2017年6月13日 (火)

今日も無事終了。チャイトーからバスで帰ります。

Satthwarchon駅、ミャンマー語スペルではサットゥヮーゴンと読みたくなるのですが、これでよいのかしら。ここからモーラミャイン方面への本線に入り、線路の規格というか保線状態が良くなったため、スピードを上げても揺れが小さくなった気がします。
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併用橋?といっていいのかしら。シッタン河を渡ります。

程なくシッタン河を渡る鉄橋、ですが、この橋、当地ではよくある自動車道路との併用橋と言ってよいのかな。鉄道のトラスの横に、同じ橋脚に支えられているのか?片側1車線程度の幅の自動車用道路が収まっており、両端には遮断機が設けられて自動車の通行を統制しています。まあこの区間は、先日訪問したニャウンカシー経由の道路の方が幹線道路となっているため、こちらはこれでよいのでしょう。
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橋を渡った列車は、大分状態の良い線路を南を向けて快走していきます。

橋を渡った最初の駅はTheinzayat。殆どの急行列車が停車する駅で、さすがは古くからの幹線ルート沿いだけあって駅前集落の人出は新線短絡線区間とは比べものにならず活気があります。
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広いモッパリン駅の構内には、DD501号DLが。荷役作業がある駅なのでしょうね。

続いてニャウンカシーからの旧線と合流するモッパリン・・・を通過。この駅は国道からもほど近く、ここで下車して廃線跡を探索してから、国道端でバスを拾って帰ってもいいな・・・と考えていたのですが、残念ながらこの駅はこの(列車名変わって)15UP列車は通過。このまま当方の下車駅チャイトーまで無停車で快走していきます。その車窓右手にはシッタン川の流れが眺められ、左手に続く山並みとの間には、中部の乾燥地帯と比べて見るからに豊かな農村地帯が広がっています。
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右手遠くにシッタン河の流れを望みながら。

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2017年4月29日 (土)

「千の菩提」支線に乗ってみる。

モンユワのバスターミナルまでは2時間40分ほど。今日はこのモンユワから南東に延びるボディタタウン(Bawditahtaung)までの支線に乗ってみることにします。
この「千の菩提」を意味する村は黄色いガイドブックにも掲載されている有名な観光地で、130mの高さの巨大な仏像と111メートルとやっぱり巨大な寝仏像、更にはその一体に広がるおよそ1万体とも言われる仏像で有名な宗教的観光地ですね。
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大きな立像と足元の寝仏、金色に輝くパゴダ、右手(見えませんが)に建設中の大仏様。

モンユワから路線バスはないようなので(トラックバスくらい走ってるのかも知れませんが)、バスターミナルで案内してくれた多少の英語を話す三輪タクシーのおっちゃんに乗せて貰ってこの街へ向かいました。
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こちらは手前のタウンボッデー。裏手にまわると駅があります。

途中、こちらも58万体(!?)の仏像があるという、尖塔がニョキニョキと生えた不思議な姿のタウンボッデー寺院(Thanboddhay)に立ち寄りつつ、千だか一万だかの座像の森にも小休止しつつ、巨大立像の方に行ってみれば、右手の方にはこれはまた巨大な大仏様を建設中と来ましたか。この国の宗教法人(?)はかなり懐が豊かなようですね。
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ボディタタウンの名前の由来になった、多数の仏像の広がる園地。

立像の方は、33階建てのビルの高さで中に入って上に登れるらしいですが、そのあたりは下から眺めるだけで十分な当方、門前町の食堂で通常の倍はした観光地価格のレストラン(といっても550円くらいのものですが)で遅めのお昼ご飯の後、未舗装の道を数分歩いて鉄道線のボディタタウン終着駅へ。
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表参道?から北側に歩いて数分、ボディタタウン駅が現れました。

こちら、駅掲示の時刻表には、モンユワ1~4までの列車番号を振られた2往復の列車が記載されており、最近までこの朝夕2往復の運転があったようですが、現在はモンユワ(起点はモンユワ市街地北方のアロンという駅)を朝出てボディタタウンに着き、夕方モンユワに戻るという1日1往復の運行になってしまっています。即ち運転手・車掌は半日当駅で昼寝して過ごすわけですな。
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運用に入っているのは、RBE2587(キハ141-12)と5049(キハ142-12)のペア。

