一時帰国(お仕事ですが)。
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昨日の176DN列車にそのまま乗り続けていれば、6時間の遅れはあれど、今朝のうちにヤンゴンには着けていた筈、なのですが、わざわざ下車して1泊したのは、ちょっと寄り道してみたいところがあったため。ホテルからバイクタクシーでモーラミャインから橋を渡って北側のモッタマ(旧称マルタバン)側へ向かいました。
このタンルウィン河(とその支流との合流点)を渡るミャンマー随一の長大橋、ネット上にはその延長について幾つかの異なる数字が表れていますが、取り敢えずWikiでは道路橋3,528m、取り付け部に余裕を要する鉄道橋で7,640mと書かれていますが、いずれにしても3km以上の川幅を跨いでおり、軍政下の2005年に独力でこの橋を作り上げたのですから、立派なもんです。
モッタマの駅名標。左にまだ駅があるように書かれていますが、セイッカン(港)と書かれているだけです。
先の大戦中、苦心の末にタイ側と繋がれた泰緬鉄道で運ばれてきた人や物資は、モーラミャイン~イェ-間の既存鉄道を経てこのモーラミャインまで運ばれてきたものの、対岸のマルタバンには船で渡り、更に北を目指すことを余儀なくされていました。
フェリーへ乗り込むための通路だったのでしょうね。赤錆びた施設が残っています。
その状態は2005年にこの橋を通る鉄道が開通するまで続き、当時北側路線の運転の拠点が終点のモッタマにあり、現在もこの地域の主要な機関庫・整備基地となっています。
橋を渡ったバイタクにまず連れて行って貰ったのは、その北側路線の終点、モッタマ旧駅跡。管理人なのか人が住み着いている駅舎には、モーラミャイン側への鉄道が直通するようになった後も、一時列車の運行が残っていたらしいです。現在は勿論列車の発着はないながらも、綺麗に整備され駅名標もはっきり残り、今にも列車が入って来そうな雰囲気です。
機関庫の入口。アッシュピットがありますが、先日、Far Rail TourのグループがチャーターしたSLがここまで乗り入れて来たようです。
その駅舎を出ると、目の前には対岸に渡るフェリーの乗り場だったのでしょう、赤錆びた接岸設備が残されていました。
続いて訪れたのは、モッタマの機関庫。こちらには、この装甲車があるという風の便りを聞いていて、是非とも確認したいと思った次第。
この装甲車(Armored Car)。稼働状態で残っているのは、驚きです。乗ってみたいなぁ。動くとこ見てみたいなぁ。
この装甲車両自体は英国時代に持ち込まれたもので、マレー鉄道にも兄弟車がいるようなのですが(KLの博物館にある由。)、ホンの数年前まで、21世紀に入ってからもしばらくの間、実際に救援車両として使われていたようなのですから驚きです。
日曜の今日でしたが、親切な当番の上役の方、こちらが見せたスマホの写真をみるや、あ、これね、そこにあるよ、見てって♪、と至極上機嫌。生憎庫の中にしまわれたこの車両、今動かして外に出すわけにはいかないけど、可動状態にあるよ、とのこと。
出発前に陶器のカップで“ウェルカム・ドリンク”のコーヒーが手渡されました。自社デザインの飲料水も。流石はVIPバスたる所以か。
そしてもう1台、車庫の外に置かれていた綺麗な状態のLRBE59号車。こちらに至っては、現在でも時折物資輸送で動いたりしてるよ、というには驚かされます。その性格上、いつ動くのかはわからない、上の指示があれば、とのことなのは仕方がないことでしょうか。
こちらは悪い癖で「チャーターは?」と聞いてみたら、「ネーピードーの本社から指示があれば」とのことで、各管理局限りで受けたりは出来ないんですね。この装甲車のチャーター、してみたいんですけどッ!
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既に発券窓口は開いているようでしたので、事務室を訪ねて外国人向けの乗車券を作成して貰い、駅前の茶屋で一服の後、ホームへ。
入線していたのは地方路線でよく見られる“ショーティ客車”を連ねたヤンゴン行き176DN列車です。所謂“代用客車”は無く、Ordinary2両、Upper1両、First1両、Ordinary1両、最後尾に守車を連ね、先頭に立つのはDF1606号機。時刻表上はヤンゴン行きですが、途中のイェーで一般型客車の編成に車両交換となるのはネット情報からわかっていました。この短い車両でヤンゴンまでは入ってきてないですしね。
敬虔な仏教国の当地では、お坊さんや尼さんは特別扱いで、当然のようにUpper車が割り当てられます。
列車の出発は午前06:01。06:00ピッタリではないのは、かつてダウェイ・セイッカン駅を05:40発でこの駅まで向かってきていた頃の名残でしょうか。
この生意気にも3列シートのUpper車は、当方の他には警乗の鉄道警察官と尼さんとその連れだけ、Ordinary車も半分弱くらいの乗車率です。
こんな人跡未踏に見える山の中にも、整然と植林されたプランテーションがそこかしこに。
漸く白み始めた空の下、半分弱ほどの乗り具合で列車は定刻に出発です。ミャンマーの列車、始発駅の出発時刻については極めて正確に守られている印象があります。
この国の鉄道線路で下草刈りがなされているとは思えませんが、撮影地になりそうなきれいな築堤を進みます。
売り子さんから3in1のお茶を買っていただきます(200チャット)。
この早朝の時間帯ですが、各駅・停留所では1日1本の列車を乗客が待ち受けていました。1995年の当初部分開業時の終点イェビューを過ぎると、列車は徐々に山間部へ入っていきます。
途中駅から乗ってきてはす向かいに座ったグループ、どうもミャンマー語ではない言葉を話しているようなので、聞き耳を立ててみると、どうも響きがタイ語…らしい単語が聞き取れなくもない。
話しかけてみると、自分たちはモン族だと。喋っているのもモン語なんだそうで、以前シャン州東部のチャイントン周辺で話されていたシャン語もタイ語に近い印象を受けましたが、この辺りも一山超えるとすぐタイですから、言語・文化的にも色々影響を受けているのでしょうね。
これも20世紀末製とは思えない、戦車用の簡易橋?みたいな橋を渡ります。
下川氏の書籍では、「ジャンプ激しい、ダニに食われて腫れた、枝に顔を打たれた、寝て過ごした、何でいい歳してこんなことやってるんだろう」といつもの下川節で終わってしまう区間なのですが、確かに車体を激しく打つ木の枝に当方も2、3度叩かれましたし、そういった草木に阻まれて車窓が開けないところも多いのではありましたが、それでも高原風景あり盆地あり澄んだ水の流れる沢を渡り、農村にゴム植林に里山の風景あり、見事にカーブする築堤や(それほど古いわけでもないのに見た目はとても)古めかしい鉄橋を徐行で渡ったりと、なかなか変化に富んだ楽しい車窓風景が続きます。
13時少し前頃、時刻表上の定刻は12:10着・12:20発のパイッピンクィンに到着したのですが、なかなか対向列車が現れません。片方の列車が大幅に遅れる場合、運行指令が直ちに交換駅を変更してもう一方の列車を次の交換可能駅まで進ませるのですが、今日はそのような措置も取られる気配がありません。他の乗客も続々と下車して来て、携帯電話の電波も届かないこの山間の小駅は、滅多にない賑わいとなりました。
