« 2018年9月 | トップページ | 2018年11月 »

2018年10月31日 (水)

南へ転進。

マンダレーから飛んできたのは今日23日(水)の午後。

一旦帰宅し荷物を入れ替え、シャワー浴びて身支度を整え、Grabタクシーで市内北東部のアウンミンガラー・バスターミナルへ。
夜22時発のマンダラー・ミン社のVIPバスでモーラミャインへ向かいます。もう3回目だな、この赤い宇通バス。
ターミナル内の同社の待合室で今回の同行者、“読者の方”T原さんと合流。
この会社、2階はVIP便旅客専用の待合室になってます。エアコンが良く効き、水やコーヒーのサービスまで。へえ。各社頑張ってますな。
3列配置のゆったりシート、些か贅沢ではありますし(Ks.12,000)、夜行列車もあるじゃないか!というご指摘も聞こえてきますが、お許しを。この歳になって車中2連泊は少々厳しいのです。

M44810199_n

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月30日 (火)

ミンゲ工場訪問。

昨晩ヂョーから夜行バスでヤンゴンに戻らずに、マンダレーにやって来たのは、この街でちょっと寄り道をするため。
長らく行きたいと思っていた、市内南方のミンゲにある、鉄道車両工場を訪問する許可が取れたので、またとない機会でもあり、少々無理をしてでもお邪魔してみた次第。

Mimg_1175
正面入口の建物。ここから入るわけではないのですが。

勿論ネット上には、過去に訪れた方の訪問記がいくつもありますし、どんな日本からの中古車両があるかなどについては、詳しい方のネット記事や雑誌記事をご覧いただくとして、今回はごく短時間の訪問だったこともあり、当方としては個人的に面白いと感じたものを幾つか。

Mimg_1177
よく整備された工場内。日本人の技術指導も入っているそうです。

Mimg_1187
この整備工場では、年間約40両ほどのペースで客車を新造しています。
また、それとは別途、隣の新工場では(黄緑塗装の)中国客車をCKDにて年間10両ほど製造しているそうです。

Mimg_1186
この整備中のキッチンつきの寝台特別車両BTEは、貸切増結運行ができるそうです。

Mp1360391
建物の外には、懐かしい北斗星のブルートレイン車両が。オロハネ25でしたっけ。

Mimg_1194
おっと、君は、ブルトレじゃないよね?

Mimg_1210
北海道時代と国鉄色のキハ183が並びます。こちらはMRには未登録のまま。

Mp1360408
車高を下げるために高運転台を取り払ってはみたものの…

Mimg_1220
トラバーサーの向こうにトリコロール・カラーのキハ58が見えますね。

Mp1360407
でも個人的には、やっぱりこっちも捨てがたい。捨てないけど。

そして午後のUB003便、ヤンゴン経由のシンガポール行きでヤンゴンに戻ります。
国際線扱いの旅客と、国内線ヤンゴンまでの旅客が混在している機内。何か間違いが起こったりしないのか、少々心配になります。

M44658219_n

| | コメント (0) | トラックバック (0)

カレイミョ~パコック路線時刻表。

取り敢えず2回に分けてようやく乗車できたカレイミョ~パコック路線、確認日がずれてしまいましたが、この路線の時刻表を掲載しておきます。
この所要時間だと、全線直通したとしても、日着出来る感じではないですね。全通当時のスケジュールが気になります。夜行列車が走っていたのでしょうかね。

181022_kalaygangawkyawpakokku

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月29日 (月)

夜行バス?はキツい。

ヂョーからは、先ほどガンゴーでチケットを購入した夜行バスで。ガンゴー17時発というので19時くらいにはヂョーを通るから、と言われていたのですが、いつまで経っても現れず、目の前をヤンゴン行きなどのハイデッカー車が何台も通過し、些か心配になった20時頃、漸く現れたのはこちらの中国製ハイエース・パクリ車。

Pkyawp1360320
夕暮れ間近のヂョー市街地。ここで夜行バスを待ちます。

幸い最後の1席、後方の1人掛け座席をキープしているのですが、それでもやはり窮屈ですよね。

山道を走ったミニバスは、モンユワを過ぎ、午前1時半頃にミンム付近で道端の食堂の前で止まり、トイレ休憩かと思いきや、そのまま運転手が仮眠に入ってしまいました。
乗り場の説明では、午前2時か3時頃に着くとのことでしたが、とてもそんな感じではありません。

Pkyawimg_1168
乗るのはこの立派なハイデッカー車の夜行バス… ではないですね。これはカレイミョからのヤンゴン行き。

こちらもウツラウツラ、イライラしながら待つうち、漸く動き出したのは午前4時頃。
マンダレー市街地西部のティリマンダラー・バスターミナル近くの路上で下ろして貰ったのは、6時を回っていました。未明に到着するつもりでネットで予約した1泊11ドル!のホテルでシャワー浴びて仮眠し、本日の活動に備えます。

Pkypimg_1171
こちらの新型チャイエース。左の銀色のは、ホンモノのトヨタ・ハイエース。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月28日 (日)

ポンニャタウン・トンネル訪問。

ガンゴーからヂョーまでは峠越えのつづら折りの道。左手には現在運行停止となってしまった線路がチラリと見えたりもします。途中の集落で何人かの乗客を降ろし、峠を越えて少し下りはじめた茶屋で小休止し、2時間弱ほどで目的地のヂョーに到着しました。

Pggwp1360283
休止中の線路を見ながら峠へ向かって走っていきます。

ここでバイクタクシーを捕まえて向かったのは、先日の記事でチラッと書いた、この路線で最後に開通し、新聞紙面を華々しく飾り、そして運行休止となってしまった全長5,610フィート(約1.71km)のポンニャタウン(Ponnyataung)トンネルです。