 切符を求めるといつものように事務室内に招き入れられ、程なく15時40分の出発時間。することがなかったために手持ちぶさたなのか、10分ほど前から駅員も乗務員も「やっと時間だ」的に準備を始め、暫く前から乗り込んできていた十名ほどの乗客を乗せ、今日も列車は定時出発です。立派と言って良いのかどうか。出発する列車の後ろには例の立像が聳え立っていますので、これを絡めて撮影するのは定番なのでしょうな。
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車体は沿線の木に打たれてか、塗装はボロボロ。

車両はJR北海道のキハ141系RBEの2連。開業当初はキハ52が運用に入ってた時代もあったようですね。今はこの南国で寒冷地仕様車なわけですが、今日は幸いにもそれほど暑くなく、全ての窓、乗降扉に貫通扉まで開け放って換気に努めているためか、動き出してしまえばそれほど暑さは感じません。
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有人駅の駅舎内には、このように駅内配線・信号図が掲示されています。

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この路線の時刻表も載せておきますね。再開に期待して、運休中の列車分も。

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2017年4月27日 (木)

DMU稼働を確認する。

対向列車との交換待ちなどで、駅毎に遅れが増していった今日の42DN列車が目的のキンウー(Khin-U)に到着したのはおよそ1時間50分ほどの遅れ、朝の5時40分頃でした。んー。接続列車は・・・私の記憶が間違いで6時発であることを期待しつつ下車し、当方の待ち構えていたかのような数名の駅員に訪ねるに、こちら、モンユワ行きの1日1本の普通59UP列車は当方記憶どおりの早朝5時、定刻に出発してしまったとのこと。さあどうしましょう。
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朝のキンウー駅前。

予定では、この列車でモンユワまで乗り通すのが一つ目的ではあったのだけど、途中、全国でもこの区間のみの運行となってしまっているらしいDMU列車の運転がなされているかを確認することももう一つ目的でした。このDMUとは、先だってより何度か記事にしているLRBEの発展型とでも言いましょうか、語源は勿論Diesel Multiple Unit。
ミャンマー国鉄が2001年から06年に掛けて自社工場(ヤンゴンのインセイン及びここサガインのユワトーン(YwaHtaung)工場にて6編成を製造した気動車で、同じ日野製トラックのエンジンや駆動軸を転用しつつも、LRBEとの大きな差異は、タイヤ駆動ではなくキチンと鉄輪による駆動となっている、立派な鉄道車両だということ(という理解でいいのですかね→詳しい方。鉄輪駆動のLRBEもありましたっけ)。
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キンウー駅構内には、休車中と思しきDMU306編成が。動いてないのかなぁ...

見た限り、片運転台の車両を背中合わせに連結した固定編成のものや、両運転台車両+同じカラーに塗られた付随客車2両程度を連結して走るもの、とがあるようで、6編成全部を確認したわけではありませんが、スタイルは各車ビミョーに異なっているようで、これがまた手作り感があっていい味出してるんですよね。
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駅前食堂で朝ご飯。向かいのカメラは一緒について来た国鉄職員氏。

日本製中古のRBEが席巻しつつある近年、全国で何カ所かあったその運用も次第に減らされ、現在ではこのキンウーを挟んだ一帯、マンダレー~ミッチーナ本線上のシュウェボー(Shwebo)~キンウー(Khin-U)から分岐してイェーウー(Ye-U)、そしてモンユワとの中間ほどに位置する ティンテェインヤン(Tinteinyan)までの間を1往復しているのが唯一だという話を耳にし、これは確かめてみなければならないわけです。
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中間に機関車を挟んだ、不思議な編成が入線してきました。

運転時刻は、早朝ティンテェインヤンを出発、イェーウーで先ほど乗り損ねた59UP列車と交換、ここキンウーでスイッチバックして、この地域の中心都市シュウェボー着、折り返しは午後シュウェボー発でティンテェインヤンに夕方到着してそのまま駐泊、となっています。
ということで、こうなっては仕方が無いので、駅関係者の方からの聞き取りによりますとDMUが運転されているのは間違いないようなので、間もなくやって来るDMU列車をここで捕まえて、シュウェボーまで乗車してみることにしましょう。
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これから托鉢かな? 小坊主が一人駅構内を歩いて行きます。

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2017年4月23日 (日)