2時間ほどの後、どうやら対向列車が脱線事故を起こしたので、救援列車が走る、この列車は復旧作業が終わるまで走れない、ということが駅員氏との意思疎通からわかって来ました。
いつ作業が終わるのか、イェーから先の列車は待ってくれるのか、携帯はMPTもTelenorも圏外でGSM通話やSMSも出来ず、小さな駅の物売りの食べ物はあっという間に完売。あと1時間程のイェーで買えるから、と敢えて今までの駅での売り子さんから弁当類を買わなかったのが裏目に出ました。
トラクター改造の救援車両?が作業道具を積んで走っていきます。
それでも3時間程経った頃、売り子のおばちゃんの娘さん?がバイクで運んできたタイ製トムヤムクン味のインスタント麺をカセットコンロでくべて提供され、他にも餅米を焼いたのとか、スナック菓子など売りに来たのでホッと一息。
インスタント・ラーメンにありつき、ほっと一息。あと何時間かかるかわからないしね。
バケツにくまれた水、これどんな水を使ってるかわからず不安だったので、左のペットボトル水も一緒に購入し、こちらで茹でて貰いました。外国人はこれだから… 的な失笑を買いながら。
結局、5時間程の後、復旧作業が済んだらしく遅れの対向列車が現れ、漸くこちらも再出発。程なく現場らしく最徐行そして一旦停止して作業員を乗せて走り出しました。
どうやら、崖崩れの土砂が線路に覆い被さったところに、低速で登って来た列車の機関車が少し乗り上げた、という事のよう。
ここが事故現場らしいですね。最徐行・一時停止して作業員を回収します。
バックして、取り敢えず線路に被さった土砂を取り除いて、そのまま上下列車を通してしまったので、“脱線”にしては、早く“復旧”出来たのでしょう。
日本だったらこう簡単にはいかないでしょうが。
この短尺編成の終点、イェ―に6時間遅れで到着。接続列車(右)に乗り換えですが、島式ホームにしてくれればいいのにね。
そんなわけで、定刻14:23到着のイェーにたどり着いたのはもう陽もトップリと暮れた20時過ぎ。接続列車となる同じ列車番号のヤンゴン行きはきちんと待っていてくれましたが、目的地モーラミャインに着くのは、日付変わって午前2時を回りそうです。
真っ暗な車窓になってしまったこの区間、余裕があったら乗り直しに来たいところ。
通常の“長尺”車両のUpper車。4列シートですが、安心感を感じられるのは(笑)。
あゝ、ミャンマーで汽車旅するのは、かくも容易なき事なるかな。
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ここダウェイには、戦前に英国の手により建設されていた、モン州南部のイェ―まで伸びていた鉄道が、1995~98年の軍事政権下に延伸され、到達して来ています。MR公式によると、
30th May 1995 Dawei-Yebyu Line opened.
ダウェイから南へタイェッチャウンまで、5駅分の線路が描かれています。
それに加えて、
4th June 2011 Dawei - Thayetchaung Line opened.
ダウェイ駅に貼られた時刻表にも、「ダウェイ・セイッカン」駅までの列車の時刻が。
実際にこの区間に旅客列車が運行されたことがあるのか、貨物列車だけでも走ったのか確認できていませんが、ネット情報や書籍等を見る限り、少なくとも3.56マイル先のダウェイ港(ダウェイ・セイッカン)駅まではほんの数年前まで列車の運行があったようです。
ダウェイ駅に貼られた時刻表にも、ダウェイ・セイッカンまでの列車の時刻が書かれているのが読み取れます。最近の当地鉄道を取り巻く情勢から、この1駅区間が復活したり、あるいはタイェッチャウンまでの旅客列車の運行が開始される見込みは、まあないのだとは思いますが、折角なのでこのダウェイ港(ネットでは、ダウェイポート駅と書かれていることが多いようです)を訪ねてみることにしました。
ダウェイ・セイッカン駅からさらに南(左)側の駅名が残ります。
タイ国境側ではなくダウェイ市内で暮らし、バスターミナル近くで奥さんが店をやっているというこの四駆タクシーの運転手さん、「ダウェイ・セイッカン」駅の存在をよく知っており、あっという間に住宅街の中の細い道をすり抜けて駅まで連れて行ってくれました。
そのダウェイポート駅、駅員や管理人などはいないものの、駅名標の表示にはクリアに更に1駅南の「シンモッティ(でいいのかしら)」の名が示されていました。雨もちょうど止んだようなので、クルマを降り、地元の少年たちがたむろし、白い牛がのんびりと歩く駅構内に立ってみると、周囲に何もなく、草生して埋もれそうな細道を数百m走って辿り着かなければならないダウェイ「本駅」に比べて、周囲が開けて住宅も多いダウェイポート駅まで列車が来ていたというのは何となくわかる気もしました。
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このマイクロバスで国境へ。ガラス窓にはミャンマー語の文字も見えます。
カンチャナブリの街を抜けたバスは、泰緬鉄道のタイ側残存区間でもあるナムトク線の線路の北側を北上し、バーンカオ駅付近で線路を渡り、そこからメインの国道323号線から外れて西方向へ、道路番号も4桁に下がり、3229号から3512号線と、日本でいうところの3桁酷道か県道かというレベルの道になりますが、ここは流石はタイ、きちんと舗装され路側帯も十分に取られた快適な道です。
AH123号線の標識も凛々しい、完全舗装の快適な道路を一路国境へ。
終点のプーナムロン村まではおよそ1時間半弱ほど。多くの人がミャンマー側に越境していくのかと思いきや、殆どの乗客が途中で降車してしまい、終点の停留所から国境事務所の方へ足を向けたのは、当方の他には2人ほどでしかありませんでした。
出国手続き自体は待つこともなくあっさり終わったのですが、問題はここから。
入管の職員氏曰く、「ダウェイまで行くの? ここからミャンマー側(国境事務所)まで4㎞くらいあるけど、バスとか何もないよ」とのこと。
事前にそういうネット情報を目にしてはいました。でも本当にないですか。
バイクタクシーで国境越え。入管事務所から先、タイ側半分は引き続き良好な道路状態でしたが、
「ちょっと待ってね」と窓口を閉めて、近くの屋台が並ぶ側に歩いて行ったかと思うと「バイクタクシーで行きな、今呼んであげたから」との親切なご発言。
その間、ミャンマー側の“カジノへ行く”由の日帰りツアーのハイエースが停まってくれたりしましたが、折角わざわざ呼んでくれたので、そのバイクタクシーを待ち、後ろに乗って走り出しました(B100)。
暫くは、~タイ側部分は~そのまま綺麗な道が続くのですが、両軍の兵士が銃を持って立ち「写真はやめな」とドライバーにアドバイスされた中間地点を越えた途端に、道は突然未舗装になりました。いきなり両国間の格差を感じます。
ミャンマー側のティーキー村。右上の旗が立っている建物が入管事務所。
そして到着したのがミャンマー側の国境の村、ティーキー村。その気になればそのまま通り過ぎてしまいそうですが、バイタクの運ちゃんはキチンと国境事務所まで送り届けてくれました。
