2018年11月 1日 (木)

泰緬鉄道跡を歩く(南半分)。

明けて朝、モーラミャインのバスターミナルからクルマで、南東のカイン州を目指します。
カイン州は1989年まではカレン州と称し、こちらの名前を耳にしたことのある方の方が多いかもしれません。住民の大半を占めるカレン族の指導部であるカレン民族同盟(KNU)は、1948年のビルマ独立直後より、即時の独立を要求して連邦政府と独立闘争を始め、その軍事部門であるカレン民族解放軍(KNLA)が闘争の中心となって来ました。(このあたり、手元の資料の継ぎはぎですので、専門の方から見ると間違いも指摘され得るかと思います。本稿の本題ではありませんのでご容赦ください。)

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セメント舗装ながらよく整備されたチャインセッチー郡内の道を南へ下っていきます。

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左パヤトンズ国境、右タンビュザヤ。この三叉路で泰緬鉄道ルート沿いの道と合流します。

2012年、KNUは民政移管されたテイン・セイン政権との間で停戦合意に至り、以降、従来は外国人の立ち入りは厳しく制限されて来ていたこの地域にも、徐々に立ち入りが許可されるようになってきました。

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泰緬連接鉄道路線図。 広池俊雄著『泰緬鉄道 戦場に残る橋』読売新聞社刊 折込地図参照。左上がビルマ部分。

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泰緬鉄道要図 岩井健著『C56南方戦場を行く ある鉄道隊長の記録』時事通信社刊 P117参照。

現在も、KNLAによって実効支配されている、あるいは行動している範囲では、時期により外国人の立ち入りが制限されたり、解除されたり、外国人といっても隣国タイからの陸路越境は許可されても、我々日本人などの第三国人の立ち入りが許可されない地域・時期があったり、等々、未だに流動的な状況にあります。

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この山並みを眺めながら、C56が走っていたのですね。

今回、一部地域への立入制限ありという条件付きではあるものの、このカイン州の訪問許可が下りたので、訪問してみることにしました。

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パヤトンズの国境管理事務所近くには、近年になってから敷き直したと思しき、モニュメント的な線路(跡)。

目的は、泰緬鉄道のミャンマー側の廃線跡巡りです。タイのノーンプラドックからビルマのタンビュザヤまで、先の大戦中に日本軍が俘虜や労務者を酷使して作り上げたこの414.9kmの鉄道の廃止は、1945年の終戦後ほどなくということですから、それから既に73年が経過しています。

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アンガナン駅跡と思われる広場。広場の前後の森の中には、粗目のバラストが線状に残り、ここに線路があったことを示していました。

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ビルマ側では戦後すぐに全てのレールを撤去したそうで、一部線路が現在も地元の足・観光路線として活用されているタイ側とは異なり、上述の事情もあり、趣味人や調査の手が入りづらかったミャンマー側の廃線跡については、現在までのところ書籍やネット上でもあまり情報を見かけることがありません。

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キョンドー駅東方のチャウンゼイン村には、2か所の沢を渡っていた橋梁の橋脚基盤が。

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いずれあらためて、より正確な情報を確認したうえでご案内したいと考えていますが、今日この時点では、この両日に立ち入ることが可能だった地域で見つけることの出来た、幾つかの泰緬鉄道の遺構をご紹介させていただくに留めます。 

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チョンドー駅跡と思われる開けた場所には、バラストと数本の朽ちかけた枕木、そして機関車を空襲から守るための盛り土と思われるものが残ります。

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上述のとおり、1943年10月の開通から終戦直後まで、運行されたのは僅かに2年ほど。その後線路が剥がされて既に73年。手元には詳細地図もなく、航空写真でも痕跡を殆ど確認出来ない中、ホームなども設けられなかったであろう簡易な鉄道の痕跡探しは困難を極めました。

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本日の白眉。ラワ~アパロン間のザミー川を渡る鉄橋。1996年の洪水で流されるまでは、ガーターが残っていたのだそう。

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ガーターが残っていた頃のザミー川鉄橋の写真。タイ・カンチャナブリのDeath Railway Museumで売られていた絵葉書から。

それでも同行のT原さんが流暢なミャンマー語を駆使して地元の人に話を聞いたり、場合によっては案内して貰ったりしながら、草むらの中にバラストや枕木を見つけたり、藪をかき分けて抜けた先に鉄橋の橋台や橋脚などの遺構を見つけた時の驚きは言葉にできないものがありました。