特急列車でミッチーナからナバへ。

既に雨季に入ったミャンマー、調べてみると、本格的な雨季は5月後半から10月前半に掛けてのようですが、ここミッチーナの属するカチン州南部からサガイン州北部についても既に空は暗く雨が強くなったり弱くなったりしつつも降り続いています。数日前に当地を来訪した友人も、雨に降られっぱなしだった模様。
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遠くにアラカン山脈を望みながら南へ向けて走る列車の車窓。揺れ具合が判りますか。

先の大戦中は、このミッチーナ(当時はミートキーナ:密支那等と表記していた)からカチン州の一帯に展開しインド北東部のインパール攻略を目指した約10万人の日本軍が、この地の気候、雨季の大雨やそれによる泥濘、アラカン山脈の険しい地形に阻まれての不十分な兵站補給と熱帯の疾病により大変な苦難の行軍を強いられ、数万人の戦死者・戦病死者を出した土地でもあります。ミッチーナ飛行場を巡る攻防戦もWikipediaにも項目が立てられるほどで、戦略上重要な街でした。
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途中Nanmati駅から分岐していたサトウキビ製糖工場への専用線跡。

こことマンダレーとを結ぶ鉄道も、マンダレーを起点に1891年にシュウェボーまで、その後段階的に延伸され、1895年にカターまで、そして1898年にはミッチーナに達している歴史ある路線です。
ビルマ戦記の手記を読んでも、応召してビルマ戦線に投入、貨車に揺られ、ゲリラ活動などであちこち線路が途切れたり、英軍機の空襲を逃れたりしながらこの地域を北上したなんて話が書かれていたりします。
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最初の停車駅モガウンに到着。雨の中、早速売り子さん達が集まって来ます。

現在このミャンマー北部随一の幹線鉄道であり、並行道路整備状況が必ずしも良くないため鉄道の需要が高く、毎日数往復の長距離列車が走る路線ですが、改善整備が進むヤンゴン~マンダレー間鉄道と比べても線路状態は悪く、時折もの凄く揺れることがあります、っちゅうか、しばしば。
低速域では左右にユーラユーラと揺れるのが、速度が上がってくるとこれに突然縦揺れが加わり、こりゃ脱線するんじゃないの?という恐怖感にも駆られるほどのジャンピング・トレイン。
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Hopin駅で対向列車と行き違い。

スマホの画面もまともに乱視になりそうで見続けられないし、お弁当に手をつけても突然の揺れでボロボロとこぼしてしまったり、楽な汽車旅じゃありません。
それでも、“貨車”に揺られての移動でも、徒歩の行軍よりは随分楽だったという戦争当時を思い返せば、こんなリクライニング(壊れてるけど)シートに身を任せて雨に煙る車窓を眺めながら移動できるというのは天国であり、平和のありがたさを感じなければなりません。こんなところで感じるべきじゃないとは思いますが。

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お、対向列車には、寝台車が連結されていますね。

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2017年4月22日 (土)

最北の駅から、特急列車の旅。

入線してきたこちら38DN列車、国鉄MRの列車ではあるものの、カチン州政府の公営企業が運営している特別急行「ミッソン・マンダラー」号という名称の付いた、当国鉄道では数少ないネームド・トレイン。曼荼羅なのかな?
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推進運転で、列車が入線してきました。乗客の動きも慌ただしく。

とはいえ、ベトナムのサパ行きの観光列車などのような特別なサービス・車両なわけではなく、見た目も内装もサービスも、国鉄MRの他の列車と何ら変わるところはないようです。唯一、この1-2人掛けのゆったりとしたUpper Class車のシートにかけられたカバーに、同社のシンボルマークが描かれている事くらいでしょうか。
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ミッチーナ駅に入線して来た特急列車。これから旅立ち、アガります。

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ミャンマー正月の飾りつけをつけたままの元イセ3、RBE2511号車。

そんなわけで当方にとっては久々の長距離優等列車の汽車旅です。
出発直前に入線してきたモガウン行きRBE2511(元伊勢鉄道イセ3)をひやかす時間があったのは幸い、定刻12:00に見送り客に手を振られながら、雨のミッチーナ駅を出発です。

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2017年2月27日 (月)

ニャウンカシー支線に乗ってみる。

Wawを出発した列車は、当方にとって初乗りとなるモーラミャイン方面へのそれなりに整備された本線を快走、途中小さな停留所に停車しつつ東へ。車窓に広がる光景は、先日のマグウェイ地域・マンダレー地域の荒れ果てた土地と比べると、随分と緑の多い豊かな土地に見えます。
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アビャ駅で本線と分岐してニャウンカシーへ。