Ppntggw_7
国道からトンネル出口へ降りる道の分岐点には立派な碑が建てられていました。

日暮れが近づきつつある今来た道を先ほどのミニバスの休憩所付近まで戻り、細い道に分け入っていきます。最初は簡易舗装だった道も途中数軒の家があった集落から先は更に悪くなり、なんだか坪尻駅に下りる道を彷彿とさせますが、程なくトンネル東口の駅が現れ、右手側には、トンネルの開口部が。

Ppntggw_11
立派な貫通記念碑?が建てられたトンネル東口。

Ppntimg_1147_2
記念碑の裏側にはこんなことが書かれています。

新線開業記念あたりと同じ、立派な記念碑が建ち、そしてトンネルの前には、何を思ったのでしょうね、このパルテノン神殿を思わせるような飾り柱が左右に立ち並んでいます。この光景はGoogle mapの衛星写真でも確認出来る大規模なもの。いったい何故こんなものを作ろうと思ったのか、小一時間問い詰めてみたいところです。

Ppntimg_1148
荘厳な雰囲気さえ感じますな。

Ppntimg_1151
トンネルポータル?の上部に書かれているのは、トンネルの長さでしょうか。

Ppntimg_1152
遠く先の方には反対側の出口の明かりが見えますね。内部は崩落してないということで。

44511013_1917021165053552_635131173
トンネルから飛び出してくる列車を捉えた英字紙。見てみたかった、乗ってみたかった光景。

Img_7507
Google mapでもハッキリと見てとれますね。

開通当日にはここでさぞかし派手な記念式典が開催されたことでしょう。

トンネルの中を覗いてみると、少なくとも見える範囲には崩落等は見られず、反対側の開口部の明かりが見えます。このトンネル内部が崩落して走れなくなったわけではないのですね。
そして東口駅。Wikiの「List of railway stations in Myanmar」には出て来ないので、立派な駅名標は立っていますが、信号場扱いだったのかな。
残念ながら、時刻表などの掲示物は一切なく、列車運行当時はどのような運行形態だったのかを知ることは出来ませんでした。

Ppntimg_1157
トンネル東口駅?信号場?

Ppntimg_1162
構内線路配置図が残されていました。これには「駅(ブダー)」と書かれてますね。

Stap1320627
こちらの国鉄MRの資料には、Kyawの隣駅に、駅名コードの記載はないものの、「トンネル東口」「トンネル西口」の駅名が並んでいますね。
そして、ガンゴーまで向かう途中の「メ」駅が気になる。ミャンマーで最も短い駅名なのは間違いない。

帰路は、近所の住民に「行けるよ-」と教えられたため、同じ道を戻らず、線路の側道をヂョー方面へと走ります。

直ぐに、路盤が崩落して線路が宙に浮いている区間があり、こういった粗製濫造な築堤路盤の簡単な崩壊の影響で、そして修復する予算手当不足から、この国には、それなりの額を投じ、場合によっては恐らくは強引に土地を収用し、建設されて走り出したはいいものの、幾年も経たずに運行停止となってしまった鉄道路線があちこちに点在しています。

Ppntp1360314
国道を跨いでいた線路の橋。

この路線など、峠のトンネルを越えてから麓の街に下りていく車窓など、姨捨を彷彿とさせるような雄大な光景が広がっており、南線には三段式スイッチバックもあり、風光明媚な観光路線となり得たかもしれません。

現在は、このトンネルやコンクリート製の橋梁などがその残骸を留めるのみ。勿体ない話です。

Ppntp1360292
駅構内を一歩外れたところに、既にこんな路盤消滅箇所が。。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月27日 (土)

パコック~カレイミョ路線(北半分)に乗る:完乗(?)

そしてこの辺りからは各駅では下車客が目立つようになり、流石にもう乗ってくる人は殆どいません。道路から少し外れた山の中を走る区間では、MPTもTelenorも携帯の電波が入らなくなり、自分の位置がわからなくなったりします。ヤンゴンやネーピードーでは4G LTEのサービスも始まっていますが、こういった奥地では、2Gの電波も届かない村がまだあるのですね。

Pp1360246kan
下車客と、待ち受ける家族と(カン)。

Pp1360248
Wikiの「List of railway stations in Myanmar」にも出てこない小さな停留所でも、下車して家路に着く家族連れが。

Pp1360250
終点ガンゴーまであと一息です。

終点のガンゴー駅には20分ほどの早着でした。

これで、この時点で営業しているミャンマー国鉄MRの全区間に乗車を完了、完乗! と言いたいところなのですが、どうもすっきりしません。
MRには、大学の開講期間中だけ走る列車というのが何カ所かあるのですが、うち1路線は、そのような運行をする列車しか走らない路線で、それは即ち、大学の閉校期間中や開校期間中でも土日祝日は列車の運行がない!ので乗りに行くことが出来ない! という状態なのです、今は。

44723343_1917010098387992_904621179
終点ガンゴーに到着。完乗っ!... と言い切れない…

ご存じ、マグウェ~カンビャ間の路線がそれに相当します。休止線といえばそうなのですし、今この時点では営業列車はないわけですが、間もなく12月に入って大学が再開されれば、当然列車も走る。ガーラ湯沢に未乗のまま、夏場に「完乗!」と叫ぶのも本人も納得いかないことでしょう。

Pp1360273
ガンゴー駅舎は、チャンウーの駅舎に似てますね。

そんなわけで、玉虫色の完乗、とFacebookには書きましたが、実際本人はスッキリしなくて困っています。早く乗って身綺麗になりたいところ。
ともあれ、そのガンゴー駅には、公共交通機関はなし。バイクタクシーも、列車の到着直後に降車客を乗せて去っていってしまい、写真を撮ったりしているうちに、当方乗りそびれてしまいました。