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アパロン駅跡と思われる場所。この駅には、北部区間の中心となる機関庫・整備基地(鉄道第9連隊材料廠)があり、多数の引き込み線が設けられた広い駅だったようです。現在はゴムの植林地。 空襲除けの土盛りはここにも残っていました。

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ここにも枕木の残骸が。70年以上も経っても、その姿を留めているもんなんですね。

先述のとおり、巷でたくさん紹介されているタイ側とは異なり、ミャンマー側の同鉄道の遺構の画像はあまり見たことがありませんので、人によっては貴重な画像になるかもしれませんね。

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アパロン駅南東側の橋の橋台。

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資材も十分ではない中、立派な橋脚を建てたのですね。

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2018年10月31日 (水)

南へ転進。

マンダレーから飛んできたのは今日23日(水)の午後。

一旦帰宅し荷物を入れ替え、シャワー浴びて身支度を整え、Grabタクシーで市内北東部のアウンミンガラー・バスターミナルへ。
夜22時発のマンダラー・ミン社のVIPバスでモーラミャインへ向かいます。もう3回目だな、この赤い宇通バス。
ターミナル内の同社の待合室で今回の同行者、“読者の方”T原さんと合流。
この会社、2階はVIP便旅客専用の待合室になってます。エアコンが良く効き、水やコーヒーのサービスまで。へえ。各社頑張ってますな。
3列配置のゆったりシート、些か贅沢ではありますし(Ks.12,000)、夜行列車もあるじゃないか!というご指摘も聞こえてきますが、お許しを。この歳になって車中2連泊は少々厳しいのです。

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2018年10月30日 (火)

ミンゲ工場訪問。

昨晩ヂョーから夜行バスでヤンゴンに戻らずに、マンダレーにやって来たのは、この街でちょっと寄り道をするため。
長らく行きたいと思っていた、市内南方のミンゲにある、鉄道車両工場を訪問する許可が取れたので、またとない機会でもあり、少々無理をしてでもお邪魔してみた次第。

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正面入口の建物。ここから入るわけではないのですが。

勿論ネット上には、過去に訪れた方の訪問記がいくつもありますし、どんな日本からの中古車両があるかなどについては、詳しい方のネット記事や雑誌記事をご覧いただくとして、今回はごく短時間の訪問だったこともあり、当方としては個人的に面白いと感じたものを幾つか。

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よく整備された工場内。日本人の技術指導も入っているそうです。

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この整備工場では、年間約40両ほどのペースで客車を新造しています。
また、それとは別途、隣の新工場では(黄緑塗装の)中国客車をCKDにて年間10両ほど製造しているそうです。

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この整備中のキッチンつきの寝台特別車両BTEは、貸切増結運行ができるそうです。

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建物の外には、懐かしい北斗星のブルートレイン車両が。オロハネ25でしたっけ。

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おっと、君は、ブルトレじゃないよね?

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北海道時代と国鉄色のキハ183が並びます。こちらはMRには未登録のまま。

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車高を下げるために高運転台を取り払ってはみたものの…

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トラバーサーの向こうにトリコロール・カラーのキハ58が見えますね。

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でも個人的には、やっぱりこっちも捨てがたい。捨てないけど。

そして午後のUB003便、ヤンゴン経由のシンガポール行きでヤンゴンに戻ります。
国際線扱いの旅客と、国内線ヤンゴンまでの旅客が混在している機内。何か間違いが起こったりしないのか、少々心配になります。

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カレイミョ~パコック路線時刻表。

取り敢えず2回に分けてようやく乗車できたカレイミョ~パコック路線、確認日がずれてしまいましたが、この路線の時刻表を掲載しておきます。
この所要時間だと、全線直通したとしても、日着出来る感じではないですね。全通当時のスケジュールが気になります。夜行列車が走っていたのでしょうかね。

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2018年10月29日 (月)

夜行バス?はキツい。

ヂョーからは、先ほどガンゴーでチケットを購入した夜行バスで。ガンゴー17時発というので19時くらいにはヂョーを通るから、と言われていたのですが、いつまで経っても現れず、目の前をヤンゴン行きなどのハイデッカー車が何台も通過し、些か心配になった20時頃、漸く現れたのはこちらの中国製ハイエース・パクリ車。