日本人旅行者は珍しいらしく、諸々話しかけてきて、自分のスマホで一緒に記念写真を撮ってしまうような緩い所長さん?と話している間に、部下の方によりパスポートとビザのページなどのコピーを取ったりと手続きが進み、10分ほどで無事に入国。「気を付けてねー」、と送り出され、無事にミャンマーに帰国です。
ティーキー村。並んでいる四輪駆動車は殆どが乗合車。ダウェイに明るいうちに着くには、昼過ぎ頃までには出発した方がよさそう。
走り出してすぐはこんな感じで、まあこれなら問題ないレベルかな、と思いましたが。
ほどなく出発したクルマは左手に“カジノ”を見つつ、未舗装路を一路西へ。道幅は広くないものの、それほど悪い状態でもない感じ。そのうち舗装がかけられて、バンコク~ダウェイを結ぶ、ダウェイ経済特区計画へのアクセス道路になることも期待されるような旅路の始まりでした。
それがしばらく走っているうちに、いつの間にかドンドン状態の悪い箇所が増えだし、スタックしたままのトラックも見かけるようになってきました。
そしてとうとう、この四駆車でも前後のタイヤが空転し、二進も三進も行かなくなる状態に陥り、一旦バックして勢いをつけて再突入して越えていくような場所も二度ほど。これは普通車では全く通れません。
今は雨季もそろそろ終わりに差し掛かりつつある時期なのですが、これでは雨季の最盛期にはどうしようもないでしょうね。現状、物流ルートには全くなり得ないのがよくわかりました。
そして途中で、「KNUのキャンプがあるから、ここでは写真撮らないで。」と言われた場所で停まること2回。途中の店で買い込んだペットボトルの飲み物を付け届けなのか、頼まれものなのか、引き渡していくなど、政治・治安面でもまだ問題がある地域であるようです。
ようやく舗装道路に出て、道端の茶屋で一休み。苦闘の跡が感じられますね。
全行程5時間少々のうち、最後ミッター(Myitta)からダウェイまでの1時間ほどだけが舗装区間でした。
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HYUNDAIのワゴン車のタクシーで連れて行って貰った国境から、早々にタイ側に戻ります。
今日先ほどの、同じ日付の入国印がある出国審査ですが、そんな旅行者も多いのか、何の質問もなくさらっと出国。待つことしばし、タイ側のハイデッカーのシャトルバスが現れ、国境の橋を越えてタイ側に戻ります。
ラオス側国境に到着。この橋はオーストラリアの援助で作られたので、大きな記念碑が。
この国境シャトル、出国後の緩衝地帯とでも言いましょうか、両国国境事務所の間の橋を越える区間をタイ・ラオス双方のバスが交互に運行しており、ラオス側の車両は元京都市バスなんでそちらを待ってみてもいいんですが、空席があったのでそのまま足を進めてしまいます。いざ乗ってみたら、格好の良い見かけとは裏腹に車内は随分草臥れて掃除も行き届いていません。大荷物の人の多いシャトルバスにハイデッカー車というのも気が利かないですし。
タイ側国境も何の質問もなく事務的に入国手続きを終えると、その少し先にはウドンタニ空港行きのハイエースが待ち受けており、昼間は1~2時間間隔で出発している模様(B150)。ノーンカイ市内の事務所によってから空港に行くので、多少時間はかかるようですが、荷物がある時は便利ですよね。
タイに入国したところにこのハイエース乗り場。Nok Airの看板がありますが,勿論誰でも乗れます。映ってるのは運ちゃん。
このまま空港行っても少し早過ぎるので、ウドンタニの市内へ一旦入ることにします。というのも、目の前にビエンチャンからウドンタニ行きの国際バスがタイミング良く現れたからで、これがまた京都市のマークを付けた爽やかな色合いのいすゞ・ガーラだったりしたからで。京都市内観光バス?と思ったら、車内には運賃の表記があり、路線車だった模様。調べてみたら、水族館シャトルに使用されていた車両のようですね。
ウドンタニ市内のモールには、こんな市内観光用の「トラム」なるものが。
勿論レールの上を走るものではありませんし、かつてこの街に市内電車が走っていたわけでもありません。
そういえば、タイではここから少し南に下ったコンケーンにトラムとLRTの建設計画があり、前者に関しては広島電鉄から中古車両の贈与がなされるという話になっているそうで。
ヤンゴンのトラムを想起させずにはいられない話ですが、果たしてどうなるでしょう? 楽しみにしておきましょう。
ウドンタニ空港からは、なんとかの一つ覚えですが、Thai Air AsiaのFD3355便でドンムアンへ。せっかくThai LionやらNok Airとか他のLCCもあるのだから、別のにすればいいのにね。ポイント貯めてるわけでもないのだし。たまたま時間帯がよかっただけです。
ドンムアン空港からは大荷物を抱えた乗客で満員…ではないものの、大量のスーツケースなどの荷物のお陰で足の踏み場がない状態の空港バスA1ルートでモーチットのバスターミナルへ移動。
以前は道端の外国人にはわかりづらい停留所から発着していた“ロットゥー”と呼ばれる乗合ハイエース車、これがちゃんとしたターミナルからの発着に纏められてわかりやすくなっていました。
モーチットのバスターミナルの向かいにある、ロットゥー・ターミナル。
しかも、ネットで予約できて支払いまで済ませられるようになっていたのは驚き。このロットゥーという乗合車、もともとは闇バスみたいなものだったと思うのですが、運輸当局としてキチンと交通体系の一環として組み込んだということなのでしょうね。
こちらで今日の目的地カンチャナブリまではおよそ3時間半ほど。ルート上であれば、予約客を道端で拾っていくのですが、その客が指定場所・時間にいなかったりすると、これを待ってみたり電話で呼び出したりということで5分10分と浪費するのは少々いただけませんが。
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途中のウドンタニで大勢の下車があり、終点のノーンカイ迄乗り通したのは、この車両ではその殆どが外国人などの観光客のようです。駅前に集まるソンテウやトゥクトゥクなどで思い思いに出発していきますが、駅に残った10人ほどは、このまま一緒にラオスに向かう人たちですね。
終点ノーンカイ駅のホームには、ラオス行きの接続列車の案内と、入管のカウンターが。
ヴィエンチャン、そしてバンヴィエンまでの連絡運輸? ラオス側の鉄道駅タナレーンまでは70バーツです。
ここで接続する列車に乗り換え、タイ・ラオス友好橋を1日1本の列車で越え、ラオス側の終点タナレーン駅に向かいます。切符は70バーツ、発券窓口の案内によると、ヴィエンチャンそして観光地バンヴィエンまでの乗継チケットも買えるみたいです。どういう接続になっているのか、聞いてみればよかったな。
ホーム上に設けられた、かなり緩い(横を幾らでもすり抜けられる)出国審査でスタンプを貰い、そのほぼ全員がバックパッカー風の乗客が案内されたのは、70年代日本製の気動車2両編成。紫色に塗りなおされて綺麗な状態ですが、古さは否めないというか、懐かしい香りのする車両ですね、我々的には。
タイとラオスを結ぶ友好橋(併用橋)の真ん中、タイとラオス双方の国旗が見えますね。
先ほどの特急列車が既に1時間ほどの遅れで到着したのですが、こちらの接続列車は当然これを待ち受けての発車です。この列車単体の利用客はゼロ、なわけですし。