数名の乗降客があった最初の停車“駅”アビャで本線から分岐します。駅を出てから暫くは両線が併走するので一見複線区間のように見えますが、その両線の差は歴然。100mほどのロングレール化がなされ、バラストの量も多いモーラミャイン方面への本線に比べ、こちらの走るニャウンカシー方面への支線はバラストも薄く枕木もまばらで、明らかに乗り心地もスピードも落ちています。

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左がモーラミャイン方面への本線。右がこちらの進む支線。線路状態の格差。

歴史を遡ると1907年、英国植民地政府の統治下にあった時代にBurma Railway Companyによってペグー(バゴー)~マルタバン(モッタマ:モールメイン市街地の川向かい)間が開通した際のルートは、このアビャからニャウンカシー経由のルートでした。
このニャウンカシーからシッタン川を渡り、対岸のモッパリンから現在線のルートに戻り、南のモールメインを目指していたのですが、太平洋戦争中の1942年、ビルマに破竹の勢いで進駐してきた日本軍に追われる形で撤退した英国軍が、この鉄橋を破壊していったのだそうです。

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農村地帯ののんびりした車窓を望みながら、ゆっくりと走って行きます。LRBEで来たかったな。

その後、戦争中は日本軍の手によってこの橋梁は復旧されず(少し上流に簡易架橋を行った由)、戦後になって再度このルートの鉄道が復旧した際には、8kmほど上流のTanawGyunを経由する形で線路が敷かれ、結果的にアビャ~ニャウンカシー間のみが盲腸線として残ってしまったということで、その経緯はともかく、なんだか東北本線の岩切~利府間に似てますね。

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終点ニャウンカシーに到着。終戦70年以上がたっても、スタイルは途中駅なのですね。

終点のニャウンカシーの集落は、メインの通りも舗装されていない小さな集落ですが、1日2往復の列車が発着する時間帯は活気に溢れていました。単なる途中駅だったため… 終点駅となってからの時代の方が最早長いのかも知れませんが、簡素な作りの駅舎のある場所から暫く前方に進むと、本線上に転車台。そしてその前方には車止めが。
昨年5月?まではこの路線はLRBEによる運行で、それを目当てに多くの日本人“鉄”の方々が訪れていたのですが、既にこのキハ48系RBEに置き換えられてしまい、残念ながら当方(のヤンゴン赴任)は、それに間に合いませんでした。

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ああ、これがLRBEだったらもっと絵になったのになぁ…

アジアの鉄道全般、そうなのかも知れませんが、その中でも特に動きの激しいミャンマー鉄道MR。全てが一期一会ですし、行ける時に行っておかないと後で後悔するのは間違いありません。

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1日2本の列車の時刻は、長く変わっていないのでしょうね。

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2017年2月18日 (土)

ミャンマー国鉄MRの路線図を作ってみる。

さて前回の投稿で1回の旅行について書き終えたわけですが、読む側としては、ある程度の基礎知識がないと、「ふーん、そうなんだぁ」と流し読みして終わりですよね。特に聞いたことのない地名が殆どで、わざわざGoogle Mapなんかを照らし合わせて見てみるような奇特な人もいないでしょう。いるとすれば、近くこの地域を汽車旅してみる計画中の方くらいで、極めてコアというかニッチな読者の方を相手にすることになってしまいます。
であるからには、ミャンマー国鉄MRの全体像について一定の説明をしておかなければなりません。

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MR公式に掲載されている路線図の一例。これは第4局(カロー)管轄区域のもの。

最近でこそ、ヤンゴン近郊をメインに全国あちこちで活躍している日本製の中古気動車(RBE)については、その顔触れや配置、運行ルートなどについて本邦内で販売されている鉄道趣味雑誌に取り上げられることもしばしばですし、ネット上にもかなりの詳細情報がアップされており、当方としても大いに参考にさせていただいています。
が、それ以外の、客車列車や、MRの全体像について触れているような記事は殆ど見かけることがありません。趣味の対象として興味を持つ人が少ないと言われてしまえばそれまでなのでしょうが。
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当方も去年の10月にミャンマーに転勤してからというもの、機会を見つけて汽車旅に出掛けるようにしているのですが、前任地インドネシアと比べても、国内の鉄道網全体についての情報収集には本当に苦労しているといっても過言ではないでしょう。全線の運行時刻表はおろか、全線がどうなっているのか、どこにどのような路線が旅客営業をしているのか、についてすら、最新の公式情報を集めることが容易ではないのです。
MRのサイトには、各鉄道管理局毎と思われる路線図がPDFで掲載されているのですが、こちらも運行が休止・廃止されていたり、まだ完成・営業運転を開始していない路線が記載されていたり、その一方で、何年も前に開通した路線が未だに掲載されていないなど、全く信用しきれない…