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夕暮れ間近のヂョー市街地。ここで夜行バスを待ちます。

幸い最後の1席、後方の1人掛け座席をキープしているのですが、それでもやはり窮屈ですよね。

山道を走ったミニバスは、モンユワを過ぎ、午前1時半頃にミンム付近で道端の食堂の前で止まり、トイレ休憩かと思いきや、そのまま運転手が仮眠に入ってしまいました。
乗り場の説明では、午前2時か3時頃に着くとのことでしたが、とてもそんな感じではありません。

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乗るのはこの立派なハイデッカー車の夜行バス… ではないですね。これはカレイミョからのヤンゴン行き。

こちらもウツラウツラ、イライラしながら待つうち、漸く動き出したのは午前4時頃。
マンダレー市街地西部のティリマンダラー・バスターミナル近くの路上で下ろして貰ったのは、6時を回っていました。未明に到着するつもりでネットで予約した1泊11ドル!のホテルでシャワー浴びて仮眠し、本日の活動に備えます。

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こちらの新型チャイエース。左の銀色のは、ホンモノのトヨタ・ハイエース。

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2018年10月28日 (日)

ポンニャタウン・トンネル訪問。

ガンゴーからヂョーまでは峠越えのつづら折りの道。左手には現在運行停止となってしまった線路がチラリと見えたりもします。途中の集落で何人かの乗客を降ろし、峠を越えて少し下りはじめた茶屋で小休止し、2時間弱ほどで目的地のヂョーに到着しました。

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休止中の線路を見ながら峠へ向かって走っていきます。

ここでバイクタクシーを捕まえて向かったのは、先日の記事でチラッと書いた、この路線で最後に開通し、新聞紙面を華々しく飾り、そして運行休止となってしまった全長5,610フィート(約1.71km)のポンニャタウン(Ponnyataung)トンネルです。

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国道からトンネル出口へ降りる道の分岐点には立派な碑が建てられていました。

日暮れが近づきつつある今来た道を先ほどのミニバスの休憩所付近まで戻り、細い道に分け入っていきます。最初は簡易舗装だった道も途中数軒の家があった集落から先は更に悪くなり、なんだか坪尻駅に下りる道を彷彿とさせますが、程なくトンネル東口の駅が現れ、右手側には、トンネルの開口部が。

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立派な貫通記念碑?が建てられたトンネル東口。

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記念碑の裏側にはこんなことが書かれています。

新線開業記念あたりと同じ、立派な記念碑が建ち、そしてトンネルの前には、何を思ったのでしょうね、このパルテノン神殿を思わせるような飾り柱が左右に立ち並んでいます。この光景はGoogle mapの衛星写真でも確認出来る大規模なもの。いったい何故こんなものを作ろうと思ったのか、小一時間問い詰めてみたいところです。

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荘厳な雰囲気さえ感じますな。

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トンネルポータル?の上部に書かれているのは、トンネルの長さでしょうか。

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遠く先の方には反対側の出口の明かりが見えますね。内部は崩落してないということで。

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トンネルから飛び出してくる列車を捉えた英字紙。見てみたかった、乗ってみたかった光景。

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Google mapでもハッキリと見てとれますね。

開通当日にはここでさぞかし派手な記念式典が開催されたことでしょう。

トンネルの中を覗いてみると、少なくとも見える範囲には崩落等は見られず、反対側の開口部の明かりが見えます。このトンネル内部が崩落して走れなくなったわけではないのですね。
そして東口駅。Wikiの「List of railway stations in Myanmar」には出て来ないので、立派な駅名標は立っていますが、信号場扱いだったのかな。
残念ながら、時刻表などの掲示物は一切なく、列車運行当時はどのような運行形態だったのかを知ることは出来ませんでした。

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トンネル東口駅?信号場?

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構内線路配置図が残されていました。これには「駅(ブダー)」と書かれてますね。

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こちらの国鉄MRの資料には、Kyawの隣駅に、駅名コードの記載はないものの、「トンネル東口」「トンネル西口」の駅名が並んでいますね。
そして、ガンゴーまで向かう途中の「メ」駅が気になる。ミャンマーで最も短い駅名なのは間違いない。

帰路は、近所の住民に「行けるよ-」と教えられたため、同じ道を戻らず、線路の側道をヂョー方面へと走ります。

直ぐに、路盤が崩落して線路が宙に浮いている区間があり、こういった粗製濫造な築堤路盤の簡単な崩壊の影響で、そして修復する予算手当不足から、この国には、それなりの額を投じ、場合によっては恐らくは強引に土地を収用し、建設されて走り出したはいいものの、幾年も経たずに運行停止となってしまった鉄道路線があちこちに点在しています。