全員が乗車したのを見計らって出発した列車は、程なく右手に旧ノーンカイ駅への線路跡を分け... と書きたいところですが、草が激しく生い茂り、車窓からは確認できませんでした。旧駅は残っているようです。
ラオス側の車止め遮断器。この国境では、クルマも走行車線が変わります(タイ:左側通行、ラオス:右側通行)。
橋に差し掛かると、左手に遮断器でクルマの流れを止め、列車は優先走行で橋へと進入していきます。ミャンマーでもよくある“簡易な方”の併用橋ですが、クルマの往来は結構あるとはいえ、列車の方が1日1往復ですから、まあこれでよいのでしょう。将来列車の本数が増えたら、はまあその時にまた考えるとして。
途中橋の中央付近で両国の管轄区域を越えたのか、橋の欄干に飾られた国旗がタイからラオスに変わり、そしてラオスの大地へ列車は乗り入れて来ました。立派な国際列車です。前回この橋を渡った時にはまだ列車の運行は開始されておらず、その後のビエンチャン訪問は2回とも出張で、仕事を抜け出して汽車乗りに来るわけにもいかず、忸怩たる思いをしていたところ、ようやく乗れました。
そんな憧れ?のラオス鉄道の車窓ですが、橋の近くの雑然とした道と、その先の田園風景がホンの数分、あっという間に終点タナレーン駅に到着してしまいました。
これでラオス鉄道、完乗です。「ラオス鉄道の旅」書籍を書こうにも、背表紙に題名書けないね、とSNS上で茶化してくれた友人がいましたが、全く仰るとおりです。
欧米人パッカーはアライバル・ビザ申請、日本人の我々はノービザで先行入国出来てちょっと気分良いね。
現在、北に接する中国雲南省からこのビエンチャンを目指して「中老鉄道」の建設工事が進められており、それが完成した折には、標準軌1,435mmの中老鉄道の列車はこのタナレーン駅まで乗り入れてきて、そして荷物はメーターゲージのタイ鉄道に積み替えられてタイへと運ばれていくのだという記述を読んだことがありますが、さてどうなることでしょうね。
駅舎内のイミグレで入国手続きをして、あまりの乗客の少なさに手持無沙汰なタクシー運転手の一人と交渉して、タイ国境まで送って貰うことにします。旅行客がくれたという各国の紙幣を集めているのを見せてくれたのを一瞥すると、ミャンマーチャットがないようなので、ピン札の小額紙幣を一枚プレゼント。「幾ら?」と聞くので、「んー、3バーツくらい」と応えると大笑い。ミャンマーからのバックパッカー旅行者はまだあまり来てないのかな。
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プノンペンからバンコク(ドンムアン)へは、17:05発のThai Air Asia FD607便でひとっ飛び。空港でタイのSIMカードを調達し、空港ビルから高速道路を挟んだ反対側… だったのですが、高架鉄道の橋脚が建ち並び、以前の駅舎は取り壊され、すっかり雰囲気の変わった国鉄SRTのドンムアン駅へ。ここから夜行列車に乗るのなんか、もう何年、いや十何年ぶりだろうか、と少し感動。
定刻を15分ほど遅れて到着した今夜の宿は、特別急行25列車「イーサーン・マンカー」号ノーンカイ行き。残念ながら旧JRのブルートレインではなく、最近各線に順次導入されて来ている中国製の新型ステンレス車両です。
雨のドンムアン駅で夜行列車を待ちます。右手の高架線の下にあった駅舎はなくなってしまいましたね。
以前から走っていたこの東北線ノーンカイ行きや北線チェンマイ行きを置き換えた他、新たに新設されたウボーンラチャタニー行き特別急行「イーサーン・ワッタナー」号等に投入されてきており、愛称名をつけるなど、国鉄側も宣伝を進めているようです。
少々の遅れで到着です。ノーンカイ行き「イーサーン・マンカー」号。
運転開始は2016年10月ということですから、既に2年ほどが経っており目新しいわけではないのですが、当方が以前タイの夜行列車に乗ったのは、当時はまだ日本中古のブルートレインが活躍していたチェンマイ~バンコク路線で、もう5年も前の2013年ですから、久しぶりだし気分は上がります。
電光表示となった行先表示は英語表記とタイ語表記の切り替え式。
自動ドアが開いて乗り込んだ… のは食堂車。
もう時刻はもう21時を回っており、一旦席についてしまって腰が重くなっても困ります。車掌さんに切符(ネット予約してプリントアウトしたもの)を見せ、メニューを開きますが、あれれ。夕食メニューとして幾つかの定食セットと、飲み物はソフトドリンクだけ。
そう、タイ国鉄は、泥酔した乗務員による痛ましい事件が起き、全線全駅全車内で禁酒となってしまいました。ドンムアンの駅の売店でもビールの販売はありません。車窓を眺めながらビールを傾けるという楽しみはなくなってしまいました。
そしてかつては車内でちゃんと火を使って調理していた食事も、今は味気ないレンチン食になってしまいました。プラスチックのトレイで供された210バーツの夜定食をボソボソと食べ、何となく残念な気持ちに。
とはいえ、この新型車両は極めて快適です。当方に指定されたのは隣の2等寝台下段。ネットで購入した時には残り僅か、下段が取れてラッキー!という画面表示だったのですが、いざ乗ってみると、半分とは言わないまでも、1/3程の寝台は空いているようです。まだこれから乗ってくるのかな?
ともあれ、割り当てられた寝台、リネン、洗面所も極めて明るくて清潔で気持ちよく、通路に設けられたLCD画面には停車駅などの情報と、寝台内には今や当然となった充電プラグが設置。どうやらWifiの電波も飛んでいるようですが、こちらは接続するには至りませんでした。テスト中なのかな。
というわけで、暫くは夜の車窓を眺めていましたが、いつの間にかウツラウツラ…
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近年アジアの各国で続々と空港連絡鉄道が開業しており、それ自体は目新しいことではないのですが、このプノンペンのそれが話題になったのは、既存線から空港までの接続区間がなんと併用軌道で建設されたということです。
駅舎内には、セルフ・チェックイン用の端末が置かれていますが、荷物預けはできません。
10/31迄無料! 30分毎運行!(片道35分かかるのにね)。
更にその路線で使用されている車両が、路面電車でもなんでもなく、貨物用DL2両で1両の客車を挟んでのプッシュプル運転だということ、そしてこの編成はあくまで一時的なもので、現在メキシコ(!)にて製造中の新製ディーゼルカーのデザインが、予想イラストで驚かされ、そしてSNS上に流れた実際の車両のデザインを見てまた驚きが狭い趣味世界の中を駆け巡りました。
既に新造された車両はメキシコからカンボジアへ向けて送り出され、10月にも当地に到着するという話ですから、このDL牽引の列車を見て、乗って、撮れるのは今しかありませんね。
プノンペン駅に到着、折り返しを待つAirport Express列車。
ということで、この日は夕方のAir Asia便でバンコク(ドンムアン)に飛ぶフライトを取ったこともあり(当初予定では、プノンペンからポイペトまで列車、その後陸路でタイに抜ける予定でしたので、航空券代70ドルほど余計にかかっているのですが)、昨晩到着したプノンペン駅から空港まで、この列車に乗ってみることにしました。
ガランとした車内。宣伝不足なのか、この距離・駅の立地・所要時間等を考えると、ニーズがないのか...
