落穂拾い@ピィその2。
暫く前にこの列車に乗りに来た友人は、単行列車だったため大混雑だったとのことでしたが、その混雑ぶりを見て増結されたのなら、MR、キチンと仕事してますね。
ピィの機関庫からレッパダン行きのRBE列車が出庫して、ロータリーを回ってピィ駅へ入線してきます。ちょっとばかり併用軌道に見えますね。
モウザ・ジャンクション駅の本駅舎はこの東西路線上にあります。
最初の駅モウザは、航空写真で見ると円形の地形を横切る線路の真ん中に設けられているように見えますが、こちらがミャンマー初の世界遺産サイト「Pyu Ancient City」を形成する3つの遺跡群のウチの一つスリクシェトラの外堀なのでしょうか、その真ん中を通り抜けていくことになります。
この遺跡が都市として機能していたのは9世紀頃までということですから、進出してきたイギリスが、被占領国の王都をぶち抜いて鉄道を建設したとかいう類いのものではありませんが、随分思い切ったルートですね。
ここから南へヤンゴンへと向かう線路は、今から140年前の1877年にイラワジ州鉄道(Irrawaddy State Railway)が開通させた、ミャンマー最初の鉄道161マイルの区間にあたります。沿線は豊かな穀倉地帯で、大きな山越えや川もなく、ほぼ真っ直ぐな線路が敷かれ、最近の、後から作られた新線と異なり、駅の周囲に街が形成されているのが地図からよく判ります。
イギリス時代の古い路線、駅舎も昔のものを使っているところが多いです(ジョーピンガウック)。
とはいえ、途中にマンダレー本線側と比べて大きな都市が続くわけでもなく、一つの駅の前後に集落が広まったかと思うと、発車した列車はちょっと走ると直ぐ市街地を抜けてしまい、また両手に広々と田んぼが広がる光景の中を進んでいくことになります。
編成内に古いアッパー車両に加えて郵便車も連結している「サポーヤター(Mail)」でした。
駅舎もホームもない小さな停留所でも下車して家路につく乗客が(ThinPanKoneと思われる停留所)。
次第に西に傾きつつある柔らかな太陽を浴びながら、途中の駅や、駅舎もホームもない無名の停留所などに一つずつ停まりながら、少しずつ乗客を降ろしつつ列車は走り、16時半頃のジョーピンガウック、オッポ付近は今年の頭に小学校の修復プロジェクトの関係で出張に来たところ。このあたり、線路/国道沿いは兎も角、少し離れると雨季に直ぐに水が溢れるエリアです。
中国製新型車両を連ねた急行71UP列車とはオッテゴンで交換。同系色に塗られた大連製の機関車に引かれ、結構なスピードで砂煙を上げて通過していきました。
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