Pp1360277_ggw
ガンゴー飛行場としてGoogle mapに記載されている空間。御覧のとおり、今は飛行場機能はないですね。

仕方ないのでGoogle mapを見ながら街の方向へ歩き出すと、先ほどの列車の車掌と乗客数名が軽トラに乗って追い抜いて来ました。

思わず「乗せてっ!」と手を挙げると、皆さん快諾。荷台に載せて貰って、国道沿いのバス停まで運んで戴き、御礼の小額紙幣を受け取ろうともしません。この国の方々、こうすることが「徳を積む」と思っているからなのか、本当に見返りを求めない親切をあちこちで経験してきました。

Pp1360279_ggw
お礼も受け取らずににこやかに去っていきました。軽トラの運ちゃんは列車の乗務員の人。

そのガンゴーのバスターミナル、いやバス乗り場が幾つか並んでいる通りですが、ここから山を越えて“南線”の終点駅のあるヂョー方面へ行くバスは意外と少なく、切符売り場氏曰く、次に出るのは夜行便のマンダレー行きやパコック行きしかないと仰います。それでは当方ちょっと困るのですし、声をかけてきた借上のクルマで行くと7万チャットなどと結構な額。バイタクだと5万だとか。

44522721_1917010105054658_7557173_2
ガンゴーからは、この神奈中ではなくて、

取り敢えず17時発のヂョー経由マンダレー行きの夜行バス(チャイエース)の切符を求め、各バス会社を覗き尋ねながら暫く歩き、戻ってきたら、先ほどひやかした一軒のバス待合所から飛び出してきたおばちゃんが「あのクルマが今すぐヂョーに行くよ、乗んな!」と親切に導いてくれました。
指さされた先、冷房の効かない旧型チャイエース車はヂョーを経由してパコックまで行くクルマ(5千チャット)。これは有り難いですね。10分ほど、ホントに待つほどもなく、数人の乗客と共に、出発です。

P181022ggwtnl_9
こちらの旧型チャイエースの乗合車(パコック行き)でヂョーへ山越え移動。

ちなみにこのガンゴーの街、西の山の方に向かうと、アラカン山脈・チン州のハッカの方へ向かう山道に繋がっています。結構な悪路だそうですが、想像に難くないですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

パコック~カレイミョ路線(北半分)に乗る:旅路。

カレイミョを出発した列車は一路南へ、昨夕訪れたヒトマー飛行場近くの東屋で昨日と同じように寛ぐ村人に手を振り、まだ朝の涼しさの残る途中の駅や停留所で数名ずつの乗客を拾いながらゆっくりと走って行きます。

Pp1360184_nachaun
ナッチャウン着。比較的大勢の乗客が待ち受けていました。

2年前にLRBEで訪れたナッチャウンを過ぎ、最初の小休止はSiHaung。車掌や運転要員に声をかけられ、乗客も半数以上がホームに降り、駅舎の脇の小屋に設けられた2店競合の食堂に群がっていきます。

Pp1360187sihaung
食べ物を持った売り子さんが大勢待ち受けていた、シーハウン。

Pp1360192shg
つい食堂の方に足が向いてしまい、

Pimg_1096shg
他の乗客の皆さんと一緒に朝ごはん。

どちらもメニューにはそう違いがないいつもの各種ヒンとご飯、それに3in1のドリンクなのですが、「あれ、外人も食べてるよ」みたいなおばちゃん達の好奇の視線に晒されながら、美味しく戴きます。ヤンゴンにもミャンマー料理の高級レストランが何店かありますが、こういうところでいただくご飯はとっても美味しいですね。

Pp1360186
右手にアラカン山脈を望みながら。

時刻表上はごく短時間停車なのですが、そんなこんなで15分以上停車して、汽笛で呼び掛けがあった後、乗客がいそいそと客車に戻って、再度の出発です。

すっかり明るくなってきた中を走る列車は、途中、一部鉄の方の中ではLRBE編成の撮影名所となっていた?併用軌道を数台のクルマを待たせて通過。今日は撮影する人も見当たりませんでしたね。

Pp1360197
撮影名所?の併用橋を渡っていきます。

以前上下列車の車両交換があった乗換駅のハンタワディはLRBE転回用のターンテーブルがあるのですが、写真には撮り損ね。運転の要衝ではなくなってしまったためか、随分あっさりとした発車です。

Pp1360217tky
タウンキンニャン着。ここで対向列車との交換待ちの筈ですが。

寧ろまたしっかりと停まったのが、タウンキンニャン。タウンは「南」の意味で、一つ手前にはミャウ(北)キンニャンという駅もありました。

時刻表上は、この駅で対向の139UPと交換するのですが、5分ほどたった後、ノンビリと待っていた関係者の動きが慌ただしくなり、さ、行くよ、と。どうやら対向列車が遅れているため、次の交換駅まで進むようです。

Pp1360212tky
時刻改正を知らせる案内チラシが貼られていました。

次の・・・と言っても、小さな棒線一本の駅に幾つか停車した後、漸く腰を落ち着けたのはムエレ。今度こそ対向の139UP列車との交換のようで、待つこと暫し、2時間ほどの遅れで疲れたような表情の乗客を乗せた列車が、こちらは少し格下?非力のDF1642号機に引かれてやって来ました。
時ならぬ列車交換に、物売りが駆け寄っていきます。果物、飲み物、なんだかよく判らない食べ物に、白いプラケースに入れられたぶっかけ飯弁当もあるようですね。ちょうどお昼時でもあるし。

Pimg_1106mwl
遅れの対向列車がやって来ました。心なしか疲れて見える?