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国道を跨いでいた線路の橋。

この路線など、峠のトンネルを越えてから麓の街に下りていく車窓など、姨捨を彷彿とさせるような雄大な光景が広がっており、南線には三段式スイッチバックもあり、風光明媚な観光路線となり得たかもしれません。

現在は、このトンネルやコンクリート製の橋梁などがその残骸を留めるのみ。勿体ない話です。

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駅構内を一歩外れたところに、既にこんな路盤消滅箇所が。。。

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2018年10月27日 (土)

パコック~カレイミョ路線(北半分)に乗る:完乗(?)

そしてこの辺りからは各駅では下車客が目立つようになり、流石にもう乗ってくる人は殆どいません。道路から少し外れた山の中を走る区間では、MPTもTelenorも携帯の電波が入らなくなり、自分の位置がわからなくなったりします。ヤンゴンやネーピードーでは4G LTEのサービスも始まっていますが、こういった奥地では、2Gの電波も届かない村がまだあるのですね。

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下車客と、待ち受ける家族と(カン)。

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Wikiの「List of railway stations in Myanmar」にも出てこない小さな停留所でも、下車して家路に着く家族連れが。

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終点ガンゴーまであと一息です。

終点のガンゴー駅には20分ほどの早着でした。

これで、この時点で営業しているミャンマー国鉄MRの全区間に乗車を完了、完乗! と言いたいところなのですが、どうもすっきりしません。
MRには、大学の開講期間中だけ走る列車というのが何カ所かあるのですが、うち1路線は、そのような運行をする列車しか走らない路線で、それは即ち、大学の閉校期間中や開校期間中でも土日祝日は列車の運行がない!ので乗りに行くことが出来ない! という状態なのです、今は。

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終点ガンゴーに到着。完乗っ!... と言い切れない…

ご存じ、マグウェ~カンビャ間の路線がそれに相当します。休止線といえばそうなのですし、今この時点では営業列車はないわけですが、間もなく12月に入って大学が再開されれば、当然列車も走る。ガーラ湯沢に未乗のまま、夏場に「完乗!」と叫ぶのも本人も納得いかないことでしょう。

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ガンゴー駅舎は、チャンウーの駅舎に似てますね。

そんなわけで、玉虫色の完乗、とFacebookには書きましたが、実際本人はスッキリしなくて困っています。早く乗って身綺麗になりたいところ。
ともあれ、そのガンゴー駅には、公共交通機関はなし。バイクタクシーも、列車の到着直後に降車客を乗せて去っていってしまい、写真を撮ったりしているうちに、当方乗りそびれてしまいました。

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ガンゴー飛行場としてGoogle mapに記載されている空間。御覧のとおり、今は飛行場機能はないですね。

仕方ないのでGoogle mapを見ながら街の方向へ歩き出すと、先ほどの列車の車掌と乗客数名が軽トラに乗って追い抜いて来ました。

思わず「乗せてっ!」と手を挙げると、皆さん快諾。荷台に載せて貰って、国道沿いのバス停まで運んで戴き、御礼の小額紙幣を受け取ろうともしません。この国の方々、こうすることが「徳を積む」と思っているからなのか、本当に見返りを求めない親切をあちこちで経験してきました。

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お礼も受け取らずににこやかに去っていきました。軽トラの運ちゃんは列車の乗務員の人。

そのガンゴーのバスターミナル、いやバス乗り場が幾つか並んでいる通りですが、ここから山を越えて“南線”の終点駅のあるヂョー方面へ行くバスは意外と少なく、切符売り場氏曰く、次に出るのは夜行便のマンダレー行きやパコック行きしかないと仰います。それでは当方ちょっと困るのですし、声をかけてきた借上のクルマで行くと7万チャットなどと結構な額。バイタクだと5万だとか。

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ガンゴーからは、この神奈中ではなくて、

取り敢えず17時発のヂョー経由マンダレー行きの夜行バス(チャイエース)の切符を求め、各バス会社を覗き尋ねながら暫く歩き、戻ってきたら、先ほどひやかした一軒のバス待合所から飛び出してきたおばちゃんが「あのクルマが今すぐヂョーに行くよ、乗んな!」と親切に導いてくれました。
指さされた先、冷房の効かない旧型チャイエース車はヂョーを経由してパコックまで行くクルマ(5千チャット)。これは有り難いですね。10分ほど、ホントに待つほどもなく、数人の乗客と共に、出発です。

