雨季まっただ中のエーヤワディーへ。(その3:はやい方の列車で。)
一瞬「日本の車両から外した椅子?」と思ってしまいましたが、違いますね。リクライニングシートに交換された古いアッパー車内。
さて、平坦地用のDF1200型DLに牽引されたOrdinary2両、リベットを多用した古い車体のUpper3両、Ordinary3両と荷物兼守車という中々立派な編成です。Upperの方は、超広座席間隔のBox Seat車が1両と、リクライニング・シート車が2両。当方にあてがわれたのは前方のリクライニングの方の車でした。リクライニング機構は壊れて動きませんでしたが。
朝早くから、各駅で多くの乗客が待ち受けていました(Danbi)。
薄ら明るくなったトゥージーを発車すると、右手に分離していく線路。こちらは、採石場か何かでしょうかね、1955年の地図に描かれている西側の山の方に向かう貨物線が分岐していきます。現在使われているものではないようですが、衛星写真では線路跡と思しき道が確認出来ます。
まだ暗いので全く止まりませんが、廃線跡が分岐していきます(Htugyi)。
1955年の古い地図に描かれている、”Tugyi”から分岐していく、この貨物線。
ミョークゥィンの手前でエーヤワディ川の支流を渡る橋は、道路との併用橋です。狭い橋を鉄道と道路が供用する簡便な方の作りで、列車の渡河時には道路交通が一時閉鎖されて列車の通過を待ちます。クルマのすれ違いが出来ない狭い幅の橋ですので、普段から交互通行になっているのでしょう。驚いたことにこの橋、暫く前にヤンゴン市内で見かけた橋と同じ開閉橋で、赤錆びた昇降用の機械が車窓を掠めました。河川交通が物流の主流だった時代、この川にも背の高い船の往来があったのでしょう。
エーヤワディ川の支流を越える、鉄道・道路併用の古い開閉橋を渡っていきます。
川を渡ると、沿線には田んぼが広がってきました。平坦路線とはいえ、これまでは左右に山並みが見える盆地というか、谷間を走っている印象でしたが、この辺りは“平野”な雰囲気に変わってきたようです。
DD900型機が牽引する対向列車と交換(Tanbingon)。
タンビンゴン(Tanbingon)で対向の189UP列車、ヘンタダを早朝に出発したチャンギン行きと交換です。時刻表ではMyoKwin(ミョークウィン)で交換することになっていますが、臨機応変にやっている模様。あちら側は、かなりの乗り具合ですね。
日本大使館の草の根無償で作られた学校の看板が見えたパヤゴンを過ぎると、間もなく終点の州都パテインに次ぐ、沿線最大の街ヒンタダが近づいてきます。
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