そのおよそ2時間遅れでやって来た列車、昨日はほぼ定刻にカレイミョ近くに現れたので、今日は特に何かあった模様・・・ と考えつつ、再び走り出した列車の車窓を眺めていると、車掌が窓の外前方を指さし、「あそこ、崩れたところ」と教えてくれました。

Pimg_1107
対向列車は混んでますね。この状態で2時間待たされてたのかと。お疲れ様です。

先ほどからつかず離れず走ってきた並行道路をくぐるトンネルのようになっている手前のところで、法面の土が崩れ、線路際、いや一部は線路の上に覆い被さってしまった土砂を取り除く作業の影響で、先ほどの列車は遅れてしまったのでしょう。
もう雨季も終わりの時期でここ数日好天に恵まれていますが、まだまだこんな小規模災害は続いている、厳しい土地を走る山岳路線なのですね。

Pp1360239
ここが法面崩落区間だったようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月26日 (金)

パコック~カレイミョ路線(北半分)に乗る:前振り。

カレイミョの朝、5時過ぎにホテルをチェックアウトして、さてバイクタクシー探すか、と思ったら、ホテルの前に滑り込んできたバイタクが、昨日のヒトマー往復に使ったおっちゃんでびっくり。明日朝の汽車に乗るんだ、と話してたのを覚えてたんだな。商売機会は逃さない。努力に敬服です。

Pkalay1_3_14036
出発を待つ140DN列車ガンゴー行き。左のLRBEが・・・

そのカレイミョからのガンゴー行き140DN列車は、当方が駅に着いた時点ではまだ機関車が起動していませんでした。
駅構内をうろうろするうち、空が次第に明るくなっていき、駅の脇に設けられた小さな機関区でDF2002号機のエンジンが音を立てて動き出し、朝の涼しい空気の中、一日の始まりを感じます。

Pkalay1_1_ticket1
出札窓口内に呼ばれ、こちらで外国人用乗車券を購入。

機関車は程なく動き出し、転線してホーム側に据え付けられた客車に連結され、ちょうど同じ頃合い、切符の販売が始まりました。
他の乗客と一緒に並んで購入を試みるも、「あ、外国人?こっち来て」と発券事務室に呼び入れられ、例によってパスポート見せて外国人様式の横長の乗車券を購入。台帳の1ページ前に購入した外国人は、やっぱり知った名前の顔馴染みの方でした。

Pkaray1401_10
日が昇って来ました。さあ、間もなく出発です。

今日の編成は機関車後位にショーティ尺のOrdinary2両、貨車改造の“代用客車”1両、最後尾にカブース1両の短編成。

各ボックスに1~2名の乗りで、定刻6時半に出発します。

Pimg_1084
まだ朝靄の美しい朝7時前の車窓。

ここから南へ向かう線路は、ここカレイミョ(ミョは“街”の意味なので、駅名としてはカレイが正しいようです。駅名標もそのように書かれています。)とパコックを結ぶ路線として、(以下MR公式によれば)まず南のパコック側から、

1994年11月13日 Pakhokku – Myaing - Myosoe間開通
1995年3月18日 Myosoe - Zebyar間開通
1997年4月9日 Zebyar - Kyaw間が開通し、現在の南側区間(日本だったら、パコ・カレ南線とでも呼ぶでしょうか)が形成されています。
他方カレイミョ側はほぼ同時期に、
1995年4月23日 Kalay – Natchaung間が開通、続いて
1996年2月5日 Natchaung – Gangaw間が開通して、現在運行されている北側区間が開通しました。
そして残るガンゴー~ヂョー間36マイル弱ですが、
1997年7月17日にGangaw – Yaymyetni間が、そして
2007年1月27日に最後のKyaw-Yaymyetni間が繋がり、これでパコック~カレイミョ感が全通したことになります。 
この最後に開通した約27マイルの区間には、ミャンマー国鉄MR最長、5,610フィート(約1.71km)のPonnyataungトンネルの難工事が含まれていました。
なのですが、だがしかし。
開通から数年の間(少なくとも2009年の新聞記事には、このトンネルから飛び出してくる旅客列車の画像を確認)はこの区間で旅客営業運転がされていたようなのですが、
その後の自然災害(水害による路盤流出?)によりガンゴー~ヂョー間の運転は休止、北側と南側の両側区間でのみ旅客営業がなされ、特に北側は他のMR路線とは線路の繋がらない孤島状態となってしまいました。
そのお陰でか、近年までカレイミョ近郊ではLRBE列車の運行がなされ、日本人鉄の方も訪問したりしていたわけですが。

P44600253__n
ポンニャタウン・トンネルから出てくる列車を写したThe New Light of Myanmar紙。

そしてこの北側区間、カレイミョ近くの橋の老朽化(って、開通20年かそこらで、いったいどんな作り方してたんだか)により重量DLの走行が出来なくなったため、更に北側半分のハンタワディ~カレイミョ間はLRBE牽引による軽量列車の運行、南側のハンタワディ~ガンゴー間は通常のDLが牽引する列車と、途中で乗り換える形での運行形態を余儀なくされていました。
また以前ナッチャウン駅に掲げられていた時刻表を見ますに、ガンゴーまでの全区間列車のほか、途中のナッチャウン、ハンタワディ、ムエレまで3往復の区間列車の設定もなされていたようです。2年前には、ナッチャウンまでの1往復のLRBE列車のみが残っていましたが。

Pp20161260126_s
4往復時代の時刻表(2016年12月、ナッチャウン駅にて)。

そして問題の橋梁の改修のため、2017年末頃に数か月間ナッチャウン~カレイミョ間で列車の運行を全面停止して橋の架け替え工事が行われました。この結果、列車運転は再開されましたが、重量級のDLが無事にカレイミョまで直通できることとなり、国内最後の定期運行LRBE列車は敢え無く消滅。

Pimg_1089
まだ肌寒い時間帯。皆さん厚着してますね。そして早起きはやっぱり眠いのは皆同じ。

現在では、カレイミョとガンゴーをそれぞれ朝出発、途中駅で交換し、目的地に午後に到着するという1日1往復の運行形態になっています。

長くなりましたので、別記事に分けて続けます。

Pimg_1083
補修工事がなされたのは、この橋かな??