昼過ぎ、そのプノンペン駅に着いてみると、ちょうど空港からの列車が到着したタイミング。次の便の出発までは時刻表上40分ほどあるようなので、待合室内の施設などを見てみようとうろつき始めると、Royal Railwayの豪州人マネージャー?と思しき白人から「空港行くの?すぐ出るから乗って!」と声をかけられました。どうやら時刻表とは関係なく、着いたらすぐに折り返す、という運行をしているようです。
そして2両のDLに挟まれているのではなく、客車の前方には何も繋がれていません。開け放された貫通路にプラスティック椅子が置かれ、無線と旗を手にしたおばちゃん車掌の指示で、なんと推進運転で列車は出発しました。
時速15km/hくらいでしょうか。駅の横の廃客車が放置された機関庫の横を抜け、昨晩通ったスラムの中を汽笛とおばちゃんの笛を響き渡らせながら列車はゆっくりと西へ。現在は南線も北線の列車も通過し、駅としては使われていないポチェントン駅を通過し、およそ15分少々、左手後方から路面軌道が合流し、名前はあるのでしょうか、信号所に到着です。
客車が最後尾に。線路の両側に車両限界を示す紅白線を埋め込む工事が進められていました。
ここでスイッチバック。とはいっても推進運転で来たので機関車を付け替えるでもなく、そのままポイントだけ切り替え、右に折れて先ほどの道路上の線路へと列車は進んでいきます。
ここから空港までが問題の併用軌道区間。空港周辺は家屋が建ち並んでいるので、新線鉄道建設には住民移転が必要となり、カンボジア政府にはその手間をかける余裕はなかったのでしょう。
この併用軌道鉄道も、一時的なものではなく、新型車両が入ってもそのまま使い続けられるものと思われます。道路中央に敷かれた線路の両脇には、道路を浅く掘り返してブロックを埋め込み、紅白のペンキを塗って線路、というか車両限界内に自動車が入ってこないようにする作業が進められています。結構接触事故があったのでしょうね。そんな最後尾の展望席からの車窓を眺めること10数分、多くの職員が出て行き交うクルマを止める中、空港前の大通りを悠々と横切り、左に大きくカーブしてプノンペン空港駅に到着しました。3両分ほどしかない短いホームに列車が到着してしまうと、道路側のゲートが閉められました。とはいえ、また数分すると列車はすぐにプノンペン駅に向けて出発していくわけですが。
道の反対側から見る空港駅舎とターミナルビル。
えーっと、英語とフランス語と、日本語の「空港-市内 急行列車」ね。
韓国語だと「空港-都市 高速列車シャトル」、中国語だと「机9-城市 特快列M」なんじゃこりゃ。
この出発列車を見送り、近くの中国人向けと思しきホテルのレストランで一服しながら1時間半後の次の列車の到着とその折り返しを見送り、こちらもバンコク行きに搭乗することにしました。
次の列車がやって来ました。併用軌道をゴロゴロ、感いっぱい。楽しいっ♪
次に来るときは、メキシコ製の新型車両に乗ることが出来るでしょうか。それとも、あまりに乗客が少なくて、運行取り止めになっているでしょうか。
最近仲間内でよく言われることですが、行きたいと思った時が行き時。今行っておけば後悔することなし、ですね。アジアの鉄道は。
さ、これでカンボジア鉄道、完乗です。
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プルサット出発時点では、まだ気持ちよく晴れ渡った青空でした。
この鉄道、全線385kmを定刻だと15時間かけて走るので、途中の長時間停車や入れ替えに要する時間を含めた表定速度は25.7km/hという鈍足ぶりです。
それが途中に長時間停車の殆どないプノンペン~プルサット間だと24.4km/hほどに落ち込むので、この区間の方が西側区間より多少厳しいのがわかりますね。
ディーゼルカーの運転台はこんな感じ。丸顔の正面二枚窓は名鉄5000系とか長電2000系を思わせたり、しませんか。
ではあるのですが、プルサット駅を数分早発した列車はドンドン飛ばしており、予想外に早く進んでいることがGoogle Mapで読み取れます。何せ週に1往復しかない列車ですから、対向列車の待ち合わせもありません。真新しいバラストが敷かれた路盤は保守状況もかなり良好(ミャンマー比)。
次第に夕暮れが近づきつつある頃合いに、急に雨雲が空を覆い、程なくスコールに襲われました。暫くの後に雨が弱まってくると、車窓は殆ど真っ暗に。
プルサット~プノンペン間は、それまでの区間とは異なり幹線国道5号線とは離れており、鉄道としての需要がありそうな街に幾つか停まっていきますが、何せ週に1回の夜の上り便、流石に乗車客はもう殆どないようです。
小腹が空いて来て、女性乗務員が後部に設けられた車掌室兼休憩所のようなところから、カップ麺を乗客の席まで運んでいるのに食指が伸びかけたものの、このままいくとプノンペンにはかなり早着しそうな雰囲気でもあり、ここは我慢。着いてからちゃんとしたもの食べよう。
終点プノンペン駅に無事到着。大分早く着いてしまいましたね。
さ、晩御飯だ。
そして線路の両側すぐのところに不法居住のスラムと思しきバラックが増えてくると、間もなく終点のプノンペン駅に到着です。なんと1時間38分の早着。途中の乗車客が殆どいないのでしょうが、これでいいのかな。乗客としては早く着く分にはありがたいところではありますが。
終点間近の車内で話しかけてきた、ポイペットから乗り通した青年は、業者にお金を払ってこれから日本に出稼ぎに行くつもりだという。技能実習生だろうか。日本は外国人単純労働者を受け入れてはいないのだよ、あくまで技能を身につけるための実習に行くんだからねと話したところで通じる筈もなく。未来に希望を抱いて上京してきた青年に幸いあれ。
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こちらは業務用のバンブートレイン。個人経営の旅客輸送用のは、撮り損ねました…
そしてそのすぐ先には、Google Map上で「Bamboo Train」の表記があり、そのあたりがこのバッタンバンと近郊の村とを結んで走る、バンブートレインの基地だったようです。流石に定期鉄道が走り出した今はなくなってるんだろう…と思いきや、車窓すぐ傍を、ひっくり返した竹製トロッコの車両が数台、掠めていきました。一瞬のことで写真を撮れなかったのが悔やまれますね(笑)。
長くバックパッカーの間で有名だったカンボジアのバンブートレイン、この辺りでは未だに現役のようです。正規の旅客列車が週に1回だとか、毎日でも片道1回しか走らないのであれば、まだまだ地域の足として活躍する余地があるのでしょうかね。
破壊された駅舎に、屋根だけ掛けなおした、というところでしょうか。事務所の復旧はこれから。
この次の大きな町は、107.6km、4時間ほど走った先のプルサット。橋の補修期間中(徐行したわけでもなく、どこの橋が問題なのかは、乗ってる分には全く分かりませんでしたが、)はプノンペンからの列車が折り返す駅です。
この間、途中4つほどの駅があるようですが、内戦中に破壊されて壁や骨組みだけが残る駅に停車したり、何もない踏切で停車して下車するおばちゃんがいたりと、かなり柔軟な運転をしているように見受けられます。
フラッグストップ? 駅舎も駅名標もない踏切で停車し、(騒がしかった)おばちゃんらが下車。
快調に飛ばした列車は、プルサット到着時には遅れを取り戻して15分ほどの早着となっていました。乗降客共に多く賑やかな駅前に出てみると、駅舎の脇には7,8軒でしょうか、食べ物や飲み物を売る屋台が出店しており、客引きの声が飛び交っています。