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こちらの旧型チャイエースの乗合車(パコック行き)でヂョーへ山越え移動。

ちなみにこのガンゴーの街、西の山の方に向かうと、アラカン山脈・チン州のハッカの方へ向かう山道に繋がっています。結構な悪路だそうですが、想像に難くないですね。

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パコック~カレイミョ路線(北半分)に乗る:旅路。

カレイミョを出発した列車は一路南へ、昨夕訪れたヒトマー飛行場近くの東屋で昨日と同じように寛ぐ村人に手を振り、まだ朝の涼しさの残る途中の駅や停留所で数名ずつの乗客を拾いながらゆっくりと走って行きます。

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ナッチャウン着。比較的大勢の乗客が待ち受けていました。

2年前にLRBEで訪れたナッチャウンを過ぎ、最初の小休止はSiHaung。車掌や運転要員に声をかけられ、乗客も半数以上がホームに降り、駅舎の脇の小屋に設けられた2店競合の食堂に群がっていきます。

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食べ物を持った売り子さんが大勢待ち受けていた、シーハウン。

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つい食堂の方に足が向いてしまい、

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他の乗客の皆さんと一緒に朝ごはん。

どちらもメニューにはそう違いがないいつもの各種ヒンとご飯、それに3in1のドリンクなのですが、「あれ、外人も食べてるよ」みたいなおばちゃん達の好奇の視線に晒されながら、美味しく戴きます。ヤンゴンにもミャンマー料理の高級レストランが何店かありますが、こういうところでいただくご飯はとっても美味しいですね。

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右手にアラカン山脈を望みながら。

時刻表上はごく短時間停車なのですが、そんなこんなで15分以上停車して、汽笛で呼び掛けがあった後、乗客がいそいそと客車に戻って、再度の出発です。

すっかり明るくなってきた中を走る列車は、途中、一部鉄の方の中ではLRBE編成の撮影名所となっていた?併用軌道を数台のクルマを待たせて通過。今日は撮影する人も見当たりませんでしたね。

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撮影名所?の併用橋を渡っていきます。

以前上下列車の車両交換があった乗換駅のハンタワディはLRBE転回用のターンテーブルがあるのですが、写真には撮り損ね。運転の要衝ではなくなってしまったためか、随分あっさりとした発車です。

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タウンキンニャン着。ここで対向列車との交換待ちの筈ですが。

寧ろまたしっかりと停まったのが、タウンキンニャン。タウンは「南」の意味で、一つ手前にはミャウ(北)キンニャンという駅もありました。

時刻表上は、この駅で対向の139UPと交換するのですが、5分ほどたった後、ノンビリと待っていた関係者の動きが慌ただしくなり、さ、行くよ、と。どうやら対向列車が遅れているため、次の交換駅まで進むようです。

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時刻改正を知らせる案内チラシが貼られていました。

次の・・・と言っても、小さな棒線一本の駅に幾つか停車した後、漸く腰を落ち着けたのはムエレ。今度こそ対向の139UP列車との交換のようで、待つこと暫し、2時間ほどの遅れで疲れたような表情の乗客を乗せた列車が、こちらは少し格下?非力のDF1642号機に引かれてやって来ました。
時ならぬ列車交換に、物売りが駆け寄っていきます。果物、飲み物、なんだかよく判らない食べ物に、白いプラケースに入れられたぶっかけ飯弁当もあるようですね。ちょうどお昼時でもあるし。

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遅れの対向列車がやって来ました。心なしか疲れて見える?