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月25日 (木)

二年ぶりのカレイミョへ飛んできました。

10月21日(日)朝、今日はゆっくり起きて、お昼前のUB603便、ATR機でカレィミョへ飛びます。

P44450403__n
いつものATR機でカレイミョ空港に着きました。

ピィからこの地域へ向けて陸路北上していくと、どうしても時間がかかり過ぎるし、体力温存ということで、ヤンゴンから飛んでいくことにした次第。その方が結果早くて楽、ということになってしまうわけで、長距離交通はヤンゴンに集中し過ぎです、この国。

Pimg_1037
ガンゴーからカレイミョに到着間近の139UP列車。

Pimg_1039_2
ちょっと踊った感じの文字のサボが楽しいですね。

この国に赴任してきてすぐの頃、チン州のプロジェクト・サイトを訪問するために出張で来訪して以来ほぼ2年ぶりのカレイミョ。

今日はカレィミョ空港から、名前だけは軍記物読んで知っていたヒトマーへ(発音はhットマー、くらいに聞こえます)バイクタクシーで向かうことにします。

P44421690__n

Pp1360068_
かつてここに日本軍の飛行場があった、のだそうです。今はバンカーなども全て取り壊されて、田んぼになってしまっています。

先の大戦中、インパールを目指して進出してきた日本軍の飛行場があった所。行き掛けの駄賃に、ほぼ定刻にやって来た、ガンゴーからのカレィミョ行きをすれ違いざまに踏切端で1枚。

Pp1360088_
カレイミョ市内に戻ってきて、駅近くのバスターミナル。大分空港と書かれたバスはマンダレー~カレイミョと書かれています。

ヒトマ―の村を通り過ぎ、お歳を召した住民の方に教えを請いつつ未舗装の細い道を進み、靴を脱いで川を渡ったりしながら辿り着いた飛行場跡地は完全に田圃になり何も残っていませんでした。そこからは木陰の休憩所で休んでいた地元の農民の方が案内してくれたのですが、「あっちとあっちに全部で5カ所の飛行機格納用の壕があったけど、全部イギリス軍の空爆で壊されて、今は何にも残ってない」との事。

Pimg_1060
カレイミョ駅舎。中にレストランがあるような看板はありますが、営業してなさそう。

確かに飛行場があったくらいの長さの平原に、今は田んぼが広がっていますが、ここに軍用飛行機がひしめく、そんな時代もあったのでしょうね。

P44516092_n
前回乗車したLRBE61号車は、未だ綺麗な状態。

そして街に戻り、夕暮れ間近のカレィミョ駅を訪問。

現役を退いたLRBE36と61、機関庫の方に声をかけてみると、まだちゃんと動くというんですから驚きです。今の列車の運行は標準型のディーゼル機関車が牽引する客車編成ですが、非常時の救援列車などで使われ(得)る、というのですから。定期列車でもチャーターでも、動かしてくれれば、日本人がこれ目当てに来ますよ。

P36kalay1_5
LRBE36号車も、稼働可能に見えますね。

そして、駅の奥の方に留置…というのですかね。2台のD1Bは半解体状態となってしまい、もう復活が望める状態ではありませんでしたが(涙)。

P44478096_n
こちらのD1B-303号車は、残念ながら解体途中の趣。

Pimg_1057
タルボットの銘板が台車に残っていました。

P44471472_n
日野のトラックエンジンはこのように積まれていたのですね。

Pimg_1052
こちらのD1B-301号車も、既に命運尽きた状態でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月24日 (水)

落穂拾い@ピィその3。おまけ。ピィ本線時刻表。

取り敢えず一度ヤンゴンの自宅に帰ってきましたので、今回確認したヤンゴン~ピィ間(タラウォー支線を含む)、ピィ~サットワ(~ネーピードー)路線の時刻、一部修正版を再掲しておきます。

181020_ygnpyay_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月23日 (火)

落穂拾い@ピィその2。

同じルートをクルマで2時間かけてピィに戻り、ピィ13時発のレッパダン行き610DN列車。近年までLRBE運行のカーヤター列車だったことで一部その筋の方には有名?な運用ですが、現在は既に日本型RBEに置き換わり、この日は元のと鉄道のRBE2513+2514の2両編成。前方の2514がクロスシートだったためこちらに席を取りましたが、2両とも席は埋まり、立ち客、というかジベタリアンも出る結構な乗り具合。

44431308_1914353271987008_574485941
半日ぶりにピィ駅に戻って来ました。

暫く前にこの列車に乗りに来た友人は、単行列車だったため大混雑だったとのことでしたが、その混雑ぶりを見て増結されたのなら、MR、キチンと仕事してますね。

Pimg_1006

Pimg_1009
ピィの機関庫からレッパダン行きのRBE列車が出庫して、ロータリーを回ってピィ駅へ入線してきます。ちょっとばかり併用軌道に見えますね。

P44444043_n
元カーヤター列車だったためか、外国人向け切符は用意されず、ミャンマー人と同じ硬券乗車券を渡されました。

13時定刻、朝と同じ方向に走り出した列車は、先ほどのモウザ・ランゾウン駅に直進して入り、左手にシュウェタガー方面への線路を分けます。そしてこのジャンクション駅を出発して直ぐに左手後方から線路が近づいて合流、これでデルタ線の3方向全部に乗ることが出来てすっきりしましたね(苦笑)。