まだ小腹が空いたという感じでもないので、一回り冷やかして飲み物だけ買って列車に戻ると、どこぞの白人が1名、列車の写真を撮っておられます。趣味で乗ってる人が他にもいたとは。
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シソフォンを出発した列車は、街を抜けると左右に豊かな農村地帯が広がる中を、快適に進んでいき、早起きの影響もあって少々眠くなります。ウトウトしかかる度に、すぐ後ろのおばちゃんグループ(実はグループでもなんでもなく、ただ乗り合わせた乗客なだけでしたが)の一人が甲高い声で喋るのが耳障りで目が覚めてしますのですが。
代り映えのしない農村風景が続きます。客室の窓には遮光フィルムが貼られ、車窓は今一つ。
列車の体感速度としては、ミャンマーのローカル線の列車よりは少し速いくらいでしょうか。何しろ例のジャンピング・トレイン的な揺れはあまりありません。
切符には「ペット不可」と書いてありましたが、いつの間にか乗り込んできた君は、ペットではないのだね。
駅に置かれていた時刻表上、シソフォン~バッタンバン間には3つの途中駅があるようですが、停車したのは2か所のみ。駅名標も駅舎もないような小さな停留所だったし、Google Mapを見ていても、駅名に相当する地名も出てこないので、確認のしようがありませんが、停まる度に数名の乗車があり、この週1回の列車を上手く利用している地元の方がいらっしゃるようです。
沿線最大の街だけあって、駅舎もさすがに立派です。バッタンバン。
この窓口に大勢の乗客が並び、切符を買い求めていた時代があったのでしょうね。
カンボジア西部最大の街バッタンバンには、空港もあり、以前パイリン国境を訪問しようとプノンペンからローカル航空会社のアントノフ24型機で飛んできたことがありました。
シソフォンでの入替作業の遅れを引きずり45分ほどの遅れで到着したバッタンバン駅は流石にキチンとした造りで、駅舎内に幾つも並んだ発券窓口など、往時の賑わいを感じさせます。
駅前にはお弁当の屋台も出ていました。まだ11時過ぎですが、今後の停車駅などを考え、ここでお昼ご飯を調達することにしましょう。
ご飯に青菜とひき肉のおかず、チキンと塩ゆで卵に炭酸飲料をつけて9,500リエル(約2.5ドル)は、ミャンマーよりは若干お高めでしょうかね。
10分ほどの小休止の後、汽笛がなり、出発です。
後付けされた前照灯(元の前照灯の位置は埋められています)の脇に付けられた黄色のパトランプを回して注意喚起しながら進んでいきます。
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週に一回のプノンペン行列車は、5分ほどの遅れで無事出発。インドネシアでお馴染みとなった家庭用エアコンが設置されて程よく涼しい車内は、背もたれの低い転換クロスシートに幾つかの空席を残してさらりと埋まっています。
足元には段差があり、ヘッドレストのない低い転換クロスシートは、長距離向きではありませんね。ほぼ満席の車内。
無料ということなので、乗れなくても困ると思って少し早めに駅に来てみましたが、そこまで大混雑という感じではなさそうです。当方に割り当てられたA号車(2両目)31番座席は生憎の後ろ向き。窓配置と座席のピッチが合っていないのは、昔は固定ボックスシートだったためでしょうか。
運転席の後ろには発電機が。これでモーターを動かす、電気式気動車なんですね。
ゆっくりとポイペト市内を走り出した列車は次第に速度を上げて農村風景の中を一路東へ。途中の駅舎もない停留所で停車したのち、30分ほどでシソフォン市内の外れ、セレイサオファン駅に到着です。
駅舎側には同じ“スカ色”塗装の客車と貨車が停まっているな?と思ったら、程なく動き出した列車は、駅の先の踏切を塞ぎながら行ったり来たりしつつ、入れ替えを始めました。4回ほど行き来したでしょうか、別の駅で編成を眺めてみたら、一番後ろに10系によく似た断面フォルムの客車が一両増結されていましたが、この一両を引き出すためにかかった時間は30分余り。既に45分ほどの遅れとなり、定刻21時半予定のプノンペン到着が何時になるのか、思いやられます。
こざっぱりとした駅舎の前には最新の時刻表。ネットのものが明らかに間違っているので、ありがたい!と思いきや、全部クメール文字でした。
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無理やりやって来たポイペトですが、こうしなければならない理由がありました。
先般、ポルポト時代~内戦の間に破壊され、その後2009年頃まで細々と運行がされていたというカンボジアの鉄道ですが、一旦運航休止、その後豪州の外資も入った民間会社「Royal Railway」が修復と運行を行うべく投資、ADBによる支援も受けつつ、2016年4月に南線と称せられるプノンペン~シアヌークビル間263kmの旅客・貨物営業を開始しています。
まだ薄暗い早朝のポイペト駅舎。駅舎内では各種の改装工事が未だ継続中です。
その後、タイ国境ポイペトとを結ぶ北線385km(うちプノンペン側9.4kmは南線と重複)の改修が進められ、本2018年4月4日にポイペト~シソフォン、同29日にバッタンバン、5月末にプルサットを経て7月4日に無事にプノンペン~ポイペト迄の全線の運行が再開されています(いずれもネット情報)。
引き続きポイペトとタイ国境アランヤープラテートとの間の接続工事と事務手続きも進められており、近い将来バンコクとプノンペンとの間を結ぶ鉄道が直通運転されることが期待されるところです。
すぐに消えてしまいそうな熱転写のレシート券ですが、きちんと座席指定されたチケット。
以前乗車してみた南線区間は週末中心の運行形態でしたが、新たに全通した北線は、1編成の列車がプノンペンから西へ向かい、翌日東へ戻ってくるという隔日・週3回の運行、だったのですが、事態は急変。
数日前ハノイ滞在中に目にしたネット情報によると、修復工事が不十分だったためか、途中の橋梁などに再補修を要する箇所が複数見つかり、それらにかかる補修工事を行うため、全線直通列車は月曜日のプノンペン->ポイペト、火曜日にポイペト->プノンペンの週1往復のみ、その他の日は末端のポイペト~シソフォン(セレイサオファン駅)間(47.7km)を1日3往復、東側は水曜と木曜のみプノンペン~プルサット間(165.5km)を1往復するだけ、の運行となってしまっているとのこと。
突然の運行縮小情報。さて困りました。どうすれば間に合うだろうか…
斯様な事情もあり、月曜の昼にハノイにいる人間がこの休暇の間に全線直通列車に乗るためには、翌火曜の早朝までにポイペトに着かなければならない、ということに。
バンコク経由など諸々の可能性を検討した結果、シェムリアップに飛んだというわけでした。
早朝のポイペト駅で出発を待つ週1回のプノンペン行き列車。
南線はオレンジ色でしたが、この北線は“スカ色”に塗られています。
先頭は2両背中合わせのフランス製気動車。いずれも1/3は機器室のようでスペースユーティリティは低め、効率悪そう。
そんなわけで到着したポイペト駅近くの薄暗いホテルで1泊(混んでるようで、1軒目の小綺麗なところは満室、やむなくこちらに。)、翌早朝にポイペト駅に向かい、プノンペン迄、現在は周知期間なのか、無料の座席指定チケット(レシートのようなペラ券ですが)を無事入手。駅前に出ている屋台で朝食になりそうなもの… 中華まんを手に、朝6時半の出発を待つことになりました。
