落穂拾い@ピィその1。
昨金曜の晩、終業後に夜道を飛ばして6時間、日付がギリギリ変わる前に到着したピィ駅近くのホテルで一泊。
今日土曜日は朝6時半のキハ141原色(5051+2592)のネーピードー行き110UP列車で出発です。
沿線の木々との格闘の跡が生々しい側面。掲げられたサボは、パタマタン(一等)。
先ずはヤンゴン方面と同じ線路を東へ走りだした列車は、市内バスターミナル近くの停留所に停まったのち、2駅目のモウザ・ランゾウン(ジャンクション)駅の手前でヤンゴン方面への線路と分岐して北へ進路を変えてネーピードーへと向かいます。
この分岐駅、下川氏の本では「モーザーメンゾー」との音で、ヤンゴン~バガン方面を結ぶ本線から「ピー」までの線路が分岐する駅として書かれているのですが、実際は少々違うようです。
下川裕司氏の書籍『東南アジア全鉄道制覇の旅 タイ・ミャンマー迷走編』p188の図。しかも、思い込みにより、一駅乗り残したそうです。
下川本で「ケッタヤーミョテ」と書かれているのは、ここのことかしら。ミョーティッ(新町)駅。
他方で、MRの資料には、ピィ~モウザ・ランゾウン駅間には「ケッタヤー」という駅が書かれています。
線路は東西、西から北、東から北、とを結ぶデルタ線を形成しているのですが、駅本屋は三角形の下、東西を結ぶ線路上にあります。これに加え、西と北を結ぶ線路にも短いホームがあり、この110UP列車もキチンと停車しました。
Google Mapで見ると、デルタ線がハッキリ判りますね。
他方で東と北を結ぶルート、即ちヤンゴンとバガンを結ぶ路線上にはこのモウザ・ランゾウン駅のホームはなく、1日1本のヤンゴン~バガン間の寝台付きの夜行列車61UP/62DNが夜中に通過するだけとなっています。この列車にはかつて乗ったことがあるので、残る2方向が残ってるということになります。
ヤンゴン方面への東西路線(右手)から分岐して、北に向かうところに小さなホームが(モウザ・ランゾウン)。
他方で、MRの他の資料、ヤンゴン~バガンルートの距離表を見てみると、モウザ(HMZA:モウザ・ランゾウンより1駅ヤンゴン側の駅)の次にはモウザ・ランゾウン(HMZJ)駅が距離と共に記載され、次にバガン方面へのシュウェタガーへと繋がっています。
プラットホームも停車列車もなくとも、このデルタ線全体がモウザ・ランゾウン駅の構内だという整理であれば、下川氏の図もあながち間違いではないのかもしれません。
ともあれ、そんなわけで、この早朝の110UP列車に乗ること30分ほど、3駅目のシュウェタガーで下車。西~北の一辺を片付けて(半分)スッキリしました。
ヤンゴン方面からの東~北の一辺が近づいてきました(乗車済)。
そしてこのシュウェタガー駅、もう一つのジャンクションでもありました。
この駅と、ヤンゴン~マンダレー本線上のタウングー(の北)とを結ぶべく建設されていた路線、2010年8月22日(MR公式)に途中のパゥッカウンまで開通した後、例の新政権の“事業仕分け”により運行が停止されてしまった模様。事実上の廃線ですね。
※ 詳しい方によると、運行停止は、NLD現政権誕生前の2013年10月15日とのこと。ミャンマー語が読めれば、原資料にあたれるのですが…
シュウェタガー駅に到着。他にも下車客が数名。乗り潰し派ではないと思いますがw。
時間があれば終点のポウッカウン駅まで行ってみたかったところですが、今日は時間の都合でここまでにして、転進します。
ホーム上には立派な開通記念碑が建てられていました。ピィ~タウングー~ネーピードーと書かれているように読めます。
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