Pimg_6321
モウザ・ジャンクション駅の本駅舎はこの東西路線上にあります。

最初の駅モウザは、航空写真で見ると円形の地形を横切る線路の真ん中に設けられているように見えますが、こちらがミャンマー初の世界遺産サイト「Pyu Ancient City」を形成する3つの遺跡群のウチの一つスリクシェトラの外堀なのでしょうか、その真ん中を通り抜けていくことになります。
この遺跡が都市として機能していたのは9世紀頃までということですから、進出してきたイギリスが、被占領国の王都をぶち抜いて鉄道を建設したとかいう類いのものではありませんが、随分思い切ったルートですね。

Pimg_6326

Pp1350996

Pp1360008
パディゴンで小休止、対向のメイル列車との交換待ち。

ここから南へヤンゴンへと向かう線路は、今から140年前の1877年にイラワジ州鉄道(Irrawaddy State Railway)が開通させた、ミャンマー最初の鉄道161マイルの区間にあたります。沿線は豊かな穀倉地帯で、大きな山越えや川もなく、ほぼ真っ直ぐな線路が敷かれ、最近の、後から作られた新線と異なり、駅の周囲に街が形成されているのが地図からよく判ります。

Pp1360031
イギリス時代の古い路線、駅舎も昔のものを使っているところが多いです(ジョーピンガウック)。

とはいえ、途中にマンダレー本線側と比べて大きな都市が続くわけでもなく、一つの駅の前後に集落が広まったかと思うと、発車した列車はちょっと走ると直ぐ市街地を抜けてしまい、また両手に広々と田んぼが広がる光景の中を進んでいくことになります。

列車が2番線側に止まってエンジンを止めたのは出発して1時間半ほどたったパディゴン。列車の行き違いだというので一旦列車から降り、駅舎脇の売店で炭酸飲料を買って飲むうちに、少々の遅れで現れたのは、ヤンゴンからのピィ行き63UP列車。本来は少し手前のテゴンですれ違う筈が、少々遅れたため当方が少し進んできた模様。
編成内に古いアッパー車両に加えて郵便車も連結している「サポーヤター(Mail)」でした。

P1360032
駅舎もホームもない小さな停留所でも下車して家路につく乗客が(ThinPanKoneと思われる停留所)。

次第に西に傾きつつある柔らかな太陽を浴びながら、途中の駅や、駅舎もホームもない無名の停留所などに一つずつ停まりながら、少しずつ乗客を降ろしつつ列車は走り、16時半頃のジョーピンガウック、オッポ付近は今年の頭に小学校の修復プロジェクトの関係で出張に来たところ。このあたり、線路/国道沿いは兎も角、少し離れると雨季に直ぐに水が溢れるエリアです。
Pp1360039

中国製新型車両を連ねた急行71UP列車とはオッテゴンで交換。同系色に塗られた大連製の機関車に引かれ、結構なスピードで砂煙を上げて通過していきました。

そして車内に残る乗客もごく僅かとなり、日もとっぷりと暮れて真っ暗になった19時少し前、終点のレッパダンに少々早めの到着です。まだ明るければ機関区にLRBE見せて貰いに行ったのですが、もうそんな時間でもないですね。

Pimg_1022
夕暮れ間近の車窓、パゴダの上に赤く染まった雲が見えました。

ここからヤンゴン市内の自宅までは,クルマを飛ばしておよそ3時間強ほど。
さ、帰りましょ。明日からはまた忙しいし。

Pimg_6335
終点レッパダンに到着です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月22日 (月)

チャンギン・セメント工場訪問。

さて間を置かずして再訪のチャンギン、今回はこのチャンギン・セメント工場の見学の許可が下りたため、堂々とお邪魔させて戴きます。

44356025_1914590098629992_633390674
事務所での説明の後、早速ヤードにお邪魔します。

このセメント工場は、1970年代後半~80年代前半にかけて日本の借款で近代化・生産量増強のための改良工事がなされ、国内市場の過半を占める時期もあった国内有数のセメント工場です。そのセメント製造に使用する石灰石の切り出し場から工場へ、そして工場で製造したセメント袋を積み出すためのエーヤワディ川の河川港までを結ぶ全長約20kmの専用線が、1982年に政府間のE/N、OECF(当時)とのL/A署名・調印された25.8億円の円借款で電化され、電気機関車4両と47両の貨車や施設設備が調達・設置された案件です。工事は1986年に完成し電気機関車による運行体制、計画によると6~8往復/日、1,600t/日程度の輸送が計画されていたとのこと。

44368402_1914589901963345_762931661
川崎・三菱の銘板が貼られたトップナンバーのED501号機。

更に、ヤンゴン環状線の電化計画があったため、この電化鉄道をパイロット事業として、そこで得られた電化鉄道運営ノウハウを、環状線電化時に活用しようという意向もあった模様(結果的にはMRは電化計画を進めず、この鉄道の知見は活用されなかったわけですが)。

44407346_1914589978630004_750470926
こちらは社屋近くに停められていたED504号機。

2001年の事後評価報告書がネットに上がっていたので見てみると、1991年に4両のうち1両が事故破損して以降、電機は製品輸送には用いられずこちらの路線ではDLを使用、採石場~工場間の輸送に電機は用いられることになったとのこと。

44423749_1914589878630014_268512765
綺麗な状態の501号機と502号機。事故廃車となったのは、503号機ですね。

それでも専用線と工場自体はごく最近まで元気に稼働していたようなのですが、残念ながらNLD現政権の"事業仕分け"で昨2017年に他の23箇所の不採算国営工場と共に操業停止の憂き目に遭い、908人を数えるという職員は日々メンテナンスと清掃に励まざるを得ない状態になってしまったそうです。