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昔はプロペラ機(しかも古いアントノフ24とか)ばかりだったこの空港も、今は近隣諸国から、そしてプノンペンからの国内線も含め、たくさんのジェット機が乗り入れてきています。
日本人と韓国人の乗り継ぎ客だらけのA321機で到着したそのシェムリアップ、空港も随分立派になってますね。
世界的に有名な観光地ではありますが、十数年ぶりになるはずのアンコールワットはスルーして、三輪車で市内のタクシー乗り場へ移動(5ドル)。
空港の出口から三輪車で市内へ。結構お高めなのは観光地だから仕方ないか。
ここからLEXUSのSUV車のタクシーでポイペトへ向かいます。
こちら、本来は乗合車なのですが、今この時間はもうそちら方面への相乗り乗客はないようで、全席買い上げになり、40ドルのお支払い。まあこれは想定内、ネットで調べた相場です。
出発前、客引きというか、タクシー乗り場での仕切り屋をしていたオヤジと雑談していた時、「どこから来たの?」「ミャンマーから来たんだ」と言うと、「ミンガラーバー」(笑)。「最近、坊さんのグループが来たので、世話したんだ」と。「この一言しかわかんないけどねー」。
へえ、そんな交流もあるのですね。
そして走り出した車は、街を出てからというもの、すっかり整備された約150kmの道のりを2時間半弱、ずっと60~70で走り続けてます。
随分スピード感あるなあ、と思ったら、メーターが140までしかありません。アメリカあたりからの中古車なのか、マイル表示なのね。日が暮れてしまうと街灯もない一般道、途中で雨も降る中、飛ばし過ぎです。少しばかり怖かったかも。
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このブログに観光情報を求めてこられる方もいらっしゃらないでしょうし、そういったブログやサイトは世の中に数多あるので、お任せしておきます。
普通の人並みのハノイ観光と、ヤンゴンにはないAEONモールでの買い出しの途中、ちょっとだけ立ち寄ってみたのがハノイ東郊、紅河を渡ったところにあるザーラム(Gialam)駅。
以前も来たことがありますが、この駅まで1,435mm軌間の中国からの国際列車が乗り入れてきており、今日もその凛々しい真新しい冷房付の緑皮車の姿を見ることが出来ました。
それもともかく、折角来たので、現在のこの地域の列車の時刻を確認しておきましょうか。
この駅に発着する列車としては、ドンダン方面とを結ぶDD5-DD6列車は健在、ラオカイ方面はイェンバイ迄の鈍行YB3-YB4列車、そして当駅の次のイェンビェン始発のハロン方面行きの(多分今でも満鉄客車を使っているであろう)列車は?と尋ねてみると、何やら手元のPCをいじった末で、以下の写真のとおりのメモを渡されました。翻訳アプリを見せつつ「毎日?」と聞いてみても、その女性職員曰く、「毎日よ」とのこと。
他方で、韓国ソウル地下鉄2号線の2000系車両を改造して使っていた「Halong Express」の方は、聞いたこともないとの反応。
さあ、人柱になりましたよ。最後の現役満鉄客車を訪ねて行くなら今ですよ。
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金曜日、時間休取って事務所を1時間早く抜け出し、18:55発のベトナム航空VN956便のA321型機でハノイへ飛んできました。今日から少し遅めの夏休みです。
以前出張で使ったことのあるフライトで、所謂レガシーキャリアなのですが、同じルートを飛ぶLCCのVietJetと比べても値段に殆ど差がなかったこと、時間帯がよかったことから、こちらにしました。このベトナム航空、なんかすごく安かったです。RGN-HAN往復で税込み$140位とか。
夕暮れのヤンゴン空港。隣のエミレーツは、ヤンゴン経由のプノンペン行きですね。
機内は半分ほどでしょうか、金曜夜ですが随分と空いてる印象。
そして1時間半ほどの短距離便ではありますが、きちんと出てくる機内食。前回昨年1月の出張の時は結構美味しかったような記憶があったのですが、今回はダメダメでしたね。
そして前回同様の沖留めからのバスでターミナルへ移動。このフライトの乗客の大半が乗り継ぎ客だったようで、入国審査ゲートの方に向かったのは数名という感じでした。日本行き、韓国行きなどの夜行便に接続しているのですね。
夜着の短距離便だから冷遇されているのか、前回同様沖留めのハノイ空港。
そしてすぐ後ろから、仁川からのKE便が到着したようで、こちらは大型機一機分の乗客が入国審査にドッと押し寄せてきました。一瞬早く着いてよかった。
そして到着ロビーで両替して、SIMカード買って、旧市街大聖堂近くのホテルへタクシーで向かいました。
ハノイ空港といえば、この日系免税店ですが、これからヤンゴンに帰るわけではないので、今日は冷やかしのみで。
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そして12時半過ぎ、定刻より30分近く早く、Bagayetに到着しました。
到着の暫く前から左手側には、このバガイェッで分岐してEinmeに向かっていた支線の休止線(といっていいのかな)が見えてきます。最初の停留所の駅舎も確認できました。
この路線も、私が着任する直前の2016年の雨季を前に運休になってしまった路線。終点のエインメからはSetkot駅でヒンタダ~ラインタヤー路線と接続してヤンゴンへ向かうべく建設されましたが、(エインメ駅訪問)こちらもNLD現政権下の“事業仕分け”で敢え無く運休、Einme~Setkot間の建設工事も中断されてしまいました。
その線路が近づいてくると、路盤はこんな状態でした。すぐに列車が走りだせる状況にはありませんね。
沿線では、路盤補修のためのJICA支援によるパイロット・プロジェクトが実施されてみたりしたようですが、残念ながらその後列車の運行再開に向けた動きはなく、路盤は草に覆われ自然に帰りつつあるようにすら見えました。パテインの機関区には、この路線用のRBEもまだ所属しているようですが、なんとも残念です。
バガイェッに到着。ここから終点パテインまでは乗車済なので、今日はここでおしまい。
そのバガイェッ駅近くからバイタクで国道沿いに出て、ヤンゴン行きのバスを待ちます。暫くの後に現れたJR四国車(?)は、満席の上に冷房もなしだったので1台見送り、それから数十分待って現れたのは、アルファードの乗合車…一般ナンバーなところをみると、どうやら闇タクシーなんでしょうね。2列目に4人詰め込まれ、お尻半分宙に浮いた窮屈な状態でしたが、ヤンゴン郊外のラインタヤー迄3時間半ほど、随分速く帰ってくることが出来てしまいました。
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その後1908年に現在の終点となっているチャンギンまでの線路が開通しています。特に南半分のパテインからヒンタダ北方あたりまでの沿線は国内有数の穀倉地帯で、この地域で取れた米などもこの鉄道でヤンゴンへ運ばれていったのでしょう。
それから長い時間を経て軍政末期、そのヒンタダからヤンゴン(ヤンゴン側西岸のラインタヤー)までを結ぶ鉄道の建設が進められ、2010年からニャウンドンの大鉄橋の建設を経て2014年に掛けて順次開通し、日本中古のRBE車両が走り出したのですが、当方着任前の2016年の雨季前に運休になってしまったようです(ラインタヤー駅を訪問した時の話はこちら)。
車内はさらりと座席が埋まる感じの良い乗り具合。君、退屈してるかな?
