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2018年7月 1日 (日)

雨季旅行モンユワ(その2・北半分の1)。

マンダレー駅近くの乗り場からシェアタクシーが出発したのは午前9時半。なのですが、このクルマ、インドネシアのトラフェルのように乗客の家などにピックアップに出向いたりするものだから、マンダレーの街を出たのはもう10時半になっていました。このルート、見込みは所要3時間弱、これに昼食休憩が30分取るのが通常なので、14時を回ってしまうのではないか、モンユワ市内側でのお客の送迎も含めると…と心配して途中若干ひやひやしたりもしましたが、それでも13時40分過ぎ頃、なんとかモンユワ駅前まで着くことが出来てやれやれでした。

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左がパコック行き、右が当方の乗るキンウー行き。さっきまでは真ん中にマンダレー行きのキハ40が停まっていたはずなのですが。

 

以前ボディタタウン支線に乗って以来のモンユワ駅、戦前に開業した古くからの駅ですが、この建物は明らかに後世になってから作られたものと思われます。日本軍の兵站拠点や野戦病院もあった街だし、戦争中に空襲で焼けたのかな。

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ロングシートの車内は、たくさんの荷物を抱えた乗客で席がさらりと埋まってます。左奥の出っ張りは、トイレ。流石長距離・・・ではないな。長時間鈍行です。


構内に入ってみると、13時発のマンダレー行きのRBE列車は既に出発してしまっており、停車しているのは2編成のみ。次にほどなく出発しようとしているのが14時発のパコック行き。一般客車と代用客車の双方が連なったこの列車は、先日途中のチャンウーからパコックまで乗車した列車ですね。

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最初の停車駅アーロン(Alon)で既に数名の降車客が。

そして駅舎側1番線に停車しているのが、当方の乗る14:15発の59UP列車キンウー行きです。パコック行きとは異なり代用客車が3両に貨車とカブース。客車のうち真ん中の一両は窓のない貨車改造車で、少しでもマシな方をと選んで、3両目に空席を見つけて座ります。車内中央部に窓側を向いた背中合わせのロングシートと、車端部に少しだけのクロスシートが並ぶ、なんとなくモノレールの座席配置のような感じ。

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放牧されている馬を眺めながら、列車はのんびりと走っていきます。

かの下川裕司氏は著書にて「ボロボロだった。~これを列車といっていいものか。森林鉄道の車両のほうが、もう少ししっかりしている気がする。」とディスり倒していますが、それはまあオーバーな気もしますね。当地の地方路線のローカル列車では時々見かける仕様です。
同書には「発車した列車はとんでもなく揺れた。」との記載もありますが、貨車の台車を使っているこの代用客車の乗り心地が良くないのはまあそのとおりなのですが、このモンユワ付近は英領時代の古くからの鉄道路線です。

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一日一往復の汽車を皆で眺めに行くのが日課なのかな。

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廃レールを使って仮橋脚を作って支えていたり、
古枕木を組んで橋脚の上で支えていたり、素人目にもちょっと心配な状況です。

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きちんとした駅舎があり、駅員も常駐する主要駅ブダリン。

MR公式によれば1900.4.15にユワトーン~アーロン、1922.7.1にアーロン~ブダリン間が開通している(※ 実はこのMRのサイトでは、2000.4.9にブダリン~イェーウー~キンウー間開通と書かれており、戦前戦中の軍記物で既にユワトーン~モンユワ~イェーウー間が運行されているという記載が多数あり、誤記であるようです。)。ともあれ、1990~2000年代の粗製乱造路線とは異なり、英領時代に建設された路線は比較的しっかりと造られており、保線整備状況がよくないのはそうなのですが、そこまで酷い部類ではないんじゃないかな、と私には思われますが。

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雨季ど真ん中とはいえ、この地域はヤンゴンよりは降雨量は少ないようで、今日もぱらついただけでなんとか持ちました。

とはいえ、走行速度は時速30㎞/hくらいでしょうか。バイクにも抜かれるノンビリ列車です。
それがいつに増して随分ゆっくりと橋を渡っていくな、と思って下を見てみると、橋脚と橋桁との間は元々は元々は勿論繋がってしっかりと支えられていたのでしょうが、今は橋脚の上部に廃レールや枕木を井の字に組み上げたもので橋げたが支えられているだけの状態。こんなの、戦争で落とされた橋を工兵隊が応急修理した仮設橋梁みたいな状態のところだったりするわけで、これは流石に酷い。

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沢山のお買い物をして帰って来たお母さんを、牛車でお出迎え。

最初の停車駅、モンユワ市街地北部のアーロン駅は、ボディタタウン支線のキハ141が夜明かしする駅ですが、ここで既に下車客がありました。
ここからも、この先の各駅でも、少しずつ乗降客がいます。ヤンゴン在住者にとっては全く使えない運航スケジュールのモンユワ空港を地図上では右手に掠め(全く見えないのですが)、ここから先では次第に国道から離れたルートを走るようになったこともあるのでしょう、中には明らかに、村の商店で売るための商品を市場で仕入れての帰りのような大荷物の方々が駅ごとに降りて行き、また乗る人もぽつぽついるなど、1日僅か1本のこの列車を沿線の皆さんは効率的に使っているようです。

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さ、大分陽が傾いてきましたね。

 

※ この路線の開業時期について、「100年のミャンマー鉄道」書籍で確認しましたところ、 アーロン〜ブダリン: 1922.7.1 ブダリン〜セジー: 1923.6.10 セジー〜イェーウー: 1926.7.1 となっていました。

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コメント

あう、ちょっと、追いついてないです。迷さま、お願い出来ますかー。

投稿: 落花生。 | 2018年7月19日 (木) 23時45分

次回は松浦の試乗・撮影と旧駅調査ですね。頑張って下さい。

投稿: RBE迷 | 2018年7月19日 (木) 16時37分

あ、書いちゃった。次の記事のネタなのに(笑)
今回は既に真っ暗、前回も旧駅を確認することはできてないのですが。

投稿: 落花生。 | 2018年7月18日 (水) 19時56分

イェウーには行き止まり時代の旧駅へ延びると思われる廃線跡がありますね。

投稿: RBE迷 | 2018年7月18日 (水) 15時46分

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