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2018年11月 1日 (木)

泰緬鉄道跡を歩く(ビルマ側・南半分)。

明けて朝、モーラミャインのバスターミナルからクルマで、南東のカイン州を目指します。
カイン州は1989年まではカレン州と称し、こちらの名前を耳にしたことのある方の方が多いかもしれません。住民の大半を占めるカレン族の指導部であるカレン民族同盟(KNU)は、1948年のビルマ独立直後より、即時の独立を要求して連邦政府と独立闘争を始め、その軍事部門であるカレン民族解放軍(KNLA)が闘争の中心となって来ました。(このあたり、手元の資料の継ぎはぎですので、専門の方から見ると間違いも指摘され得るかと思います。本稿の本題ではありませんのでご容赦ください。)

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セメント舗装ながらよく整備されたチャインセッチー郡内の道を南へ下っていきます。

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左パヤトンズ国境、右タンビュザヤ。この三叉路で泰緬鉄道ルート沿いの道と合流します。

2012年、KNUは民政移管されたテイン・セイン政権との間で停戦合意に至り、以降、従来は外国人の立ち入りは厳しく制限されて来ていたこの地域にも、徐々に立ち入りが許可されるようになってきました。

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泰緬連接鉄道路線図。 広池俊雄著『泰緬鉄道 戦場に残る橋』読売新聞社刊 折込地図参照。左上がビルマ部分。

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泰緬鉄道要図 岩井健著『C56南方戦場を行く ある鉄道隊長の記録』時事通信社刊 P117参照。

現在も、KNLAによって実効支配されている、あるいは行動している範囲では、時期により外国人の立ち入りが制限されたり、解除されたり、外国人といっても隣国タイからの陸路越境は許可されても、我々日本人などの第三国人の立ち入りが許可されない地域・時期があったり、等々、未だに流動的な状況にあります。

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この山並みを眺めながら、C56が走っていたのですね。

今回、一部地域への立入制限ありという条件付きではあるものの、このカイン州の訪問許可が下りたので、訪問してみることにしました。

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パヤトンズの国境管理事務所近くには、近年になってから敷き直したと思しき、モニュメント的な線路(跡)。

目的は、泰緬鉄道のミャンマー側の廃線跡巡りです。タイのノーンプラドックからビルマのタンビュザヤまで、先の大戦中に日本軍が俘虜や労務者を酷使して作り上げたこの414.9kmの鉄道の廃止は、1945年の終戦後ほどなくということですから、それから既に73年が経過しています。

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アンガトン駅跡と思われる広場。広場の前後の森の中には、粗目のバラストが線状に残り、ここに線路があったことを示していました。

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ビルマ側では戦後すぐ、46年頃には全てのレールを撤去したそうで、一部線路が現在も地元の足・観光路線として活用されているタイ側とは異なり、上述の事情もあり、趣味人や調査の手が入りづらかったミャンマー側の廃線跡については、現在までのところ書籍やネット上でもあまり情報を見かけることがありません。

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キョンドー駅東方のチャウンゼイン村には、2か所の沢を渡っていた橋梁の橋脚基盤が。

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いずれあらためて、より正確な情報を確認したうえでご案内したいと考えていますが、今日この時点では、この両日に立ち入ることが可能だった地域で見つけることの出来た、幾つかの泰緬鉄道の遺構をご紹介させていただくに留めます。 

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キョンドー駅跡と思われる開けた場所には、バラストと数本の朽ちかけた枕木、そして機関車を空襲から守るための盛り土と思われるものが残ります。

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上述のとおり、1943年10月の開通から終戦直後まで、運行されたのは僅かに2年ほど。その後46年頃から線路が剥がされて既に72,3年。手元には詳細地図もなく、航空写真でも痕跡を殆ど確認出来ない中、ホームなども設けられなかったであろう簡易な鉄道の痕跡探しは困難を極めました。

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本日の白眉。ラワ~アパロン間のザミー川を渡る鉄橋。1996年の洪水で流されるまでは、ガーターが残っていたのだそう。

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ガーターが残っていた頃のザミー川鉄橋の写真。タイ・カンチャナブリのDeath Railway Museumで売られていた絵葉書から。

それでも同行のT原さんが流暢なミャンマー語を駆使して地元の人に話を聞いたり、場合によっては案内して貰ったりしながら、草むらの中にバラストや枕木を見つけたり、藪をかき分けて抜けた先に鉄橋の橋台や橋脚などの遺構を見つけた時の驚きは言葉にできないものがありました。

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アパロン駅跡と思われる場所。この駅には、北部区間の中心となる機関庫・整備基地(鉄道第9連隊材料廠)があり、多数の引き込み線に加えて方向転換の為のデルタ線までが設けられた広い駅だったようです。現在はゴムの植林地。 空襲除けの土盛りはここにも残っていました。

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ここにも枕木の残骸が。70年以上も経っても、その姿を留めているもんなんですね。

先述のとおり、巷でたくさん紹介されているタイ側とは異なり、ミャンマー側の同鉄道の遺構の画像はあまり見たことがありませんので、人によっては貴重な画像になるかもしれませんね。

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アパロン駅南東側の橋の橋台。

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資材も十分ではない中、立派な橋脚を建てたのですね。

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