そのおよそ2時間遅れでやって来た列車、昨日はほぼ定刻にカレイミョ近くに現れたので、今日は特に何かあった模様・・・ と考えつつ、再び走り出した列車の車窓を眺めていると、車掌が窓の外前方を指さし、「あそこ、崩れたところ」と教えてくれました。

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対向列車は混んでますね。この状態で2時間待たされてたのかと。お疲れ様です。

先ほどからつかず離れず走ってきた並行道路をくぐるトンネルのようになっている手前のところで、法面の土が崩れ、線路際、いや一部は線路の上に覆い被さってしまった土砂を取り除く作業の影響で、先ほどの列車は遅れてしまったのでしょう。
もう雨季も終わりの時期でここ数日好天に恵まれていますが、まだまだこんな小規模災害は続いている、厳しい土地を走る山岳路線なのですね。

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ここが法面崩落区間だったようです。

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2018年10月26日 (金)

パコック~カレイミョ路線(北半分)に乗る:前振り。

カレイミョの朝、5時過ぎにホテルをチェックアウトして、さてバイクタクシー探すか、と思ったら、ホテルの前に滑り込んできたバイタクが、昨日のヒトマー往復に使ったおっちゃんでびっくり。明日朝の汽車に乗るんだ、と話してたのを覚えてたんだな。商売機会は逃さない。努力に敬服です。

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出発を待つ140DN列車ガンゴー行き。左のLRBEが・・・

そのカレイミョからのガンゴー行き140DN列車は、当方が駅に着いた時点ではまだ機関車が起動していませんでした。
駅構内をうろうろするうち、空が次第に明るくなっていき、駅の脇に設けられた小さな機関区でDF2002号機のエンジンが音を立てて動き出し、朝の涼しい空気の中、一日の始まりを感じます。

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出札窓口内に呼ばれ、こちらで外国人用乗車券を購入。

機関車は程なく動き出し、転線してホーム側に据え付けられた客車に連結され、ちょうど同じ頃合い、切符の販売が始まりました。
他の乗客と一緒に並んで購入を試みるも、「あ、外国人?こっち来て」と発券事務室に呼び入れられ、例によってパスポート見せて外国人様式の横長の乗車券を購入。台帳の1ページ前に購入した外国人は、やっぱり知った名前の顔馴染みの方でした。

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日が昇って来ました。さあ、間もなく出発です。

今日の編成は機関車後位にショーティ尺のOrdinary2両、貨車改造の“代用客車”1両、最後尾にカブース1両の短編成。

各ボックスに1~2名の乗りで、定刻6時半に出発します。

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まだ朝靄の美しい朝7時前の車窓。

ここから南へ向かう線路は、ここカレイミョ(ミョは“街”の意味なので、駅名としてはカレイが正しいようです。駅名標もそのように書かれています。)とパコックを結ぶ路線として、(以下MR公式によれば)まず南のパコック側から、

1994年11月13日 Pakhokku – Myaing - Myosoe間開通
1995年3月18日 Myosoe - Zebyar間開通
1997年4月9日 Zebyar - Kyaw間が開通し、現在の南側区間(日本だったら、パコ・カレ南線とでも呼ぶでしょうか)が形成されています。
他方カレイミョ側はほぼ同時期に、
1995年4月23日 Kalay – Natchaung間が開通、続いて
1996年2月5日 Natchaung – Gangaw間が開通して、現在運行されている北側区間が開通しました。
そして残るガンゴー~ヂョー間36マイル弱ですが、
1997年7月17日にGangaw – Yaymyetni間が、そして
2007年1月27日に最後のKyaw-Yaymyetni間が繋がり、これでパコック~カレイミョ感が全通したことになります。 
この最後に開通した約27マイルの区間には、ミャンマー国鉄MR最長、5,610フィート(約1.71km)のPonnyataungトンネルの難工事が含まれていました。
なのですが、だがしかし。
開通から数年の間(少なくとも2009年の新聞記事には、このトンネルから飛び出してくる旅客列車の画像を確認)はこの区間で旅客営業運転がされていたようなのですが、
その後の自然災害(水害による路盤流出?)によりガンゴー~ヂョー間の運転は休止、北側と南側の両側区間でのみ旅客営業がなされ、特に北側は他のMR路線とは線路の繋がらない孤島状態となってしまいました。
そのお陰でか、近年までカレイミョ近郊ではLRBE列車の運行がなされ、日本人鉄の方も訪問したりしていたわけですが。

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ポンニャタウン・トンネルから出てくる列車を写したThe New Light of Myanmar紙。

そしてこの北側区間、カレイミョ近くの橋の老朽化(って、開通20年かそこらで、いったいどんな作り方してたんだか)により重量DLの走行が出来なくなったため、更に北側半分のハンタワディ~カレイミョ間はLRBE牽引による軽量列車の運行、南側のハンタワディ~ガンゴー間は通常のDLが牽引する列車と、途中で乗り換える形での運行形態を余儀なくされていました。
また以前ナッチャウン駅に掲げられていた時刻表を見ますに、ガンゴーまでの全区間列車のほか、途中のナッチャウン、ハンタワディ、ムエレまで3往復の区間列車の設定もなされていたようです。2年前には、ナッチャウンまでの1往復のLRBE列車のみが残っていましたが。

