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2018年10月25日 (木)

二年ぶりのカレイミョへ飛んできました。

10月21日(日)朝、今日はゆっくり起きて、お昼前のUB603便、ATR機でカレィミョへ飛びます。

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いつものATR機でカレイミョ空港に着きました。

ピィからこの地域へ向けて陸路北上していくと、どうしても時間がかかり過ぎるし、体力温存ということで、ヤンゴンから飛んでいくことにした次第。その方が結果早くて楽、ということになってしまうわけで、長距離交通はヤンゴンに集中し過ぎです、この国。

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ガンゴーからカレイミョに到着間近の139UP列車。

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ちょっと踊った感じの文字のサボが楽しいですね。

この国に赴任してきてすぐの頃、チン州のプロジェクト・サイトを訪問するために出張で来訪して以来ほぼ2年ぶりのカレイミョ。

今日はカレィミョ空港から、名前だけは軍記物読んで知っていたヒトマーへ(発音はhットマー、くらいに聞こえます)バイクタクシーで向かうことにします。

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かつてここに日本軍の飛行場があった、のだそうです。今はバンカーなども全て取り壊されて、田んぼになってしまっています。

先の大戦中、インパールを目指して進出してきた日本軍の飛行場があった所。行き掛けの駄賃に、ほぼ定刻にやって来た、ガンゴーからのカレィミョ行きをすれ違いざまに踏切端で1枚。

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カレイミョ市内に戻ってきて、駅近くのバスターミナル。大分空港と書かれたバスはマンダレー~カレイミョと書かれています。

ヒトマ―の村を通り過ぎ、お歳を召した住民の方に教えを請いつつ未舗装の細い道を進み、靴を脱いで川を渡ったりしながら辿り着いた飛行場跡地は完全に田圃になり何も残っていませんでした。そこからは木陰の休憩所で休んでいた地元の農民の方が案内してくれたのですが、「あっちとあっちに全部で5カ所の飛行機格納用の壕があったけど、全部イギリス軍の空爆で壊されて、今は何にも残ってない」との事。

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カレイミョ駅舎。中にレストランがあるような看板はありますが、営業してなさそう。

確かに飛行場があったくらいの長さの平原に、今は田んぼが広がっていますが、ここに軍用飛行機がひしめく、そんな時代もあったのでしょうね。

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前回乗車したLRBE61号車は、未だ綺麗な状態。

そして街に戻り、夕暮れ間近のカレィミョ駅を訪問。

現役を退いたLRBE36と61、機関庫の方に声をかけてみると、まだちゃんと動くというんですから驚きです。今の列車の運行は標準型のディーゼル機関車が牽引する客車編成ですが、非常時の救援列車などで使われ(得)る、というのですから。定期列車でもチャーターでも、動かしてくれれば、日本人がこれ目当てに来ますよ。

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LRBE36号車も、稼働可能に見えますね。

そして、駅の奥の方に留置…というのですかね。2台のD1Bは半解体状態となってしまい、もう復活が望める状態ではありませんでしたが(涙)。

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こちらのD1B-303号車は、残念ながら解体途中の趣。

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タルボットの銘板が台車に残っていました。

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日野のトラックエンジンはこのように積まれていたのですね。

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こちらのD1B-301号車も、既に命運尽きた状態でした。

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