頻発する都市間バス相手に速達性や快適性で勝負にならなかったのでしょう。川を越えてヤンゴン市内の環状線まで連結されていれば、話は違っていたのかもしれませんが。
沿線には見渡す限り水に浸かった光景もそこかしこに。毎年のことなのでしょうが、大変でしょうね。
各駅とも乗降客が多いです。鉄道がきちんと機能していますね(Yegyi)。
定刻11:13発のAhthokでは、これまたほぼ定刻、いや寧ろお互い少し早いペースで運行されているパテイン発チャンギン行き185UP列車と交換。
こちらは全区間で15時間以上を要する鈍行列車(急行扱いの181UPは同じ区間を10時間ほどで走破)ですが、編成中にこちら、文字がかすれていますが「サーダイッ」と読み、「郵便局」の意味だそうです。普通に乗客が乗っているOrdinary車両ですが、郵便輸送を行っているのですね。そうするとこの185UP列車は「サポーヤター(Mail)」なのかな。ヤンゴン~マンダレー間の1UP・2DNと同様に。
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一瞬「日本の車両から外した椅子?」と思ってしまいましたが、違いますね。リクライニングシートに交換された古いアッパー車内。
さて、平坦地用のDF1200型DLに牽引されたOrdinary2両、リベットを多用した古い車体のUpper3両、Ordinary3両と荷物兼守車という中々立派な編成です。Upperの方は、超広座席間隔のBox Seat車が1両と、リクライニング・シート車が2両。当方にあてがわれたのは前方のリクライニングの方の車でした。リクライニング機構は壊れて動きませんでしたが。
朝早くから、各駅で多くの乗客が待ち受けていました(Danbi)。
薄ら明るくなったトゥージーを発車すると、右手に分離していく線路。こちらは、採石場か何かでしょうかね、1955年の地図に描かれている西側の山の方に向かう貨物線が分岐していきます。現在使われているものではないようですが、衛星写真では線路跡と思しき道が確認出来ます。
まだ暗いので全く止まりませんが、廃線跡が分岐していきます(Htugyi)。
1955年の古い地図に描かれている、”Tugyi”から分岐していく、この貨物線。
ミョークゥィンの手前でエーヤワディ川の支流を渡る橋は、道路との併用橋です。狭い橋を鉄道と道路が供用する簡便な方の作りで、列車の渡河時には道路交通が一時閉鎖されて列車の通過を待ちます。クルマのすれ違いが出来ない狭い幅の橋ですので、普段から交互通行になっているのでしょう。驚いたことにこの橋、暫く前にヤンゴン市内で見かけた橋と同じ開閉橋で、赤錆びた昇降用の機械が車窓を掠めました。河川交通が物流の主流だった時代、この川にも背の高い船の往来があったのでしょう。
エーヤワディ川の支流を越える、鉄道・道路併用の古い開閉橋を渡っていきます。
川を渡ると、沿線には田んぼが広がってきました。平坦路線とはいえ、これまでは左右に山並みが見える盆地というか、谷間を走っている印象でしたが、この辺りは“平野”な雰囲気に変わってきたようです。
DD900型機が牽引する対向列車と交換(Tanbingon)。
タンビンゴン(Tanbingon)で対向の189UP列車、ヘンタダを早朝に出発したチャンギン行きと交換です。時刻表ではMyoKwin(ミョークウィン)で交換することになっていますが、臨機応変にやっている模様。あちら側は、かなりの乗り具合ですね。
日本大使館の草の根無償で作られた学校の看板が見えたパヤゴンを過ぎると、間もなく終点の州都パテインに次ぐ、沿線最大の街ヒンタダが近づいてきます。
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無事に終点チャンギンに到着。バイタクへの乗り継ぎもスムーズです。
途中、ニャウンドンとヒンタダの間にあるザルン(Zalun)で夜食休憩。ヒンタダを過ぎたあたりからチャンギンまでは(川沿いではなく)線路沿いの道を走るのですが、集落毎に停まって車内灯がつけられ車掌の到着案内があって起こされ、の繰り返し。一番大勢の下車客があったのは一時期ヒンタダとの間に区間列車の設定もあったトゥージー(Htugyi)。そして終点手前の河川港のある街ミャンアウンでまた纏まった数の降車があり、終点チャンギン到着まで乗り通したのは5名ほどでした。
こんな時間でも、他社の便も含めて何台かのバスが到着するとあって、バスターミナルとなっている小さな広場には4台ほどのバイタクが客待ち。その中の一台に乗ってチャンギン駅まで運ばれました。
チャンギン・セメント専用線の線路。ま、あらためて再訪は必要ですね。
戦前英領時代のヤンゴンとマンダレーに存在したトラムの廃止後、例の広島電鉄車両によるヤンゴン市内カンナーランのトラムが開通(そして直ぐ廃止)するまでの間、ミャンマー国内唯一の電化鉄道だったことになりますね。
出発を待つパテイン行き急行列車。1番ホームにつければいいのにね。
即ち現在チャンギン~オーシッピン(OoShitPin)~タエッ間の運行は取りやめられているのですが、線路自体は現在も走行可能で、この地域の車両がパテインの機関区のキャパシティを超える重整備や修理を行う場合は、この路線を北のミンラー(マルーン・ジャンクション)まで北上し、川を渡ってタウンドゥインジー、そして南下してピィ経由でヤンゴンまで回送するという大回りルートでの輸送がなされているそうです。大宮から上野に行くのに岩沼回って行くような感じですね。
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目的地はヤンゴンから見て北西~西側に位置するエーヤワディー地域で、この方面へのバスは市内北東部のメインのターミナルになるアウンミンガラーからではなく、北西部ラインタヤー地区にあるダゴンエヤー・バスターミナルからの出発。最近長距離バスに乗る時は、3列シートのVIP優等車や、4人掛けでも新しい中国製の新車を使った便の利用が多かったのですが、今日は久しぶりに日本中古の4人掛け、ローカル夜行バスでの旅立ちとなりました。前にやはりエーヤワディー西岸のタエッミョー行きの大阪空港リムジンバスに乗った時以来かも。
今日乗るのは夜19時発、アウン・チョー・モー社の新潟交通佐渡車、三菱のエアロバス・クィーンバージョンというクルマ。お顔を見て「エアロクィーン」かと思っていたら、それはスーパーハイデッカー車につけられた愛称で、一般のハイデッカー車は、マイナーチェンジして顔だけエアロクィーンに似せたバージョンなのだそうです。詳しい方に教えていただきました。
荷物を運ぶのはデフォですが、卵を2,3千個積み込んでいましたね。
その今回の目的地チャンギン行きのバス、どうやら補助席まで満席です。昨日のうちに電話して予約しておいてよかった。バスの周りを放牧?の牛が歩き回る、少々ローカル感の強いターミナルで、事務所の前の駐車スペースも、綺麗にしている社と泥濘みだらけの社とあり、このエリアは“あまり治安の良い地域ではない”という人もおられます。明るいうちにターミナルに着いて出発を待つ、夜遅くこのターミナルに戻ってきた時には、要注意ですね。市内方面へはピィ・ランからシュエゴンダイン・ランを通ってダウンタウンへ向かう20番のYBSバスが便利です。
バスは定刻を15分ほど遅れて出発しましたが、走り出した道の状態が悪く、右に左にハンドルを切って穴を除けつつ走るので、一行にスピードが出せません。ヒンタダ、パテインといったエーヤワディー地域の中心都市へと向かう幹線道路なのですが、雨季の間に水を被ってここまで痛んでいるとは驚き。ちょっと明朝の到着時刻が気になります。
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