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4往復時代の時刻表(2016年12月、ナッチャウン駅にて)。

そして問題の橋梁の改修のため、2017年末頃に数か月間ナッチャウン~カレイミョ間で列車の運行を全面停止して橋の架け替え工事が行われました。この結果、列車運転は再開されましたが、重量級のDLが無事にカレイミョまで直通できることとなり、国内最後の定期運行LRBE列車は敢え無く消滅。

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まだ肌寒い時間帯。皆さん厚着してますね。そして早起きはやっぱり眠いのは皆同じ。

現在では、カレイミョとガンゴーをそれぞれ朝出発、途中駅で交換し、目的地に午後に到着するという1日1往復の運行形態になっています。

長くなりましたので、別記事に分けて続けます。

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補修工事がなされたのは、この橋かな??

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2018年10月25日 (木)

二年ぶりのカレイミョへ飛んできました。

10月21日(日)朝、今日はゆっくり起きて、お昼前のUB603便、ATR機でカレィミョへ飛びます。

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いつものATR機でカレイミョ空港に着きました。

ピィからこの地域へ向けて陸路北上していくと、どうしても時間がかかり過ぎるし、体力温存ということで、ヤンゴンから飛んでいくことにした次第。その方が結果早くて楽、ということになってしまうわけで、長距離交通はヤンゴンに集中し過ぎです、この国。

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ガンゴーからカレイミョに到着間近の139UP列車。

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ちょっと踊った感じの文字のサボが楽しいですね。

この国に赴任してきてすぐの頃、チン州のプロジェクト・サイトを訪問するために出張で来訪して以来ほぼ2年ぶりのカレイミョ。

今日はカレィミョ空港から、名前だけは軍記物読んで知っていたヒトマーへ(発音はhットマー、くらいに聞こえます)バイクタクシーで向かうことにします。

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かつてここに日本軍の飛行場があった、のだそうです。今はバンカーなども全て取り壊されて、田んぼになってしまっています。

先の大戦中、インパールを目指して進出してきた日本軍の飛行場があった所。行き掛けの駄賃に、ほぼ定刻にやって来た、ガンゴーからのカレィミョ行きをすれ違いざまに踏切端で1枚。

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カレイミョ市内に戻ってきて、駅近くのバスターミナル。大分空港と書かれたバスはマンダレー~カレイミョと書かれています。

ヒトマ―の村を通り過ぎ、お歳を召した住民の方に教えを請いつつ未舗装の細い道を進み、靴を脱いで川を渡ったりしながら辿り着いた飛行場跡地は完全に田圃になり何も残っていませんでした。そこからは木陰の休憩所で休んでいた地元の農民の方が案内してくれたのですが、「あっちとあっちに全部で5カ所の飛行機格納用の壕があったけど、全部イギリス軍の空爆で壊されて、今は何にも残ってない」との事。

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カレイミョ駅舎。中にレストランがあるような看板はありますが、営業してなさそう。

確かに飛行場があったくらいの長さの平原に、今は田んぼが広がっていますが、ここに軍用飛行機がひしめく、そんな時代もあったのでしょうね。

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前回乗車したLRBE61号車は、未だ綺麗な状態。

そして街に戻り、夕暮れ間近のカレィミョ駅を訪問。

現役を退いたLRBE36と61、機関庫の方に声をかけてみると、まだちゃんと動くというんですから驚きです。今の列車の運行は標準型のディーゼル機関車が牽引する客車編成ですが、非常時の救援列車などで使われ(得)る、というのですから。定期列車でもチャーターでも、動かしてくれれば、日本人がこれ目当てに来ますよ。

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LRBE36号車も、稼働可能に見えますね。

そして、駅の奥の方に留置…というのですかね。2台のD1Bは半解体状態となってしまい、もう復活が望める状態ではありませんでしたが(涙)。

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こちらのD1B-303号車は、残念ながら解体途中の趣。

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タルボットの銘板が台車に残っていました。

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日野のトラックエンジンはこのように積まれていたのですね。

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こちらのD1B-301号車も、既に命運尽きた状態でした。

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