44358187_1914590071963328_451515676

ロッド式と普通のタイプの2種類ある9両のDLには、協三と川崎の銘板が。

Pp1350914

説明してくれた工場の方によると、民間からの投資が得られれば操業再開の可能性がある事に期待している、とのことで、今は職を失った(休職中?の)各機関車も大変綺麗に整備されていました。が、沢山の鉱石ナベトロや貨車を引いて走行する姿を見られなかったのは残念でした。

44395290_1914590005296668_358907053

ということは、2年前の私が当地に着任したばかりの時期は、まだ動いていたということですよね。かえすがえす残念でなりません。

Pp1350934
運転事務所は並みの一般鉄道よりも立派に見えますね。

工場本体の見学終了後、国鉄MRチャンギン駅の南東側に位置する、イラワジ川の河川港埠頭の積み出し施設もお邪魔してみたのですが、こちら、乾季には川の水位が下がり船が施設に横付けできないため、貨車から降ろしたセメント袋をベルトコンベアーでそのまま船積みできず、鉄道で運ばれてきた荷を一旦トラックに積み直し、河床を走って船の近くまで運ぶという二度手間を強いられていたとのこと。自然現象とは言え、なかなか厳しい操業環境ですね。

Pp1350945
鉄道だけじゃなくて、工場内も案内していただきました。日本に短期研修で行っており、片言の日本語を話す職員の方も。

Pp1350974
右が電化専用線、左がチャンギンとタエッとを結ぶ国鉄MR線(旅客営業休止中)。

Pp1350966
市内を埠頭へ向けて走る専用線。 まだすぐに使えそう。

Pp1350956
エーヤワディ河畔の積み出し設備。


| | コメント (4) | トラックバック (0)

2018年10月21日 (日)

(線路は生きている)休止駅にて。

次はピィ市街地東の飛行場近くにあるシュウェタガー駅からクルマでエーヤワディ川を渡り、そこから南のチャンギンという街に向かいます。その前に、ちょっと寄り道。

Pp1350849
ナワディ橋でエーヤワディ川を渡り西岸へ。

既に何回か本ブログでも触れてきていますが、このエーヤワディ西岸を走る鉄道路線は、ほぼ全線が一度は開通したにもかかわらず、その後の災害や不採算等の事情により途中2箇所で運行が停止・寸断されています。

Pp1350853_2
パダウン駅舎。近年開通路線の標準的な駅舎。

その南側の“切れ目”にあたるのがちょうどピィ付近の対岸、タエッ~チャンギン間訳102マイルの運転休止区間で、一時期は北半分のタエッ~パヤボー間、南のパヤボー~チャンギン間に分割されてそれぞれ列車が走っていたそうですが、現在は例によって旅客営業が休止されてしまいました。

参考までにMR公式から拾うと、この区間の開通年月日は、

 チャンギン~オーシッピン間:2008年3月2日
 オーシッピン~カンマ間:2009年3月22日
 カンマ~タエッ間:2009年10月17日
となっています。

Pp1350860
駅名標もしっかりと立っていますが、線路は草に埋もれつつありますね。ミャンマー文字のスペルはパンダウンと読めるのですが、アルファベットどおりパダウンと発音するのが正しい由。

、な状況なのですが、ともあれこの南側の休止区間は実は今も線路が繋がっています。

チャンギンから更に南側、ヘンタダをへてパテインまでの間は線路が繋がり、今も毎日数往復の営業列車が走っているのは先日乗車してきたとおりです。

Pp1350879
途中区間の線路はしっかりした状態で、むしろどこぞやの営業線よりもきれいかも。

この区間で使用されているRBE等の車両の重整備や大規模修理は、このチャンギン以北の西岸ルートの旅客営業のない区間をタエッ、マルーンJCTまで北上し、こちら側の橋を渡ってバガン~ピィ~ヤンゴン路線に入り、ネーピードーやヤンゴンの整備工場まで(場合によっては自走して)運ばれてくるのだそうで、その為の貴重なルートになっています。
ヤンゴン川の西のラインタヤーまで来ている線路が、あと数km、川を渡って環状線まで繋がっていれば、距離的には全然近いのですけどね。

Pp1350877
エーヤワディの支流を渡るコンクリート鉄道橋。

その休止区間に沿ってチャンギンまで走っていく途中、線路が近づいてきたところで立ち寄ったのが、このパダウン駅。最近開通路線の小規模駅の標準的なスタイルで、別に面白いわけでもなく、駅舎内に時刻表などが貼られたまま残っているわけでもなく、目新しい発見は特になし。

Pp1350864
オーシッピン駅前は建設用の重機や砂利に占拠され、落ち着かない雰囲気でした。

続いて訪問したのは、この地域の中心的な街であるオーシッピンの駅。市街地西側の外れの幹線道路沿いにあった駅舎は流石に少し規模が大きいですね。
駅前広場には工事用の重機や砂利が積み上げられており、他の地域の幾つかの休止駅でそうだったような留守番役の人が常駐しているわけでもなかったので、話ができなかったのは残念。どのくらいの頻度で回送列車が走っているのか、聞きたかったのですが。

Pp1350867
駅舎の屋根の下に駅名標はしっかり残っています。ミャンマー語の文字はウーシッピンと読むのかと思いきや、オーシッピンと発音するのが正しいとのこと。

Pp1350874
多少の草は生えていますが、まだ(当地的には)普通に走れる状態ですね。

Pp1350866
駅舎内の時刻表と運賃表。183UP列車:ヘンタダ00:00発->09:05パヤボー着、184DN列車:12:00同発->21:00ヘンタダ着、と読めますね。プヤボー、ではなくパヤボー、と読むのですね。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2018年10月20日 (土)