そんなわけで、これまで4カ月間の間にネット上に散らばっている情報を集める形で整理してみた、ミャンマー国鉄MRの路線図を作ってみました。既に開通・営業運転が開始されたにもかかわらず、その後の災害や旅客数が少な過ぎる等諸々の事情で運行休止となっている路線はその旨付記して書き込んでいますが、戦前戦後といった古い時期に存在した現在廃線になっているもの(例:泰緬鉄道など)は記載対象外としています。
当方より古くから、そして深くミャンマー鉄道に関わっておられる方におかれては、間違いや要加除訂正箇所を見つけられるかもしれませんので、差支えなければご指摘いただければ幸いです。今後その都度改訂していければと思います。

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2017年2月11日 (土)

ミニバスは早くて便利です。

ちょうど12時お昼時のミンジャンからは暫く列車がない時間帯ということで、バスで移動することに。
駅南側のバスターミナルの敷地内は、各社とも中国製の新車や比較的新し目の韓国製の中古バスが大半を占めており、こういった地方のターミナルでも日本製の中古車は大分少なくなって来たようです。

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このハイエーズモドキ車でパコックへ移動。程よくエアコンも効いて快適でした。

ヤンゴン行きやマンダレー行きなどの中長距離車が目立つ中、「どこ行くの?」って声をかけて来たバス会社のが、ちょうど都合のよいことにパコック経由のモンユワ行き、しかも12時30分発だそうでタイミングもバッチリです。

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数少ない日本車の中から、三菱エアロスター。これは<八>マーク付きだから名古屋市営かな。

車両は大型バスではなく、白の左ハンドルのハイエース…と思いきや、前後のエンブレムを見るに中国製のパクリ車の模様。外装だけではなく、内装もウチの事務所のハイエースにそっくりで、ネットでは“チャイエース”などと呼ばれていたりしますが、まあよく作ったもんだ。細かく見ると、ガラスの隅に書かれているマークがJISなど日本の規格のではなく中国語だったりするし、聞くところによるとエンジンは三菱製だそうですね。

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この小田急か羽後交通wっぽいのは、バンパーを下げて、ドア下も追加して、ハイリフトじゃないけど、車高は上ってる…?

12:30定刻、7割ほどの乗りで出発したバスは、市内を流して乗客を拾おうとするも不発、市街地をでるとスピードを上げます。途中、ミンジャンとバガンを結ぶ鉄道との併用橋を渡り、さらに西へと快走。バガンの手前で右折して、エーヤワディ川にかかる長大橋を渡って目的地パコック市街地までの所要時間は1時間20分ほどでした。
列車だと、ミンジャンからバガンまで3時間ほどかかるのですから、クルマは圧倒的に速いですわ。
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この屋根上のラジエーターだか室外機だかがゴツいブルドッグは難題です。 ん・・・ 豊橋鉄道、でどうでしょうか。詳しい方、後はよろしく。

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2017年2月10日 (金)

ターズィー~ミンジャン線に乗る。

明けて火曜朝、昨晩確認しておいたターズィー駅6時発のミンジャン行き111列車。
この駅は鉄道交通の要衝であり、高速道路が通らない街であるため、早朝から駅には大勢の乗客が各方面行きの列車を待っていました。こちらの乗る列車は2番線からの発車とのことで、切符も駅本屋ではなく、ホーム上に設けられた窓口での販売。とはいえ当方外国人はやっぱり窓口の中に招き入れられて身分証を見せての手書き発券となる訳ですが。

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ターズィー駅の2番ホームで出発を待つ111列車、のこちらは見たまんま貨車改造の代用Ordinary客車。長時間の乗車はちょっと勘弁願いたい。

入線していた列車は代用客車3両、Upper1両、Ordinary2両、荷物車の編成。これに発車20分前になってちょうどDF1603ディーゼル機関車が入線して来て連結。ホームには乗客に加えて若干の物売りの姿も見えるものの、朝食になりそうなものはなし。
こちらは1両だけ連結されているUpper車両の切符を買っているのですが、Ordinaryの方は一般客車であればともかく、貨車改造の代用客車の方だとサスペンションもない台車な上、ドアも窓ガラスもない吹きっ晒しで少々厳しい旅路になりそうです。ここ南国ミャンマーですが、早朝夜間は結構冷え込むのです。

