924348_1796091027146567_566483648
随分立派になったラーショー空港。以前来たときは、こーんな田舎飛行場だったけど。

ナムトゥ(Namtu)、日本語のサイトではナムツという表記も多いようですが、15世紀頃から各種の鉱石を産出していたともいわれる歴史のある鉱山だそうです。英国植民地時代の1903年にマンダレーから延びてきた鉄道がラーショーに達し、この鉄道の途中駅ナンミャオ(Namyao)から分岐しナムトゥに至る軌間610mmのナローゲージ鉄道が1907年に建設開始、1914年にナムトゥを経てボードウィン(Bawdwin)迄の43.7kmが開通、産出された鉱石を鉄道で運び、ナムトゥで精錬し、鉄道による下ビルマ、そして国外への搬出が開始されました。鉛、銀、亜鉛、ニッケルや銅といった各種の金属を産出したこの鉱山は、日本占領期には三井金属鉱山によって運営されていた時代もあったそうです。

Limg_4991
ラーショー空港を空から。

 2012年頃から鉱山は採掘を休止しており、炭鉱鉄道もその役割を終えたのですが、他方で新鉱脈の試掘なども行われており、関係者も多くがそのまま雇用されている(一度解雇すると二度とこの山の中に戻ってこないので、)とのこと。採掘現場であるボードウィンには今でも集落があり、この鉄道が貴重な輸送手段を担っているそうです。
 その鉄道には、有名なFar Rail Toursの一行からの依頼(と支払い)によって走行可能な状態にレストアされた2両の蒸気機関車、1914年英国Kerr.Stuart製13号機、1928年W.G.Bagnall製42号機が2013年頃まで外国人グループによるチャーターに供されていたのですが、その後この地域の治安の悪化(少数民族グループとの武力衝突)により、外国人の立入りが制限されているため、その後、この鉄道をチャーターしたという話はネット上に流れなくなってしまっていました。(2013年当時のチャーターの模様がこのブログに詳しく書かれています。)
 このナムトゥの現状を確認すべく、ラーショー空港からクルマを借り上げ走ること2時間、ナムトゥにやって来ました。

37950441_1796091060479897_549776720
こちらは途中で交差した、ナムトゥ~ナンミャオ間を結んでいた路線の廃線跡。

|

« あっという間のジャカルタ。 | トップページ | 雨から逃げて北シャンへ(その2:ナムトゥ現状)。 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/200655/67004118

この記事へのトラックバック一覧です: 雨から逃げて北シャンへ(その1:ナムトゥへ)。:

« あっという間のジャカルタ。 | トップページ | 雨から逃げて北シャンへ(その2:ナムトゥ現状)。 »