落穂拾い@ピィその1。

昨金曜の晩、終業後に夜道を飛ばして6時間、日付がギリギリ変わる前に到着したピィ駅近くのホテルで一泊。
今日土曜日は朝6時半のキハ141原色(5051+2592)のネーピードー行き110UP列車で出発です。

Pp1350775
ピィ駅で出発を待つネーピードー行きキハ141系原色編成。

Pp1350773
沿線の木々との格闘の跡が生々しい側面。掲げられたサボは、パタマタン(一等)。

先ずはヤンゴン方面と同じ線路を東へ走りだした列車は、市内バスターミナル近くの停留所に停まったのち、2駅目のモウザ・ランゾウン(ジャンクション)駅の手前でヤンゴン方面への線路と分岐して北へ進路を変えてネーピードーへと向かいます。

Pp1350800
踏切市場?を横切り、早朝のピィ駅をほぼ定刻に出発です。

この分岐駅、下川氏の本では「モーザーメンゾー」との音で、ヤンゴン~バガン方面を結ぶ本線から「ピー」までの線路が分岐する駅として書かれているのですが、実際は少々違うようです。

Pimg_7459
下川裕司氏の書籍『東南アジア全鉄道制覇の旅 タイ・ミャンマー迷走編』p188の図。しかも、思い込みにより、一駅乗り残したそうです。

Pp1350802
下川本で「ケッタヤーミョテ」と書かれているのは、ここのことかしら。ミョーティッ(新町)駅。
他方で、MRの資料には、ピィ~モウザ・ランゾウン駅間には「ケッタヤー」という駅が書かれています。

線路は東西、西から北、東から北、とを結ぶデルタ線を形成しているのですが、駅本屋は三角形の下、東西を結ぶ線路上にあります。これに加え、西と北を結ぶ線路にも短いホームがあり、この110UP列車もキチンと停車しました。

44368448_1914431645312504_876992682
Google Mapで見ると、デルタ線がハッキリ判りますね。

他方で東と北を結ぶルート、即ちヤンゴンとバガンを結ぶ路線上にはこのモウザ・ランゾウン駅のホームはなく、1日1本のヤンゴン~バガン間の寝台付きの夜行列車61UP/62DNが夜中に通過するだけとなっています。この列車にはかつて乗ったことがあるので、残る2方向が残ってるということになります。

Pp1350805
ヤンゴン方面への東西路線(右手)から分岐して、北に向かうところに小さなホームが(モウザ・ランゾウン)。

他方で、MRの他の資料、ヤンゴン~バガンルートの距離表を見てみると、モウザ(HMZA:モウザ・ランゾウンより1駅ヤンゴン側の駅)の次にはモウザ・ランゾウン(HMZJ)駅が距離と共に記載され、次にバガン方面へのシュウェタガーへと繋がっています。
プラットホームも停車列車もなくとも、このデルタ線全体がモウザ・ランゾウン駅の構内だという整理であれば、下川氏の図もあながち間違いではないのかもしれません。

ともあれ、そんなわけで、この早朝の110UP列車に乗ること30分ほど、3駅目のシュウェタガーで下車。西~北の一辺を片付けて(半分)スッキリしました。

Pp1350810
ヤンゴン方面からの東~北の一辺が近づいてきました(乗車済)。

そしてこのシュウェタガー駅、もう一つのジャンクションでもありました。
この駅と、ヤンゴン~マンダレー本線上のタウングー(の北)とを結ぶべく建設されていた路線、2010年8月22日(MR公式)に途中のパゥッカウンまで開通した後、例の新政権の“事業仕分け”により運行が停止されてしまった模様。事実上の廃線ですね。

参考:開通を伝える英字紙NLM。

※ 詳しい方によると、運行停止は、NLD現政権誕生前の2013年10月15日とのこと。ミャンマー語が読めれば、原資料にあたれるのですが…

44349785_1914353195320349_308255789

シュウェタガー駅に到着。他にも下車客が数名。乗り潰し派ではないと思いますがw。

時間があれば終点のポウッカウン駅まで行ってみたかったところですが、今日は時間の都合でここまでにして、転進します。

Pp1350824
ホーム上には立派な開通記念碑が建てられていました。ピィ~タウングー~ネーピードーと書かれているように読めます。

Pp1350837
ネーピードーへ向かう列車を見送り、クルマで南へ転身します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月11日 (木)

お仕事終わり。やれやれ。

半月余りの東京勤務も終了、今日のANA便でヤンゴンに戻って来ました。
お仕事の中身はここには書けませんし、滞在中、週末も含めてお仕事だったし、台風の来襲などもあり、自由な時間は殆ど取れませんでしたが、それでもお台場の「Global Festa」や日比谷公園の鉄道フェスティバルも短時間ですが覗いてくる事もでき、ちょっと一休みする時間が取れたのは幸いでした。

Nimg_6128_
成田のラウンジで、朝カレー。

いつものように、タクシー->新宿->N'EXで成田に向かい、最後のお買い物。
そして今日のANA便はガラガラ。ちょっと変わった「唐揚げと野菜弁当」なるものを選んでみたお食事は、機内食なので衣の揚げたて感はないものの、程よく汁に浸されて却って個人的には好みだったかも。

Nimg_6133
カレー食べた後なのに、このフルトレイの機内食を完食できたのだから、そこそこ美味しかったということなのでしょう。

Nimg_6134
トイレに置かれていた乗務員さん手書きのメッセージカード。これが日本のおもてなしだとか大上段に構えるつもりはありませんが、ちょっとした心遣いが嬉しいですね。

Nimg_6136
さ、ヤンゴンに戻って来ました。流石に疲れました。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2018年9月 | トップページ | 2018年11月 »