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切符の購入は事務室の中に入って。硬券の入った箱、魅力的♪

6時ちょうど、まだ薄暗いターズィー駅を定刻に出発した列車は、ライトアップされたパゴダを眺めながらノンビリと西へ。早起き続きなのでウツラウツラするうちに列車はようやく明るくなってきたメッティーラへ。日本での書籍ではメイクテーラという名で戦記物にしばしば出て来る地名で、先の大戦中には日本軍の拠点でもあったため、日英両軍の激戦地となり多数の犠牲者を出したところだそうです。今でも市内のパゴダには九七式軽装甲車の残骸が保管され、周辺には多くの慰霊塔が建てられているそうです。

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明るくなってきたメッティーラ駅で小休止。

111UP列車はこの沿線随一の駅で一旦乗降扱いをしたのち、出発したかと思いきや、駅構内を出たところの踏切で停車し後退し、再度駅の2番線に入線して貨車一両を切り離し、再度前進と交代を繰り返して1番線に戻り、留置したままの荷物車と再連結して出発準備完了。このあたり、なんで最後尾の車両を切り離すような編成にしておかず、大勢の乗客を乗せたまま入れ替え作業を行わなけれればならないのか、よく判りません。

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メッティーラ市内の湖を渡って走る列車。左手のナガヨン・パゴダの敷地内に、旧陸軍の装甲車(ほぼ破壊された状態ですが)があるそうです。

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2017年2月 8日 (水)

ナッマウ~ピョーブエ路線に乗ってみる。

バイクタクシーで到着したナッマウ(新)駅にはナッマウ駅から連絡が行っていたようで、いつものように駅事務室に顔を出して(外国人用の切符は、通常の窓口では売ってくれず、駅事務室でパスポートや身分証明証を見せて購入するケースが多いようです)次の目的地ピョーブエまでの切符を求めると、「あー、例の人来たよー」的に無線で連絡しつつ、こちらは「なんでナッマウから乗らなかったの?」と、まあ至極当然な質問。まあそうですな。諸般の事情もありまして。

ともあれ切符を無事購入、駅前のご飯屋さんでチキンカレーとタケノコのお浸しでお昼ご飯をいただき、呼ばれるがままに列車・・・元JR北海道のキハ141系の運転席に招き入れられました。ひょっとして監視なのかな?

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ナッマウ(新)駅で出発を待つ元JR北海道のキハ141系。酷暑のこの地で寒冷地仕様のこの車両、運転士から“ヒーター”の必要性を問われました。

さて、そんなわけで運転室に添乗、運転士と助手に挟まれる形でピョーブエ2列車は定刻に出発進行。自由な行動はしにくいのですが、運転士からは運転室内の各ボタンの意味を聞かれたり、おやつにヒマワリの種を勧められたりと友好的な雰囲気でして。
市街地の西側にあるナッマウ(新)からは、市街地の北側をグルッと半周する形でゆっくりと進みながら、途中の踏切で一旦停止し、番屋から出て来た保線作業員を乗せる。あまり通常のルーティーン的な保線とかしている風にも見えない線路状態だけれど、どこか補修を要するところでもできたのかな。

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中央のナッマウ駅から東(右手)に延びるのが今日乗る路線。西(左)方面へは1駅のみ開業、目指すマグウェイ側からも3駅ほど開業しているのがわかりますね。

ナッマウではピィ~バガン本線とX字にクロスして東へ分岐。このピョーブエ~ナッマウ間の路線はMR公式の路線図に掲載されていないことからわかるとおりの新路線で、西側半分、Ywataw~Natmauk間の開業は2013.3.13とされており、ごく最近です(東半分は、Pyawbwe~Yanaung間(約7マイル)が1999.4.9、Yanaung~Ywartaw間(約20マイル)が2010.1.16だそうですから、こちらを含めてもやはりそれほど古い路線ではありません(MR公式の路線図には、ピョーブエからユワトーまでのみが掲載されています。
なので、ユワトーから西、~ナッマウ及びナッマウ(新)までの正確な距離が今は分かりません。追って調べがついたら加筆修正します)。

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何もない荒野を一直線に建設された新路線です。

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